柴田英里(撮影/武馬怜子)

柴田英里(撮影/武馬怜子)

現代美術家〈柴田英里〉インタビュー
:彼女が“暴論”を吐き続ける理由【
前編】

著名人の発言や企業のPR、メディア記事などに、ポリティカル・コレクトネス(政治的な公正さ)への配慮が欠けていると見なされるや、一斉に糾弾される風潮にある昨今。ウェブ上では、毎日のようにポリコレを錦の御旗とした“炎上”が勃発している。その渦中で異色の存在感を放っているのが、現代美術家の柴田英里氏。彼女はいったい何を思って世の中を挑発し続けるのか。【前半記事】
(※このインタビューは2021年4月に行われたものです)
ポリコレに異論を唱える理由――「ポリコレ」という言葉を誰もが意識せざるを得ない社会状況の中で、柴田さんは、そこに異論を呈している印象があります。
柴田英里(以下柴。田) ポリコレの裏の目的をみんな語らなすぎるんですよ。例えばアメリカのプラスサイズ問題。アメリカって肥満と過体重を合わせると人口の7割を超えるんですよ。だからそもそも「普通」の体型の人なんていないじゃないかっていう話で。
――最近はポリコレに配慮して、有名ファッションブランドなどもショーや広告にプラスサイズのモデルを使うようになってきていますよね。
柴田 実は高価格帯の太った人向けのアイテムってブルーオーシャンだったんです。今まで太った人はコンプレックスがあるから店舗で服を買わないし、おしゃれをしないっていう発展途上の領域だったから。そこで見出されたのがプラスサイズ市場。なのに、新しい美とか差別反対とか、高尚なことを言うわけじゃないですか。いかにグローバル市場で儲けるかという根本的なことを、口当たりのいい言葉でパッケージしてるだけだと、ポリコレに対しては思っています。
――柴田さんは、著書の『欲望会議 「超」ポリコレ宣言』(刊:角川書店 共著:千葉雅也、二村ヒトシ)やツイッター上で、ペドフィリア(※1)を擁護するような発言をしています。ポリコレどころか、犯罪者予備軍とも言えるペドフィリアに寄り添ったところで、得することなんてないように思えるんですが、どういう意図があってのことなのでしょうか。
柴田 それはふたつ、大きな理由があって。ひとつは、もともとセクシャルマイノリティの運動には、ペドフィディアも含まれていたんです。一対一の異性愛で再生産をする、それ以外の欲望として、特に男性ゲイのコミュニティで少年愛者団体があったんですが、国際レズビアン・ゲイ協会が国連の諮問的地位を獲得する条件として排除された。ペドフィリアは、マイノリティの上位が社会に包摂される段階で排除された人たちなんです。そうした歴史は忘却されている。
――とはいえマイノリティの中でも特に、ペドフィリアに一般の人々が警戒してしまうのも仕方がないとも思うのですが。
柴田 いま叩かれているのって、被害者の存在しないアニメとか漫画作品なわけですよ。「子どもを守りたい」っていうのはもっともだと思うんですけど、そこで想定してる子どもが、実際の子どもではなく、その人たちが思い描いた、守られるべき子どものイメージ。「子どもを守る」と言いながら、子どもの主体性みたいなものを、自分たちのイマジネーションの中にどんどん回収してしまって、本来の子どもがどう判断していたか、どういう価値観で生きているかを無視しがちだなって思うんです。
他者はそもそも気持ち悪いもの――かつて路上などで遊ぶ女子小中学生に中年男性が声をかけて撮影を行う「声かけ写真」というジャンルがあったとして、それらを展示する「声かけ写真展(※2)」の炎上も記憶に新しいですが、実際に被写体の児童がいるこの件については、どうお考えですか。
柴田 かなりグレーなゾーンですけど、個人的にはおもしろいなって。だって、「公園に現れるカメラおじさんの、やさしいまなざし。」とか書かずに、もっと真っ当な紹介文を書けば、燃えなかったはずで。それをあえてスルーしにくい露悪的な紹介文にしたわけじゃないですか。包摂されない側のマイノリティの闘争のようで、個人的にはよかったなとは思いますね。
――なるほど。挑発されていることを感じたから、世間もあれだけ拒絶反応を起こしたのかもしれないですね。
柴田 作者たちも、現在そういった写真を撮ってるわけじゃなく、過去にグレーながらに大丈夫だった時代を振り返ってるだけだし、「まなざされたくない(客体化されること)」って、それはほぼ、成人の女性視点なわけです。「まなざしてくれるな」っていう感情を「私は嫌だ」じゃなくて、子どもに投影してる。いま現在も、公園にカメラを持ったおじさんが来ていて、「子どもたちをまなざすな」っていうのとは違うわけじゃないですか。子どもにお菓子をあげて連れて行こうとするような人が公園にいたら、そこはしかるべき判断が必要だと思うけど、そうじゃない。
――多くの人々は、子どもを性的対象と見る人のことを危険だと考えるし、いうならば「気持ち悪い」って思ってしまうと思うんです。
柴田 「他者ってどこかしら気持ち悪いでしょ」って思うんです。マジョリティ同士だって、趣味が違う、性癖が違うってなったら、どこかしら「気持ち悪い」っていうのはある。自分と100パーセント同じ価値観の他者って、もう他者じゃないわけだし、社会的に正しくないものだったり、おかしいと言われるものだって、表に出てこないだけで、それを楽しんでる人はいる。表に出てくる言葉だけが全部なわけでは絶対にない。だって表立って「実話BUNKAタブーを読んでます」なんて言わないでしょ(笑)。
――それは確かに……。いまは子どもに与える環境や教育も、ポリコレを意識したものが推進される風潮にあります。最近は性教育が注目されていて、タレントのSHELLYさんなんかが、積極的に発言していますが、それについて柴田さんが「性教育ママ」と発言していたのが印象深いんですが。
柴田 今のリベラルな性教育みたいなものって、男児の欲望が加害的なものにならないように、幼い頃から訓育するっていう価値観ですよね。かつて「女なんだからおしとやかにしろ」と、受動的であれ従順であれという抑圧をされて、自分たちが嫌だったことを、自分より小さな男の子に「男は加害的な存在だ」ってやってるのって、“復讐する毒親”みたいな感じ。太田啓子さんの著書の『これからの男の子たちへ』なんてまさに。男性性を加害性と安易に結びつけ過ぎてる。太田啓子さんって、離婚とかDVとかの「男性が加害、女性が被害」っていう案件に日常的に携わっている人で、さらに自分も離婚なされていて、シングルマザーっていう背景があるから、彼女の視点って、かなりバイアスがかかってると思うんですよ。弱い立場の女性に寄り添う姿勢はご立派ですが。
――酷いケースにばかり毎日触れているおかげで、「男は……」と視野狭窄してしまっているのではないかと。
柴田 #MeTooも同じで「こういう体験をしました」っていう、その一次情報がどれだけ正当なのかを精査しないまま、リベラル系メディアが、いかにもこれは正しいエビデンスだっていうように二次利用、三次利用で拡散している。ファクトチェックせずにフェイクニュースがそのまま信じられてしまう、事実よりも感情的なものに信頼をおくようなスタンスは、#MeTooもまさにポスト・トゥルース(※3)だなと思っています。

【後編記事に続く】
取材・構成/大泉りか撮影/武馬怜子初出:実話BUNKAタブー2021年7月号(※1)「ペドフィリア」……児童を対象にした性愛・性的嗜好。略して「ペド」と呼ばれることも。(※2)「声かけ写真展」……「子どもに声をかけて写真を撮る」という、昭和に存在したとされる「声かけ写真」を回顧する写真展。「児童ポルノを助長する」として批判を集めた。(※3)「ポスト・トゥルース」……客観的な事実よりも、個人的な信条や感情へのアピールが重視され、世論が形成される文化。PROFILE:
柴田英里(しばた・えり)
現代美術家(彫刻中心)・文筆家。1984年生まれ。東京藝術大学大学院美術研究科彫刻領域修士課程修了。著書に『欲望会議「超」ポリコレ宣言』(千葉雅也、二村ヒトシとの共著。角川書店刊)。主な論考に「いつまで“被害者”でいるつもり?──性をめぐる欲望と表現の現在」(『早稲田文学増刊女性号』筑摩書房刊)など。
Twitter @erishibata

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