ドレスコーズ Photo by 森 好弘

ドレスコーズ Photo by  森 好弘

【ドレスコーズ インタビュー】
調子が良くて、
作り足りないものがある感覚がある

ドリーミーな空気感を醸し出すシンセサイザーで彩られた「最低なともだち」。架空の短編映画の主題歌をイメージしたようなこの曲に込められているものとは? 映画監督の山戸結希が手がけたMV、漫画家の不吉霊二が描いたジャケットイラストについても志磨遼平が語ってくれた。

“愛の言葉”と
“呪いの言葉”って紙一重だと思う

新曲の「最低なともだち」は“架空の短編映画の主題歌”のような印象を受けました。昨年10月にリリースした『戀愛大全』も“架空の短編映画のサウンドトラックのようなアルバム”でしたよね?

はい。今作りたいもののイメージは昨年から継続している感じですね。大きなコンセプトを掲げた大作ではないというか。いろんなタイプの曲を作っては、それをすぐにライヴで演奏して、シングルとしてどんどんリリースするというやり方が、今の自分には合っているみたいなんです。

サウンドに関してはシンセが多用されていて、リバーブがかかっていたり、ドリーミーな質感の仕上がりですね。これも最近のドレスコーズの作風として感じる部分です。

そうですね。昨年くらいからシンセサイザーが好きです。

コロナ禍が始まった辺りからピアノの練習をするようになったのも関係しているんでしょうか?

ピアノをちょっとだけ触れるようになって、曲を作る時に使える楽器がひとつ増えたから、それが楽しいというのもあるんだと思います。でも、ギターやピアノみたいな生の楽器に比べるとシンセサイザーは架空性が高いというか、言ってしまえば“この世にない音を出す楽器”なんですね。そういうのが今の自分が作っている曲に合っているのかもしれないです。

シンセサイザーの音色は人工的であるからこそ、夢見心地の非現実感を醸し出すところがありますよね?

そうなんです。あまり現実味のないものを作り続けている感じが昨年から続いていて、そういう曲にはシンセサイザーが合っているのかもしれないです。自分が普通に生活している時間、時代、場所、日本、東京といった自分を限定する事柄から乖離している感覚があるというか(笑)。なんとなく自分はフワフワと生きている自覚があるんです。夢見心地で生きているんでしょうね。

こういうリバーブ感のあるサウンドは、洋楽が好きな人ならば80年代後半から90年代初頭辺りにかけてのUKロック、シューゲイザーとかを思い浮かべると思います。

そういう音楽も大好きです。昔から“広く浅く”が志磨家の家訓なので。

(笑)。『戀愛大全』の「やりすぎた天使」や「夏の調べ」とかは、夏という季節が持っているノスタルジックなムードを表現していましたが、「最低なともだち」は春が醸し出すノスタルジーが表現されているという印象でした。

『戀愛大全』を作って、自分としては“手応え”というのかな? 手応えはいつもあるんですけど…何だろう? 調子が良くて、まだ作り足りないものがある感覚なんです。いつもはアルバムとしてひとつにまとめて、そのあとのツアーを終えたら自分の中で満足するんですけど、『戀愛大全』はそれとは異なる感覚があって。不出来だったという意味ではなく、“この調子で作りたいものがまだまだある”という感じなんです。だから、わりと調子が良いんでしょうね。あまり思い悩んだり頭を抱えたりすることもなく、できた曲をポンポン発表していくのが、なんかいい感じがします。

季節が持っている空気感みたいなことにとても惹かれている姿も最近の作品から感じるんですけど、ご自身ではどのように思いますか?

自分では、あまりそういうのに惹かれるタイプではないと思うんですけど(笑)。まだ自分が“音楽をやる!”とすら思っていなかった小中学生の頃によく聴いていたポップスや流行歌ってすごく季節感がありませんでした? それは“風情として”というよりも“商品として”という感じの季節感。例えば冬にはクリスマスソングが流れ、夏には爽快な曲が流れ、春には出会いと別れを歌った曲がたくさんリリースされるという感じで。そういうこともひっくるめて魅力的だったあの頃のポップスを“模して作っている”というところも、今の自分にはあるのかもしれないです。

タイトルの“最低なともだち”は、いろいろ想像が膨らむ言葉ですね。

人との関係において“最低なともだち”っていうジャンルは、なかなかないですからね。“最低なともだちは何人いるかな?”とか考えたりもしないですしね(笑)。いつもは先に曲を作って、そのあとに歌詞を考えるんですけど、たまに調子が良い時は曲に歌詞がくっついて出てくることがあるんです。今回は《最低なともだちでいいから》という歌詞とメロディーがポンと閃いて、そこをとっかかりにして完成させました。

さまざまな解釈があると思いますが、《最低なともだちでいいから》は最大級の愛を求める表現として僕は受け止めました。

あなたのために僕ができることがなくてもいい、どんな関係でもいいから、自分を認めてほしい…ということかもしれないですね。

何かしらの理由で“きみ”とともに過ごせなくなった“ぼく”の気持ちが狂おしく伝わってくる曲です。

大人になってからの人間関係は“この人は苦手だから別れよう”とか“あの人は面白いから会いに行こう”とか、わりと主体的に選択することができると思うんですけど、子供の頃は否応なしに別れたり一緒になったりすることがほとんどでしたよね。例えばクラス替え、席替え、班分け、転校、卒業とか、当人たちが意図していない理由で別れたり離ればなれになることもよくありましたから。

誰かを好きになることが含む我儘さや暴力性みたいなものも、この曲で表現されているのを感じました。

占有欲というか…“自分のものでいてほしい”“変わらないでほしい”“どこにも行かないでほしい”とかってすごく利己的で暴力的で残酷な感情ですからね。でも、誰もがそう思ってしまうんですけど。

“愛してる”と気持ちを伝えるのは“愛してほしい”と求めることでもありますから、“愛”は自分勝手な行為とも言えますよね。

そうですね。“愛の言葉”と“呪いの言葉”ってあまり変わらないというか、紙一重だと思います。それは古今東西のさまざまな芸術作品がテーマにしてきて、自分も今までも曲にしてきました。自分にもそういう感情があるし、どんなに偉い人もそうだと思うんですよ。でも、そういう感情がなかったら、それは人間ではないので。そんな最低な感情の対比として自分はよく歌詞に《神様》とか《天使》を登場させるのかもしれないですね。

人間の中に確実にある悪の部分にとことん向き合うことができるのも芸術作品の魅力ですから。

そうですね。疑似的に悪を体験しておく、というんですかね? そういう作品に没入して自分を投影して、悪事を働く人物にも自分を重ねる体験は、現実に起こりうる状況に対してのリハーサルというか、いわゆる想像力というものにつながると思うんです。“自分が同じ立場に置かれたら同じことをしたかもしれない”“この行為にも何かしらのきっかけがあったのかもしれない”とか、そういうことを想像する力を養うのにも芸術は役立つので。もちろん芸術や娯楽はそのためだけに作られてはいなくて、そういう効能もあるっていうだけのことですけど。

“社会規範から逸脱したい”という悪への憧れは確実に人の心の中にありますし、“憧れる=実行する”ではないですからね。悪い感情がまったくないのを装うことのほうが、むしろ非常に危険だと思います。

悪いことを実行しようとするのを制したり止めたり、あるいは“何が悪いことか”を決めたりするのは法律の役目なので。芸術はむしろ、誰もが持っている全てのあらゆる感情に寄り添うことができるものという感じがします。

「最低のともだち」も人間のそういう部分が描かれている曲ですね。《とんでもないこと できればよかった/きみとぼくだけに なるような/ぼくはきらわれて おとなになるだろう/でも それでもよかった》も、とても自分本位な気持ちの吐露ですが、純度の高い愛情はこういう感情と切り離せないですからね。

世界を滅ぼさないまでも“自分のいない世界にきみがいるのが嫌だ”っていうことですからね。つまり、自分が想っている相手に“ぼく”さえいればいいと言ってほしいということなので。

《最低なともだちでいいから》という一節がふと浮かんだところから膨らんでいったわけですが、こういうのも創作の喜びですよね?

そうですね。今、まとめて曲をいっぱい作っているんですけど、ひとつひとつの曲に向き合いながら“いろんな感情があるんだなぁ”と感じています。まるで他人事みたいですけど(笑)。例えば青の中にも紺色、群青色、藍色、水色とかがあるのにも似ていて、人間の感情にはすごく細やかな種類があるっていうのを感じます。
ドレスコーズ Photo by  森 好弘
配信シングル「最低なともだち」

OKMusic編集部

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