ドナ・サマーの極めつけディスコヒッ
ト5曲

ドナ・サマーはディスコクイーンとしてディスコ音楽の頂点に君臨しただけでなく、ユーロビートを生み出した仕掛け人のひとり

ドナ・サマーというシンガー

ドナ・サマーは、1960年代後半からミュージカルやセッションシンガーとして活躍するものの、ライバルの多いアメリカで成功することは難しいと考え、ソロ歌手になる夢を持ってヨーロッパに向かう。74年にドイツから念願のソロアルバム『Lady Of The Night』をリリースするものの、マイナーレーベルからの発売であったために一般の支持を受けるには至らなかった。
デビューアルバムでほとんどの曲を作曲したジョルジオ・モロダーは、彼女のヴォーカルに惚れ込み2作目以降もエンジニア兼ソングライター兼プロデュースを買って出るのだが、これがドナ・サマーの成功への分岐点であった。60年代からミュージシャンとして活動するモロダーは、作編曲だけでなくエンジニアやプロデュースの手腕にも長けており、シンセサイザーの名手でもあった。2作目では流行しつつあったディスコサウンドをヨーロッパ向けにアレンジし、これが見事に成功。そのアルバムが日本でも大ヒットした『愛の誘惑(原題:Love To Love You Baby)』(‘75)だ。

余談になるが、70年代にディスコで人気があった作品は、なぜかお色気路線のジャケットが多かった。彼女の悩殺2ndをはじめ、オハイオ・プレイヤーズの『ファイアー』やワイルド・チェリーの『プレイ・ザッツ・ファンキー・ミュージック』など、当時の高校生にしてみれば、どれも鼻血モンのジャケットだった。

さて、彼女の『愛の誘惑』はタイトルトラックが17分近くにも及び、延々と踊れるモロダーの仕掛けは、後進のミュージシャンやプロデューサーたちに大きな影響を与えることになる。後の12インチシングルブームの先駆としても、この作品はディスコ愛好家にとっては忘れられないものとなった。モロダーの強力なバックアップのもと、彼女は70年代後半からは12インチシングルを中心に大ヒット曲を連発し、ディスコミュージックの第一人者として“ディスコクイーン”と呼ばれるようになる。特に79年から数年の活躍は目覚ましく「ホット・スタッフ」「バッド・ガールズ」「ディム・オール・ザ・ライツ」など大ヒットを連発する。惜しくも2012年に亡くなってしまうが、マドンナ、シーナ・イーストン、カイリー・ミノーグなど、ドナ・サマーの影響を受けたシンガーは数多く、翌年の2013年にはロックの殿堂入りを果たしている。

それでは、能書きはこのへんにして、ドナ・サマーの極めつけのディスコ・ヒットを5曲セレクトしてみよう!

1.「愛の誘惑(原題:Love To Love Yo
u Baby)(‘75)

この曲、LP時代はA面全部を使った17分にも及ぶ大作となっている。延々と繰り返されるリズムセクションと、囁きにしか聴こえない彼女のヴォーカルが当時は賛否両論を生むことになったが、“聴く”音楽から“踊る”ための音楽への、橋渡し的な大きな役割を果たしたことは間違いない。シンセがまだ発展途上にあったためか、機械的なユーロビートを確立しているわけではないが、テープをつなぎ合わせ、ダンス向きの音楽に仕上げたモロダーの手法は革新的であったし、何よりもディスコファンには圧倒的な支持を得たのである。各種ベストに収録されているのはシングル用のエディットで、フルバージョンを聴きたい人は同名のアルバムを入手していただきたい。

2.「バッド・ガールズ(原題:Bad Gir
ls)」(‘79)

彼女の絶頂期にリリースされた大ヒットナンバー。ホーンセクションやホイッスルを多用し、ダンサブルに畳み掛けるようなヴォーカルでディスコファンを魅了した。全米チャート1位を獲得している。映画『サタデーナイト・フィーバー』が77年の終わりに公開されたこともあって、78〜80年はディスコ関連ヒット曲が多く、ヴィレッジ・ピープル、グロリア・ゲイナー、シック、ビージーズなどがしのぎを削っていたが、彼女は頭ひとつ抜けていたと思う。「ホット・スタッフ」と並ぶ彼女の代表作。

3.「ホット・スタッフ(原題:Hot Stu
ff)」(‘79)

彼女の名前を全世界に轟かせた代表曲であるだけでなく、ディスコ音楽を代表する名曲でもある。シンプルで印象的なリフを奏でるシンセが、すでにユーロビートのテイストを感じさせているのが当時は新しかった。ここでの彼女のヴォーカルはソウルフルであるが、同じディスコ向けの曲でも、ポピュラーのように歌うこともあり、さまざまなスタイルでしっかり歌い分けているところがプロフェッショナル。もちろん全米チャートで1位を獲得している。途中の長いロック的なギターソロは、ドゥービー・ブラザーズのジェフ・スカンク・バクスターである。

4.「アイ・フィール・ラブ(原題:I F
eel Love)」(‘77)

もっとも初期のユーロビート作品。ほぼシンセサイザーだけで構成されたこの作品は77年にリリースされているのだが、77年と言えば、パンクロック、AOR、ディスコが流行っていた時期で、テクノやエレクトロポップはまだ登場していないだけに驚きのサウンドであった。この曲は84年にブロンスキ・ビートがカバーし大ヒット、ユーロビート人気が爆発する。言うまでもなく、ユーロビートのスタイルはこの曲こそが元祖であり、80年代のディスコを予見させるまったく新しいサウンドになっていたのである。ただ、この曲はシングルのB面でリリースされたために、ブロンスキ・ビートに発掘されるまで隠れた存在であった。

5.「情熱物語(原題:She Works Hard
For The Money)」(’83)

“あれ? どこかで聴いたことあるぞ!”的な感じ満載の曲でしょう。そう、これに似た曲はたくさんある。アイリーン・キャラの大ヒット「フラッシュダンス」(‘83)、ケニー・ロギンスの「フットルース」(’84)、オリビア・ニュートン=ジョンの「フィジカル」(‘81)など、映画やMTVとタイアップしたダンサブルな曲が大流行したのが80年代前半という時代。マドンナの「ライク・ア・ヴァージン」(‘84)やデヴィッド・ボウイの「レッツ・ダンス」(’83)もしばらくこの路線で勝負していたぐらいで、どの曲もディスコで大人気だった。80年代初期のディスコ音楽は、ジョルジオ・モロダーとナイル・ロジャーズ(シックのメンバー)のふたりのどちらかがほぼ絡んでいて、どちらも大きな影響力を持っていた。本作を含めた上記の作品群(他にもたくさんあるので)をジャンル分けするなら、ディスコポップとかダンスポップとかになるかもしれない。クレジットはないがモロダーっぽい曲で、R&Bチャートで1位を獲得、世界中で大ヒットした。

OKMusic編集部

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