ドクター・ジョンがニューオーリンズ
音楽をロックに浸透させた傑作『ガン
ボ』

70年代初め、ザ・バンドやリトル・フィートがセカンドライン(ニューオーリンズ音楽独特のリズム)を取り入れることで、ニューオーリンズ音楽は広くロックの世界で知られるようになった。日本でも久保田麻琴&夕焼け楽団が『セカンドライン』(‘79)という、そのものずばりのアルバムをリリースするなど、ニューオーリンズ音楽がロックに与えた影響は計り知れない。ザ・バンド、リトル・フィート、久保田麻琴、ボ・ガンボスらを虜にしたアルバムが、今回紹介するドクター・ジョンの『ガンボ(原題:Dr. John's Gumbo)』である。本作は、ロック好きの若者に向けてドクター・ジョンが発信したニューオーリンズ音楽の入門編であり、永遠のマスターピースでもある。

音楽番組『ナウ・エクスプロージョン』
と『イン・コンサート』

僕がまだ小学校4年生の頃、ビージーズの「マサチューセッツ」が日本で大ヒットし、この曲が大好きになってシングル盤を買いに行ってから、洋楽にどっぷりはまることになった。お小遣いで洋楽のシングル盤を買い集め、買うたびに幸せな気分になるわけだが、当時はインターネットもケータイもないので、情報を得るのは知り合いの音楽好きの話を聞くか、音楽雑誌からだけ。中学生になるとラジオやテレビでもロックやポップスの番組が放送されるようになり、新聞のラテ欄に洋楽のことが載ると見逃さなかった。中でも、金曜か土曜の深夜に放送されていた『ナウ・エクスプロージョン』という、さまざまなロックのプロモーションビデオ(まさにMTVのような番組)を流す画期的な番組は、眠い目をこすりながらも必ず観ていた。
もちろん、僕がまだ13〜14歳の頃なので、知らないアーティストがでているほうが多かったが、気に入った音楽が流れるとメモしておいて、翌日情報を集めるということを繰り返していた。その番組に出ていたメラニー、ニュー・シーカーズ、バッファロー・スプリングフィールド、ジョニー・ウインター、 CSN&Y、ジミヘンなどに惹かれ、テレビで気に入ったのをレコード屋さんで買うというパターンだ。
しばらくすると、UHF局のサンテレビ(ローカルネタですみません。関西在住なので…)で『イン・コンサート』という番組がスタートする。これはロックのライヴの模様を流すという凄い企画で、毎週(記憶が曖昧で申し訳ないが、ひょっとすると不定期放送だったかもしれない)欠かさず観ていた記憶がある。特にぶっ飛んだのはレコード発売前のベック・ボガート&アピス。当時の最高のテクニック(今観てもすごいけどね)をテレビで観られるという幸せを味わった。
この番組で毎週のように登場する奇妙なアーティストがいた。山高帽にキンキラキンのタキシードを着て、エレピを弾くおじさんだった。そのおじさんは演奏の途中、踊りながら金粉を撒いたのである。そして、すごいダミ声で唸りながらファンクっぽい曲を演奏していた。そのヘンなおじさんが今回紹介するドクター・ジョン、その人だ。

ザ・バンドとリトル・フィートが取り入
れたセカンドライン

ザ・バンドが72年にリリースしたライヴアルバムの傑作、『ロック・オブ・エイジズ』の1曲目に収録されている「ドント・ドゥ・イット」や、リトル・フィートが73年にリリースした、これまた傑作アルバムの『ディキシー・チキン』のタイトルトラックは、紛れもなくロックの世界でニューオーリンズ特有のリズム、セカンドライン(1)を採り入れた最初期の試みである。この2作を聴いて人生が変わったという人は多いと思うが、この2グループが当時もっとも影響を受けていたアーティストがドクター・ジョンであった。日本やイギリスのリスナーも、この2作品を通してニューオーリンズ関係のレコードを入手した人が多かったはずだ。
それからはニューオーリンズのミュージシャン(ドクター・ジョン、アラン・トゥーサン、ミーターズ、プロフェッサー・ロングヘアなど)に注目が集まるようになり、日本ではキャラメル・ママや久保田麻琴が、イギリスではジェス・ローデンやフランキー・ミラー、ロバート・パーマーらがニューオーリンズの音楽に魅力に惹かれ、次々とニューオーリンズ風味のアルバムをリリースしていく。

ドクター・ジョンの活躍

ニューオーリンズ出身のアーティストの中で、ドクター・ジョンはセッションミュージシャンとして、60年代からロックの世界で活躍しており、参加作は驚くほど多い。僕が持っているロックやポップスのアルバムだけでも、おそらく数百枚に参加しているはずである。60年代は“ドクター・ジョン”という名前ではなく、本名の“マック・レベナック”で活動しており、今でも時折レベナック名義での参加がある。
手元にあるレコードで彼が参加したものを調べてみると、キャンド・ヒート『Living The Blues』(‘68)、ジェシ・デイビス『ウルル』(’71)、カーリー・サイモン『人生はいたずら(原題:Playing Possum)』(‘75)、リンゴ・スター『グッドナイト・ウイーン』(’74)、ローリング・ストーンズ『メイン・ストリートのならず者』(‘72)、ジョー・コッカー『Luxury You Can Afford』(’78)や、他にもマリア・マルダー、リッキー・リー・ジョーンズ、ヴァン・モリソンなどなど、挙げていてもきりがないほどである。彼のセッション参加作での最高の名演は、同郷のボビー・チャールズがベアズビルで録音した『ボビー・チャールズ』収録の「I Must Be In A Good Place Now」だと僕は思う。
60年代から70年代にかけてドクターが参加したのはロックのセッションが多いが、80年代にはジャズのセッションにも多数参加しており、ソロピアノにも絶品の演奏は多い。84年に出た12インチシングルで、ユーロビートをバックにラップに挑戦した「Jet Set」みたいなゲテモノ作品もあるが、デューク・エリントンに捧げた『Duke Elegant』(‘99)と生粋のファンク作品『Creole Moon』(’01)はどちらもジャズのレーベルであるブルーノートからのリリースで、甲乙付け難い名盤だ。ちなみに、彼はこれまでに5回のグラミーを受賞しているし、もちろんロックの殿堂入りも果たしている。

本作『ガンボ』について

『ガンボ』(2)は彼の5枚目のソロアルバムとなる。それまでの4枚のアルバムは、彼がニューオーリンズからロスに出てきたあとでリリースされたもので、どちらかと言えばサイケデリックロックや前衛音楽に影響された不思議な作品ばかりであった。冒頭で述べた『イン・コンサート』に出演していた頃のサウンドに近いと思う。これらの4作品は、僕には今でもまだ理解できない部分が多い。
ロックアーティストであったドクターが、ニューオーリンズという自身の原点を見つめ直そうとしたのか、ニューオーリンズのミュージシャンに印税を払ってあげたかった(本作はオリジナル曲が1曲しかなく、他の曲は全てニューオーリンズの定番曲をドクターがアレンジし直したもの)のか、彼の考えは分からないが、とにかく『ガンボ』は72年にリリースされた。日本盤もリアルタイムでリリースされている。
1曲目の「アイコ・アイコ」ではセカンドラインのグルーヴとドクターの流麗なピアノが光る名演だ。これは古いニューオーリンズR&Bをドクターの新しいアレンジで演奏したもので、ロックに応用できるセカンドラインの模範演奏が収められている。4曲目の唯一のオリジナル曲「サムバディ・チェンジド・ザ・ロック」は本作以降のドクターのサウンドを予見する名曲だ。他の曲は「アイコ・アイコ」と同じく、ニューオーリンズR&Bの有名曲をドクターの斬新なアレンジで聴かせてくれる。ヒューイ・スミス、プロフェッサー・ロングヘア、アール・キングなどのオリジナル盤は、本作がリリースされてから世界中で相当売れたようだ。日本のレコード店にもニューオーリンズのコーナーができるなど、本作がロックファンをニューオーリンズ音楽に目を向けさせたのは確かである。このアルバムがきっかけとなり、ザディコ(3)やケイジャン(4)など、ニューオーリンズの他の音楽にも注目が集まったことも、ポピュラー音楽の発展に一役買っている。僕がこアルバムの中で一番好きなのは「スタッカ・リー」で、ここでのドクターのピアノには惚れ惚れするけど、彼はヴォーカリストとしても大きな魅力がある。
本作はザ・バンドやリトル・フィートへの影響はもちろん、誰もが聴くべきロックの名盤として今後も語り継がれていくだろう。ドクター・ジョンの『ガンボ』は、間違いなく70sロックを代表する最高のアルバムのひとつである。

著者:河崎直人

OKMusic編集部

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