ドレスコーズ

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【ドレスコーズ インタビュー】
僕は懐かしい感覚になるものとして
音楽をとらえている

9thアルバム『式日散花』の全体像から伝わってくるものを端的に言い表すならば、それは“何かが終わる風景”だ。幼年期の終わり、移り変わる季節、人生の岐路…何らかのエンディングを迎える物語が刻まれた楽曲が並んでいる。郷愁を誘うメロディーも色濃く反映された今作について志磨遼平に語ってもらった。

好きなものが増えていくのは、
悲しいお別れも増えるということ

「最低なともだち」(2023年5月発表の配信シングル)や「少年セゾン」(2023年7月発表の配信シングル)の取材の際もおっしゃっていましたが、昨年10月にリリースした『戀愛大全』と地続きの感覚がある制作だったそうですね?

はい。初めから連作となることを狙って作り始めたわけではないのですが、「最低なともだち」や「少年セゾン」といった曲を作っていくうちに、前作『戀愛大全』と同じ線上にあるアルバムとしてまとまったという感じですね。

別れの曲が多いという感覚もあるそうですが、作った曲を並べてみて気づいたんですか?

「最低なともだち」ができた時からそういうテーマのアルバムになるであろうというのは、なんとなく想像はついていました。

“季節が終ることに対して抱く寂しさ”“終わりゆく青春”“幼年期の終わり”というような“別れ”を、さまざまな曲を聴きながら感じました。

僕の根幹にそういうものがずっとあるんだと思います。音楽でも映画でも、そういうテーマを描いた作品が好きなので。

例えば「襲撃」も子供から大人に移り変わっていく時期の雰囲気を感じる曲です。解釈はリスナーそれぞれにあると思いますが、大人になるために切り捨てた本来の自分を“ともだち”と表現している曲のように感じました。

その解釈ももちろん正解であるように思います。どことなく太宰 治の『走れメロス』に描かれているようなテーマも感じますね。信頼してくれていた友人を裏切ってしまう自分に対する憤りや葛藤、あるいは裏切ってしまったことへの懺悔、後悔みたいなものに、この歌の主人公はおそらく苛まれているんだと思います。

この曲は、先日の『RISING SUN ROCK FESTIVAL 2023 in EZO』(以下、『RISING』)で初披露したんですよね?

はい。僕らの出番はちょうど空が白々と明けていくタイミングでした。『RISING』は僕が17歳の頃に第1回が開催されて、音楽雑誌でも特集されたりしていたのを当時読んで“僕もいつか出てみたいなぁ”と憧れていたので、夢が叶いましたね。

「襲撃」に関しては、80’s的なサウンドなのが印象的です。フェイドアウトで終わりますが、「罪罪」や「メルシー・メルシー」など他にもそういう展開の曲がいくつかありますね。

このアルバムはほとんどの曲がフェイドアウトで終わりますね。僕も“どうしてだろう?”と思いました。あれはきっと“まだ終わってほしくない”という表現なんですね。まだどこかでこの続きが演奏されているように聴こえますから。潔く終われないという気持ちですね。メランコリックな情景の歌には、そんな尾を引くような終わり方がとてもよく似合います。

「襲撃」に関して“子供から大人に移り変わっていく時期”というイメージを先ほど申し上げましたが、「若葉のころ」もそういうものを感じます。 Bee Geesの曲や90年代に放送された同タイトルのTVドラマを思い浮かべる人もいるでしょうね。

TVドラマ『若葉のころ』は僕がちょうど主人公たちと同じくらいの年齢の頃に放送されていて、当事者のような気持ちで観ていましたね。

《罪にけがれて 生きてくなら/いっそ 消えてしまおう》という一節があったりしますが、子供の頃に感じる“大人になる”ということに対する抵抗感って何なんですかね?

“経験したから分かるんだ”“おまえのことを思って言っているんだ”と大人に諫められることに対する“この経験はあなたのものではなくて僕のものです”という気持ちが僕にもあった気がします。それは自分が大人になった今でも蘇ることがありますね。

「襲撃」「若葉のころ」「ラブ、アゲイン」とかもそうですが、昔懐かしい印象がするメロディーも今回のアルバムの全体像にあるテイストではないでしょうか?

そうだと思います。まだ自我が芽生える前の小中学生時代、あるいは物心がついたばかりの幼年期の音楽体験というか。自分の意思で選んだ音楽を聴くようになるよりも前に、自然と耳に入ってきた音楽の記憶という感じがしますね。

「ラブ、アゲイン」の《英雄のなりそこねが きみで/それを信じたばかが ぼく》は、深い喪失感が伝わってくる一節ですが、これも今作の全体像につながる要素だと思います。

信じたものに裏切られたことによるやり場のない憤り、悔しさというか。そういう感情を描いた曲が、このアルバムには多いですね。

喪失感のようなものが漂うアルバムになった理由に関しては、何か思い当たることはありますか?

昨年末から今年の春頃、ちょうどこのアルバムを作り始めた時期に、自分が大きく影響を受けたミュージシャンの訃報が立て続けに届きました。それは自分と直接かかわりのある友達や肉親を亡くすのと何ら変わらない喪失感、やり場のない悲しさでした。だから、こういったテーマにならざるを得なかったのかもしれません。それは自分にとっても“ひとつの季節の終わり”というか。今までもニュースで訃報を聞くことはあっても、そこまで自分事のようには感じなかったんです。でも、自分に大きな影響を与えた方が亡くなって、“そんなはずはない、信じたくない”という悲しみに襲われるのは、なんだか初めてのことのように思ったんですね。

自分自身の人格形成、感性を育んだ存在がこの世を去るのは、やはりおっしゃるとおり“ひとつの季節の終わり”であり、埋められない空白が生まれますよね。

もはや僕の人生の大半は創作活動が占めているので、そこに影響を与えてくれた方の喪失はいわば自分の一部を奪われるようなものです。好きなものが増えていくというのは、それだけ悲しいお別れも増えるということだと、昨年から今年の春にかけてすごくよく分かりました。最近亡くなられたジェーン・バーキンやアストラッド・ジルベルトも、会ったこともない遠い国の人だとしても、やはり僕にとって他人ではなくて。“式日”はそういうお別れを歌ったものですね。歳を重ねていく中で、そういったお別れに対する感覚は麻痺して、慣れていくのかもしれないけれど、慣れていくのだとしたらこの今が別れの季節の始まりともとらえられるというか。慣れてしまう前にこの悲しみを覚えておきたかったんです。

「式日」はある意味、卒業ソングのような感じもありますよね。ピアノから始まって、ギター、ベース、ドラムも加わって、その後に再びピアノに戻り、エンディング間際は華々しいサウンドになる展開は“式典”という感じがします。

まさしくそうですね。別れの儀式というか。なぜ葬式や埋葬といった儀式が必要かと言うと、残された者がふん切りがつかないからだとよく言いますね。それくらい、生と死の境目は曖昧だと言います。僕らは曖昧に年を取り、曖昧にいなくなりますから、なんらかの楔というか、目印のようなものを打ちたくなるんでしょうね。卒業式なんかも同じことのように思います。“ここにいられるのは今日までです”とみんなで決めて、“おめでとう”と言い合ったり、記念撮影をしたりしながら、泣く泣く次の季節へと移るというような。

卒業式って卒業する学生がそれぞれの三途の川を渡って自分の道に進む儀式ということですね。学生時代を弔うお葬式の一種なのかも。

そうなんですよね。それっきりもう会えなくなる人もいるし。校舎自体はまだそこに存在するのに、なぜか明日からはもう部外者という(笑)。あの“ここにはもういられない”っていう感覚は、これからも人生に何度も訪れるんだと思います。
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アルバム『式日散花』【初回限定盤】(CD+Blu-ray)
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OKMusic編集部

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