【コラム】 挫折の青春。「主人公に
なれない者たちの物語」とは?

「きっと何者にもなれないお前たちに告げる。ピングドラムを探すのだ」

『輪るピングドラム』より

物語の話をしましょう。一般に、どのような物語にも主人公がいるものです。通常、彼らはさまざまな困難をくぐり抜けるヒーローであり、すべての展開の中心であるといえるかと思います。
しかし、いま、そんな主人公になれない立場のキャラクターたちにスポットライトをあてた作品が注目を集めています。それは、従来の物語であれば光があたらなかったところに着目した新しい種類の物語。そこでは、必ずしも「努力、友情、勝利」といった美しい理想を信じられない人間たちが描写されることになります。
それでは、なぜ、そのような人物なり展開が描かれるに至ったのでしょうか? この記事では、その謎についてひとつの見解を示してみたいと思います。
さて、「主人公になれない者たちの物語」とひと言で述べても、すぐには具体的なイメージが湧かない人は少なくないでしょう。そこで、まずは映画『ちはやふる』のことから話し始めたいと思います。
公開当初はひっそりとしたスタートを切ったものの、口コミで話題が広がってヒットに至り、続編が制作されることになったこの作品は、競技カルタを扱った同名の少女漫画を原作にしています。
しかし、この映画は基本的に原作の筋をなぞっていながら、大きく原作と異なっているところがあります。そのなかでも最も大きな差異は、原作が無邪気にカルタに熱中する天才少女ちはやを主人公にしているのに対し、映画は彼女に恋する少年・太一にスポットライトをあてていることでしょう。
物語の筋立てそのものは原作と映画で大きな違いはないのですが、映画ではあきらかに太一を視点人物とし、彼の苦悩と成長に集中して物語が組み立てられています。太一はきわめて優秀な頭脳と美しい容姿に恵まれた少年ですが、カルタに関しては凡庸な才能しか持っていません。それどころか、そもそもかれはカルタに向かうモチベーションそのものを有していません。彼がカルタをやるのは恋しているちはやがカルタに熱中しているからに過ぎないのです。
その意味で、彼はカルタを巡る物語の主人公である資格がないキャラクターであると言って良いでしょう。太一は幼い頃、カルタに関して天才的な才能を持つライバルの少年の持ち物を隠し、彼を陥れるという罪を犯します。そして、そのことによって「カルタの神様に見放された」と感じ、それをずっと気に病んでいます。その証拠にというべきか、彼はカルタにおいてとことん運がありません。
物語の主人公が運命に愛されている人物だとすれば、太一はそれに見放されたキャラクターなのです。映画は、そんな彼がどのようにして自分の限界を乗り越えていくかを詳細に描いていきます。そこにあるものは、特別な運命に恵まれなかった人間が、いかにしてその凡庸さを突破するかというテーマに他なりません。
2018年に公開された完結編では、この太一の物語に感動的なクライマックスが訪れることになりますが、それについてはネタバレを避けることにしましょう。
ところで、この『ちはやふる』と同じ頃に『バクマン。』、『くちびるに歌を』、『心が叫びたがってるんだ。』といった青春映画が続けざまに公開されました。わたしが思うに、そこにはひとつの明白な共通点があったように思えます。
それは、あらかじめ物語に敗北と挫折がセットされているということ。もちろん、青春映画に挫折は付き物であるわけですが、それにしてもこれらの作品は「挫折を乗り越えて栄光をつかむ」といった展開にはなりません。最後の最後まで、挫折や敗北が付きまとってしまうのです。
たとえば、乙一の原作で知られる『くちびるに歌を』では、主人公たちの努力の末には敗北が待ち受けています。あるいは、岡田麿里の脚本で話題となったアニメ映画『心が叫びたがってるんだ。』にしても、主人公は最後の最後で望むものを手に入れられません。これらの映画ではまず初めから全国大会制覇!といった大きな目標はありませんし、何らかの目標を抱いているとしてもそこまでたどり着くことはできません。
やはり同名漫画を映画化した『バクマン。』を見ればわかるように、一時、栄光の階段を駆け上がったとしても最後の最後では敗北が待っているのです。つまり、これらは敗者の物語であり、凡人のテーマです。努力すれば最後には栄光に到達できるヒーローなり天才なりの物語とは一風違った作品であると言えるかと思います。
もちろん映画だけでなく、テレビアニメやマンガ、ライトノベルの世界でも同じようなテーマを扱った作品はあります。そのなかでも代表的なものは、やはり十文字青原作の『灰と幻想のグリムガル』になるでしょう。
この作品は、あるとき謎の理由で異世界に召喚された少年少女たちを主人公にして、彼らの葛藤や成長を描いています。そこだけを切り取るならよくある異世界もののテンプレートというふうに見えるかと思います。しかし、この物語はちまたにあふれる異世界ヒーローものとは決定的に違う点がひとつあるのです。それは、主人公たちがヒーローの素質に恵まれていないということ。
彼らはひとりの冒険者としてまったく才能がない凡人に過ぎません。その結果として、凡人同士で群れてパーティーを作ることになりますが、それでもゴブリン一匹倒すのも大変な努力をしなければなりません。最弱のモンスターを倒してわずかな金銭を得るまでのプロセスを、この作品はきわめて丹念に描写していきます。
ようするに、この作品の主人公たちは通常の物語の主人公、たとえば『ソードアート・オンライン』のキリトであればほとんど問題にもしないようなポイントで延々と足踏みしてしまうのです。そもそも彼らは壮大な物語を駆動するような大きな夢や野心を抱いていません。そう、『ちはやふる』の太一がカルタに対して特別な情熱を抱いていないように。
したがって、彼らの目的はただ日々を生き抜くことそのものであり、世界を巡る大いなる秘密はとりあえず放置するしかありません。つまり、彼らは世界を救える勇者でもなければ戦乱を治められるような英雄でもなく、その世界においてもよくいるありふれた凡人に過ぎないのです。
よって、彼らは弱敵との戦闘中ですらいつ死ぬかもわかりません。実際、主人公たちのひとりは物語の冒頭であっさり戦闘中に死んでしまいます。その意味で、彼らを「主人公でない主人公」と呼ぶことができるでしょう。ここにあるものは、いくら「努力」しても「勝利」にたどり着けないキャラクターの物語たちというコンセプトです。
このような作品を見ていると、わたしはアニメ『輪るピングドラム』の「きっと何者にもなれないお前たちに告げる。ピングドラムを探すのだ」という名台詞を思い出さずにはいられません。
「きっと何者にもなれない」。このフレーズはきわめて鋭く「主人公になれない者たちの物語」の本質をえぐっているように思えます。いま何者でもなく、将来においても何者にもなれないかもしれないということ、それがこれらの作品の主人公たちの悩みのもとなのです。
しかし、それにしても、ここでいうピングドラムとは何でしょう? 『輪るピングドラム』では、ついに最後までこの「ピングドラム」という言葉が何を指しているのか、明確に示されることはありませんでした。つまりは視聴者の側がかってに推測するしかない言葉なのですが、わたしはピングドラムとは「情熱」、あるいは「動機」なのかもしれないと思うことがあります。
「きっと何者にもなれない」者たちが何よりも優先して探さなければならないものとは、真実、情熱を賭けて取り組むことができる対象なのではないでしょうか。
このように書いていくと、「主人公になれない」とは、少年漫画的、あるいは少女漫画的な成長や成功の枠組みから外れているということであることがわかります。熱い思いを抱いて成長し、あるいは成功することがどうしてもできない。そんな空虚を抱えているキャラクターが、高度経済成長もバブルも遠い昔になった現代において人気となることは不思議ではないでしょう。だれもが『ONE PIECE』のルフィのように強烈なモチベーションを抱くことができるわけではないのですから。
その文脈で思い出されるのは、西尾維新原作の漫画『めだかボックス』で初めは敵役として登場し、やがて仲間になった球磨川禊というキャラクターです。球磨川はどんなに頑張っても絶対に勝つことができないという運命を抱えた少年で、そのため、常に弱者や敗者の味方であろうとします。そして、彼は「努力せずに勝ちたい」と口にする、ある意味では「アンチ少年漫画主人公」といえるかもしれない造形をされているのです。
『めだかボックス』公式サイトより引用
常識的に考えれば、球磨川のこの態度は単なる怠惰に過ぎないとも見えるでしょう。しかし、『めだかボックス』の人気投票において、球磨川は主人公を大きく引き離して第1位を取っています。いったい彼のどこがそれほど高く評価されたのでしょうか?
それは、「決して勝てない」という少年漫画の定石においてはありえない造形と、いついかなる場合でも弱者や敗者の立場に立とうとする心意気なのではないかとわたしは考えます。球磨川はまさにきっと何者にもなれない、どうあがいても主人公になれないキャラクターの代表格であり、それでもなお、そのことを受け入れて戦いつづけるところが読者にとっても魅力的であったのではないかと考えるのです。
少年ジャンプ的な漫画が高度経済成長を背景にしたものであるとすれば、『めだかボックス』や映画版『ちはやふる』のような作品は、先ほど述べたように、日本という国そのものが世界のなかで主人公の地位から滑落してしまった現実を背景にしていることは間違いないでしょう。
「努力」や「友情」が即座に「勝利」に結びつくということを信じられない、つまり「頑張っても勝てない」時代に、どのように生きていくか。それが「主人公になれない者たちの物語」のテーマです。
彼らの物語には少年漫画や少女漫画の王道的なカタルシスはないかもしれませんが、それでも彼らは彼らなりに人生を輝かせる何か、「ピングドラム」を探しています。勝利なき時代の新しいヒーローたち。彼らの物語に共感を寄せる人々は少なくないに違いありません。
文:海燕

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