泉 彩世子『脳内ジュークボックス』
- 第15回 「氷の世界」
井上陽水 -
私の心にひっかかって、揺らしていく、そんな唄たち。リンクする想いや情景を絵にしてお送りします。
小さい頃、保育所にて、
「辛くはないんやけど、どっかなんか居心地悪いなあ」
と思っててん。
一桁年齢でなんやその感情…と思うねんけど。
当然その年齢なりの人間関係とかポジションどりみたいなものがあるわけで。
きっとパワーバランスとかピラミッド的なものも存在したんやろうね。
性格って育ち方や環境で作られていく部分も多いけど絶対的に持って生まれた質ってあるやん。
私の場合、なんか、とにかく、器用なほうではなかったと思う。
いっつもサイズ合ってへん服着てしまってるみたいな感じがしててん。
自分でその服がおっきいんかちっさいんかわからへんくて常に困ってるかんじやった。
というかずっとそんな性格やけど。わかる人おるやろ??
気が強い風味で、目立ちたいねんけど、恥ずかしがりがひどかった。
ピラミッドの頂点を必死で目指すねんけど、全く別のとこで自由に動いてる子を心から羨ましがってた。
…わかりやすくいうとこんなかんじ。
その自由に動いてた子とは今もよく会う。
というか大人になってから仲良くなってん。
今その子を見てても面白いなぁ~と思う。
カッコいいなぁ~とも思うし、憧れる部分がたくさんある。
でもどうしても、その子みたいに生きれる気はしない。
変に自分を下げて優劣つけるわけじゃなくて、質が違うなって思う。
どうやっても真似できひんねんな。考え方も振る舞いも。
だから見てて面白い。助けられる。
でもなにより面白いのはその羨ましい感情を20年以上も持ち続けてること。
ほんまに私はず~っと変わってないなと。
そしてその子も5歳のときからその子やったんやなと、思うねんな。
ほんでな、自由に動いてる子を羨ましがっていたのにいつのまにか自分がこんな仕事をしてるのも不思議。
仕事とプライベートの境目もないしな。
もう、平たく言うとさ、売れてないミュージシャンって"世間から見たら"好きなことだけをしてる自由人なわけやん。
自分は何かしらのラインにそって上を上を目指してきたつもりやってんけど、いつのまにか我が道だけ視界に入れて生きてる人間になってる。
こんなに自由やのに、なんか窮屈。
反対に、堅く生きてる人もきっと、一方ですごい不安を抱えてるんやろうな。
生きるってややこしいな。
青春っぽいことを言ってられるのは、好きなことだけやってるからやろうな。
結局、我が侭なんやろうな。
ま、そんな保育所でな、心にひっかかった先生がおってん。
好きでも嫌いでもないねんけど…なんか、ひっかかるねん。
好きでも嫌いでもないのに、どうでもよくもないねんで!?
レアや。
どこに分類していいかわからへんねん。困ってん。
で、私にとってあの先生ってなんなんやろうってことをずっと考えててん。
“池之上先生”やったわ。
で、保育所で一番広いお遊戯ホールで両手を広げてクルクルまわりながら考え続けててん。
そのとき“池之上先生”の【先生】部分だけ心の中で唱えててん。
たぶん先生どうのこうのより、“池之上”という人について集中して考えたかったんやと思う。
「池之上(先生)、池之上(先生)、池之上(先生)…」クルクルクルクル…。
そしたらさ、
池之上先生っていっつも困った顔してはるな~とか。
注意するときも苦笑いしながら注意しはるねんな~とか。
怒ったあとに「へへっ…」ていいはんねんな~とか。
怒ってんのに、困ったような顔してくるから私は戸惑うんやわ~とか。
そこがきっと心にひっかかってるんやな~とか。
まとまってきててん。頭の中で。
で、「あ、なんか私あの先生好きやわ。たぶんいい人なんやわ。」という結論に至ってんな。
「池之上(先生)、池之上(先生)、池之上(先生)…」クルクルクルクル…。
そしたらその結論にいたった瞬間に
【先生のこと呼び捨てにしたらアカンやろ!!!!】
って他の先生にめっちゃ怒られてん。
クルクルクルも、ビ−−−−ッシャン!!とめられたわ。
骨に響いたわ笑。
その怒鳴った先生の、二歩後ろで池之上先生が「へへっ…」って苦笑いしてた笑。
バイィーンとなった身体もやけど、心もすごいショックをうけてさ。
驚きすぎて、お遊戯ホールの空気全部吸ったんちゃうかってくらい。
ひぃッッ!!!みたいな笑。
「辛くはないんやけど、どっかなんか居心地悪いなあ」
と思っててん。
一桁年齢でなんやその感情…と思うねんけど。
当然その年齢なりの人間関係とかポジションどりみたいなものがあるわけで。
きっとパワーバランスとかピラミッド的なものも存在したんやろうね。
性格って育ち方や環境で作られていく部分も多いけど絶対的に持って生まれた質ってあるやん。
私の場合、なんか、とにかく、器用なほうではなかったと思う。
いっつもサイズ合ってへん服着てしまってるみたいな感じがしててん。
自分でその服がおっきいんかちっさいんかわからへんくて常に困ってるかんじやった。
というかずっとそんな性格やけど。わかる人おるやろ??
気が強い風味で、目立ちたいねんけど、恥ずかしがりがひどかった。
ピラミッドの頂点を必死で目指すねんけど、全く別のとこで自由に動いてる子を心から羨ましがってた。
…わかりやすくいうとこんなかんじ。
その自由に動いてた子とは今もよく会う。
というか大人になってから仲良くなってん。
今その子を見てても面白いなぁ~と思う。
カッコいいなぁ~とも思うし、憧れる部分がたくさんある。
でもどうしても、その子みたいに生きれる気はしない。
変に自分を下げて優劣つけるわけじゃなくて、質が違うなって思う。
どうやっても真似できひんねんな。考え方も振る舞いも。
だから見てて面白い。助けられる。
でもなにより面白いのはその羨ましい感情を20年以上も持ち続けてること。
ほんまに私はず~っと変わってないなと。
そしてその子も5歳のときからその子やったんやなと、思うねんな。
ほんでな、自由に動いてる子を羨ましがっていたのにいつのまにか自分がこんな仕事をしてるのも不思議。
仕事とプライベートの境目もないしな。
もう、平たく言うとさ、売れてないミュージシャンって"世間から見たら"好きなことだけをしてる自由人なわけやん。
自分は何かしらのラインにそって上を上を目指してきたつもりやってんけど、いつのまにか我が道だけ視界に入れて生きてる人間になってる。
こんなに自由やのに、なんか窮屈。
反対に、堅く生きてる人もきっと、一方ですごい不安を抱えてるんやろうな。
生きるってややこしいな。
青春っぽいことを言ってられるのは、好きなことだけやってるからやろうな。
結局、我が侭なんやろうな。
ま、そんな保育所でな、心にひっかかった先生がおってん。
好きでも嫌いでもないねんけど…なんか、ひっかかるねん。
好きでも嫌いでもないのに、どうでもよくもないねんで!?
レアや。
どこに分類していいかわからへんねん。困ってん。
で、私にとってあの先生ってなんなんやろうってことをずっと考えててん。
“池之上先生”やったわ。
で、保育所で一番広いお遊戯ホールで両手を広げてクルクルまわりながら考え続けててん。
そのとき“池之上先生”の【先生】部分だけ心の中で唱えててん。
たぶん先生どうのこうのより、“池之上”という人について集中して考えたかったんやと思う。
「池之上(先生)、池之上(先生)、池之上(先生)…」クルクルクルクル…。
そしたらさ、
池之上先生っていっつも困った顔してはるな~とか。
注意するときも苦笑いしながら注意しはるねんな~とか。
怒ったあとに「へへっ…」ていいはんねんな~とか。
怒ってんのに、困ったような顔してくるから私は戸惑うんやわ~とか。
そこがきっと心にひっかかってるんやな~とか。
まとまってきててん。頭の中で。
で、「あ、なんか私あの先生好きやわ。たぶんいい人なんやわ。」という結論に至ってんな。
「池之上(先生)、池之上(先生)、池之上(先生)…」クルクルクルクル…。
そしたらその結論にいたった瞬間に
【先生のこと呼び捨てにしたらアカンやろ!!!!】
って他の先生にめっちゃ怒られてん。
クルクルクルも、ビ−−−−ッシャン!!とめられたわ。
骨に響いたわ笑。
その怒鳴った先生の、二歩後ろで池之上先生が「へへっ…」って苦笑いしてた笑。
バイィーンとなった身体もやけど、心もすごいショックをうけてさ。
驚きすぎて、お遊戯ホールの空気全部吸ったんちゃうかってくらい。
ひぃッッ!!!みたいな笑。
【呼び捨てにしてへんもん。心の中で言ってたし。「おい!池之上!」って呼びつけたわけでもあるまいし、
一人で好きにお遊戯させてえや…今、好きやな~って考えながらまわってたのに…】
って、それをまた心の中で言うっていうね。
生意気な5歳や。ほんでややこしい。先生に謝りたい。
ま、ごめんなさいの感情はおいといて。
そのとき、幼い私の頭の中で流れてきたのが
「氷の世界」/井上陽水
いつも車でかかってた曲。
歌詞はよくわからないけど、ショックを受けたと同時にあのイントロが大音量で再生されてた笑。
心に吹雪が吹き荒れたんやろうな。
とにかく、聴いて。なんなら聴きながらコレ読んで。
うまく説明できないけど、小・中・高とずっとこういうエピソードがあるわ。
自分の表現方法と、人のとり方の違いに大きな衝撃を受けるっていうことが。ひぃッッ!!が。 だから“先生”に対してかまえる癖がついた。
規則に基づいて善悪を判断して注意せなアカン立場やろうからね。
自分の中で筋は通ってても、その先生基準をクリアするのがすこぶる難しい。
ましてや授業の合間や休み時間の10分でスパン!と決着つけられない。
いまとなってはもうそういう意味での先生なんていないけど、先生気質の人はいるからね。
器用にそつなく世の中を生きようと思うなら、常に他人に向けてのショー【私は日々ミュージカル!!】くらいのつもりで生きないと無理やな。
私がそれをやったらどうしようもなく胡散臭い女になると思うわ。向き不向きがあるし。完全なる不向きやな。
顔面ガッチガチやろな。きしょいやろな。嫌やな。やりたくないな。
うん、やらないでおこう。
いつかもっと歳をとったら、しなやかな女性になれるかな。
融通のきかなすぎるややこしいおばあさんになるのもそれはそれですごく嫌やから…今から少しづつ努力していこうと思う。
とにかく言葉で伝えるということと、一歩譲るということから始めようと思う。
なんの話や。
泉彩世子20年目の気付き。
ちなみに怒鳴られた先生は当時からとても好きやった先生。
どえらいスパンスパンした先生やった。
その先生とは二十歳の同窓会でお会いしたけど、池之上(先生)どないしてるかなー。
へへっ…っていうてるかな。あの笑顔、キュンやわ。
ほな。
一人で好きにお遊戯させてえや…今、好きやな~って考えながらまわってたのに…】
って、それをまた心の中で言うっていうね。
生意気な5歳や。ほんでややこしい。先生に謝りたい。
ま、ごめんなさいの感情はおいといて。
そのとき、幼い私の頭の中で流れてきたのが
「氷の世界」/井上陽水
いつも車でかかってた曲。
歌詞はよくわからないけど、ショックを受けたと同時にあのイントロが大音量で再生されてた笑。
心に吹雪が吹き荒れたんやろうな。
とにかく、聴いて。なんなら聴きながらコレ読んで。
うまく説明できないけど、小・中・高とずっとこういうエピソードがあるわ。
自分の表現方法と、人のとり方の違いに大きな衝撃を受けるっていうことが。ひぃッッ!!が。 だから“先生”に対してかまえる癖がついた。
規則に基づいて善悪を判断して注意せなアカン立場やろうからね。
自分の中で筋は通ってても、その先生基準をクリアするのがすこぶる難しい。
ましてや授業の合間や休み時間の10分でスパン!と決着つけられない。
いまとなってはもうそういう意味での先生なんていないけど、先生気質の人はいるからね。
器用にそつなく世の中を生きようと思うなら、常に他人に向けてのショー【私は日々ミュージカル!!】くらいのつもりで生きないと無理やな。
私がそれをやったらどうしようもなく胡散臭い女になると思うわ。向き不向きがあるし。完全なる不向きやな。
顔面ガッチガチやろな。きしょいやろな。嫌やな。やりたくないな。
うん、やらないでおこう。
いつかもっと歳をとったら、しなやかな女性になれるかな。
融通のきかなすぎるややこしいおばあさんになるのもそれはそれですごく嫌やから…今から少しづつ努力していこうと思う。
とにかく言葉で伝えるということと、一歩譲るということから始めようと思う。
なんの話や。
泉彩世子20年目の気付き。
ちなみに怒鳴られた先生は当時からとても好きやった先生。
どえらいスパンスパンした先生やった。
その先生とは二十歳の同窓会でお会いしたけど、池之上(先生)どないしてるかなー。
へへっ…っていうてるかな。あの笑顔、キュンやわ。
ほな。