村上“ポンタ”秀一さんトリビュート
コンサートに一青窈と福原みほ出演決
定、未唯mieと大黒摩季らによる「ピ
ンク・レディー」コラボ歌唱も
<村上“ポンタ”秀一 >
今から41年前、右も左も判らぬまま、あれよあれよと担ぎ出されるようにレコードデビューできた自分が幸運だったのかそうでなかったのか今もって解らないままである。ただそのファーストアルバムのレコーディングで経験したことは貴重な宝だ。名だたるスタジオミュージシャンに囲まれたセッションは20歳の音楽好きの若者にとってエキサイティングなことには違いなかっただろう。しかし同時に、自分の未熟さを痛感した瞬間であり、
プロフェッショナルというのは、何をしてプロフェッショナルというのか、その現実を突きつけられ孤独に堕ちて行った経験でもあった。
そんなレコーディングの休憩時間での出来事。一人トイレで、ため息混じりに用を足していると、たまたま彼が隣に来て用を足し始めた。
思わぬことに驚き、彼の顔を見上げる。すると彼は、小声で話しかけてくれた。
「あんま、カタくなるなよ」「あ・・はい」それが彼との最初の会話だった。その時彼が見せた笑顔は今も忘れられない。
やっぱり、大村憲司、けんちゃんが亡くなる前、バカボン鈴木等と廻ったツアーが強烈に思い出されるね。
ツアーマネージャーが血尿出すほどトラブル続きの旅だったけど、良い思い出です。
ポンタ氏はとても元気で、毎晩のように酒を飲んだ。肝臓破りバンドの面目躍如。とても、ダンディーな人でした。
まだ20代の頃、ソロアルバムをつくり始めて一緒にアルバムに参加して下さった坂本龍一さんなど共に、ライブハウスに出るようになった。その時のドラムが村上さんだった。ライヴ終了後に、坂本さんから「ポンタが、たあぼおは、声ちっちゃくて、全然聞こえねぇって言ってたよ。」と聞かされ、それがトラウマとなった。ステージが怖くなりそれでも努力し、トラウマから解放されたのは40歳を過ぎてからだった。世間には褒めて育てるというのがあるようだけれど。ポンタさんの正直な一言で、自らに厳しく歌と向かい合うことができたことに、心から感謝しています。
PINKLADYデビュー曲の「ペッパー警部」を初め、数曲のオリジナルレコーディングを担当して下さったポンタさん。あれから29年たったPLメモリアルコンサートツアーのグランドフィナーレにご登場頂いたことで、私の音楽人生は一変しました。
「俺、mieちゃんがLIVEするなら、手伝うよ」この言葉どおり、メンバーを集めて下さったり歌う楽曲の方向性を一緒に考えて定期的なLIVE開催にご尽力下さいました。そのお陰で!音を奏でる真の喜びと難しさを深く感じられ、楽曲への向き合い方と同時にミュージシャンとの音の会話に心震える想いを知りました。ポンタさんあっての今の私。感謝の念に堪えません。ありがとうございました。
とにかく私にとってポンタさんは「初めての男❤」なんです。私の声が初めてCDになった曲、しかもそれが敬愛してやまないアレサ・フランクリンのカバー曲「Respect」で、その時のドラムがポンタさんでした。それまではドラムって、ベーシックを支えているものだと思っていたんだけど、あんなに歌って攻めて、攻撃的だったりするのに、突然父性があったり。生まれて初めてこんなに感情的な楽器なんだと知りました。そんな人が最初の男になっちゃったから、私のドラマーを選ぶ人生は、引き算ばかりでした。だから死ぬほど今会いたいです。本当に生まれ変わって私を見つけて欲しいです。I L♡VE YOU so much !!!
ポンタさんのアルバム「Welcome to My Life」のレコーディングに呼んで頂いたことは本当に驚きと感激でした。緊張の中ドラムを叩かせて頂きましたが緊張し過ぎてほとんど覚えていません。レコーティングでお逢いした時に、私のドラムを褒めて頂いた事がとても嬉しくて光栄でした。
「ちょっとさ、いい曲があってさ」と留守電が入っていて、待ち合わせ場所に行くといつもmix MDを渡してくれました。
素敵なloungeBARで葉巻を燻らせていたポンタさん。素敵なコートで颯爽と帰ってゆく姿を見つめながら、あー、なんて格好イイんだろう!!
と思わせてくれる方でした。「MDの方がね、断然音がいいんだよ」と教えてくれたその日
早速、家でプレイヤーでかけてみると確かにそうかも、と大納得。大人としてのカッコいい生き様についても大変勉強させていただきました。
初めてご一緒したアレサフランクリントリビュート。大御所なのに気さくに話しかけてくれ、演奏も丁重に探りながら音作りをされる姿に脱帽でした。ポンタさんの姿勢から、たくさんのことを体で吸収させていただきました。これぞ魂の音楽と。
何度もライブの際もこのテンポだね?と顔で確認して下さる優しさ忘れません。大好きなポンタさんサウンド、ポンタさんの場所に行くまであと何年かかるか分かりませんが、ずっと私の細胞で育てていきます。
ポンタさんとの交流は、20代の半ばも過ぎて進退を考えつつ、初めて世に放ったアルバムからだった。その音を気に入ってくださったポンタさんからのアポを受け、渋谷にてはじめましてのご挨拶。開口一番ライブやろう!と。何かの冗談かと思った。無名中の無名である自分がいきなりあの村上ポンタ秀一さんと同じステージに立つなんて…。冗談ではなかった。そしてその模様はアルバムにもなった。その日から10数年、僕のサウンドの屋台骨を背負いつつ、振り返るとシャイな笑顔で応えてくれました。数日前、ライブ終わりにハグしてくれた時の夢を見ました。気がつくと泣いていました。温かな人柄に感謝しかございません。ありがとうございました。またいつかきっと。
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