ボカロオペラ『葵上』映画版に見る、
ボーカロイドと文楽人形の共通性

(参考:初音ミクが歌うギターエフェクター発売へ 自作の歌詞入力にも対応)

 これは、ボーカロイドの歌う音楽で文楽人形が演じた舞台を撮影した映画。台本・音楽・演出・舞台美術・音響効果は田廻弘志、映画の監督・編集・背景ビジュアルは加納真が務めている。同作は、今年7月にイギリスで開催された日本文化のイベント「ハイパージャパン」で公開され、好評を得たという。国内では、今回が初上映となる。300年以上の歴史を持ち黒頭巾の人々が手で動かす文楽人形と、ゼロ年代生まれのプログラミングされた“歌声の人形”が共演したその物語は、特異な空気に満ちていて面白かった。

 日本の伝統芸能が現代的で洋風な要素をとり入れたり、逆に現代のエンタテインメントが伝統的で和風な要素をとりこむなどして新たなスタイルを模索することは、しばしば行われてきた。

 1960年代にエレキ・ギターのブームを牽引する一方、「津軽じょんがら節」など民謡を多数カヴァーした寺内タケシ。歌謡曲的なビッグバンドに三味線や和太鼓、拍子木などを加えた音楽を使い、時代ものの人形劇に黒子の人間も登場させて文楽っぽい演出をした『新八犬伝』(1973~75年にNHKで放送)。近松門左衛門による文楽の名作と宇崎竜童の音楽を組み合わせたロック版『曽根崎心中』(1980年初演)。セリフや音楽などを現代的にして先代の市川猿之助が生み出した「スーパー歌舞伎」の演目群(1986年から。加藤和彦が音楽を担当したこともある)。などなど。

 今春には、ロック・バンドの編成に津軽三味線、尺八、箏、和太鼓を加えた和楽器バンドが、ボカロ曲のカヴァー集『ボカロ三昧』を発表している。『ボーカロイドオペラ 葵上 with 文楽人形』は、そのような伝統と現代のハイブリッドにおける最新の達成だ。

 その物語は、なかなか複雑な成り立ち方をしている。日本のラヴ・ストーリーの古典『源氏物語』には、光源氏の妻・葵に彼の元恋人・六条御息所(ろくじょうのみやすどころ)が嫉妬し、生霊となって取り憑く話が出てくる。そのエピソードを能の舞台へと脚色した「葵上」も、古典になっている。同作をもとにした『ボーカロイドオペラ 葵上』(以下『葵上』)は、舞台を現代に移し、さらに物語をアレンジしている。

 歌声合成ソフトのミドリが大流行し、その音楽をきっかけにヒカルは作曲家になる。ミドリに憧れて歌手になったアオイは、ヒカルと組んで人気を獲得する。だが、アオイは忘れ去られたミドリに憑かれ、異常な行動をみせる。それは、呪いなのか、多重人格症状なのか。

 ボカロによるオペラというと、渋谷慶一郎が初音ミクを起用した『THE END』が話題になった。人工的だが生命があるようでもあるボカロを通し、死生観の揺らぎを描く。二作にはそうした要素が共通しているが、現代アート的な抽象性と難解さでいっぱいだった『THE END』に比べ、『葵上』の三角関係と怪異は、『源氏物語』の時代から現代のSFやサイコものまで繰り返し語られてきたタイプの話だといえる。とっつきやすい普遍性がある分だけ、楽しみやすい。

 3名という少ない登場人物で進行する点は能の舞台を踏まえているが、音楽の緩急や強弱と人形の動作がシンクロして感情の高ぶりを生々しく伝えるのは、正に文楽の演出である。舞台後方のスクリーンの映像、照明、カメラのアングルなどの効果もあって、人形は鬼気迫る表情の変化を見せる。半狂乱になる場面は、かなり恐い。

 ボカロと文楽人形のコラボに関しては、「メルトの舞」を思い出す人もいるだろう。昨年6月につま恋で催された世界ボーカロイド大会では、文楽人形が初音ミクの人気曲「メルト」で舞い、一部で評判になった。その時に人形を操った吉田幸助が、『葵上』でも人形遣いの中心になっている。そして、「メルトの舞」ではミクのお約束であるネギを人形に持たせたのに対し、今回の物語では人形がPCや携帯端末を操作し、割れたCDを手に持つ。

「VY1V3」、「猫村いろは」、「結月ゆかり」という3種類のボカロが使われたこの作品では、ミドリという「電子の歌姫」のことが歌われる。初音ミクがPCから生まれた自分自身について歌う曲は、初期のボカロでは目立っていたが、シーンが多様化した現在では多くない。だから、『葵上』でのボカロの自分語りは「今」的ではないのだが、忘れ去られた過去が物語のテーマだから、むしろ「今」的でないことがミドリの嫉妬の迫真性を増すという、ややこしい味わいになっている。ミドリという命名は、ボカロの代名詞、初音ミクの髪の色を意識してもいるだろう。

 ボカロをめぐっては、初音ミクの人気から始まり、ボカロ楽曲をもとにしたボカロ小説の隆盛へという道をたどってきた。お話の語り部にふさわしい声として、ボカロが発見されたといってもよい。

 一方、文楽は人形浄瑠璃ともいうが、浄瑠璃とは三味線の伴奏で、節をつけて物語を語るものだ。文楽の浄瑠璃は、押しつぶしたような声でうなる。その舞台に出演できるのは男性だけだし、そんなダミ声で老若男女のセリフとナレーションを語り、歌う。また、浄瑠璃の先祖の一つである能の謡(うたい)も、やはり特殊な発声で様々な人物を演じる。

 役の年齢や性別とは離れた特殊な歌声で、その人物を演じる。かけ離れた声で表現するからこそ、若さや老い、男らしさ女らしさが、かえって浮かび上がる面がある。また、物語を俯瞰して進行するナレーションは、神の視点に近い。登場人物1人1人の言葉とは質が違う。特殊な歌声は、そういうナレーションにふさわしい。「私」が「私」を自己表現する歌とは異なる、様々な役が登場する物語を演じるのに適した特殊な歌声。

 言葉数の多い『葵上』の歌と語りは、能の謡や浄瑠璃に似た和風の節回しを織り交ぜつつ、現代語のボカロのポップスになっている。その音楽は、ボカロ楽曲からボカロ小説が生まれたような今の娯楽のルーツに、文楽が存在したことを想像させるものだ。

 その意味で過去と現在を橋渡しする『葵上』は、「スーパー歌舞伎」ならぬ“スーパー文楽”とでも呼びたいポテンシャルを持ったチャレンジだと思う。上映館ではサントラCDが販売されていたが、人形と音楽の両方があってこその作品である。予定されているという映像の販売も待ちたい。(円堂都司昭)

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