【藤川千愛 インタビュー】
どの曲もシングルカット
できるくらいの気持ちで作った
独創的な視点を持ち、それを魅力的な音楽に昇華する存在として多くのリスナーからアツい支持を得ている藤川千愛。そんな彼女の最新作『嬉しい声をほんのちょっと』はより表情を広げたヴォーカルや等身大の歌詞、多彩かつ上質な楽曲などが折り重なって非常に聴き応えのある一作になっている。さらに魅力を増していることを実感させる藤川に、今作について語ってもらった。
もっと歌の引出しを
増やしていきたいと思った
今作を作るにあたり、何かテーマやコンセプトなどはありましたか?
アルバムを作る時はアルバム単位で作るんじゃなくて曲単位で作っているので、テーマを設けたりはしないんです。今回もそれは同じで、本当にどの曲もシングルカットできるくらいの気持ちで作りました。なので、強いて言うならば“一曲入魂”がテーマだったと思います。
確かに良質な楽曲が揃っていますし、それぞれテイストが違っていることもポイントです。では、楽曲を揃えていく中で、キーになった曲などはありましたか?
どの曲も思い入れは強いですけど、キーになったということでは「ちゃんとした人不適合者」かな? この曲から歌い方をちょっと変えたんです。今まではサビはサビらしく歌うというか、声を張り上げて圧をかけて歌うというのが自分の表現の仕方だったんですけど、もっと歌の引出しを増やしていきたいと思って。どちらかと言うと私は繊細な声とかささやくようにか細く歌うのが、実は苦手なんですよ。そこを強化していきたいと思って音声学の先生を紹介していただいて、そこから自分の声帯がどうなっているかとか、声帯のコントロールの仕方とか、いろんなことを学んだので、「ちゃんとした人不適合者」は裏声を強化していくきっかけにもなったんです。
意欲的ですね。「ちゃんとした人不適合者」は発声に加えて言葉を紡いでいくような歌唱になっていて、そこも新しいと思いました。
それは意識しました。やっぱり歌って伝えるということも大事ですが、音楽だけど語っているというか、そういう表現が自分の中で課題としてあって、この曲からそういうことも意識するようになったんです。
新しいことに挑戦されて、いい結果を出すことができましたね。さらに、「ちゃんとした人不適合者」は歌詞が素晴らしいです。
ありがとうございます。私は自分でもちゃんとしていないと思っているんですけど、子供の頃から親とかに“ちゃんとしてや!”とよく言われていたし、今のスタッフさんにも“ちゃんとしてくださいね”と言われることが多いし(笑)。でも、“ちゃんとしているって、実際のところ何なの?”と思って。“ちゃんと”っていうのは誰かが決めたものだから、誰かが決めた“こうであるべき”に当てはまらなくちゃいけないということに、私はすごく生きづらさを感じていたんです。法を犯したりとか、誰かを傷つけたりすることじゃなければ、自分はちゃんとしていないと思いながらも、そういう部分も受け入れて愛してあげたほうがいいと思うんですよ。それが自分の良さだったりするし。「ちゃんとした人不適合者」はそういう気持ちを歌詞にしました。
おっしゃるとおり、ありのままの自分を受け入れるというのは大事なことです。個人的に「ちゃんとした人不適合者」が素晴らしいと感じたのは、この曲の歌詞はリスナーの共感を得たいという気持ちや“こういう私を認めてほしい”というような想いはなくて、ただ単に“私はこういう人間です”と言っているだけなんですよね。
はい。“私はちゃんとしていないから、みんなもちゃんとしなくていいよ”みたいなことを言っているんじゃなくて、“私はこうです”と言っているだけで。自分の生き方を誰かに押しつけたり、ちゃんとしている人を批判したりするような気持ちは一切ないんですよ。聴いてくれた人の肩の荷が軽くなるような曲になったらいいなと思って書きました。
それがいい方向に出て、逆に多くのリスナーの共感を得る歌になっていることが印象的です。とはいえ、ありのまま自分を曝け出すのは結構しんどいことのような気もしますが、その辺りはいかがでしょう?
逆に「ちゃんとした人不適合者」を書いたことでしんどくなくなりました。私はどこか“いい子ちゃんに見られたい”という考えが子供の頃からあったんです。でも、それがどんどん自分の個性を潰したり、そのことにとらわれて道が分からなくなったりしたんです。だから、“ちゃんとしてないよ、私って”と思って生きたほうが案外うまくいくんですよね。本当にそう思っているので、ちゃんとしていない自分を書くことに抵抗感とか、恥ずかしさとかはないです。