師との“真剣勝負”で伝えたいことと
は ヴァイオリニスト岡本誠司インタ
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昨年、ミュンヘン国際音楽コンクールで見事、第一位を獲得したヴァイオリニストの岡本誠司。ヴァイオリニストにとっても最も栄誉あるタイトルの一つだ。すでにその日からほぼ一年が経ち、岡本は新たなる展望を抱きつつ、意欲的に活動を展開している。2022年11月30日(水)には東京の浜離宮朝日ホールで、自身が尊敬してやまない師匠アンティエ・ヴァイトハース女史を迎え、知られざるヴァイオリン・デュオの名曲が散りばめられたコンサートを開催する。岡本自身、長らく待ち望んでいた師匠とのデュオコンサートが実現した今、その意気込みを聞いた。
師匠とだからこそできる、ヴァイオリン二本の挑戦
——ヴァイオリン・デュオ、加えて、無伴奏でのコンサート、そして師匠と弟子のデュオコンビでのコンサート開催というのは大変珍しい試みですね。
まさにその通りだと思います。今回、浜離宮朝日ホールさんでのコンサート開催が決定した際、昨年から同ホールですでに続行中の僕自身の三年間におよぶ全5回のリサイタルシリーズを加味した上で、プログラムを検討しはじめたのですが、そこで、大変にタイミング良く、ドイツで師事しているアンティエ・ヴァイトハース先生が、11月26・27日に東京交響楽団さんとの4年半ぶりの共演で来日されると耳にしました。先生とは「いつかヴァイオリンのデュオコンサートが実現したらいいね」と以前から話していましたので、「今回がそのタイミングかもしれない!」と、ダメ元で来日前後の日程を打診しましたら、「前後数日であれば」ということで快諾をいただけました。
先生はヨーロッパ内での活動だけでも大変お忙しい方ですので、タイミングに恵まれた、というのが今回のコンサート実現の一番の理由です。コロナ禍でいまだ来日できない演奏家も多い中で、こんなに早い時期に一つの夢が実現するとは思わず、僕としてもとても驚いています。
アンティエ・ヴァイトハース(c)Giorgia Bertazzi
——ヴァイトハース先生との共演において、ストイックにヴァイオリニスト二人のみの編成としたのはなぜでしょうか?
ヴァイオリニスト二人を含んだ室内楽編成には、もちろんカルテットもありますし、ピアノを入れるだけで編成や選択肢の幅もかなり増えるのですが、岡本誠司というヴァイオリニストを通して、師匠であるアンティエ・ヴァイトハースというヴァイオリニストの音楽観やヴァイオリンへの向き合い方、音楽理念などを聴衆の皆様に一番良いかたちでお伝えでき、かつ、楽しんでいただける編成は何だろうか、といろいろと思いを巡らせました。
そこで、ここはあえて“真剣勝負” と言うのでしょうか、演奏する側としては一切ごまかしの利かないシビアなプログラムが一番良いのではと思い、ピアノすら入れず、ヴァイオリン二人のみのコンサート、すなわち、ヴァイオリン・ソロとヴァイオリン・デュオの作品だけでプログラムを組んでみることにしました。
——ある意味で挑戦でもありますね。
はい、もちろん挑戦という意味合いもありますし、聴衆の皆様にとっては、ヴァイオリンの音だけでどれだけ世界が広がるか、というのを存分に楽しんでいただけるのではとも思っています。
——師匠とのデュオだからこそ、そのようなことが実現できたというのもありますか?
そうですね。僕自身、ベルリンに移って丸5年になりますが、先生のことはそれ以前から存じ上げていましたし、この5年間はレッスン以外にも、いろいろな時間を共有してきました。先生と門下生だけで行く合宿のようなセミナーでは、室内楽の初見大会で大いに盛り上がったり、夜中までお酒を飲み明かしたり、食事しながら他愛もない話をしたりと、先生のクラスは師匠と弟子たちの距離感が近く、むしろ先生自身が師匠という扱いを受けたくないというフラットな雰囲気を作りあげていらっしゃいました。
とある年のヴァイトハース・クラスの合宿にて(岡本提供)
音楽的な内容や技術的なことに関しても、この5年間の先生との学びは本当に内容が濃かったなと思っています。僕自身、ベルリンに移った22~23歳の頃というのは、コンクール出場・受賞経験なども経て、僕なりの音楽の表現方法や方向性、そして音楽観というものが少しずつ定まり始めていた頃だったのですが、それらの要素を、実際、技術を用いてどのように音として表現していくかということをはじめ、今までに思いつくことのなかった解釈の可能性やヴァイオリンという楽器自体の表現の更なる可能性など、多岐にわたって最も濃密に吸収できた5年だと感じています。
このように人間としての相互理解も深まり、音楽についてもたくさんのことを共有した二人のデュオという点でも、聴衆の皆さんにお楽しみいただきたいですし、本番のステージ上で師匠と弟子がどのような掛け合いをするのかというのも、見て、聴いて楽しんでいただけたらと思います。
珍しいヴァイオリン・デュオの作品と作曲家たち
ドイツ・クロンベルク/岡本は現在クロンベルク・アカデミーに在学している(岡本提供)
——プログラムの内容についてお聞かせください。まずはヴァイオリン・デュオ作品の作曲家たちというもののラインナップに関しても予備知識として知る必要がありそうです。
ヴァイオリン・デュオの作品は数が少なく、バロック期に娯楽・余興的な意味合いで作曲されたものや、初期ロマン派の時代=ヴァイオリン・メソッドが確立された頃の作品は、それこそ師匠と弟子で一緒に弾くための半ば教本的な扱いの作品などが多くを占めています。
そして、20世紀に入ってようやくプロコフィエフやバルトーク、そして、イザイなどの作曲家たちが、このジャンルを芸術的な高みへと昇華させた経緯があります。ピアノの鍵盤の右半分くらいの音域しか使えず、低音域のべースラインを保つことが難しい不安定なヴァイオリン・デュオという編成の作品に芸術的な価値が与えられたのもこの時代です。
——プログラムのトップバッターは、ルクレールの作品ですね。
ルクレールはフランス・バロックの大家です。「二つのヴァイオリンのためのソナタ Op.3第6番 ニ長調」は、流麗な音楽づくりであったり、明るく、シンプルながらも、フランス・バロックらしい華やかな作品になっています。ある意味で、ヴァイオリン・デュオ作品の一つの原点に近いものと言えると思います。
——ルクレール作品では、ピリオド奏法を踏まえた演奏も期待できそうでしょうか。
まさに、そこは毎回、先生とのレッスンでも議論する内容なのですが、バロック期、あるいは、現在と時代がかけ離れた作品を演奏するにあたって、当時のピリオド (時代)楽器 (ガット弦やバロック・ボウなどを用いた作曲年代に即した楽器) で演奏するわけではない場合、どのようなところに目標を置いて演奏するかということがつねに焦点になります。
まず何より作品に関して作曲家が抱いた音楽的なアイディアなどをはじめ、原点の部分をくまなく理解するということが最も大切なことだと考えています。例えば、それはフレージングの作り方やハーモニーをどのように組み立て、運んでいくか、そして、声部をどのように分けて演奏していくか、というようなベーシックな事柄なのですが、これらを最重要事項として捉えていくということです。そして、それらは作品の様式や作曲家によって相応しい方法が異なるものでもあります。
加えて、ピリオド奏法に関しては、当時行われていたとされる奏法について学術的にも正しいとされるものを詳しくリサーチします。ただ、それらの総合的な結果を単純にモダンな楽器に移して演奏するだけでは、むしろモダン楽器の良さを殺してしまいます。要するに、バロック楽器を模倣するだけの演奏であるならば、むしろ、最初からピリオド楽器で演奏したほうがいい、という考えに行き着くのです。これは僕も先生もつねに意見が一致しています。
なので、僕自身もピリオド楽器で演奏する際は当時の演奏習慣というものを最大限に尊重して演奏することに努めていますし、今回のようにモダン楽器で演奏する際には、悪く言えば、妥協ということになってしまうのですが、妥協と言われないレベルにまであらゆる面を昇華させて、上手い具合に解釈と表現の落としどころを見つけられるように心掛けています。こうして俯瞰して考えてみると、作品自体の魅力や芸術性を、ヴァイオリンの奏法、あるいは演奏者の都合によって損なわれてしまうのが最も残念なことだと、改めて感じます。
——作品自体の魅力や芸術性というのは、一体どのような要素から導きだされるものなのでしょうか。
20世紀は、いわゆる “スクール(流派)” と呼ばれる演奏技法とそこから導きだされる演奏表現、そして奏者の“色”が重要視された時代と言われますが、21世紀になって、特にヨーロッパにおりますと、奏法を駆使してヴァイオリンという楽器自体を演奏することの重要性よりも、むしろ作品ごとに対して演奏家各人がどのようにアプローチしていくべきか、ということが最重要視される時代に移りつつあるのかなと感じています。
そのような流れを踏まえた上で、演奏者の好む型に作品を当てはめるのではなく、作品という正解のない、そして途方もなく素晴らしい力と魅力を持つものの本来のあるべき姿に演奏者がいかに自然なかたちで寄り添っていくのが、演奏者としての役割であり、最も重要なチャレンジだということに気づかされます。そして、何よりも一番の醍醐味だと感じています。
バッハとイザイ 無伴奏作品の「求道的な部分」に注目して
ドイツ・クロンベルク(岡本提供)
——続いては、J.S.バッハ「無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第2番」から “シャコンヌ" をヴァイトハースさんがソロで演奏します。岡本さんとしては、師匠が演奏する “シャコンヌ” にどのような期待を抱いていますか?
先生ご自身もバッハの無伴奏全6曲とイザイの無伴奏 全6曲というの3枚組のCDを数年前にリリースされていますし、現在、先生は50代でいらっしゃいますけれど、それまで積み重ねていらっしゃった知識、経験、技術、音楽観の集大成が今回のステージで聴けるのではと期待しています。
——岡本さんのソロで演奏される イザイ「無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ 第2番 イ短調」は、 バッハの「ヴァイオリンのための無伴奏作品集」とも大きなつながりのある作品ですね。
はい、この作品集の中から第2番を選んだ最大の理由は、まさにイザイがこの作品においてバッハの作品を引用しているというところにあります。
——バッハの「無伴奏パルティータ 第3番」の引用でしょうか。
そうです。あとはグレゴリオ聖歌の「Dies Irae(怒りの日)」も引用されています。このイザイの6曲の「ヴァイオリンのための無伴奏ソナタ」は、基本的にその全曲がバッハの無伴奏作品6曲を念頭において生み出されたものですが、第2番は第1番と共に特にバッハに近い作品です。
そういう意味では、バッハとイザイが生きた二つの時代の間にある約200年の時の流れとともに、ヴァイオリンという楽器の扱われ方の変化などを感じ取っていただくのも非常に面白いと思いますし、ヴァイオリニストとしてこの楽器を知り尽くした彼(イザイ)ならではの独自の世界観を感じることができる稀有な作品だと感じています。
——そもそもヴァイオリニストにとって、無伴奏作品を演奏する醍醐味とは一体どのようなものなのでしょうか。
無伴奏作品を生みだした二人の作曲家、バッハとイザイの作品は、ヴァイオリンを志す上で紛れもなく二つの大きな山だと思います。僕自身も、あの小さな楽器のために、そして、その楽器によってここまで高みへと引き上げた二人の作曲家の作品を深く知るにつれ、演奏する時は毎回、身が引き締まる思いです。
なので、この二人の無伴奏作品に触れる際は、「音や色彩を楽しむ」という要素に加えて、さらに奥深いところにある 「求道的な部分」も感じていただければと思います。それは、自分自身とのシビアな対話であったり、楽器との対話であったり、空間との対話であったり。これらの要素すべてが無伴奏作品の魅力です。
――プログラム最後は、同じくイザイによる「2つのヴァイオリンのためのソナタ イ短調 遺作」が置かれています。ほぼ知られざる作品と言っても過言ではありませんが、大変に美しい曲ですね。
この作品には当時の聴衆にはなかなか理解されなかったであろう前衛的な和声や表現が多々用いられている点や、かなりの演奏技術の高さも要求され、そこに室内楽的な観点での難しさも加わり、それらが現在に至るまで演奏機会が少ない理由だと思います。
さらっと聴いていただいただけでもイザイらしさが凝縮された大変美しい作品ですし、ヴァイオリンの格好良さや情熱的な面から、抒情的な美しさや、触ったら壊れそうな繊細さまで、その双方が感じられる作品です。また、最終楽章では踊りの要素もあって楽しい雰囲気の曲想になっており、紛れもなく、ヴァイオリンが表現でき得る最大限の多種多様な要素が凝縮された秀逸な作品です。
——具体的にはどのようなところが聴きどころでしょうか。
二つのヴァイオリンが一本の楽器のように聞こえる瞬間もありますし、理想としては二人ではなく10人くらいのアンサンブルで弾いているかのような豊かな響きをもたらせる瞬間もあります。そういう意味では、ヴァイオリン・デュオ作品の一つの金字塔、頂点であり、一つのゴールであると言い切ってしまっても過言ではないと感じています。
音楽家としてこの分岐をどう乗り越えるのか
2021年6月に開催された『岡本誠司 リサイタルシリーズ Vol.1~自由だが、孤独に~』より。23年にかけて全5回のシリーズ公演を企画している(撮影=中田智章)
——ちょうど一年前の2021年10月に、栄誉あるミュンヘン国際音楽コンクールのヴァイオリン部門で優勝したわけですが、岡本さん自身、コンクール以降、どのような心境の変化がありましたか?
コロナ情勢が収まりを見せつつも、いまだ影響を受けている音楽業界において、我々駆け出しの演奏家にとっては、まだまだ厳しい一年であったというのが正直な感想ですね。
また、演奏会に行くことが習慣だったのが、コロナ禍のこの数年の間で一度途切れてしまったことによって、なかなかお客さんが戻ってこないという現状をいろいろなところで目にしています。
——ドイツでも、いまだコロナ禍の影響が尾を引いているのでしょうか。
フランクフルトなどの大都市でも客席が半分しか埋まらないなど、苦戦しているのを実際に目にしています。これらの現実を踏まえると、クラシック音楽の聴かれ方自体も変わってきているのかなというのも感じていますし、生で聴くことの醍醐味をもっとアピールしていくことが、今後一人ひとりの音楽家も求められていることではないかと思っています。
ただ、これは一つのチャンスでもあるかもしれませんし、自分の発信したいものに愚直に向き合っていくことで、共感を得ていくのではないか、という新たな展望や方向性も僕自身の中では見出しています。
ドイツ・ベルリンの様子。ベルリンでの生活も丸5年を迎えた(岡本提供)
――それは、具体的にどのようなものなのでしょうか。
例えば、名演奏家が名曲を演奏するというだけではなく、何かに強いこだわりを持っている、面白味のある作品を演奏する……など、一旦、クラシック音楽への興味が分散した以上、そのような方向に誘導してゆく新たな、そして絶好の機会なのかな、とも感じています。そのような点についても意識しながら活動していきたいと思っています。
体験したことの無いものを体験できる喜びや、「知らなかったものを知る楽しみ」という部分を持ち帰ってもらえるような演奏会というものを今後、更に作っていきたいと考えています。このような事柄が、コロナ禍、そして昨年のコンクールを経て決意を新たにした部分です。
——そういう意味では、岡本さんの場合、反田さんや務川さんを始めJNOのメンバーなど仲間が身近にいるということは力強いですね。
その二人を筆頭として、周りに志の高い、本当に勢いのある、そして、中身の濃い演奏家たちが集まっていることで、僕もとても刺激を受けていますし、皆で高め合っていけたらと思っています。
取材・文=朝岡久美子

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