DedachiKenta、20歳を間近に語るRoc
ket Science
Photography_Yohei Fujii
Interview&Text_Hiroko Shintani
Edit_Miwo Tsuji
幼い頃からすぐ近くにあったのは、ワー
シップ・ソング
DedachiKenta(以下Dedachi) : 歌はずっと好きだったんですけど、思い出せる1番古い記憶は、叔母の結婚式に行って、家族で『オー・ハッピー・デイ』(18世紀の讃美歌に根差したゴスペルの定番曲のひとつ)を歌った時です。僕がソロを歌うことになって、その時に「ああ、自分は本当に歌が好きなんだ!」と実感しましたね。
Dedachi : 一番自分にとって馴染みがあるというか、小さい頃からずっと歌ってきた音楽だから、一番ナチュラルに歌えたのがワーシップ・ソングでした。14歳の時にYouTubeのチャンネルを作って、最初はそればかりやっていたんです。でも小学生の頃からエド・シーランやテイラー・スウィフトやアデルとかそういうポップ・ミュージックも聴くようになりました。
――では、ミュージシャンとして生きていきたいと真剣に考え始めたのはいつ頃?
Dedachi : YouTubeをやっていた時ですね。最初の2年間は趣味で、楽しいからやっていたんですけど、世界中の人に聴いてもらえるようになって、たくさんのコメントを頂いて、「これをずっと続けて行きたいな」と。そう思い始めたのがきっかけのような気がします。
Dedachi : 『This Is How I Feel』(18年12月5日にリリースしたデビュー・シングル)が最初のオリジナル曲で、17歳のときに書きました。本格的には去年の5月頃、KOSENさん(アルバム『Rocket Science』のサウンド・プロデューサー。Colorful Mannings名義で活動するほかThe Beatmossの一員でもある)と出会って、彼が僕のソングライティング・スキルを引き出してくれたというか。出会ってから曲がどんどんつくれるようになりました。曲によってプロセスは違って、どの楽器を弾くかによって歌のニュアンスとかが変わってくるんですけど、だいたいはギターで書きます。メロディが浮かんできたら、それをギターのコードで弾いて、同時に歌詞も考えたりして。そしてKOSENさんに送ってフィードバックをもらって、ブラッシュアップしていって。
――「こんな楽器を入れたい」とかアレンジのアイデアも、曲を書いた時点で頭に思い浮かぶ?
Dedachi : そうですね。デモの段階で方向性は自分で作ってから、KOSENさんに渡そうとしています。ちゃんとコミュニケーションを取りたいから。こういう音にして、こういう楽器をこういうところに入れて……と。それは自分で打ち込んだりしてから送っていますね。
――歌詞は基本的に英語中心で、日本語がふと絶妙なタイミングで織り交ぜられています。どんな風に言葉を使い分けているんですか?
Dedachi : やっぱり僕は、聴いていた音楽が全部英語だから、ナチュラルに出てくるのが英語で、だいだい全て歌詞は英語で書くんです。でも『Fly Away(feat. Kan Sano)』や『Ambiguous』とかは、「日本語の歌詞をトライしてみよう」という試みとしてチャレンジした曲でした。今回のアルバムは、世界にも出したいけど、基本的に日本に向けたアルバムであり、日本のオーディエンスにもよりわかりやすく伝えたいと思って、『Fly Away』や『Ambiguous』、アルバムのリード・トラックの『Life Line』には日本語をきれいに入れたかったんですよね。
DedachiKenta、20歳を間近に語るRocket Scienceはミーティア(MEETIA)で公開された投稿です。
アーティスト
ミーティア
「Music meets City Culture.」を合言葉に、街(シティ)で起こるあんなことやこんなことを切り取るWEBマガジン。シティカルチャーの住人であるミーティア編集部が「そこに音楽があるならば」な目線でオリジナル記事を毎日発信中。さらに「音楽」をテーマに個性豊かな漫画家による作品も連載中。