ピアニスト務川慧悟が語る、5夜連続
リサイタル 実験的な試みも加え新た
な挑戦の一歩を

パリを拠点にするピアニストの務川慧悟。毎年12月に日本でリサイタルを開催している。今年はついに、東京の浜離宮朝日ホールでAB両プログラムとさらにABの混合プログラムによる5夜連続演奏会という初の試みに挑戦する。また、各プログラムに明確なテーマ性を持たせるのも今回初めての挑戦だという。
バッハの深遠な世界にはじまり、自らの心の内をさらけ出すかのような親密な内容ありと、務川ならではの考え尽くされた多彩かつ意欲的なプログラム。演奏会に駆ける抱負を聞いた。
熟考して作り上げた初めて尽くしの企画
―—Aプログラムはバッハ作品を軸とした世界の広がり、そして、Bプログラムについては務川さんご自身「内向的な作品ばかりを集めた」とおっしゃっています。AとBの連続演奏会に加えて、さらに最終夜にABを組み合わせた特別プログラムを交えての企画を打ち出した意図は?
AプロとBプロの関連性については特に深い意味を持たせていないのですが、明確なテーマを掲げたプログラムで演奏会をやったことがないので、今回初めて挑戦してみようと考えました。もちろん、今までも構成についてはかなり熟考してきましたが、(一つの演奏会にテーマ性を持たせることを)必ずしもポジティブには捉えていなかったんですね。なぜなら、僕自身の中では、タイトルが付けられるほどの明確なテーマを設けることで逆にある種の世界観に縛られてしまうのではないかという思いがあったから。ただ、実際にやったことがないので、まずやってみようと思い、今回かなり時間をかけて考え出してみました。最終夜のAB混成特別プログラムは、ちょっとした実験的な試みという感じでしょうか。(*筆者注:ABプロについては後半部で詳しく触れる。)
―—そして、プログラムAとしてバッハ作品と、それらの作品からインスピレーションを受けたトラスクリプション(編曲)作品による世界というのが浮かび上がってきたわけですね。そもそも、務川さんにとってバッハの存在とは?
僕にとってバッハは最も自然体でアプローチできる作曲家の一人です。特に僕自身、趣味としてチェンバロをはじめとする古楽器を演奏するということもあり、僕の中で自由自在に音楽を感じられる、演奏できると思えるのがバッハ作品なんです。特に舞曲に関しては本当にそう感じています。そもそも、バロック期の作品というのは即興の要素が大きな意義を持っていた時代ですので、ある種の枠組みの中で縛られる必要もない訳ですし……。
―—それは、現在お住まいのパリで古楽器の勉強を通して得た感触でしょうか?
チェンバロを弾いてみて、というところが大きいのですが、現在パリで勉強しているフォルテピアノとはまた別のもののように感じています。というのも、チェンバロに関しては僕が勝手に楽器のある部屋に入り込んで興味半分から弾いていた感じなので、趣味の領域に近い“楽しみ”の中から見出した思いなんです。楽しんで弾いていたせいか、僕自身のバッハ感も大いに変化しました。
Aプロ:色褪せないバッハの作品
―—先ほどお話頂きましたが、Aプロの構成感とテーマ性について少しお聞かせください。
まずは前半と後半で世界観を分けてみました。前半はバッハ「フランス風序曲 ロ短調」全曲とフランクの「プレリュード、コラールとフーガ」の二作品で構成しており、その後に休憩を入れる予定です。前半は円熟したバッハの長大な作品とフランクの重厚感あふれる作品を通して、バッハの精神的な偉大さというものに焦点を充てた選曲になっています。
ロ短調作品というのはピアニストにしてみれば一番弾きづらいものだと思うのですが(「長い指で手前のキーを弾いて、短い指で奥のキーを弾くという物理的な配置の問題」と務川談)弾きにくいがゆえに精神的な面で深い傑作が多いというように感じています。
もう一つ、冒頭の「フランス風序曲」というのはバッハのピアノ作品の中でも「ゴールドベルク変奏曲」に次ぐ大作だと思っています。この作品を全曲演奏できるというというのは何よりも嬉しいですし、当夜の聴きどころの一つとと自負しています。僕自身、かつてすごく時間をかけて勉強した作品ながら演奏する機会がなかったので、ようやく実現に至り、感無量です。
―—後半は多様な作曲家作品も登場しますね。
後半は近代作曲家たちが描きだしたバッハ作品によるトラスクリプション(編曲作品)数曲の間に唯一バッハのオリジナル作品である「半音階的幻想曲とフーガ」を挟んでいます。近代的な作曲技法が駆使された20世紀の作品に挟まれてもバッハのオリジナル作品がまったく引けを取らない、色褪せないものであるということを感じ取って頂けたら嬉しいです。
もう一つは、近代の編曲作品も重ね合わせることで、バッハ作品におけるもう一つの本質的な部分、すなわち技巧的な側面を浮き彫りにしたくてそのようなラインナップを考えてみました。バッハというと人物や作品の偉大さや深遠さというイメージが先行しがちですが、偉大なオルガニストであったバッハの ”ヴィルトゥオーゾならではの作品” という側面を皆さんに感じ取って頂けたらと考えています。
―—そのような意味では後半はバッハ=ブゾーニ編曲による「シャコンヌ」が、ある種の頂点ともいえるのでしょうか。
ブゾーニによるバッハのシャコンヌ編曲作品は賛否両論あるようですが、僕個人としては大好きで、ブゾーニのバッハへのリスペクトというのものがとても感じられます。メカニズム的にも近代ピアノという楽器の端から端までを無駄なく盛大に用いていて、超絶技巧と言っても過言ではないほどのヴィルトゥオージィティがいかんなく発揮されています。
要するに、「バッハにいかに寄せるか……」という視点からではなく、バッハ作品を「近代のメカニズムを持ったピアノで演奏したらどうなるか?」という問いからすべてが始まっているんですね。少なくとも僕はそのように捉えていて、それはそれで途轍もなく偉大な世界であり、すばらしい発想と創造性に満ちた作品だと思います。
―—他にもレーガー、ショスタコーヴィチの作品が並んでいますが、それぞれのバッハ観について、務川さん自身どのように考えていますか?
レーガーやブゾーニというのはつねにバッハ作品の中に新しいものを見出していました。彼らは主に19世紀後半から20世紀前半に活躍した作曲家ですが、近代の作曲家にして「新しさはいつもバッハの中にある」というようなことを公言していたくらいです。
Bプロ:大きな流れの美しいつながりを
―—Bプログラムについては、どこに頂点を持ってくるのか?という点でまず興味が湧きます。
一言で言うと、自分自身でも実に地味なプログラムだと思っています(笑)。どの作曲家も、もっともっと人に聴かせるための作品をたくさん書いているのに、「あえて自分自身のために書いたのではないか……」、「これは単なる日記なのではないか……?」と思えるような作品ばかりを集めてみました。
というところで、Bプロに関しては明確なコンセプトに打ち出されたラインナップというよりも、一つひとつの作品が一連の大きな流れとしていかに美しくつながってゆくか、という点を感じ、捉えて頂けたらと思います。多分、曲目だけではどんな内容かを想像するは難しいと思うので、ぜひ実際に聴いて頂いて、初めてそのような思いを感じて頂けたら僕としては嬉しいです。
―—内向的な作品群ながらも、むしろ「内に燃える」という表現がふさわしいともいえますね。
はい、ショパンのバラード4番などはショパン自身が最も辛い時期を過ごしていた頃に書かれた作品で、全般的に暗さを感じますが、ものすごく内に秘めたエネルギーが感じられます。
ラフマニノフの作品(コレルリの主題による変奏曲)も、彼がアメリカに渡って創作数も激減した中で書かれた唯一のピアノソロ作品で、若い頃の作品にはない世界観が感じられます。バロック期の作曲家コレルリの弦楽作品によるテーマが様々なかたちで発展し、第20変奏まで展開してゆくのですが、頂点に達し、フィナーレを迎えるところですべてが崩れ落ちてゆく……。「やっぱりダメだった……」というようにラフマニノフ自身、心の中での諦めのようなものがあったように僕は感じているんです。壮大な塔を築き上げようと意気揚々と突き進んでいたところで、たった一つの音によってそれらの思いがすべて崩れ落ちてしまう……というようなイメージと言ったらよいでしょうか。

―—そのような葛藤や失意に満ちた作品であえてプログラムを締めるという…。務川さんご自身、このプログラムに対して「人前で演奏するには勇気のいるプログラム」と(ツイッター上で)吐露していた理由がわかるような気がします。

作曲家自身の私的な思いや複雑な感情に深く根差した内向きの曲に加えて、僕自身、自分自身のために演奏したり聴いたりしてきた思い入れの深い作品を配置したことで、僕の中ではこれらの作曲家との強いシンクロ感みたいなものも感じているのですが……、そのようなラインナップを皆さんにお聴かせすることに対しては何となく心配しています……みんな寝ちゃうんじゃないか、って(笑)。
ドビュッシーの前奏曲第II集も、水墨画のようなイメージがあって、大きな陰の中に一条の光が差し込むような渋みのある世界観が僕は大好きで、フランスに留学したての頃、本当によくCDを聴いて励まされていたのを覚えています。留学して最初の頃は楽しい事ばかりではなかったので、パリの街を彷徨いながらよく聞いていた思い出があります。
―—実際、10月末に軽井沢の大賀ホールでこのプログラム(Bプロと同一内容)を演奏していますが、その際はどのような感触でしたか?
大拍手で盛り上がるというより、演奏中も、演奏後も僕自身がこのプログラムに意図したように、シーンと、しみじみとした空気感を創りだしてくださってとても嬉しく思いました。
―—ABプログラムともに二夜連続公演の設定ですが、同一プログラムで二夜連続となると、「同じようであっても欲しいし、同じようであって欲しくはない……」という思いもおありではないでしょうか。特にBプログラムなどは。
そうですね。それこそBプロは僕の心の中を反映したような親密な部分もありますので、その場に醸成される空気感とともに感じるままに演奏したいという思いがあります。僕としたら、アットホームな空気感が実現できたら本当に理想的、と感じていて、それこそ「家でリラックスしてベストな状態で弾けるような雰囲気があったら嬉しいな」というのを何となく描きだしています。そんな僕の中の理想空間をできる限り多くの聴衆の皆さんと共有したいと考えています。
最終夜・AB混合プログラム:サプライズ的な要素も加え”実験的”に
―—最終夜の12月8日はAプロとBプロの混合特別プログラムということですが、もう少し内容を聞かせて頂けますか。
ABプログラムを混ぜつつ、その中にもない作品を少し加えて、という構成になると思います。内容的にはそのような方向性で考えているのですが、もう少しサプライズ的な要素も加えようと思っています。これは、今、僕が生活しているパリでジャズバーに行ったりして感じたことを反映するかたちです。それ以上はオフレコで(笑)。今までの僕の演奏会にはないスタイルかもしれないので、ぜひご期待ください。動機としては、デビューしたての頃は、とにかく演奏会というのは全身全霊を込めて、という感じだったのですが、「もう少しアットホームなところがあってもいいのかな……?」と思える余裕がでてきたんですね。
―—最終夜のABプログラム混合だけではなく、AプロとBプロすべてを聴くことによって新たに見出すことがあるかもしれませんね。
最終日はある意味で僕自身の中で実験的な意味合いもあるので、むしろ、AとBそれぞれのプログラムをぜひ聴いて頂けたらと思います。
―—5夜連続ですと大コンクールを経験している務川さんでも体力的にも精神力的にも大変ですね。
確かに集中力を保つのは大変ですが、演奏日程に間が空くよりは、僕自身の中でつねに ”舞台モード” が続いている、という意味で意外と良い演奏が実現するのではと自負しています。間が空いてしまうと日常モードから舞台集中モードに持って行くのにやはりかなりの時間もエネルギーも要します。
―—ちなみに楽器はホールにあるピアノを使用予定ですか? 今回のプログラミングだと、古楽器の響きに近いような特殊な楽器を選定するなど、それなりのこだわりもあるのではと想像してしまうのですが。
コンサートピアニストとしての活動においては、むしろ近代ピアノの良さを活かして演奏することにベストを尽くしたいと思っています。もちろん、古楽器で学んだエッセンスは取り入れたいと思っていますし、そのような趣向が少しでも自然に滲みでていたら嬉しいと思いますが、僕自身、近代メカニズムを持ったピアノが一番好きですし、その点に一番信頼を置いています。
―—最後にファンの皆さんにメッセージを。
どちらも昔からやってみたかった内容のプログラムですので、共に今ようやくかたちになったことで僕自身もとても楽しみにしています。浜離宮朝日ホールは僕自身、特に信頼するホールですし、大好きな空間です。繊細なニュアンスが大変よく伝わる音響を兼ね備えていて、こうしたプログラムには理想的な空間だと思いますので、そういう空気感をぜひ一緒に創りだしに会場にお越し頂けたら嬉しく思っています。
取材・文=朝岡久美子 撮影=池上夢貢
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