天才 レオン・ラッセルの名盤と言え
ば『レオン・ラッセル・アンド・ザ・
シェルター・ピープル』

1950年代後半にロックンロールが登場してから60年近くが経過するが、その長い歴史の中でレオン・ラッセルが果たした役割はとてつもなく大きい。デレク&ザ・ドミノスの結成のきっかけになったことや、ジョージ・ハリスン、ジョー・コッカー、デラニー&ボニー、ローリング・ストーンズらのアメリカーナ化に直接の影響を与えているのだ。ソングライターとしても1級の腕前で、カーペンターズで大ヒットした「スーパースター」や「マスカレード」「ソング・フォー・ユー」も、彼のペンになる珠玉の名曲である。60年半ばからプロとして音楽活動をスタートさせた彼だが、残念なことに11月13日、74歳でその生涯を閉じてしまった。そんなわけで今回は、彼のソロ作品の中でも名作中の名作である『レオン・ラッセル・アンド・ザ・シェルター・ピープル』を紹介しようと思う。

バングラデシュのコンサートの衝撃

僕が中2だった時、ジョージ・ハリスンの声かけでバングラデシュのコンサートがニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンで開催された。当時は“チャリティー”なんて言葉、まだ誰も使ってなかったと思うが、要するに貧困に苦しむバングラデシュの難民を救おうと、ジョージ・ハリスンはエリック・クラプトンやリンゴ・スターらに声をかけ、賛同したミュージシャンたちは大挙してこのコンサートに参加することになった。すでにビートルズは解散していて伝説となりつつあった時期だけに、僕のような多くの中学生のロックファンはジョージとリンゴが同じステージに立つというだけで興奮していたのである。
このコンサートの模様を収めたアルバムは、LP3枚組で箱入りタイプの豪華な仕様であった。確か日本発売されたのは1971年の年明け早々(2月)だったから、まだお年玉が残っていたので、大枚5000円をはたいて早速入手したのだった。このアルバムを聴いた時の感動は今でも忘れられないほどで、よく知っていたビートルズの「サムシング」や「ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス」、ジョージのソロになってからの大ヒット「マイ・スイート・ロード」などが、オリジナルよりもずっとカッコ良くて、ライヴのすごさというか生演奏のノリに酔いしれたのだった。
アルバムはインドの宗教的なシタールやタブラを使ったラヴィ・シャンカールの長い曲(A面は1曲のみで17分近い演奏)から始まり、どう見てもインドから来たとしか思えない風貌のラヴィであったが、実はニューヨーク在住であったそうだ。日本でも人気の高いノラ・ジョーンズは、このラヴィ・シャンカールの娘である。ラヴィは2012年に惜しくも亡くなっている。インドびいきのジョージとラヴィは親友であったから、このコンサートにも参加することになったのだ。
もちろん、コンサートの主役はジョージとエリック・クラプトンで、ここでの彼らふたりの演奏は文句なしの出来だと今でも思う。ところが、ロックの知識がたいしてない中学生の僕は驚いた。ジョージ&クラプトンよりカッコ良い奴がいる。それがビリー・プレストンとレオン・ラッセルだった。このふたりのことは、このアルバムで初めて知ることになった。アルバムの解説書を読んで、ビリー・プレストンがビートルズ時代からバックメンとして参加していることや、レオン・ラッセルはジョー・コッカーのマッド・ドッグス&イングリッシュメンの音楽監督であることなどを知るのだが、特にレオン・ラッセルのカリスマ性は恐ろしいほどで、あっと言う間にファンになった。レオンのすごさは映像で観るほうがよく分かるのだが、なぜだか僕はバングラデシュのコンサートのドキュメンタリーフィルムをどこで観たのかはまったく覚えていない。現在はDVDで入手できるはずで、観れば一目瞭然、ジョージもクラプトンも驚くほどカッコ良い。

レオン・ラッセルに心酔するジョージと
クラプトン

さて、このままではバングラデシュのコンサートの話で終わってしまいそうなので、話を戻してレオン・ラッセルについて見ていこう。
バングラデシュのコンサートはジョージが主催したのだが、ジョージもクラプトンも、60年代後半からレオン・ラッセルの音楽に心酔していた。クラプトンが70年にリリースした初のソロアルバム『エリック・クラプトン』では、レオンをはじめ、カール・レイドル、ボビー・ウィットロック、ジム・ゴードン、デラニー・ブラムレット、リタ・クーリッジらが参加しているが、これらのメンバーはレオンの昔からの音楽仲間なのである。ここで、気付いた人がいるかどうかは分からないが、クラプトンが後に「レイラ」のヒットで知られることになるデレク&ザ・ドミノスのメンバーがこのアルバムで全員揃っている(デュアン・オールマン以外)のだ。
ビートルズ解散後、ジョージの初ソロアルバム「オール・シングス・マスト・パス」(‘70)も同じで、レオンこそ参加してはいないが、カール・レイドル、ジム・ゴードン、ボビー・ウィットロック、ボビー・キーズ、ジム・プライスら、ほぼレオン人脈で固められている。要するにジョージにしてもクラプトンにしても、レオンのやっている音楽に近付きたいという思いから、レオン人脈のミュージシャンにバックを任せているのである。

レオン・ラッセルというプロフェッショ
ナル

そもそもレオンは64年頃から西海岸でアレンジャーとして活躍し、ゲイリー・ルイス&ザ・プレイボーイズの全米ナンバーワンヒットを制作したり、世界初のロック番組『シンディグ!』で音楽監督を務めたりなど、西海岸がヒッピーやサイケに染まる前夜から、プロフェッショナルのミュージシャン兼アレンジャー、プロデューサーとしてやっていたわけである。その上、彼は良い曲も書けるし、どんな楽器も演奏できる天才肌であったのだ。テレビの『シンディグ!』ではハウスバンドにデラニー・ブラムレットもいたが、彼が後にデラニー&ボニーを結成し、レオンがプロデュースしたイギリスツアーでは大きな反響を呼ぶことになった。そして、クラプトンがデラニー&ボニーのメンバーとして合流、ライヴ盤の名作『オン・ツアー・ウイズ・エリック・クラプトン』(‘70)を生むことになるのだが、このグループも先に述べたようにレオン人脈でバンドは構成されており、レオンの当時の力量は本当に底なしであった。

マッド・ドッグス&ザ・イングリッシュ
メン

デラニー&ボニーのイギリス公演が成功すると、イギリスの人気シンガー、ジョー・コッカーのプロデューサーを務めていたデニー・コーデルがレオンに惚れ込み、ジョー・コッカーのアメリカ公演の音楽監督をレオンに依頼する。レオンは彼の人脈で構成されていた、デラニー&ボニーのバックミュージシャンを根こそぎジョー・コッカーのバックメンに回してしまう。この時の模様はライヴ盤『マッド・ドッグス&ザ・イングリッシュメン』(‘70)や、映画はDVDでもリリースされている。もちろん、この引き抜き事件でレオンとデラニー&ボニーに遺恨が残ったのは言うまでもないが、それだけレオン人脈のミュージシャンたちが優れていたということの証明でもあるし、各ミュージシャンとレオンとの信頼感はハンパじゃなかったのだと思う。
余談であるが、レオン人脈のミュージシャンたちはレオンも含めて、多くがオクラホマ州の出身で、オクラホマには独特のミュージシャンシップのようなものがあるのかもしれない。クラプトンとの共演で知られるJ.J・ケールもオクラホマの出身で、彼もまたレオンとは古い付き合いなのである。

レオンのソロ活動

さて、60年代の終わりから70年初頭にかけてのレオンの活躍ぶりは、アメリカ、イギリス共に、泥臭いレオン・サウンドでロック界を塗りつぶしてしまったほどであった。ある意味では、レオンはパンクロックよりも大きな変革を成し遂げたと僕は思っている。
そんな彼が初のソロアルバム『レオン・ラッセル』をリリースするのは1970年のこと。ロンドン録音で、ジョージ、リンゴのビートルズ組、クラプトン、ミック・ジャガー、ビル・ワイマン、チャーリー・ワッツのストーンズ組、デラニー&ボニー、後のデレク&ザ・ドミノス、スティービー・ウインウッドら、あり得ないほどのメンバーが参加しているものの、見事にレオン・ラッセル・サウンドになっていて、バックのメンバーは全員、レオン・ラッセル塾に参加した生徒のような雰囲気すら感じさせるところに、レオンの大物ぶりが光っている。名曲「ソング・フォー・ユー」や代表作のひとつ「デルタ・レディ」が収録されていて、もちろん名盤である。

本作『レオン・ラッセル&ザ・シェルタ
ー・ピープル』について

前作はチャートに登ることはなかったが、多くのミュージシャンが彼の曲をこぞって取り上げるようになる。特にカーペンターズは「ソング・フォー・ユー」「マスカレード」「スーパースター」と3曲を大ヒットさせており、レオンの音楽がいかに素晴らしいかを再認識させてくれた。
レオンの名前が徐々にロックファンに知られるようになった71年、2ndソロの『レオン・ラッセル&ザ・シェルター・ピープル』がリリースされた。本作では前作ほど派手なバックメンは付いていないが、それだけにアルバムとしてのまとまりや落ち着きが見られる。僕は彼のソロアルバムの中では本作が最高傑作だと考えている。アルバムに収録されているのは全部で11曲、ディラン作品が2曲、ジョージ・ハリスンの曲が1曲、あとはレオンが書いたものだ。
全編を通してゴスペル風の厚みのある女性バックヴォーカルと、超癖のあるレオンのヴォーカルは相性がいいし、力強いタッチのピアノが心地良い。どの曲も申し分のない出来で、何度聴いても飽きない名曲ばかりだ。ディランのカバーはレオンらしいアレンジで、彼のオリジナルといってもおかしくない仕上がりだと思う。
レオンはディラン作品を集めた特製レコードをディラン本人にプレゼントするのだが、ディランはそのレコードを大いに気に入り、アルバムのレコーディングにレオンを呼んでいるほどである。ディランが隠遁生活をしている時、バングラデシュのコンサートに出るようにレオンが説得し、ディランの参加が決まっている。本作のCD化に際し、ディランのカバー3曲(ディランに送った特製レコードに収録されていたもの)がボーナストラックとして収録されている。
ジョージの「ビウェア・オブ・ダークネス」の美しいメロディーや、オリジナルの「アルカトラズ」のサザンロック・テイストなど、本作にはレオンの持ち味がぎっしりと詰まっている。
ブルース、R&B、カントリー、フォークなど、アメリカにしっかりと根付いている様々な音楽を分け隔てなく愛し、自分なりにミックスすることで新しいロックを創造したレオン・ラッセルは、ザ・バンドやライ・クーダーと並んでアメリカロック界の巨星である。まだ、レオン・ラッセルを聴いたことがないという人がいるなら、ぜひこのアルバムを聴いてみてほしい。彼の絶頂期の名演がたっぷり味わえるはずだ。

著者:河崎直人

OKMusic編集部

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