スライドギターの達人
ライ・クーダーの入門編なら
『ボーダーライン』が最適
ルーツ系ロックが人気を集めた時代
僕が最初に彼の音楽を聴いたのは2ndアルバムの『紫の峡谷(原題:Into The Purple Valley)』(‘72)で、中3か高1の時である。この頃は、デレク&ザ・ドミノズやオールマンブラザーズなどに代表されるアメリカンルーツ系ロックの人気が高く、若いロックファンの興味はハードロックから徐々にアメリカンロックやシカゴブルースへとシフトしていた時期であった。バンドを結成する中高生や大学生も増え、関西周辺ではブルースを聴かない奴はロックを演奏する資格はないという風潮にあった。
70年代前半は日本でもブルースフェスやブルーグラスフェスなどが開催されるようになり、ルーツ志向に拍車がかかっていたように思う。そういう時期であったからか、遅ればせながら聴いたライ・クーダーの音楽は心に染みた。商業的なロック作品とは正反対の仕上がりで、古いブルースやヒルビリー音楽を独自の解釈で演奏していたライはめちゃくちゃ格好良かった。アメリカではフォークリバイバルの波がまだ継続しており、ルーツ系音楽は多くの支持を集めていたから、彼の努力に裏打ちされたパフォーマーとしての圧倒的な力量は、多くのロックアーティストたちに影響を与えることになる。
教師としてのライ・クーダー
続く3rdアルバム『流れ者の物語(原題:Boomer’s Story)』(‘72)でも傾向は同じであった。スリーピー・ジョン・エスティス、ダン・ペン、スキップ・ジェイムズなど、取り上げられた作曲者のアルバムを探して聴くことになるのだが、ライがいかにオリジナルと違うことをやっているかが理解できると、逆に原曲の良さが分かったりして、この作業が楽しくてやめられなくなる。結局はこの“お勉強”のおかげで、カントリーブルースやサザンソウル、カントリー、フォーク、ワールドミュージックまで、ありとあらゆる音楽を聴いていくことになって、ライの仕掛けた罠にまんまとはまっていることに気付くのだ。ライのアルバムで知ったスリーピー・ジョン・エスティスは、彼のアルバム『スリーピー・ジョン・エスティスの伝説』が日本でも73年にリリースされただけでなく、翌74年には第1回『ブルースフェスティバル』に来日するなど、ライのおかげでブルースファンになった者も少なくなかったはずである。
いろいろな音楽への取り組み
本作『ボーダーライン』について
しかし、真摯に音楽と向き合うスタイルは相変わらずで、このアルバムもやはり良い作品であった。アルバムのバックを務めるミュージシャンたちは、ロック界の宝とも言えるような素晴らしいアーティストで、みんなライとは古い付き合いだけに阿吽の呼吸である。ライのファンはポップ路線はこの作品だけだろうと思っていたのだが、9作目となる本作『ボーダーライン』がリリースされると、前作以上のポップ感覚があり、これが意外と受けた。本作も前作同様、珍しくチャートインしている(43位)。
アルバムはウィルソン・ピケットの大ヒット「634-5789」から始まる。オルガンやバックヴォーカルは黒っぽいR&Bテイストではあるが、ライならではのグルーブ感が素晴らしい。「Why Don’t You Try Me」では原曲はサザンソウルだが、ここではテックスメックス風味を持ちつつ、ニューウェイブっぽいシンセが使われていたり、ギターのリフが沖縄であったりと、アレンジが冴えわたっている。他にもドゥワップあり、カントリーソウルあり、スワンプロックあり、マリアッチ、コンフント、ブルース等々…ライのさまざまな抽斗に収められているルーツ音楽がポップに味付けされ、純粋に楽しめるアルバムに仕上がっている。
本作において特筆すべきは、硬派のシンガーソングライターとして知られるジョン・ハイアットがギタリストとして参加していることだろう。ライとスタンスは違うものの、ハイアットもまたルーツ系ロッカーとして優れた人材で、本作にも2曲の自作曲を提供し、ライの音楽に新しい風を吹き込んでいる。また、ベースのティム・ドラモンド(ニール・ヤングの『ハーヴェスト』にも参加している名プレーヤー)とドラムのジム・ケルトナー(アメリカ最高のドラマーの一人)のコンビネーションも文句なしの仕上がりを見せる。普通のエイトビートではないシンコペーションの利いたプレイは、そんじょそこらのミュージシャンでは絶対に真似できない職人技だと言える。特にケルトナーのドラムは、デビューの頃からライの音楽には欠かせないもので、彼が参加することでライの音楽自体が成り立っていると言っても過言ではない。
TEXT:河崎直人