【連載】Vol.054「Mike's Boogie St
ation=音楽にいつも感謝!=」

ポール・マッカートニー、リンゴ・スターと一緒にツアー出来たなんてまさに夢の夢!ヘイミッシュ・スチュアートにザ・インタビュー!
2018年8月21日、ちょっと蒸し暑く感じた残暑の都内、涼を求めてBillboard Live TOKYOへ出かけウエスト・コーストの風にあたって来た!ネッド・ドヒニー&ヘイミッシュ・スチュアートLIVEの追加公演は期待以上に爽やかで熱いライヴだった!!

ファースト・ライヴ前に1970年代にディスコDJもしていた頃に大変お世話になったアヴェレイジ・ホワイト・バンドのメンバーとして馴染み深い、そしてビートルズ・フリークにもよく知られるヘイミッシュ・スチュアートにザ・インタビュー。
Mike:我が国では貴方のファースト・ネームHamish、ハーミッシュとかヘイミッシュと記されています。どうお呼びしましょう。

Hamish:ヘイミッシュ。(『Hey Jude』のメロディで)♪ヘイミッシュ、ダダダダ~♪友人たちはヘイミッシュやヘイムと呼んでくれる。

M:ミスター・ヘイミッシュ、今回のネッド・ドヒニーとの共演ライヴ、日本のファンはとても楽しみにしていました。イーグルスの「Hotel California」やボズ・スキャッグスの「Silk Degrees」がヒットしていた頃、ネッドのアルバム『Hard Candy』も大注目されたのです。その作品集からの「A Love of Your Own」の作者は貴方。二人で初めて一緒に曲を作ったのはいつ頃ですか?

H:初めて共作したのは1975年の終わり頃。その年の夏に彼と知り合って友だちになった。当時、僕は声を発することを医者から止められていたんだ。ネッドとは音楽嗜好やユーモアのセンスが合ったこともあり、お互いを笑わせ合う大の仲良しになった。45年以上経った今でもお互いを笑わせ合っている(笑)。最初の共作楽曲は偶然に仕上がった「A Love of Your Own」。アヴェレイジ・ホワイト・バンド(AWB)の仕事が一段落して、バンドのメンバーたちは東海岸へと帰って行ったけど、僕はもう少しカリフォルニを楽しもうと1週間ほど同地に滞在していた時に、ネッドの家に行きキッチンにあったギター2本でジャムをはじめ、ネッドが後に「A Love of Your Own」になるメロディを奏でたんだ。そしたら30分後には曲が出来上がった。その時テープに録っていたことをすっかり忘れてたんだけど、翌朝そのテープを聴いてみるととっても良い曲!そこでネッドの1976年アルバム『Hard Candy』に収録することになったんだ。

M:『Hard Candy』録音時にスタジオに顔を出したんですか?

H:AWBの活動があったので最後までスタジオにいることは出来なかったけど、「A Love of Your Own」ではベース・ギターを弾いて、少しだけ歌っている。AWBヴァージョンも76年初頭にニューヨークでレコーディング、アルバム『Soul Searching』に収録。楽曲自体は1975年中頃から年末にかけて完成していたんだ。
M:42年たって日本でネッドと一緒に演奏して如何ですか?

H:ネッドとプレイするのはとても楽しいよ。45年以上も親友だったにも関わらず、昨年まで一緒にライヴしたことが一度もなかった。ギターを弾き合ってお互いの曲を披露したりはしていんだけど…。ところが昨年ネッドが新作レコードのプロモーションでイギリスに来たんだ。そこで、僕はロンドンで最高のプレイヤーたちを知っているから、ネッドのためにバンドを組もうよと提案し、ロンドンで何回かライヴをしたんだ。そのステージではネッド公演なので、彼との共作ナンバーを除いて僕の作品は演奏しなかった。ライヴ会場のパブのオーディアンスが涙を流してくれたほど素晴らしいステージだったんだよ。それが契機となって一緒に日本公演することを勧められた。「よし、日本に行こう!」と決めたんだ。

M:ここで個人的な質問ですけど、1949年グラスゴーのお生まれですね。

H:故郷グラスゴーは1969年に離れたよ。当時のスコットランドにはレコーディング・スタジオやレコード会社がなかった。ロンドンが音楽ビジネスをはじめ全ての中心。その時までに僕らは最初のバンド、ドゥリーム・ポリースでシングル・レコード契約をしていたんで、ロンドンに引越し2~3枚シングルをリリースし、そのままロンドンに住み続けたんだけど、いつもカネに困り腹を空かせていたよ(笑)。なので、時々グラスゴーに戻ってはいくつかライヴをして、2~3か月間食えるだけのお金を稼いだりしていたんだ。僕らは地元グラスゴーではとても人気があったんだ。その頃は音楽漬けの毎日だった(笑)。
M:最初に楽器に触れたのは…。

H:最初の楽器はピアノだったよ。両親とも歌手だったこともあって、幼少期には歌い始めていた。両親は同じオペラのステージで出会って教会の聖歌隊でも歌っていたんだ。母はソプラノを選考していて素晴らしい歌声の持ち主だった。BBCなどでも何度もその歌声を披露していた。僕が7歳の時に初めて母に歌を習い、それからピアノのレッスンも受けたんだけど、あまり楽しめなかった。その後ビートルズが登場し直ぐにギターに飛びついた。友達と放課後になるとお互いの家に行ってアルバム『A Hard Day's Night』収録楽曲全てを練習したさ。それから友人たちとバンドを組んで、教会やユース・クラブなどどこでも演奏すればいいんだという啓示みたいなものをビートルズから授かった(笑)。
M:その頃ビートルズの意外に夢中になった音楽はありましたか?。

H:実はビートルズは僕らを含む多くの人々にモータウンへの扉を開いてくれたんだよ。彼らは、「Money」や「You Really Gotta Hold On Me」などを演奏していたからね。クラブでもモータウン、そしてメンフィス・サウンドの演奏が聴かれるようになった。ニューオーリンズのリー・ドーシー、そしてジェームス・ブラウンらも注目されるようになった。ちょうど僕が10代半ばから後半にかけてのことだ。

M:プロのミュージシャンになるきっかけは?

H:両親は音楽以外の何か違う職業に就くことを希望した。母も父も音楽の道に進むことはとても困難なことだと分かっていたからね。ただ僕は他にやりたいことがなかったし、音楽が唯一得意なことでもあった。だから音楽をやり続けた。現在もまだ音楽に取り組んでいるんだ(笑)。
▲CD『Average White Band』 from Mike's Collection

M:アルバム『Average White Band』で初めて貴方の名前を知りました。AWB結成のいきさつは?

H:アヴェレイジ・ホワイト・バンドはあっという間の結成だったんだ。皆とても気さくな連中で、モータウンなどの音楽嗜好や目指すところ、そしてプレイしたい音楽スタイルなどが同じだった。本当にパーフェクトな集団だったんだ。

M:エリック・クラプトンのライヴがAWBとして最初のメジャー・デビューというのは間違いないでしょうか?

H:AWBとして最初のメジャーな仕事は、ピート・タウンゼントがオーガナイズしたレインボー・シアターでのエリック・クラプトンのカムバック・コンサートだった。オール・スター競演のステージで、AWBがオープニング・アクトだった。これがとてもいいマーケット・プレイスだったんだ。観客は音楽業界の有力者ばかりで、もちろんポール・マッカートニーもリンダと一緒に来ていた。ECカムバック・コンサート数週間後にAWBはMCAとレコーディング契約完了!(笑)
M:貴方は多くのミュージシャンに楽曲提供しています。

H:「A Love of Your Own」は多くのアーティストにカバーされている。ハワード・ヒューイットやメリサ・マンチェスターなど10くらいカバーされていると思う。AWBメンバー皆で共作した「Pick Up The Pieces」はとてもたくさんのアーティストにカバーされた。AWB解散後ツアーに出るのを止めて僕はソングライターになろう決心。ちょうど息子が生まれた頃、うん、よいタイミングで生まれてくれた。それからテンプテーションズやダイアナ・ロスなど多くのアーティストに楽曲提供を行ったよ。1980年代半ばまで多くの楽曲を作った。
M:それでは最後に下記の各アーティストについて一言コメントをお願いします。

H:OK!
◇チャック・ベリー
音楽の練習課程において大きな部分を占めた。初めてチャック・ベリーの楽曲を聴いたのはビートルズの「Roll Over Beethoven」。バンドをやり始めて練習していく中で、あるメンバーの兄の別バンドがチャック楽曲を数多くレパートリーにしていて、そこから僕らはチャックの作品を知るようになった。もちろん歌詞も素晴らしかった。

◇デラニー&ボニー
AWBが活動を開始して2か月くらいの頃、以前エリック・クラプトンと仕事をしていた男から、解散したデラニー&ボニーのボニーがソロ・アルバムを制作するので参加しないかとの誘いを受けた。急いでロサンゼルに飛んで、アルバムのリズム・セクションをボビー・ウォーマックやスライ&ザ・ファミリー・ストーンのフレディ・ストーンら素晴らしいミュージシャンたちとサポートしたよ。ボビー・ウォーマックとの共演は最高のギター・レッスンだった。彼は自分が演奏するパートを1~2回聴いた後、3回目には完璧にそのパートを演奏してしまう。偉大なるミュージシャンの素晴らしいレッスンだった。

◇アレサ・フランクリン
とても大きな影響を受けた。彼女のバンドからもこれまた大きな影響を受けた。コーネル・デュプリー、チャック・レイニー、リチャード・ティー、バーナード・パーディー、ヒュー・マクラッケン。彼らのことをAWBのメンバーは常にリスペクト、一緒にプレイしたいと願ったものだ。AWBと同じプロデューサー、アリフ・マーディンだったことが幸運だった。それてマーヴィン・ゲイなどのヒーローとも仕事することが出来たのだった。

◇チャカ・カーン
LAでルーファスに会った際、チャカが「月曜日にレコード・プラントでレコーディングするから来なさいよ」と言うので行ってみると、スタジオは皆を受け入れてくれる素晴らしいオープンな雰囲気、まるでクラブの仲間になったように感じたよ。アリフ・マーディンがチャカのファースト・ソロ・アルバムをプロデュースしていて、AWBからはスティーヴ・フェローンと僕が2~3曲参加した。サード・アルバムではネッドと僕の共作「What Cha' Gonna Do for Me」(恋のハプニング)をカバーしてくれた。
◇ポール・マッカートニー
1986年LAの自宅に何の前ぶれもなく僕のエージェントがロンドンから電話をしてきたんだ。ポール・マッカートニーがニュー・アルバムを制作してツアーに出る準備をしているので、こっちに来てポールと少し一緒に演奏してみないかとのことだった。それから2週間後ロンドンに飛んだ。東サセックスにあるポールのスタジオに行くと、ニッキー・ホプキンスがピアノを弾いていて、ドラマーのクリス・ウィッテンもいた。そのスタジオで午後の間ずっと僕はジャムった。ポールとロンドンで待ち合わせて夕食を共にしたりもしたよ。ポールがエルヴィス・コステロと共作した楽曲に1987年初頭から取り掛った。それらのナンバーがアルバム『Flowers In The Dirt』の中核を占めたんだね。それ以降二つのワールド・ツアーを含むポールとの6年間の活動へと繋がったのだった。

もちろんバンドも素晴らしかったよ。ロビー・マッキントッシュ(注:今年ファースト・ソロ・アルバム発表)、ポール・ウィックス・ウィケンズ。ブレア・カニンガムは途中参加だけど、これまた素晴らしかった。本当にグレイトな6年間だった。ビートルズが一度も公演したことのなかった都市、例えばブラジルやアルゼンチン、そしてメキシコなどは凄かったし、ポールにとっては久しぶりとなった日本公演も思い出深かったよ。

最初にポールとの仕事が決まった時、これほどツアーするとは聞いていなかった。アメリカとイギリスのツアーはあるだろうなと思っていた。ノルウェーから始まってスペイン、ドイツ、フランスなどヨーロッパ全土をツアーした後にアメリカ。数多くのエキサイティングな思い出が生まれた。

少年時代に練習したビートルズ楽曲の多くをポールと一緒にプレイ出来るのはとても楽しかった。いや本当に楽しかったよ。僕はポールと一緒に歌うのがとっても好き。二人とも一緒に歌うのを楽しんだんだ。特に「And I Love Her」は最高の出来だったと思う。

(「And I Love Her」はMTVアンプラグドでもとても良い感じでしたというQに対して)全てのアンプラグドの中でも最高の出来だと自負しているよ。このリハーサルに実は3週間を費やした、僕はほぼベース・ギター担当だったけど、正直なところ完全にアコースティックで、電気的要素は全くなかったんだ。ベース音を拾うマイクロフォンからちょっとした動きで僕が外れてしまうと、バンドの最も底のパートがオフになってしまうんだよ。そこで僕は一か所でずっと静止していなければならなかった。僕はプレイしながら動きたい方なのでとても大変だった(笑)。でもこれはとても良い勉強になったんだ。アルバム『Unplugged(The Official Bootleg)」はとても良い出来だったよ。「Every Night」など全てのナンバーが素晴らしかった。

◇リンゴ・スター
リンゴとの初対面は1975年頃のハリウッドでのパーティだった。それ以降ずっと連絡を取り合っていた。次に会ったのはニューヨーク。アリフ・マーディンはAWBのアルバムを2枚プロデュースしてくれたけど、リンゴのアルバム『Ringo's Rotogravure』のプロデュースも手掛けていた時だった。僕とルーサー・ヴァンドロスがいくつかの楽曲で歌ったんだ。それからリンゴとのディナーやパーティにも参加した。3度目はポールに会うためにロンドンに行く飛行機の中だった。リンゴとバーバラ夫妻はもちろんファースト・クラスに搭乗してたよ(笑)。

それから何年か経った2006年リンゴのエージェントから電話があって、オール・スター・バンドでツアーしないかとのオファー。2年間ツアーしたよ。とても楽しかった。リンゴはとても素晴らしい人物、そしてとても面白い人だった。実は先週コリン・ヘイとスティーヴ・ルカサー(二人とも現在のオール・スター・バンドのメンバー)から電話をもらったんだ。また一緒にやりたいので、いつでもどこでもいいから電話してくれと伝えておいたよ(笑)。。

リンゴはとにかく気のおけない、面白いキャラクター。観客に話しかける時などは可笑しくて、コメディアンみたいだった。観客の一人がサインを貰おうとビートルズのアルバムを持って最前列に来たんだけど、イーグルスのTシャツを着ていたので「サインしないぜ。どうせeBay行きだろ?」ワッハハハ!

◇アリフ・マーディン
アリフにとは多くの想い出やエピソードがある。数年前に元AWBのスティーヴ・フェローンとモリ―・ダンカンとアルバム制作をしたんだけど、アリフがいてくれたらなあと思った。彼からは多くのことを学んだ、本当に素晴らしい人物だった。一緒に仕事したことのある人は、皆アリフのことが大好きなんだ。ベット・ミドラー、バーブラ・ストライサンド、カーリー・サイモン、アレサ・フランクリンら女性アーティスト達もそうだったよ。彼は様々なジャンルの音楽の中でしっかり仕事が出来る才能の持ち主であり、素晴らしいミュージシャンでもあった。アレサ・フランクリンと一緒に仕事をさせてくれたり、チャカ・カーンのアルバムに参加出来たりと道を作ってくれた。まさに偉大な人物だった。

協力:Shinya Y.

☆☆☆

大拍手のネッド・ドヒニー&ヘイミッシュ・スチュアートLIVE!!
ネッドは3年ぶり、ヘイミッシュは5年ぶりの来日とあってBillboard Live TOKYOは満員御礼。しかもその殆どがネッド・フリーク、つまりウエスト・コースト、あるいはAORファンということらしい。僕はどちらかというと元アヴェレイジ・ホワイト・バンドのヘイミッシュの熱いソウルフルな歌声でこの残暑を吹き飛ばそうとここへ足を運んだ…(笑)。

ヘイミッシュへのマイ・インタビュー終了10分後、ほぼ定刻通りステージにメンバーがそれぞれのポジションに着く。まずネッドの洒落っ気のある大阪事件ジョークで我々を笑わせる。そしてネッドのアコギの最終チューニング。

ドラムスティックのカウントでまず1曲目がスタート、「Get It Up For Love(恋は幻)」。小気味よいアコギの刻む音は彼の名盤『Hard Candy』の1曲目でもある。ステージ・センターで茶色のTシャツ姿のネッドがあのハイトーン・ヴォイスを場内に響き渡らせている。彼の左側、ヘイミッシュのファルセットのハーモニーが加わると76年のウエスト・コーストへ誘われた感覚へ陥る。このうっとりした瞬間をオーディエンスは待っていた。これぞ本物のウエスト・コースト・サウンド!僕はこの頃ストーンズは勿論、ソウル・ミュージックに嵌っていた時期なので不思議な感覚だった。そういえばこの楽曲は故・八木誠さんが大好きだったデビッド・キャシディの75年アルバム『The Higher They Climb』(青春のポートレート)で最初に登場している。
▲CD『Hard Candy』 from Mike's Collection

続いてはブルー・シャツ姿のヘイミッシュが、「オリジナルはアイズレー・ブラザース、アトランティックからのAWBファースト・アルバムから」と紹介した「Work to Do 」。アイズレーで72年大ヒット、Billboard誌Best Selling Soul Singles11位を記録。AWBは74年から75年にかけてのベスト・セラー・アルバム『AWB』で取り上げた。同アルバムはBillboard誌Top Pop ALBUMSで1位、RIAA/ゴールド・アルバムも獲得している。へイミッシュのソウルフルな歌声とWキーボード(ピアノとオルガン)がゴキゲン。これぞBlue-Eyed Soul!当時のようにフロアでダンスしたくて仕方なかった(笑)。
3曲目はネッドのヴォーカル&アコギ担当の「The Devil In You」。ネッド王道のメロディー・ラインで迫ってくる。彼の甘い声が場内に響き渡りオーディエンスをウエスト・コーストへと誘う!ちょっぴりソウルの匂いする佳曲だ。そう、プロデュースはスティーヴ・クロッパー。79年日本のみリリースのアルバム『Prone』収録。

続いてはR&B大好きヘイミッシュが歌うメンフィス・ソウル「Love And Happiness」。彼のパワーあるヴォーカルとそれを盛り上げるキーボードのコラボが堪らない。そしてドラムのタイトなリズムが70年代中期を彷彿とさせる。アル・グリーンの72年アルバム『I'm Still In Love With You』(RIAA/プラチナム・アルバム)からのセレクション。
5曲目は「Love's A Heartache」。ヘイミッシュが「82年リリースのAWBのラスト・アルバムから」とMCする。AWBのアルバム『Cupid's In Fashion』B面最後の作品。このナンバーのソングライターは実はネッドで、彼の88年リリース4作目『Life After Romance』にも収録された(その邦題は「愛はハートエイク」)。ヘイミッシュのソウルフルな歌声と対をなすスローなバラッドでネッドは歌い上げる。ヘイミッシュは最初スタンディングでギター演奏。ここでもWキーボードが荒れ狂う!スローだけどファンクなテイストが印象深い。
そして6曲目が「Too Late For Love」ネッドがソウルフルに歌い上げるミディアム・スローなリズミックなナンバーだ。2010年リリースのネッドのレイテスト・アルバム『The Darkness Beyond The Fire』(我が国ではこの夏に発売)収録。
▲提供:P-VINE RECORDS

そしてヘイミッシュの味のあるヴォーカリストぶりを発揮しているのが「Unspoken Love」。随所にオルガンがフィーチャーされている。このナンバーはアメリカ在住の日系三世グループ、ヒロシマ(80年来日公演を思い出す…)の96年シングル・ナンバーでアルバム『Urban World Music』にも収録された。
そしてこの日のハイライト・ナンバー「Whatcha'Gonna Do for Me」(恋のハプニング)。81年にネッド&ヘイミッシュがチャカ・カーンのために共作。同年シングル・カットされ大ヒット、Billboard誌Hot Soul Singles1位を2週記録した(同誌のR&Bチャートは何度も名称が変わっている)。ヘイミッシュがヴォーカルをとるリズミックなファンキー・ソング。静と動で構成され中間部のWキーボード(途中パート交代もあり!)とヘイミッシュ&ネッドとの掛け合いがまた素晴らしい。80年代に入ってソフィストケイトされたアーバンなR&Bがディスコ・シーンで人気を集めたが、まさにその時代をダイレクトに感じさせる楽曲。オーディアンスも途中から手拍子で盛り上がる。
9曲目は「A Love of Your Own」。ネッドのアルバム『Hard Candy』収録、改めて記すがネッド&ヘイミッシュの共作。このステージでは二人ヴォーカルによるスペシャルなヴァージョンを味わう。ライヴ後のバックステージでの雑談の中でヘイミッシュはフィラデルフィア・ソウルも大好きだと語っていたが、そんな影響を感じさせる作品。AWBも76年アルバム『Soul Searching』に収めた。
「Life After Romance」はネッドの88年アルバムのタイトル・ソング。ネッドがアコギを弾きながら切々と歌い上げるバラード。ヘイミッシュのコーラスがそこに絶妙に絡む。聴き入ってしまう。アコギなんだけどコーラス展開は前曲同様フィラデルフィア・ソウルなのだ。

そして「To Prove My Love」が21日ファースト・ステージのラスト・チューン。ネッドの78年アルバム『Prone』収録、81年には12インチ・シングルが登場しディスコ・シーンでブレイクした。二人のソウルフルな歌声とファンキーなリズムが場内一杯に響き渡るダンサンブル・ナンバー!この夜のフィナーレで最高の盛り上がった!!そして二人はギターもしっかり楽しんでいる。後半に入るとオーディアンスは手拍子。ハデハデしくないけど、GTRバトルから心地良いグルーヴが噴出。2016年にインコグニートのカバー・ヴァージョンが未発表音源として登場した。ダンス・ダンス・ダンス!
最後に二人をサポートするミュージシャンも辣腕揃いだったことを報告しておく。ドラムスのジェレミー・ステーシーは本当に旬な人。何たって日本人にファンが多いキング・クリムゾンの16年からのメンバーであり、ノエル・ギャラガーのドラマーでもある。今回サマソニでもノエルと掛け持ちをした。キーボードは、オルガンがロス・スタンレーでスティーヴ・ハウの作品に参加。もう一人はピアノのジム・ワトソン。インコグニートに籍をおきながらベン・ワットほかと共演して敏腕ぶりを披露している。ベースのスティーヴ・ピアースは80年代から本格的に活動していて、スティーヴィー・ワンダー、トム・ジョーンズ、アル・ジャロウ、マドンナほか多くのアーティストをサポートしている。因みに彼がFUNKに目覚めた時期に大好きだったのがAWBだったんだとか。
▲ネッドと筆者

素晴らしいステージ、ネッド・ドヒニー&ヘイミッシュ・スチュアートLIVE!あふたーでの仲間との山崎ハイボール&水餃子がこの上なく旨かった!
▲ヘイミッシュと筆者

ライヴ・ショット:提供 Billboard Live TOKYO Pic.by Yuma Totsuka
▲色紙にお二人のサインをいただいた…

☆☆☆☆☆

【イベント・インフォメーション】
MBSプレゼンツ
Mike's Garage Vol.5
~トーク・バトル~
「日本のG.マーティン 川原伸司が語る
ポール来日 ヤァ!ヤァ!ヤァ!」

ナビゲーター:Mike Koshitani
ゲスト:川原伸司(レコード・プロデューサー 作曲家)
特別ゲスト:森 俊一郎(元EMI/A&R *ビートルズ&ストーンズ担当)
*英国EMIデザインの「THE BEATLES 1 Tシャツ」プレゼント!
詳細はイベント内で発表。

☆日時:2018年9月25日(火曜) 
Open : 18:00
Start: 19:00
☆テーブルチャージ:一般=¥1200
65歳以上=¥500
75歳以上=無料
学生=¥100(学生証持参)
*65歳以上の方へ
生年月日が判るものをご持参下さい
☆要ワンオーダー
お食事もございます
☆会場:ROCK CAFE LOFT
http://www.loft-prj.co.jp/rockcafe/
新宿区歌舞伎町1-28-5
TEL:03-6233-9606(西武新宿駅から徒歩1~2分)
早めに電話orインターネット予約シクヨロで~す!
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