「臼井孝のヒット曲探検隊
~アーティスト別 ベストヒット20」
総合的なヒット分析で
松任谷由実の真の名曲を探る

CD、音楽配信、カラオケの3部門からヒットを読み解く『臼井孝のヒット曲探検隊』。この連載の概要については、第1回目の冒頭部分をご参照いただきたい。ただし、第5回の安室奈美恵からは2017年末までのデータを、そして今回からは2018年12月第3週までのデータを反映している。

作家としての度重なる実績から
本人も大ブレイク

1954年東京都に生まれ、71年に加橋かつみへのシングル「愛は突然に…」にて先に作曲家としてデビューし、翌72年7月5日にシングル「返事はいらない」で歌手としてもデビューを果たした松任谷由実。当時は“荒井由実”として活動していた。

その後、74年のハイ・ファイ・セット「卒業写真」や75年のバンバン「『いちご白書』をもう一度」(オリコン1位獲得)、アグネス・チャン「白いくつ下は似合わない」といった提供楽曲のヒットで頭角を表し、さらに75年後半に発売した荒井由実としてのシングル「あの日にかえりたい」にて自身も初の1位を獲得した。

映画を想起させる情景描写や場面設定、後に夫となる松任谷正隆が中心となって作り上げた垢ぬけたサウンドやそれに相応しい洗練されたメロディー、さらに高音で張り詰めた歌声になる不思議かつインパクトのある歌唱で、当時の歌謡曲やフォークの世界とは一線を画していた。その結果、76年は年間アルバムTOP20に旧作や新作が計4作もランクインするほどの人気となる。

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80年代~90年代の大半で
年間アルバムTOP10に

76年末に結婚し、翌年から松任谷由実として音楽活動を再開。安定して15~20万枚ヒットを飛ばしていたが、81年にシングル「守ってあげたい」の大ヒットで、本作を収録したアルバム『昨晩お会いしましょう』からはさらに累計40万枚を突破。以降も95年頃まで年間TOP10レベルのセールスをキープ。特に、88年末のアルバム『Delight Slight Light Kiss』では、初のミリオンヒットを記録し、以降95年の『KATHMANDU』までミリオンセラーを連発した。

そして、98年には松任谷由実名義としては初のベスト盤『Neue Musik(ノイエ・ムジーク)』が自身初の300万枚を突破。また、40周年を記念した12年のベスト盤『日本の恋と、ユーミンと。』は累計103万枚(18年末現在)となり、今なお週間TOP100近辺を推移するほどのロングヒットとなっている。これはミリオンセラーが2年に1作あるかどうかの10年代の作品と考えれば、300万枚超の『Neue Musik』にも劣らぬメガヒットと言えるだろう。


また、並行して作家としてもヒット作を量産。特に、松田聖子への提供作は「赤いスイートピー」をはじめシングル6作がオリコン1位を獲得、薬師丸ひろ子への提供作「Woman “Wの悲劇”より」はオリコン1位のみならず、多くのリスナーや音楽評論家が名作と唸るほどの評判だ(これらは、いずれも作詞:松本 隆とのタッグで、ユーミン自身は作家性の強い際に用いるペンネーム“呉田軽穂”名義で参加)。小林麻美が歌った海外カバー曲「雨音はショパンの調べ」では作詞:松任谷由実で参加し、こちらもオリコン1位を獲得。シンガーソングライターとしても、また作家としてもヒット曲を飛ばす点からも、中島みゆき、竹内まりやと並んで三大女性シンガーソングライターとして彼女たちが大いにリスペクトされる要因だろう。

徳永英明 / 赤いスイートピー(カバー)

OKMusic編集部

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