儚さと美しさの先にあるもの、清春
今の音楽に必要な日本らしさ
1991年に黒夢のボーカルとしてデビューした清春はその後、SADSなどでも活躍。2003年にソロ活動を開始し、ソロとしては13年、ミュージシャンとしてのキャリアは25年を有する。目下、現在の音楽環境は、再生端末の高度化や軽量化、通信速度、データ圧縮技術などの技術的進歩によって、より聴きやすい恵まれた環境にある。その一方で、楽曲は情報化され、じっくりと向き合う時間が少なくなり、音楽価値低下の懸念も言われている。長らくロック界でカリスマ的存在として支持を集めてきた清春はこうした状況のなかで「邦楽を見つめ直すことが必要」と提言している。
【インタビュー前編】清春が考える「終わりの美学」、黒夢を引き継いだ証「天使の詩」
ボーカリストが美を追求する背景
――清春さんは黒夢、SADSで人気を集め、現在はソロとして活動されています。巷ではよく「ボーカリストは孤独」と言われていますが、そう感じる事もありますか?
歌ってるだけですからね(笑)
――メインでありプレッシャーなどもあると思います。
ボーカリストは世界観と美学を極めるしかないんですよ。キャリアも含めて、圧倒的に深いものにしていくしかないと思うんです。“存在感”というか。理想の形は色々あると思うんですけど、若い頃にやってた事が自分の中で通用しなくなってくるので。玉置浩二さんとか井上陽水さんとか、その人だけが歌える歌があって、作曲能力もハンパじゃなくて、ステージに立ったら「知らなくても観ておきたい」という感じになれればいいんですけどね。
――そういった世界観は今だから歌えるという所もあるのでしょうか?
そうですね…。上手いフラメンコダンサーとかは熟女だったりしますしね。僕なんかもそうなんですけど、だんだん人として枯れていくので、枯れる前の「一花咲かせたい」というようなのがあるんじゃないですかね。
――最終的に行き着くのはインド音楽という話もよく聞きます。
なるほど。“人生の境地”みたいな。
――インド音楽はどうでしょうか?
スパニッシュもそうですけど、音階的なものが全然違うんですよね。YouTubeでスパニッシュのギタリストなどの映像をいくつかチェックしているんですけど、再生数が凄いのよ。僕らが全然知らないようなフラメンコギタリストやダンサーやシンガーの映像の再生数が滅茶苦茶すごいんですよ。普通に100万、200万回とか。インドもそうですけど、極点な話し、あの地域ってロックってあんま無いじゃないですか?
――たしかにスペインやインドではあまり聞かない気がします。
インドやスペインでもテクノやダンスミュージックとかあるかもしれないですけど、国の音楽が根底にあるので、そういうのは素晴らしいと思います。日本人ももっとそういう部分があってもいいなと思う。かといって演歌とか民謡とか、和楽器を使うとかではなくて、普通にロックをやっていて意識しなくても“日本人”というのが出ていくるのが普通かと思いますね。そういった意味ではヴィジュアル系、ヴィジュアルロックというものは、その中でも2割くらいは日本にしか無い音楽として体現しているのではないですかね。
――意識しなくても出てくる“日本のもの”とは何でしょうか。
メロディでいうと、ヴィジュアル系って“わびさび”が多い。日本の音楽も今すごく多様化されていて、もはやよく分からないんですよね。最近のギターロックとか歌の裏でずっとギターが細かいメロディ弾いていたりとか。僕らの世代だと根底にハードロックがあるので“様式美”なんですよね。けど、様式美ではない、新しい色んなものを消化した宅録から始まり、ちょっとラップも入って、アンビエントもあって、よく分からないのが多いよね。
良い面もあるんでしょうけど、それは外国人がやった方が良いんじゃないかなと思ったりしますね。だから日本にしかないものというのが必要なのかなと。僕はあんまよくわかんないですけど、BABYMETALとかは外国人から見たらそう感じるんでしょうね。“カワイイ”と“アイドル”という日本の文化とメタルの融合が日本人らしく感じる事があるんでしょうね。でも本当なら例えばですけど、松崎しげるさんの「愛のメモリー」とかが世界的にヒットしてもおかしくないんじゃないかなと思うんですけどね。日本代表みたいな音楽として。
海外っぽい音楽もいいけど、海外音楽をまともにやろうとするとみんな壁にぶつかる。それはなぜか。海外のものを聞けばいいからに決まってる。いくら英語を勉強しようが日本人は日本語で歌えば良いんですよ。
英語ではないインドやスパニッシュとかには、そうではない母国語の音階が普通にある訳ですからね。韓国のミュージシャンにしても、日本ではウケているけど、全てが世界でウケている訳ではない。海外用に作っていたとしてもね。
邦楽っぽさを恥ずかしいと思うのは…
――日本ならではの事をもっと見つめ直す必要がある?
自然に出てこなくては駄目だと思うんです。僕らなんかはキャリアが長くなっていてちょっと開き直れるところもあるんですけど、「これちょっとダサいな」と日本人が思うものってだいたいが邦楽っぽいもの。それをダサいと思う節がある。でも今聴くと、凄いのはいっぱいあるんですよね。中島みゆきさんとか安全地帯とかもだけど歌謡曲や昔のニューミュージックと呼ばれるものには凄いものがいっぱいありますよね。
その人達も決して洋楽を聴いていない訳ではなくて、いち早く「日本の音楽とは何か」「日本でやっていくには」という事を考えた人達なんですよね、きっと。でも今は完全に違ってきているんですよ。若い子達もそんなに音楽を聴いていないじゃない? 情報として幅広く聴いているけど、グッと2、3個のバンドを凄く愛しているというのってあまりないと思うし。でもみんなお父さんとお母さんから生まれているので根底にはあるんですよ、そうしたものの考え方が。
たまたま僕は世代的にハードロック、ジャパニーズメタルだったので、あの流れを完全に汲んでいるですよね。ジャパメタはかなり叙情的だし、それを聴いてきた事によって歌謡曲をふと聴いてもすんなりと耳に入ってくる、抵抗もなく。僕らの傲慢かもしれないけど、邦楽っぽいのを恥ずかしいと思っちゃうのはあまり意味ないんじゃないかなと思うんですよね。
80’sとか90’sっていうのは60年代、70年代の音楽を汲んでいるんですよね。徳永英明さんたちがカバーをやったりして。昔のヒット曲を徳永英明さんが歌ったのをなんで聞きたくなるのかってことに目をむけないといけないよね。
音楽の情報化が与える影響
――サブスクリプションの登場によって、音楽の作り方が“出だし重視”になってきているという話を聞いた事があります。そうなってくると楽曲の形態にまで影響を及ぼしてしまう気がします。
最近聞いた事があるんですけど、売れている色んな要素を詰め込むんですって。今売れているアーティストがいるとしたら、そのアーティスト風の鍵盤パートとかを入れ込んだりしたりして、何万人かが聴いたものを積み重ねていくと、聴感上、聴きたくなるというデータがあるんですって。
今は文明の進化に音楽が付随して、いかにスムーズに聴けるかとか、お金払っていたものが無料になってしまったとか、そうなってくるんでしょうけど。CDが売れなくなってきたから、ライブやフェスを中心に、となってきて雑多な音楽が増えて…。でも、時代は繰り返すので、ゴチャゴチャしたものからシンプルなものになる時も来ると思うんです。長年やっているという事はそれを見ているという事なんじゃないかなとは思います。
何年か一度に「これいい曲だよね」って売れる時があるじゃないですか? 平井堅とかJUJUとか。“いい曲”が流行るというのが日本の音楽が成長する時だと思うんです。どうしても今はまだドラマやCMとのミックスでしかないけどね。
“美しい”“儚い”を追求して初めてアーティスト
――売上や成果への意識が先行して行動するのではなく、「何かをした結果、売れた」という“理念主義”といいますか、そうした感覚の方が良いのでしょうか?
CDが売れるのか、人が入るのか、何なんでしょうね? 僕らもCDが売れるなんて全く期待はしていないんですけど、「じゃあ永遠にライブをしていくしかないの?」って。ライブをしていくというのは体力的にも限界を見る。じゃなくて理想はいい曲を作るしかないっていうのなら良いんですけどね。お芝居で言ったらいい演技をするとか。感動するもの、自分も入り込めるものを作る事しかやりがいは無いので。
「あの人達は良い曲を作ってるね」と言う人が100人中10人、5人でもいてくれた方が人生の役割的には良いと思うんです。自分の曲のファンになってくれた人達に出来る事をする、人が人に出来る事をするという事の方が魅力的じゃないですかね。一時に滅茶苦茶に売れてお金を稼げるよりかは。そういう時もあっていいと思うんですけどね。僕らもそれを経過してやってきているので。
でも長くやっているというのは自問自答の世界なので、「どういう事をしていくか」しかないんじゃないですかね。芸術家は結局「美しいものとは何か」という所に行くんじゃないですかね? 大衆を批判、否定する事はアーティストとして当たり前の事で、それは売れてようがそうでなかろうが、年取ってもそういう精神を持っていないと駄目だと思うんです。「これもいい、これもいい、全部いいよね」って口では言っているけど、腹の中では全然良いと思っていない、「自分のが最高だ」と思っているのがアーティストだと思う。だから、最終的には“美しい”とか“儚い”とか、そういう事にいかざるを得ないんじゃないですかね。いかざるを得なくなって初めて「アーティスト」「ミュージシャン」と呼べるんじゃないのかな。
歌番組とかで「アーティストの皆さんどうぞ!」みたいのってあるじゃない? あれは呼び方であって、本当の呼び方ってありますよね。本当に考えてデザインして服を作るデザイナーもいれば、そうじゃないデザイナーもいるように。
どんな職業でもそうですけど、「答えがないな」と気付いた人が、その道に最初に入った人から見れば「答えをちょっと知ってる人達」に見えるんですよ、多分。みんな答えが分からないから色んな事をやっているんですけど、それは「答えがないんじゃないか?」という事にぶつかる予兆なんですよね。僕なんかもいまだに全てにおいて音楽には答えがないなと思うんですけど。
最終的には、「10曲作って、この3曲目は美しいな」という、この満足しかないんですよ。その3曲目はファンの人には人気がないし、一般的には知られていない曲なのかもしれないけど、自分は長年ミュージシャンをやってきて、「この曲は自信を持てる」という。「この曲いいですよね?」って聴いてもらって「イイですね!」って言ってもらえたら、もうそれでいいんじゃないですかね? たくさんの人達の耳を通過して、「人生の応援歌、代弁してくれるアーティストだ」と思ってくれる人もファンの人もいるんですけど、その人達の期待を受けつつ、裏切らず、でも、最終的には自分自身の作品を評価出来て好きになれる曲だったりフレーズが何個あるのでしょうか、というのでしかないんじゃないでしょうか?
この曲すごい売れたんだけど、イマイチ自分では好きじゃないだよなという曲もいっぱいあるし、「忘却の空」という曲があるんだけど、昔「ドラマ観てました」とか言ってくれるけど、自分的にはあの当時のテイクとかは全然聴きたくないというのがある。曲は嫌いじゃないんだけど、「何この歌い方」とか「ありえない。美しくない」とかね。それがミュージシャンだと思うんです。自分を否定し、人を否定し、最終的には凄く範囲の狭い一部分に満足して死んでいくという…。それが美しい事と思っているんです。何が一番良いのかいまだに分かるわけもない。
自問自答で生まれるアート
――逆に答えが見つかる時は、それこそ死ぬ時なのかなとも思ってしまいます。
死ぬまで分からないでしょうね。
――死んだ後にまた評価されてまた分かってくるかもしれないという事も。
早くして死んだ人はみんな評価しますけど、もし生きていて10、20年後に傑作を作るかもしれないですよね。だから“惜しい”と言われるのはそういうミュージシャンですね。俳優とかも年配になってからの演技の方が素晴らしいですよね。それに到達出来るか出来ないかというのって、人生どれだけ生きられるかとか、長く生きられたから到達出来るかと言ったらそうでもないと思うし。丁度良い年齢というのがそれぞれにあると思うんですよね。
先輩のミュージシャンでもいまだに「どういう音楽を作ればいいんだ?」と自問自答しながらやっている先輩はカッコ良いし、焼き直しをしている人はカッコ悪い。それは生活の為にやっている事であって、アートではないです。だからミュージシャンってどこかおかしいんですよ。どこかおかしくないと駄目だというか。一般的に見たらちょっとおかしいんだという方が、理解不能な世界まで行っちゃわないとミュージシャンとしてカッコ良くいられないというのもあるんだとは思います。
街を歩いていて、芸能人であれば分かるんでしょうけど、ミュージシャンは普通に歩けるんですよね。僕らはそういう世代ではなく、やはりミュージシャンというのは有名で一番カッコ良くないと駄目だという世代だったんですよね。音楽をやってたらモテるとか、そういう感じだったんです。まずカッコ良くいたいんですよ。ほとんどの人はちゃんとして真面目に暮らしている中で、そうなれなかったのがミュージシャンなんだと思うんですよね。
音楽を通じて、ライブを通じてとかで一般の人達を幸せに出来るような変な仕事なので「この人ちょっと変だな?」じゃなきゃおかしいと思うんですよ。僕なんかはまだまともだと思うんですよね。例えば、ノーベル文学賞を受賞したボブ・ディランの言動はやっぱり面白かったですよね。
それなんですよ。多分ミュージシャンって。「おかしいでしょコレ」って一般的には思うような事。「先約がある」とかおかしいですよ(笑)。その“おかしい人”が、日本ではゲームを作ったりとかしますよね。「こいつちょっとおかしいよな…」って人が凄い人になっちゃったりする今、アーティストは真面目なんですよ。
――真面目な人とはあまり合わないですか。
根が真面目な人はすごく好きなんですよ。ちゃんと仕事をする人とかはいいんですけど、ライブとかをやるには真面目過ぎる人だとつまらないんですよ。普段真面目な人っていうのは、作るのも真面目なんですよ。だから何にも面白くないんですよね(笑)。本当に凄いものを作る人は不真面目だと思うんです。
――真面目でない人が非現実的なものを生み出すパワーを持っているのかもしれませんね。
根が真面目とかは良いんですよ。マリリン・マンソンやカート・コバーンもそうかもしれないですけど、やはり何かブッ飛んで欲しいじゃないですか? だから観たい訳で。「なんか真面目だなあ…」と思う人の音源もライブも、何だか説教を聞かされている様でキツいんだよね…。(編注=マリリン・マンソン、米ロックミュージシャン、カート・コバーン=米バンド「NIRVANA」のフロントマン)
おわり
(取材・木村陽仁)
作品情報
清春 天使の詩 '17 「夜、カルメンの詩集」 「CARMEN'S CHARADE IN DESPAIR」会場限定盤シングル 『夜を、想う』 ▽収録内容 ○TYPE A (lc-0001A) ○TYPE B (lc-0001B) CD 1月26日(木) 恵比寿LIQUIDROOM公演より販売開始予定 |
ツアー
清春 天使の詩 '17 「夜、カルメンの詩集」 『CARMEN'S CHARADE IN DESPAIR』 1/15 (日) duo MUSIC EXCHANGE ※FC ONLY |
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