ライヴ活動を行なうアーティストの拠点となるライヴハウス。思い入れ深く、メンタル的にもつながる場所だけに、当時の想いや今だからこそ話せるエピソードなどを語ってもらった。もしかしたら、ここで初めて出る話もあるかも!?
BRAHMAN プロフィール

ブラフマン:1995年、都内を中心にライヴ活動をスタート。96年に『grope our way』を発表(現在廃盤)。1stアルバム『A MAN OF THE WORLD』がインディーズ史上、異例の60万枚以上のロングセールスを記録。徹底した激しいライヴスタイルとその存在感は他の追随を許さないバンドとして、熱狂的にオーディエンスやバンドから支持されている。2018年2月には日本武道館での単独公演が決定している。BRAHMAN オフィシャルHP

Guest:TOSHI-LOW

自分の選択肢の中で、
バンドをやってきたことに後悔はない

TOSHI-LOWさんの過去の話を紐解くと、よく水戸LIGHT HOUSEの話が出てきますが、改めて詳しくうかがえますか?

これはいろんなところで話してることなんだけど、もともと水戸LIGHT HOUSEはスタジオで、当時はそれ以外なかったんだよね。普通に借りて練習してたんだけど、ある時ふと“スタジオでかいし、ここに人を集めてライヴしちゃおう”って感じになって、友達を50人ぐらい集めて勝手にライヴを演っちゃったんだ。その時のスタジオはまだ土足厳禁だったので、入口に50足ぐらい靴が並んでライヴが始まって…そしたらそこのオーナーが来て“何やってんだ!”って怒られて。俺は“ひと部屋借りたんだから何人でやろうが関係ねぇだろ!”って言い返したら、“お前らは出禁だ”って言われて。で、“練習するところなくなっちゃったなー”って思ってたら、すぐにそこが改装してライヴハウスになって。ってことはさ、たぶん俺らのあのライヴを観て“ライヴハウスできるじゃん”って思って、パンパンで100人キャパの小さい水戸LIGHT HOUSEができたんだよね。だから、水戸LIGHT HOUSEは俺が作ったようなもんなんだよ(笑)。

水戸LIGHT HOUSEになってからも出演はしていたのですか?

もちろん。出禁になってたけど許しをもらって、その年末くらいには年越しライヴにも出てた。その頃はバンドもすごい多かったし、出るためにオーディションみたいなのもあって、ようやく出してもらったという感じだったけど。今思えば、スタジオがライヴハウスになって、あのライヴハウスのステージに立てた時が一番初めの“台に登った”っていう感覚だったかな。田舎のライヴハウスの、たった10センチのステージに登ったのが、今までで一番高いステージだったんだよね。それから東京に出てきて…当時は敷居が高かった新宿ロフト、そこから渋谷CLUB QUATTROとかでライヴができるようになって、今度は日本武道館を演れる。それでも最初のそのステージが一番高く感じたし、一番緊張したし…今でもその10センチが一番ドキドキした場所なんだよ。だから、よくステップアップだとか、“次はどこに行ってみたい?”とか“ビッグになるのって?”みたいなことを言ってくる人がいるけど、そういうのには何も興味がなくて。その10センチに上がるのが夢だった。そんなんだから“TOSHI-LOWさん、日本武道館が終わったら何をやりたいですか?”って言われても今は一切ない。その10センチのライヴハウスに上がるのが夢で、それがずっと続いてるから。今までがずっと夢なんだよ。その延長線上。この話をすると分かってくれる人と分かってくれない人がいるんだけど、それは仕方ない。それが俺の感覚だし、初動だし、越えられないんだよね。

では、東京に出てきてからは?

前身のバンドで新宿ANTIKNOCKや高円寺20000V(現在は東高円寺に移転し、東高円寺二万電圧に名称を変更)でやってた。BRAHMANを結成したのはその流れだね。

新宿ANTIKNOCKでは、ここ数年もライヴを行なっていますが。

BRAHMANにとって新宿ANTIKNOCKの存在はでかいんだよ。RONZIとMAKOTOがやってたバンドが別にあったんだけど、一緒によくやっていて、そこから同い歳なんだっていう感じで仲良くなって。それがすごくでかかったし、そこで同時に培ったものがあった。BRAHMANが始まった時には、お互いいろんなところに少しずつ友達がいたからやりやすかったし。

初めてのワンマンライヴはいつ頃だったか覚えていますか?

当時はワンマンをやる思想がなかったからやってないかも。ワンマンを避けていたというか、6~7年経ってからやったんじゃないかな? Zeppとかでライヴをやって、ようやくワンマンをやるっていう。俺たちはライヴハウスと言えば対バンという文化なので。

改めて振り返って、ライヴハウスで学んだことはどのようなことでしたか?

全てだね。ライヴハウスでライヴをするっていうのは最低限のことが必要だから。ペコペコしてりゃいいってもんじゃないし、人のバンドを観て勉強もするし。観てもまったくしょうがねぇなってものもあるけど、その全てがライヴハウス。俺たちは今でもフェスでやろうが、どんなでかいところでやろうが、結局はライヴハウスのバンドなんだよ。最初の話になるけど、キャパシティーも本当はライヴハウスのバンド。300人やそれぐらいのキャパのライヴで観ると一番熱量が伝わりやすいって意味でね。それがたまたま、もうちょっと大きなところで観たいっていう人たちがいるので大きいところでやっているというくらい。決して普段大きいところでやっているバンドが小さいライヴハウスでやっているわけではない。それが逆になると、つまらない。スケール感がでかいバンドがやるスペシャルライヴみたいなのは切り取りが小さいというか、でかい映像の一部しか写ってないって感じで。俺たちはもともとの規格がライヴハウスだから、どんなでかいところに行ってもライヴハウスに出ている感覚。バンドという器を、箱の中に入れているみたいなもんかな。

ここまでライヴハウスにのめり込んだ理由は何だったと思いますか?

好きだったから、ライヴハウスっていうところにいたんだと思う。当時は“弱い犬ほど吠える”という感じだったかもね。今考えればあんなに吠える必要はなかったし、自分を大きく見せる必要もなかった。でも、それをしてないと生きていけなかった。バンドが好きだったからこそバンドをしてすごい救われたし、違う人生を歩んでたらとか、どっちが正しかったとかは今さらないだろうけど、自分の選択肢の中でバンドをやってきたことに後悔はないよ。

OKMusic編集部

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