【伊東歌詞太郎 インタビュー】
愛することは技術であり、
人格もルックスも関係ない
桜も散り際は儚いけど、
どうせ来年また咲くから強い
ちなみに、タイトルの“ヰタ・フィロソフィカ”は森鴎外の『ヰタ・セクスアリス』からの借用ですが、意味合い的には“哲学的生活”といったところでしょうか?
そのとおりですね。ただ、歌詞がすぐに出来上がったぶん、そこで言いたいことを全部表現できたから、改めてタイトルをつけるのが逆に大変で、すごく時間がかかりました。 まず“ヰタ”(ラテン語で“Vita=生活”の意)という旧字体を使いたかったのは、『わた恋』の世界観が明治/大正期を彷彿させるもので、森鴎外のような文豪たちや文壇が花開いた時代だったからなんですね。“じゃあ、『ヰタ・セクスアリス』は性的生活とか快楽的生活という意味だから、この曲は何だろう? 哲学的に愛というものを説いているから哲学的生活にしよう!”ということで“ヰタ・フィロソフィカ”に決めたんです。
なるほど。ちなみにアニメのエンディング映像は、もうご覧になりました?(取材はアニメ放送開始前)
はい。ひと目観て、心の底から嬉しかったです。 やっぱりアニメにおいて作画って本当に大切なんですよ。その点、エンディングの作画も素晴らしくて、純粋に『わた婚』ファンに喜んでもらえるものになっているから、これは早く観てほしいですね。
ジャケット写真で桜をフィーチャーしているのも、主人公のふたりが桜並木を歩いている『わた婚』のキービジュアルにリンクしていて、哲学的な恋愛観や物語の儚さ、美しさを表現しているように感じました。
アニメのキービジュアルに倣ったのは事実なんですけど、儚くはないかもしれないです。確かにヒロインの美世は非常に儚いところがあるんですが、“愛する技術”をもってふたりが死ぬまで添い遂げるだろうことを描きたかったので、それって実は儚さの対極にあるものなんですよね。桜だって散り際は儚いですけど、来年また咲くわけですから、強いっちゃ強い。
『わた婚』自体、ふたりのラブストーリーを主軸に置きつつ、異形とのバトルといったファンタジーの要素もありますからね。
そうなんです。女性向けのラブストーリーかと思いきや、途中から女性も楽しめるバトルものになっていって。男女ともにキャラクターも魅力的だし、性別問わず楽しませるポテンシャルを秘めている作品だなと感じてますね。
おっしゃる通り、男女ともにキャラクターが美しいのが、唯一“あてがわれた相手をいかに愛するか?”というテーマの説得力を薄めている気がするんですよ。こんな美形をあてがわれたら、何の苦もなく喜んで愛せそうじゃないですか。
僕、昔同じような疑問をマンガ家の女性にぶつけたことがあるんです。“地味で冴えないという設定の女の子が、実際は全然可愛かったりするのはおかしくないですか?”って。そしたら“可愛く描写されているのは、相手役の男の子からはそう見えているから。好きになったら、みんなあんなふうに可愛く/カッコよく見えるものなのよ”と返されて、“あぁ、これが少女マンガというものの極意か!?”と(笑)。
なるほど! ヒーロー/ヒロインが常に美しいのは相手からはそう見えているということなんですね。
そうなんです! 僕、もともと少女漫画は読む方でしたけど、それを聞いてさらに読むハードルが下がりましたもん。そういう視点で見れば『わた婚』も何もおかしくないんです。僕の言いたいことと、何も外れてない。
関連ニュース