シンプルかつエッジの効いた
AC/DCサウンドが炸裂する
『地獄のハイウェイ』

『Highway to Hell』(’79)/AC/DC

『Highway to Hell』(’79)/AC/DC

1979年にリリースされたAC/DCの『地獄のハイウェイ(原題:Highway to Hell)』は、今年の7月でちょうど40周年を迎える。前作の『パワーエイジ』と本作でサウンドが確立したことでも知られるが、完成度の高さで言えば彼らの数多い作品の中でもトップクラスである。世界中に数え切れないほどのファンを持つAC/DCだが、なぜか日本での人気はそう高くない。狭い日本では家でロックが大音量で聴けないことが理由のひとつかもしれないが、最近ではマーベルのファンが激増しているので(海外ではマーベル好きにAC/DCファンは多い)、この40周年で盛り上がるかもしれない。なお、本作の40周年を記念して、首都圏などではいくつかのイベントが準備されている。

流行に無縁のロック

1975年、オーストラリアでアルバムデビューしたAC/DCは、レッド・ツェッペリンやブラック・サバスなどのハードロックグループと、KISSやスレイドのようなポップロックに影響されながらも、シンプルかつハードエッジな独自のスタイルを早い段階で確立している。特に圧倒的な音圧とグイグイ押しまくるステージワークで、ライヴアクトとしては高い評価を得ていた。同年暮れにでた2ndアルバム『T.N.T.』はオーストラリアのチャートで2位まで上昇するのだが、この頃の世界のロックシーンはと言えば、AORとパンクが登場する時代であり、静かに改革と破壊の波が押し寄せていた。アメリカやイギリスのような音楽産業の中心ではなく、オーストラリアという無菌室のような場所でデビューしたことが幸いしたのか、彼らは流行とは無縁の70s初期の感覚を持ったロックンロールをやり続けていた。

ローカルバンドから
英アトランティックとの契約へ

オーストラリアで確実にファンを増やしていた彼らの次の目標は世界進出であったが、『T.N.T』が10万枚以上のセールスを記録していたことが功を奏し、大手レーベル、英アトランティックとの契約が成立する。76年には1stと2ndをもとにしたコンピ『ハイ・ヴォルテージ』を世界発売し、続いてオーストラリアで3rdアルバム『悪事と地獄(原題:Dirty Deeds Done Dirt Cheap)』をリリースする。このアルバム、タイトルはそのままであったが大幅に曲を入れ替え、ジャケットも変更した上でインターナショナル仕様盤をリリースしている。このあたりの細かいアレンジは、オーストラリアと世界のマーケットの違いをアトランティック側が相当配慮していたことが窺える。

ヤング兄弟とハリー・ヴァンダの戦略

AC/DCの音楽はシンプルなロックンロールがベースになっている。基本はストーンズの「ジャンピン・ジャック・フラッシュ」のイメージかなと思う。AC/DCの音楽の要は、アンガス・ヤングのリードギターとマルコム・ヤングのリズムギターのコンビネーションにあり、何よりリズムセクションのキレの良さを重視している。ベースもドラムも必要以外の余計なおかずは一切入れず、グループ全体のすっきりとした統一感が肝である。これがAC/DCのずっと変わらない最大の特徴であり、家族だからこその息の合ったプレイができたのかもしれない。ある意味でグループの中にアンガス以外は癖の強いプレーヤーがいないだけに、メンバーの入れ替えがあってもサウンドの変化や劣化を防げるだけに、長い期間活動することができるのだろう。

そして、彼らのシンプルでキレの良いサウンドを生み出したのが、デビューアルバムからずっとプロデュースを担当していた兄のジョージ・ヤングとハリー・ヴァンダであることは間違いない。そもそもジョージとハリーはオーストラリアの著名なビートバンド、イージービーツのメンバーで、60年代には世界的なヒット曲をリリースしているだけに、マルコムとアンガスのふたりにとってはリスペクトしてやまない人材なのである。AC/DC独特のサウンドはイージービーツ時代のジョージとハリーをマルコムとアンガスが側で見ていたからこそ生まれたわけで、ヤング3兄弟とハリー・ヴァンダのタッグは初期のAC/DCにとって必要不可欠であった。

OKMusic編集部

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