これだけはおさえたい洋楽名盤列伝!

これだけはおさえたい洋楽名盤列伝!

ジャズ系AORのプロトタイプとなった
マイケル・フランクスの『アート・オ
ブ・ティー』

『Art of Tea』(’75)/Michael Franks

『Art of Tea』(’75)/Michael Franks

グラミー受賞の常連であるプロデューサーのトミー・リプーマとエンジニアのアル・シュミット。70年代に彼らふたりが制作した作品の特徴は、都会的で洒落たサウンドであった。イージーリスニング的な要素もあるが、一方でロックスピリットを失っていない音作りが彼らの才能だと言える。彼らの追求していた音楽は、バーバンクサウンドの裏方として編曲を担当していたニック・デカロが74年にリリースしたソロ作『イタリアン・グラフィティ』(名作!)で身を結ぶのだが、あまりに新しいその音楽は発売当時には理解されなかった。そして2年後、マイケル・フランクスの2ndとなる本作『アート・オブ・ティー』とジョージ・ベンソンの『ブリージン』で、彼らの目指す究極の音楽は完成する。特に『アート・オブ・ティー』はフュージョン界から登場した最初期のAORであり、今でも全く古びることのない名盤だ。

70年代中期のポピュラー音楽

70年代中期はとても印象深い時代である。70sロックの終焉とパンクロックの台頭、フュージョンやAORに人気が集まるなど、ロックを中心にしたポピュラー音楽が確実に変わろうとしていた時期だ。この変革はポピュラー音楽を聴いていたリスナーの年齢層が広がってきたことを意味する。50年代中期〜後半にロックンロールが誕生してから、もとからロックを聴いていたファンの年齢は徐々に上がっていき、その間にロックの黎明期を知らない若いリスナーが登場してきたこともあって、ロックの概念が広くなってきたのである。そして、70年代中期には全く正反対のベクトルを持つAOR(高年齢層)とパンクロック(低年齢層)が人気を二分するようになるのである。
巨大化したレコード産業は膨れ上がる社員を食わすためにメガヒットを連発しなければならず、マーケティングや社会学的な統計を駆使し、各種年齢層に売れる作品を作る必要に迫られる。とりわけ、30歳をすぎた社会人リスナーにアピールする作品を制作するため(購買力が高いため)に、アダルトに受けるサウンドを目指した。そして、ボズ・スキャッグスの『シルク・ディグリーズ』(‘76)やフリートウッド・マックの『噂』(’77)、ディスコ向けの『サタデー・ナイト・フィーバー』(‘77)などを制作、どの作品も100万枚を越すセールスを記録し、AOR路線は成功する。この時代はポピュラー音楽界のバブル期であったのかもしれない。
しかし、これらの作品はロックサイド、ソウルサイドからのAOR作品であり、ジャズサイドからのAOR作品制作はほとんどなかった。トミー・リプーマとアル・シュミットは74年にリリースしたニック・デカロの『イタリアン・グラフィティ』の方向性は間違っていないと考えていたはずで、スティーリー・ダンの『プレッツェル・ロジック』(‘74)やクルセイダーズのライヴ盤『スクラッチ』(’74)など、トミー・リプーマ&アル・シュミットの音作りに似ているアルバムもちらほら出てきていたのである。

マイケル・フランクスの先進性

マイケル・フランクスは73年にデビューアルバム『マイケル・フランクス』をリリースするものの、まったく売れなかった。このアルバムもデカロの『イタリアン・グラフィティ』と同様に、サウンドが新しすぎたがゆえの結果であった。73年と言えば、まだシンガーソングライターやウエストコーストロックがロック界の主流であり、フランクスのアルバムも普通のシンガーソングライター作品ととらえられていたのである。当時、僕もこの『マイケル・フランクス』を輸入盤専門店で入手したものの、2〜3回聴いただけで売ってしまった。当時はまだAORやフュージョンの概念はなく、彼のアルバムを理解できなかったのである。

クルセイダーズのフュージョン感覚

ただ、ジャズのようでジャズでないアルバム(今で言うフュージョン)は嫌いではなかった。特にクルセイダーズが74年にリリースしたライヴ盤の『スクラッチ』は、キャロル・キングやビートルズのナンバーを見事なアレンジで演奏していたし、ラリー・カールトンのギターをはじめ、ウィルトン・フェルダーのサックスやジョー・サンプルのキーボードは、それまでロックばかり聴いていた僕のような人間にとっては、ジャズっぽいところがカッコ良かったのである。フュージョンとAORは“都会的でカッコ良い”ことが何より大切な要素である。中身のない単に“都会的でカッコ良い”作品も少なからずあるので気をつけなければいけないが、クルセイダーズのサウンドは“都会的でカッコ良い”だけじゃなく、ロックスピリットをしっかり持っていた。

ジャズ界からのフュージョン作品

1976年、ジョージ・ベンソンの『ブリージン』がリリースされ、日本でも大人気となった。このアルバムはベンソンの超絶ギターテクニックとロックフィールにあふれたリズムセクションが中心で、やっぱり“都会的でカッコ良い”サウンドであった。このアルバムもトミー・リプーマとアル・シュミットが組んだ作品で、ベンソンのギターが中心なのでデカロの『イタリアン・グラフィティ』と比べるとはるかにジャズしていたが、そのテイストは似ていた。この頃から、僕はリプーマ&シュミット作品がリリースされたら買うようになっていた。

本作『アート・オブ・ティー』について

マイケル・フランクスの2ndアルバム『アート・オブ・ティー』がリリースされたのは1975年の終わりだったと思う。実際に買ったのは76年になってからのこと。デビュー作が理解できなかっただけに最初はためらっていたのだが、
本作はリプーマ&シュミットの制作で、バックを務めるのは大好きなクルセダーズの面々である。クルセイダーズの面々とはいえ、参加しているのはギターのラリー・カールトンとキーボードのジョー・サンプル、そしてサックスのウィルトン・フェルダーの3名のみ。しかも、ウィルトン・フェルダーはサックスではなくベースプレーヤーとして参加している(彼はセッションマンとして活動するときはベーシストとして参加するほうが多い)。ドラムはジョニ・ミッチェルのバックでも知られるL.Aエクスプレスのジョン・ゲリンで、ストリングス・アレンジは例のニック・デカロが担当していたから、慌てて買った。
収録されているのは9曲。曲によってデイブ・サンボーンやマイケル・ブレッカーのサックスソロがあり、美しいストリングス・アレンジはニック・デカロだ。都会的でカッコ良いのはもちろん、フランクスのソングライティングが冴え渡っている。ジョー・サンプルが弾くフェンダー・ローズの音をはじめ、ラリー・カールトンのむせび泣くようなギターワークや、フランクスの歌をサポートするジョン・ゲリンの抑えたドラムなど、完璧な演奏としか言いようのない仕上がりだ。
本作はジャズサイドからのAORとして、もっとも初期の作品だと思う。本作以降、ジャズっぽいAOR作品が雨後の筍のように登場することになるわけだが、やはり『アート・オブ・ティー』の完成度は別格だろう。フランクスの次作となる3rdアルバム『スリーピング・ジプシー』(‘77)は世界的な大ヒット「アントニオの歌」が収録されているし、アルバムとしても良い作品だと思うが、これだけのスタイリッシュなスタイルを創造したという意味でも、演奏面の熱さからいっても、やっぱり本作が本家本元であり、何十年経っても聴き続けられる名作なのである。
結局、フランクスのデビュー作『マイケル・フランクス』を買い直そうとしたのだが入手できず、現在CDでリリースされている『Previously Unavailable』(曲順は変わっているが、内容は同じ)を入手、当時とは違って良さがちゃんと理解できた。彼の音楽に興味があれば、どのアルバムでもいいから聴いてみてほしい。一見、ヘタウマヴォーカルのように聴こえるけど巧いシンガーです。

TEXT:河崎直人

アルバム『Art of Tea』1975年作品
『Art of Tea』(’75)/Michael Franks

OKMusic編集部

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