L→R KOUICHI(Dr&Cho)、TAKUMA(Vo&Gu)、NAOKI(Ba&Vo)

L→R KOUICHI(Dr&Cho)、TAKUMA(Vo&Gu)、NAOKI(Ba&Vo)

ライヴ活動を行なうアーティストの拠点となるライヴハウス。思い入れ深く、メンタル的にもつながる場所だけに、当時の想いや今だからこそ話せるエピソードなどを語ってもらった。もしかしたら、ここで初めて出る話もあるかも!?

10-FEET プロフィール

テン・フィート:1997年に京都で結成。現在も拠点を京都に置いて活動中。シンプルな3ピースという形態ながら、メロコアというジャンルではすでに括ることのできないその音楽性は、ロック、パンク、ヘヴィメタル、レゲエ、ヒップホップ、ギターポップ等のジャンルを10-FEET 流に取り入れて幅広い独自のものを確立、ロックシーンで確かな存在感を示している。また、年間約100 本近い精力的なライヴ活動も、その迫力満載のライヴパフォーマンス、人間味あふれる深いメッセージが込められた歌詞やMC、笑顔を誘い出すキャラクターで常に話題を振り撒き、エンターテイナー性あふれるその活動スタイルを徹底している。また、2007年から自身で主催する野外フェス『京都大作戦』(2007年は台風の接近のため中止)も大成功におさめている。10-FEET オフィシャルHP

憧れの人との出会いと感動で
何年も頑張れた

10-FEETを始めた当時、出演していたライヴハウスについて教えてください。

NAOKI
今はもうないんですけど、京都のWHOOPEE'Sではひどい時やと月5回とかやってましたね。
KOUICHI
ひどい時って(笑)。お客さんが困るんよね。それだけやったら“どれに行ったらええねん!”って。大してお客さんもいなかったですけど、そういう中でもやっぱりよくやってたライヴハウスですね。
TAKUMA
週に2回とか3回もあったんで、もう習い事みたいになっちゃって。

よく出演するようになったきっかけは?

NAOKI
登竜門的な感じもあったんですかね、WHOOPEE'Sは。京都MUSEはやっぱキャパが大きくて、ある程度人気があるバンドじゃないとってところがあったし。
KOUICHI
WHOOPEE'Sで働いてた店員とかも仲良しやったし、その流れもあったんじゃない? でも、キャパはMUSEと一緒くらいなのかな? かたちが歪で。
NAOKI
L字型なんですよね。
TAKUMA
角にステージがあって、ステージからPA卓まで2メートルくらい。
KOUICHI
ガラス張りなんですけど、そのガラスに自分らが写ってなんか恥ずかしいんですよ。
NAOKI
素になる(笑)。確か、ステージもめっちゃ低いんですよね。ステージ上のモニターも昔は転がしやってんけど、途中から上になった。

いつ頃までそこでライヴをしていたのですか?

KOUICHI
東京上京前にやった2000年かな。
TAKUMA
それが最後じゃない? たぶん。
NAOKI
そのあとにシングルのレコ発とか、10-FEETで企画をやりました。
TAKUMA&KOUICHI
そうだ、そうだ。

(笑)。京都MUSEにもよく出ていたとのことなのですが、よく覚えているライヴは?

KOUICHI
俺ら3人になって一番最初にやった、あのライヴちゃうか?
TAKUMA
ギタリストがいなくなって3ピースになった時かな。僕が1週間くらいギターを練習して、弾きながら歌うという。ちなみに、ソフトモヒカンでした(笑)。
NAOKI
マキシマム ザ ホルモンがツアーで来た時に台風だったこともあったよね。お客さんが20人くらいいたんですけど、ライヴハウスの人に“お客さんが帰れなくなると駄目なので全バンド1曲ずつ削ってください”って言われた。

当時の関係者の方とは今も関わりはあるのですか?

TAKUMA
WHOOPEE'Sの当時の店員は今もクラブとかライヴハウスで働いているので、『京都大作戦』の牛若ノ舞台のブッキングとか一緒にやっています。元WHOOPEE'Sのスタッフ3人と、京都MUSEの店長と、みんな協力してくれてます。

なるほど。活動をし始めた当時はどういったふうに思われていたと思います?

TAKUMA
たくさんいるバンドのうちのひとつかな(笑)。

では、ライヴハウスで活動し始めた時の思い出深いエピソードってあります?

TAKUMA
昔から知ってる京都のとあるライヴハウスなんですけど、そこの店長さんはあんまり知らなくて。ライヴが終わったあと、その人に急に“不合格”って言われたことがありますね。
全員
(笑)。
NAOKI
僕らは知らんかったんですけど、そのイベントがオーディションライヴやったみたいで。
KOUICHI
終わってから事務所に呼ばれて、“ちょっと今回は残念ながら…”って。俺らは何のことか分かってなかったんですけど。
NAOKI
“何の話や? 何が不合格やねん”ってな。理由は聞いてないんですけど、“ちょっと荒いね”って言われたのは覚えてます。
KOUICHI
そんで“はい!”って言って帰ったな(笑)。でも、僕が中学の時に初めてライヴを観に行った会場なんですよ、そこが。だから、高校の時の友達とそこでコピバンとかやったりした思い出はあるんですけどね…不合格なんで(笑)。しょうがない。

京都を拠点に活動をしていて、2000年に一旦上京しましたけど(2002年には活動拠点を京都に戻す)、10周年の時にNAOKIさんは当時を振り返って“東京では毎回のライヴでアウェイだった”と語っていたりして。

NAOKI
そうですね。京都から上京をする前に、確かWHOOPEE'SでROTTENGRAFFTYとツーマンライヴをしたら超満員でパンパンだったんです。そういうのを最後に地元でやったあとに東京でライヴをしたら、お客さんが5人とかで…当時CDも出してなくいきなり東京に行っても、ほとんど知られてなかったんで当然ですよね。そこからいろんなライヴやイベントに入れてもらったりして、一からやっていくっていう作業ではありましたね。

そういった時代もあったんですね。ちなみに、今では全国各地でライヴをされていますが、特にここのライヴハウスは変わってるなってところはありますか?

NAOKI
人が変わってるところは結構あるかな、千葉LOOKのサイトウさんとか(笑)。結構過酷なライヴハウスも多くて、滋賀のB-FLATとかはライヴ中酸素がなくなって、ホールでライターが点かなくなったりしますね。

地方にも待っててくれる人がいるっていうところでの意識は当時と今と比べてどのように変わりました?

KOUICHI
会いに行ってる感はありますよね。ライヴをしに行ってるけど、働いている店長さんとかイベンターさんに会えるなっていう意識もあります。

ライヴハウスで学んだことはありますか?

TAKUMA
昔、ライヴのことが何も分かってなかった時に、自分たちの企画でお客さんが全然入らなくて、会場のノルマを対バンにも出してもらったことがありますね。本当なら自分たちが背負わないといけないのに、みんな一切怒らないで払ってくれて。普通、大激怒ですよね。今でも100回土下座したいくらい。

そうやってライヴハウスで失敗も重ねて学んできたのですね。

TAKUMA
今、話を聞きながらいろいろ思い出していたんですけど…当時のバンドやってる奴の間で流行語みたいになってたのが“インディーズ”で。そんなインディーズバンドの真似ごとやったんですよ、きっと。で、それが今言ったような失敗を繰り返して、ちょっとずついろいろ芽生えていく中で、CDを出してるバンドは自分らと世界が違うし、感覚も違うなとよく分かった。そんな中で、REACHのライヴを観に行って、スタッフに頼んで打ち上げにも参加させてもらって、挨拶させてもらって、デモテープを渡したことがあるんです。MACOさんが“ありがとう。聴かせてもらうよ”って、聴いてくれるわけないかもしれないけど笑顔で受け取ってくれはった時に、“憧れの人と話せた!”と思いましたね。そのあとに、友達にお願いして入れてもらったライヴがあったんですけど、その打ち上げの時に、僕は“10-FEET”っていうアイロンプリントをした自作10-FEET Tシャツを着ていまして。CDも出てないのにアイロンプリントして…大きさもこんなくらいですけど(手で大きさを示す)。

手のひらよりふた回り小さいくらいのサイズですね。

TAKUMA
はい。しかも、肌着みたいなやつで。ラインも乳首も見える“生地、薄っ!”みたいな(笑)。そしたら打ち上げの時に伊藤ふみおさん(KEMURI)が“俺らもこないだアメリカ行ってきたけど、アメリカはやっぱ衝撃的だったよ! レーベルとかなくても、自分たちで自主で作って、ちゃんとジャケットを作ってね。そんなふうに自分でTシャツを作って、自分たちで売ってるんだよね。たくましかったよ。レーベルとかスタッフとか事務所とかがなくても、自分たちでやってんだよね”っていう話をしてくれはって。僕からしたら神みたいな存在のふみおさんに会って、目を合わせてくれただけでも大事件やったのに…こんな小っちゃい文字で“10-FEET”って書いてあるのを“そんなふうに自分でTシャツを作って”って、10-FEETっていうバンドをやってることを覚えた上で、そこに気付いて話してくれたところに、もうすごい感動して。人生が変わりました。あんなにすごい人が下々の僕にやさしくしてくれたっていうのがね(笑)。あの感動で何年も頑張れたっていうか、ああいう人にならんといけないなって思ったし、その瞬間本当にカッコ良かった。だって、打ち上げによく分からない人がいて、話さず目も合わさず終わっていくこともある中で、それを考えたら、あの人たちってやっぱりすごかったんだなって。そういう謙虚さとはまた違う、男の度量みたいなのがステージで出てるんやなって思った。ライヴハウスと打ち上げっていう近い距離やったから、そしてそれが僕らの地元やったから触れてくれはったのかもしれんけど、そういう意味では一生忘れられへんものになってるかな。もうあれでどれだけ頑張れたか分からないです。嬉しかったですね。

今では10-FEETに憧れてバンドを始めた人もいるわけですよね。

TAKUMA
対バンした時とかにたまに言われますね。
NAOKI
“嘘付け!”って思うこともあるけど(笑)。
KOUICHI
最近だと、SUPER BEAVERが一番最初にコピーしたのが10-FEETって言ってくれて。
TAKUMA
僕も同じようにそういった人たちに“コピーしました!”って言ってましたから、そう言ってもらえるとめちゃくちゃ嬉しいです。

OKMusic編集部

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