長い時間をかけて制作された
グレッグ・オールマン
初のソロアルバム『レイド・バック』

『Laid Back』(’73)/Gregg Allman

『Laid Back』(’73)/Gregg Allman

本作『レイド・バック』は兄であるデュアン亡き後のオールマン・ブラザーズ・バンドを率いたグレッグ・オールマンの初ソロアルバムであり、“レイド・バック(のんびりした・ゆったりした)”という言葉を広めたことでも知られるサザンロック界隈から登場した重要作のひとつである。よく、オールマン・ブラザーズはデュアンとグレッグがブルース担当、ディッキーはカントリー担当という言われ方をしているが、60sや70sの南部ロッカーはブルース、カントリー、R&B、フォーク、ブルーグラスに至るまで、全てのルーツミュージックから影響を受けている。『レイド・バック』はサザンロックというよりはスワンプ系シンガーソングライター作品のようなテイストで、テンションの高いオールマンズのサウンドとはまた違った味わいのある好盤である。

オールマン・ジョイズの頃

デュアンとグレッグは高校生の頃からさまざまな音楽活動をしていた。若い頃から多くの音楽を貪欲に吸収しており、地元周辺ではひと味違う存在であった。ふたりは1964年にエスコーツを結成、1年後にオールマン・ジョイズへと改名している。彼らの演奏を見た著名なソングライターのジョン・D・ラウダーミルクは彼らの資質を見抜き、ダイアルレコードのバディ・キレン(サザンソウルやカントリーで数多くのヒットを送り出している大物プロデューサー)に紹介、ラウダーミルクはプロデュースも引き受けている。この時期の録音(66年)は『オールマン・ジョイズ/アーリー・オールマン』として73年になってからリリースされた。このアルバムはまだ中途半端なスタイルであるが、ラウダーミルクはカントリーやブルースナンバーを演奏するようにアドバイス(「スプーンフル」のレコーディングは彼の推挙)するなど、彼ら兄弟の方向性を決める重要な時期でもあった。余談だが、この作品でラウダーミルクと共同でプロデュースおよびソングライティングを担当したのは、後にスワンプロック作品を数枚リリースすることになるジョン・ハーレーだ。

アワーグラスの頃

その後、兄弟はアワーグラスを結成し西海岸へと移る。メンバーはデュアン&グレッグの他、ジョニー・サンドリン(Dr)、ピート・カー(Ba)、ポール・ホーンズビー(Pf)と、全員がサザンロックの歴史に名を残す重要な面子で構成されている。アワーグラスの演奏を観たリバティレコードのウィリアム・マッキューエンは彼らと契約を交わし、レーベルメイトで当時人気のあったニッティ・グリッティ・ダート・バンド(以下、NGDB。メンバーのジョン・マッキューエンはウィリアムの弟。グループにはジャクソン・ブラウンも一時在籍していた)と同居することになる。結局、アワーグラスは2枚のアルバムをリリースするものの、無理やりサイケデリックロックまがいのグループに仕立て上げられたことに嫌気が差し、デュアンは南部へと戻ってしまう。

後にジョン・マッキューエンはインタビューで、デュアンが当時からギターの名手だったことや、クラレンス・ホワイト(ケンタッキー・カーネルズやバーズの名ギタリスト)と同じように、引いている時に左手が止まって見えたと語っている。

OKMusic編集部

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