80‘sアーティストの極めつけディス
コヒット5曲(その2)

80年代に入ってポップス界はシンセを中心にしたテクノ系やユーロビートなどが登場し、ヒューマン・リーグ、カルチャー・クラブ、デュラン・デュラン、ABCなど、イギリスのアーティストが世界を席巻、ニューロマンティックスやファンカラティーナなどと呼ばれるダンス中心の音作りを進めていく。手軽にシンセが使えるようになったこともあって、ファンクやレゲエなどのリズムを打ち込みで作り上げ、安易なダンス音楽といった批判もあったが、ディスコファンはサウンドの多様化を大いに歓迎したのである。では、今回も日本のディスコ人口が激増した80年代のヒット(その2)を取り上げようと思う。

隆盛を極めていく80年代のディスコ音楽

80年代に入ると、ブリティッシュ勢のカルチャー・クラブ、フランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッドらのようなニューカマーと、デヴィッド・ボウイやロッド・スチュワートなどの大物アーティストがディスコ路線に参入し、どちらも大成功を収める。新旧入り乱れたディスコ音楽の層はますます厚くなり隆盛を極めていく。一方アメリカでも、本場の意地があると言わんばかりに、マイケル・ジャクソン、スティービー・ワンダー、ホール&オーツがディスコヒットを連発するのだが、イギリス勢の圧倒的な人気の前に手をこまねいていたのも事実である。そんな中で、ハイレベルのビデオクリップを次々に繰り出し、ディスコ音楽の頂点に立ったのがクインシー・ジョーンズとマイケル・ジャクソンがタッグを組んだ「スリラー」(‘82)であった。そして、80年代の後半になると、90年代のUKソウルやクラブシーンを予見するかのようなサウンドが登場することで、ディスコ音楽は徐々に終焉を迎えることになるのである。

それでは今回も80‘sアーティストによる極めつけのディスコヒットを5曲セレクトしてみよう。

1.「Rapture」(‘81)/Blondie

70年代中期に登場したブロンディは、リードヴォーカルのデボラ・ハリーをセンターに据え、パンクロックのムーブメントから登場したように見せかけているが、実は多くのヒット曲を生み出したポップス寄りのグループだ。日本人の多くが知っている「コール・ミー」(映画『アメリカン・ジゴロ』(‘80)のテーマ曲)で全米・全英チャート1位を獲得するなど、70年代後半から80年代にかけて絶大な人気があった。本作「Rapture」はディスコヒットを狙った作品で、デボラ・ハリーは白人アーティストとしては最初期のラップを披露している。当時はまだ珍しいヒップホップ的な仕掛けが新しく、全米ダンスチャートで1位を獲得している。ひとつ前のシングル「The Tide Is High」(’81)はレゲエ風のナンバーに挑戦し、この曲でもダンスチャート1位に輝くなど、80年代前半のブロンディは勢いがあった。

2.「Karma Chameleon」(‘83)/Cult
ure Club

82年にデビューしたカルチャー・クラブは、新奇なビジュアルをセールスポイントに若者たちの心を掴んだ。MTVでのヘビーローテーションなどもあって、ヴォーカルのボーイ・ジョージはあっと言う間にスターになった。最初の大ヒット「君は完璧さ(原題:Do You Really Want To Hurt Me)」(‘82)は、抑えたレゲエのリズムが印象的であったが、「カーマ・カメレオン」はモータウンのヒット曲にインスパイアされたダンサブルなナンバーで、日本のディスコでも大ヒット。この頃からディスコでヒットするのがファンクやR&Bでなく、ポップな曲の割合が大きくなってくる。この時期のブリティッシュ系アーティストは、みんなポップでダンサブルなテイストが売りであったが、それだけに流行の入れ替わりが早く、多くの曲が長くても3カ月程度で飽きられるものばかりになってしまった。

3.「Let’s Dance」(‘83)/David B
owie

デビッド・ボウイは不思議な人だ。「レッツ・ダンス」は当時ディスコサウンドで名をあげたシックのナイル・ロジャーズをプロデューサーに迎え、ディスコ向けサウンドで勝負して大成功するのだが、このアルバムの前にリリースした70年代後半の3作品『ロウ』(‘77)『英雄夢語り(ヒーローズ)(原題:"Heroes")』(’77)『ロジャー(間借人)(原題:Lodger)』(‘79)は流行の音作りとは背を向け、芸術的アーティストとしてのボウイの才能を前面に出した秀作群であった。80年の『スケアリー・モンスターズ』は全英1位になるものの、ディスコ的なスタンスではなく、あくまでもロックとしてのボウイ作品である。それが突然、ディスコ作に挑戦するのだから不思議なのである。しかし、この曲でディスコに関係のない仕掛けで彼はブルース界に貢献することになった。それが当時無名のスティーヴィー・レイ・ヴォーンの起用である。レイ・ヴォーンは80年代に登場してきた偉大なブルースギタリストとして、この後大ブレイクすることになるわけだが、この作品のギターソロで起用されなければあの名声はおそらくなかったであろうと思う。なお、この作品はマドンナに影響を与え、彼女もナイル・ロジャーズをプロデューサーに迎えて『ライク・ア・ヴァージン』(’84)でビッグセールスを収める。

4.「Out Of Touch」(‘84)/Hall &
Oates

この曲は12インチシングルが全盛の頃リリースされ、12インチヴァージョンではそのヘヴィな低音が話題となった。もちろん日本のディスコでも大いに流行し、イギリス勢に圧倒されていたアメリカ勢にあって、ホール&オーツはマイケル・ジャクソンと並んで大いに頑張っていた。80年代に入って彼らがリリースした全米1位作は「キッス・オン・マイ・リスト」「プライベート・アイズ」「アイ・キャント・ゴー・フォー・ザッツ」「マンイーター」であり、5曲目がこの「アウト・オブ・タッチ」である。ただ、残念なことに彼らがグループとして1位を獲得した最後の曲でもある。これまでのホール&オーツの曲と比べると、ソングライティングの緻密さという意味では大味な気がするものの、ディスコ的(踊れるかどうか)にみれば他の曲に負けないぐらいの格好良さだと僕は思うのだが、みなさんはどうだろう。

5.「Part Time Lover」(‘85)/Stev
ie Wonder

イントロはホール&オーツの「マンイーター」とそっくりで、当時のディスコで話題になっていたものだ。ヴォーカル以外はスティービーひとりによる打ち込みの多重録音で、ディスコ向けに作られたのは明らかだ。チャートではダンスチャート他5部門で1位を獲得するという輝かしい結果となった。バックトラックには必要最小限の音数しか使われておらず、シンセ過多の当時の風潮に文句を言いたかったのかと思うほどのシンプルなアレンジである。12インチシングルは通常盤(7インチシングル)と比べて倍近い長さではあるが、やはり派手なリミックスはされていない。前年にリリースされた「心の愛(原題:I Just Called To Say I Love You)」でも同じようなシンプルなアレンジがなされており、この頃のスティービーはヴォーカル(コーラス)に重きを置いていることがよく分かる。同時期にブラック・コンテンポラリーが登場していることを考えると、スティービーもそのあたりを視野に入れ、ディスコサウンドからの脱却を図ろうとしていたのかもしれない。

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著者:河崎直人

OKMusic編集部

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