“鬼才”が仕掛ける衝撃の連続 SPA
C『授業』公演&アーティストトーク
 レポート

SPAC芸術総監督の宮城聰は、演出家・西悟志のことを一欠片のためらいなく「鬼才」と評する。10月6日(土)に静岡芸術劇場で開幕した『授業』は、その評がまさに真理であることを示すに十分な、西の才気あふれる作品だ。
SPAC『授業』舞台写真(撮影:猪熊康夫)
内気な老教授の元を快活な女生徒が訪れ、個人授業が始まる。穏やかに始まった授業は、やがて変調をきたし、思わぬ方向へ展開する……。
ウジェーヌ・イヨネスコによって書かれたこの戯曲は、1951年にパリで初演。1960年に文学座アトリエで日本初演されている。その後も様々な団体、様々な演出家、様々な俳優により繰り返し上演されてきた。不条理劇、反演劇、と呼ばれるイヨネスコの戯曲だが、『授業』は現実に対して挑戦的でありながらもあくまで日常的な構造を取る。そこに浮かび上がる普遍性を西は見事にすくい上げ、現代に即して再構築した。
SPAC『授業』舞台写真(撮影:平尾正志)
とてもイヨネスコが始まるとは思えない漫才の出囃子のような軽快な音楽と照明で緞帳が開き、勿体をつけるように観客の前に披露された舞台装置は、あまりにシンプル、とのっけから観客の意表を次々とついてくる。ほぼ素舞台と言ってよい空間を、徐々に俳優の肉体と言葉が満たしていく。
教授と女生徒、教える者と教えられる者、支配と被支配。反復されるセリフと動きにより、その関係性に生ずるノイズは不穏さを増しながら舞台空間を満たしそれが最高潮に達したとき、衝撃の結末を迎える。ファンタジーでも誇張でもなく、道具と化した言葉の持つ暴力性は使い方によって死をも招くのだという恐ろしさと滑稽さを見事に描いている。
SPAC『授業』舞台写真(撮影:猪熊康夫)
出演とクレジットされた俳優4名はいずれもせりふを己の体に落とし込み、身体性で語る技術が素晴らしい。激しい言葉と身体の応酬はテンポがよく見ごたえがある。戯曲上、登場人物は「教授」「若い女生徒」「女中」の3人だが、出演俳優4人のうち、貴島豪、野口俊丞、渡辺敬彦の男性3人で「教授」を演じ、布施安寿香は「若い女生徒」、「女中」の役は舞台スタッフの女性がその役割を担った。このキャスティングに妙がある。「教授」という一人の人物を三人が別々に、あるいは同時に演じることにより、三位一体を思わせる人間の多面性を見せ、同時に言葉の持つ力の可視化にも成功している。そして、女中役に俳優ではなくスタッフを配することにより、教授と女生徒のやり取りそのものが芝居である、という構造が見えて面白い。
SPAC『授業』舞台写真(撮影:猪熊康夫)
イヨネスコの戯曲に沿った芝居が最後まで成され、これで幕引き、と誰もが思ったその後、西はこの戯曲に新たな解釈を加えた。戯曲の中で封殺された女生徒を解放するラストシーンは、イヨネスコの「授業」に対する、現代を生きる西からの「答え」だろう。女生徒を演じる布施の、気高さの中に怒りと悲しみを滲ませる演技が胸に迫る。
不条理のまま終わらせない、その先を見据えて一歩前に踏み出した勇気に拍手を送りたい。強烈な印象を残しながらも、爽やかな余韻の残る『授業』の誕生であった。

この日(10/7)、終演後にアーティストトークが開催され、SPAC芸術総監督の宮城聰、『授業』演出の西悟志、そして俳優の成河が登壇した。
SPAC『授業』アーティストトーク 写真左から宮城聰、成河、西悟志 (撮影:中尾栄治)
成河と西の出会いは大学時代、東大駒場キャンパス内にあった駒場小劇場だった。ちなみにこの駒場小劇場は、かつて宮城も活動していた場所でもあり、奇しくもこの日のトーク登壇者全員が駒場小劇場で演劇活動を行っていたことになる。
当時まだ大学1年生だった成河の才能にいち早く気づいた西は、自身の芝居にたびたび成河を出演させており、成河にとって西は「演劇のキャリアにおいて一番最初の頃に出会った人」なのだが、その西が2005年に活動を休止してしまう。一方で成河は、その頃から徐々に話題の舞台作品や映像にも出演したりとキャリアを確実に重ねていくが、西のことはずっと気にかけていたという。人気俳優としてその地位を築いていた成河がようやく西と再会したとき、ちょうどシェイクスピア全集を読み込んでいた西から「『マクベス』をテキストにワークショップをしたい」と持ち掛けられた。活動休止の間も西は舞台を見続け、多数の戯曲を読み込んでおり、演劇への探求心を全く失っていなかったのだ。そのワークショップに参加した成河は、10年の活動休止を経てなお錆びていない西演出の面白さに触れ、このワークショップで生まれたものを舞台作品として上演することを決意する。それが2016年に西が10年の活動休止を経て演出した二人芝居『マクベス』である。
そういった経緯が成河と西から話された後、宮城は「その『マクベス』があったから、この『授業』がある」と明かした。西を表舞台に再び担ぎ出した、成河の存在があってこその今公演だったのだ。
SPAC『授業』アーティストトーク 写真左から成河、西悟志 (撮影:中尾栄治)
宮城は、西が参加した2000年~2002年の利賀演出家コンクールにて審査員を務めており、今回の作品を『授業』に決めた理由として、彼の演出が以前から「反復」を効果的に使っており、この『授業』はまさに反復が根本になっている芝居であることを挙げ、「演劇でしかできないことは何だろう、演劇の特徴とは何だろう、ということを考えると、演技を繰り返す、という点だ。公演期間中、俳優は同じ芝居を何度も何度も繰り返している。その事象そのものをイヨネスコは芝居にしている。西さんは演劇にしかできないことを追及している人、だからこの芝居にぴったりだと思った」と語った。
それを受けて西は「イヨネスコは演劇的なものを暴こうとしていて、その気質が自分と似ている気がする。でも、西といえば反復、と言われ続けるところから抜け出したい、という思いがこの作品と重なって、このループから逃がしてやりたい、という最後の新たな解釈に繋がった」と語った。
成河は「反復が、行為としての面白さと取られてしまうのではなく、繰り返すことで色が重なり新たな色になるのが効果的な使われ方。今回、反復がはまっていたのは、翻訳劇だからこそで、翻訳の際に訳し切れなかったふくらみの部分を、反復を使うことで表現できていたように感じた」と感想を述べた。
宮城が西に「どうして活動休止中にシェイクスピア全集を読もうと思ったのか」と質問すると、西は「演劇をやるあては全くなかったけれども、演劇をやれなくても自分は死ぬまで演劇の人だろうから、演劇のことは考え続けたいと思っていた。本来、戯曲は文学であるのに、文学のふくらみの中で戯曲をとらえる人があまりいない」と答え、それを受け宮城も「三島由紀夫をはじめ、60年代には文学の人たちが演劇の人たちとクロスオーバーしていた。川端康成は一本も戯曲を書いていないが、当時戯曲を書いていない小説家は逆に珍しかったくらい。しかしその後、なぜか文学と演劇は離れてしまい、文学の人が戯曲を書いても門外漢のような扱いを受けるようになってしまった」とその問題点を指摘した。
SPAC『授業』アーティストトーク 成河 (撮影:中尾栄治)
最後に成河が「SPACには今回初めて来たが、素晴らしい劇場。こんな良い環境で、演劇のために時間をかけてクリエーションできることが羨ましい。見に来る価値のある場所で、見に来る価値のあるものを作っている。またぜひ来たい」と締めくくり、アーティストトークは終了。3人の人柄のうかがえる、ざっくばらんな演劇話を聞くことができ、非常に有意義な機会となった。
取材・文=久田絢子

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