【インタビュー】TOSHIO MATSUURA G
ROUP「いかにフレッシュなアレンジを
施せるか、それが今の2010年代にフィ
ットするのか」

DJの松浦俊夫が“TOSHIO MATSUURA GROUP”としてアルバムをリリースする。『LOVEPLAYDANCE』は、「KITTY BEY」や「I AM THE BLACK GOLD OF THE SUN」、「BROWN PAPER BAG」など、新旧を問わず自身のDJキャリアにおけるマイルストーン的ナンバーをカバーしたアルバムだ。盟友ジャイルス・ピーターソンを監修に迎え、全てロンドン録音されたという松浦自身の新たなマイルストーンとなるかのような一作となっている。クラブ業界に入って30年あまり、そして運命を変えた名曲の誕生から25年。なぜ今『LOVEPLAYDANCE』なのか、話を聞いてみた。
◆ ◆ ◆
■ジャズのスピリットというバトン

■そのバトンを渡しきれてない
──まずなぜ今、このアルバムを出されたのかをお聞かせください。

松浦俊夫(以下、松浦) このアルバムは去年録音したんですけど、「LOUD MINORITY」から25年、それに自分が音楽業界に入って30年の節目だったんです。日本にダンスジャズシーンがないところから産声を上げて、アシッドジャズという名前になって世界中に広がって……その中で自分たちはUnited Future Organization(以下、U.F.O.)としてやってきた。
ただ現状の音楽シーンを見ていると、ジャズのスピリットを持ってやっていくということが、うまくバトンを渡しきれなかったのかなって思いがすごくあって……。若い人たちのバンドが出てきたりはしているんですけど、“ひとつのシーン”として纏まってないし、欧米のシーンに比べて日本はシュリンクしたとも表現されている。
当時からそのシーンの中でやってきた人間として、今の若い人たちのシーンにうまくその思いが引き継がれてない。だとしたら自分がリスナーとしてDJとして影響を受けた楽曲を、今の人たちに向けてノスタルジックな音楽ではなく、みんなの知らないフレッシュな音楽をとして蘇らせるとしたらと思いついたわけです。例えばBronswood周辺の、ヨーロッパ周辺のアーティストの新しい動きをみていて、自分もそういった中で、一種のカンフル剤的なところでこの作品を出す意味があるのかもしれない。それを第三者がやるよりは、当事者であった自分自身でやる方がよりリアリティを持って、新しい物として聴いてもらえるんじゃないかって思いがありました。
──今回はいろんなミュージシャンが携わっていて、“TOSHIO MATSUURA GROUP”名義でのリリースです。松浦さんとしてはコンダクターみたいなイメージなんでしょうか?

松浦 ズーッと憧れている存在としてクインシー・ジョーンズがいて、クインシー・ジョーンズみたいなDJって何だろうと……。自分はミュージシャンではないし、自分で演奏して何かを作り出すということよりはどこまで行ってもDJです。もう既にメディアになっているレコードやCDを聴いてると、僕の中で実際に演奏している人たちの“音の違い”というのが実はあまりないんです。
選曲の場合は取捨選択であって、演奏の場合は演奏自体はいいけど方向性としてはもっとこっちじゃないかなとその都度聴き分けていく。“こうすればもっと面白くなるんじゃないか?”と、キャッチボールをミュージシャンとやりつつ、結果的に……例えば車だったらタイヤが4つの予定だったけど3つの物ができて、思ってた物とは違うけど、結果的にプロダクトとしてよくなりそうだったので三輪車にしましたということはOKっていう風に考える方ですし、それはU.F.O.のころから変わってない。でないとそこにがんじがらめになってしまって、もしかしたら新しく生まれる物を底で制限してしまう可能性もある。僕はイマジネーションの世界でどう新しい物を作れるか……組み合わせていく中で化学反応が起きて、それがサンプルであれミュージシャンであれフレッシュな物を生み出すのか、それが狙いなんです。
──ジャズの演奏は多分にプレイヤーの個体差が重要視されます。今回この人のプレイはしっくりこないとか、この人の音は自分の考えとは違うとか、“ズレ”はなかったですか?
松浦 事前に東京でのプリプロを聴かせてイメージを伝えておいたので、真逆にいくことはなかったです。どうなのかなというのは“キャッチボール”をして変わったし、結果的に良い物になっていった。根本的なところを修正するというよりは、今、目の前で起きている音を、どこにドライビングしていくかということに一番気をつけていたかもしれないですね。
■サンプリングミュージックは

■サンプリングだからこそ良かった
──アルバムの選曲に関して気をつけたことは?
松浦 意外とそこまでが長かったですね。100曲以上をリストアップして今それをやり直すこと自体に意味があるのかどうなのかってことがまず念頭にあって……結果ベストの曲を選んだというよりは、カバーだけど新たにフレッシュなアレンジを施せるかどうかというアーティスト的なマインドと、DJ的に影響を受けた曲だけど、それを果たして今やり直すべきかどうかということ、そしてそれが今の2010年代にフィットするのかというのに、実は一番時間をかけましたね。
──「Kitty Bey」だけは古めですが、年代的には新しめの曲が多いですね。
松浦 アシッドジャズシーンの中で考えると初期の部分、90年代半ばぐらいのものってほぼサンプリングミュージックなんです。サンプリングミュージックをリプレイして、狙いとしてはそれより良くしようという思いはありつつも、あまりそこに魅力を感じなかった。それとサンプリングだからこそ、その曲は良かったんじゃないのかなっていう思いもあります。「Loud Minority」に関しても、例えばライブでそれをやるとしたらもちろん盛り上がるわけです。ただ、自分の場合はそれをライブでプレイすることもそうなんですけど、あれよりも新鮮な驚きが生まれないのであれば、カバーするのってどうなんだろうという気持ちがありました。
なので90年代の後半の作品が多いかな。というのはそのころ、権利問題をはじめサンプリングミュージックが飽和状態になって、今度はそれを打ち込みや生で新たに作るというフェーズに入ったと思うんです。そこにはDJにしてみればより音楽的な要素が生まれて来ていて、だから先に進んだ感じがしたんですね。その楽曲を今ライブで“生”でやり直すとしたら、その時代の“生”で動き出したシーンのところを切り取る方が伝わりやすいんじゃないかなと、曲を絞り込んでいく中で必然的にそうなりました。
例えば、素晴らしい作品として残っているヤング・ディサイプルズの「Freedom Suite」は15分あるんですけど、あれを生でやり直して、マルコとフェミ、カーリー・アンダーソンが聴かせて、“わぁ! これフレッシュね!”と言わせる自信がないというか……逆にあれはあのままでいい。“サンプリングアート”として、そこにソングライティングも含めて素晴らしいものに作り上げられたものなので、それはそのままでいいんじゃないかな。その次のステップのあたりから、やり直すものとしての興味を感じたのかなと思います。当初はここも含めて考えていたんですけど、なんか嘘くさくなっちゃうなって気がしていて……(笑)。
──アシッドジャズ30周年だからあえてやってますと……?
松浦 そこはジャイルスも言ってましたけども、U.F.O.にいた自分がやることで有無を言わさないってことになるかも……(笑)。当然それを言われるってことを覚悟の上なんです。ただ、それがあるからこそ良い物を作らなきゃいけない。自分が何かをする以上、ミュージシャンじゃない自分=DJが音楽をわざわざ作る理由を考えたときに、DJだから曲を選ぶだけでいいじゃないかというのがずーっとあると思うんですけど、それを25年経ってやるっていうことの意味に、最初にお伝えしたバトンのことと、今みんなが思っているアシッドジャズやクラブジャズみたいなものとは、当時は全く別のものが存在してたし、そのスリリングさみたいなものが今はない。周りから“アシッドジャズの焼き直しだよね、おじさんが”って言われたとしても、おじさんであることは変えようがないし(笑)、ただ、ちゃんと作品を聴いてみてその批評を発信してもらいたいという気持ちはあります。
──本作はアシッドジャズというより、ジャズのアルバムだなと思いました。ただ、その中で「L.M. II」だけちょっと違うものに聴こえたんです。
松浦 そもそもこのプロジェクトはHEX2から動き出して、TOSHIO MATSUURA GROUPになって、アルバムのコンセプトが生まれたんですね。とあるインタビューで、“松浦俊夫”というイメージからすると、今作とHEXは順番が逆だったのかもしれないと言われたんです。
自分をよく知っていてくれている人からすると、僕にはいろいろな音楽的嗜好があって、作品が多方向に飛んでいくのは当然のこと。ただ、今回の方が一般的なリスナー向けなのかもしれないと……HEXは若い日本のミュージシャンと一緒にとにかく挑戦的することを念頭に置いてため、よりオルタナティヴな方向へ流れていった。で、今回に関しては、過去の楽曲を今やり直してフレッシュな作品として聴かせることをコンセプトになったので、挑戦の意味合いが違う。結果的に「LOUD MINORITY」をカバーする過程において、準備段階からすごく葛藤があって……スタジオの中でもああじゃない、こうじゃないと。その結果、出来上がったものが、もしかしたら次のHEXにつながってくるんじゃないか、作り終わったときにそう感じたんです。セッションが終わった時点で「あ、これだ」って、次のテクスチャーみたいなものが見つかったんですよね、不思議なことに。
──「L.M. II」を除きますが、今回の作品はなぜカバーなんでしょうか?
松浦 当初は全曲カバーのつもりだったんです。過去、「LOUD MINORITY」のライブ演奏で自分が関わったものは3回。やってくれた人には申し訳ないけれど、オリジナルが一番いいなと思ってしまったんです(笑)。それはDJだから言えることだと思うんですけど。 ただ、もともとあの曲は盛り上がるために作ったんじゃない。どちらかというとロンドンのジャズダンサーたちが踊れないくらい速くて、かっこいい曲を我々日本人(全員じゃないですが)が作ろうじゃないか、というのが根っこの部分なんです。それを25年の節目でもう一度、あの曲の持っているスピリットを今の時代に蘇らせるというか、リプレゼンテーションできないかと思ってあえて選んでみたものの、その3回のライブで自分的にはどうしても満足しきれない部分があって……カバーをしておきながら、「LOUD MINORITY」らしさを、抜いていったらどうなるだろうってところに行き着いたんです。
とにかくプレイヤーの演奏をレコーディングし続けて、結果30分、3人がセッションしたものをエディットして「L.M. II」が出来上がった。こうなってくるとジャズの人にはジャズって言われないと思うけど(笑)……CANみたいなところもあるし、自分の目指してたものも、リキッドルームの壁面にあった“JAZZ/ALTERNATIVE”みたいな感じなのかな。今自分が感じている「LOUD MINORITY」を生演奏でやるならこういうことなのかもしれない。自分にとってはこれが新しい「LOUD MINORITY」で、こういうものが作りたかったんだなと思う。ジャズとしての「LOUD MINORITY」とオルタナティヴとしての「LOUD MINORITY」が2つ横に並ぶ感じ、そういうのができた感じがしたんです。
■リスナーに刺激を与えて、受けた人たちがそれぞれ

■次にどうアクションを起こしてくれるか
──DJが作る生演奏ジャズアルバムというと、沖野修也さんのKYOTO JAZZ SEXTETがタイムリーで、ある意味、対局的な作品だと思いましたが……。
松浦 沖野さんも知り合って30年くらい経っていて、お互いにジャズってキーワードの中で活動はしているものの、違うものという共通の認識がある。そんな中で、それぞれが感じる“ジャズってなんだろう?”ってところで、それぞれの作品として世の中に出ていっている。最初の話に戻りますが、それがいろいろなアーティストやDJ、バンドがいて、シーンとして捉えられてくれればと思います。その玉がいかんせん少ない。僕と沖野さん、あとは(須永)辰緒さん、その3人に集約される。もちろんU.F.O.はあるし、若い人たち、例えばWONKやD.A.N.みたいなバンドが出てきたり……本当はもっとDJレベルでそういう人たちが出てこなきゃいけないと思う。以前よりもっとDJが細分化して、好きなものをかけているかもしれないけど、それがシーンの屋台骨になっているのかどうか、すごく疑問に感じている部分なんです。そういうことを踏まえて、“自分のジャズ”を求めてほしい。
90年代だったら竹村(延和)くんがいて、サイレント・ポエツがいて、MONDO GROSSOがいて、ボアダムスがいて、ジャンルは違えど、ひとつのシーンとして語ることができた。例えばECDさんもそうだけどレゲエのトラックでラップしてたり、その段階でかなりオルタナティヴというか。その横にジャズを志向する人間がいるのもおかしくなかったし、ロックの人もいたわけだし。そこで、シナジーが生まれていたんです。ジャズだけじゃなくて、日本のクラブシーンとして、ね。それを考えると、日本のクラブシーンは大きくなったんだけど、実はシュリンクしてるんじゃないかと思いがあります。
今回の作品はジャズを嗜好している人じゃない人にも引っかかってくる楽曲が何曲もある。そこでそういう風に感じてくれるか。U.F.O.のときも同様、リスナーに刺激を与えて、受けた人たちがそれぞれ、次にどうアクションを起こしてくれるかっていうことが重要なんです。20数年経っても同じことを言ってるんだなと感じますね。
──松浦さんがデビューから第一線で活躍できている理由ってなんだと思いますか?
松浦 第一線かどうかはさておいて、10代のときに自分がどうなるのか、夢も何もない状態で世の中に出ていたようなものなので、そこで音楽という思いがけないところで、思いがけないものに救われて、しかもそれが“ジャズで踊る”というキーワードだった。そこに対しての接し方は仕事じゃないから、という気がしています。使命として思い続けている。それがたとえジャズという形でないとしても、今自分が嗜好しているもの=オルタナティヴなところにアウトプットしようとしているのも、次のフェーズに移ってきてきてるのかなと感じてますし、その結果があの“異質な”曲(「L.M. II」)になっているのかもしれないな、と思います。
取材・文:BARKS編集部

撮影:鳥居洋介

『LOVEPLAYDANCE』

2018年3月7日(水)リリース

UCCJ-2153 3,000円+税

収録曲 1. CHANGE(Bugge Wesseltoft, 2001)

2. HIGH NOON(Kruder & Dorfmeister, 1993)

3. L.M. II(New Original, 2018)

4. I AM THE BLACK GOLD OF THE SUN(The New Rotary Connection, 1971 / Nuyorican Soul feat. Jocelyn Brown, 1997)

5. KITTY BEY(Byron Morris And Unity, 1974)

6. BROWN PAPER BAG(Roni Size Reprazent, 1997)

7. DO THE ASTRAL PLANE(Flying Lotus, 2010)

8. AT LES(Carl Craig Innerzone Orchestra, 1993/1997)

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