「この曲を聴け!」ファンクモンスタ
    ーBRADIOのルーツミュージック

    左から、大山聡一(Gt.)、酒井亮輔(Ba.)、田邉有希(Dr.)、真行寺貴秋(Vo.)

    今世紀最大のファンクモンスターと称されるBRADIOが、10月11日にシングル『LA PA PARADISE』をリリース。満を持してメジャーデビューを果たした。聴く者すべての血をたぎらせるBRADIOだが、彼らがファンクロックに行き着くまでには紆余曲折があったのだという。本稿では彼らのルーツをひも解くため、真行寺貴秋(Vo.)、大山聡一(Gt.)、酒井亮輔(Ba.)、田邉有希(Dr.)の4人に、心をたぎらせ音楽へと向かうターニングポイントになった3枚の音源をピックアップしてもらった。果たして、BRADIOのメンバーがセレクトした3枚とは。

    Photography_Kaori Nishida
    Interview&Text_Sotaro Yamada
    Edit_Storu Kanai

    真行寺貴秋(Vo.)のルーツミュージッ

    (真行寺貴秋)

    「僕はまず、ビートルズの『Revolver』(1966)からです。中学1年生の時、英語の授業で先生が洋楽を聴かせてくれたんです。歌詞のプリントが所々空欄になっていて、聴き取りながら穴埋めしていくという授業で。その授業で洋楽を好きになって、なかでもビートルズにハマりました。最初に聴いたのは『Here, There and Everywhere』(1966)。曲があまりに良くて、穴埋め部分はまったく聞き取れなかったんですけど(笑)。

    それで、すぐにアルバムを買いました。中学の頃はほとんどビートルズ。ただ、「ロック」っていう認識では聴いてなかった気がします。ビートルズは「ビートルズ」というジャンルというか……。ビートルズに出会う前はB’zやGLAY、L’Arc-en-Cielが好きで8センチCDを買ってましたけど、当時はみんな聴いてましたからね。だから、音楽への入り口は完全にビートルズでした」(真行寺)

    やっぱりビートルズは偉大だなあと改めて認識させられるわけだが、ルーツミュージックとして最初の1枚がファンクではないことが少し意外だった。しかし、その意外さがBRADIOの秘密のひとつであることが、次第に明らかになる――。

    「音楽をやめようと思っていた」

    「2枚目はJourneyの『Escape』(1981)です。BRADIOのひとつ前のバンドをやってた頃なので7〜8年前のことなんですけど、本当に音楽をやめようか迷ってた時期があったんです。きっかけは覚えてないけど、その頃にたまたま1曲目の『Don’t stop believin’』(1981)を聴いて。

    これ、邦題が『愛に狂って』になってますけど、全然そんな曲ではなくて。デトロイトの田舎に生まれた少年が夢を持って都会を目指していくというストーリー。自分の信じることをやめるなという内容の曲なんですね。
    イントロのピアノからすごく浄化されるんです。この曲を聴いて、ボーカルのスティーブ・ペリーにすごく憧れるようになって、マネしたりもしたんですけど、いかんせんキーが高くて歌えないんですよ。『この人の喉どうなってんだろう?』と思って。
    それまで僕はベースをやっていたので、歌を録ったこともありましたけど、ボーカリストになりたいとは思っていなかったんです。でもこのタイミングでスティーブ・ペリーの歌を聴いたことで、歌うことに対して向き合わされました。ベースを降ろして、ボーカリストとしてもう一度一生懸命やっていきたい、そう思うようになったきっかけの曲です」(真行寺)
    (Journey『Don’t stop believin’』)

    「これは後々知ったことなんですけど、スティーブ・ペリーって『ホワイト・サム・クック』って言われてるんですね。だから、ここからソウルミュージックに流れていったんだと思います。BRADIOが始まったのもちょうどその頃でした」(真行寺)

    BRADIOのファンは通称、FPP(Funky Party People)と呼ばれる。もちろんバンドの作風に由来する呼称なのだが、そうしたファンキーでパリピな印象の裏には、こうしたエモいエピソードが隠れているわけだ。

    「3枚目は『Cooley High Harmony』(1996)です。歌を真剣にやろうと思い始めて、安易ではあるんですけど、“歌といったら黒人でしょ。黒人といったらR&Bでしょ。R&BといったらBoyz II Menでしょ”ってノリで何気なく聴いたらハマってしまったのが、これなんです。

    スティーブ・ペリー経由でサム・クックを聴いたりもしたんですけど、その当時は土臭い部分が馴染めなくて。もう少し都会的なBoyz II Menの方が感覚的にフィットしたんですよね。ライブも結構行きました。ウォンヤ・モリスのフェイク(※本来のメロディの一部を、リズムや音程を変えて自由に歌唱すること)がメチャメチャ気持ち良くて」(真行寺)
    ちなみに、BRADIOのフロントである真行寺と言えばアフロヘアーがトレードマークだが、いつ頃からアフロにしているのだろうか?

    「アフロは音楽性とはあまり関係ないですね(笑)。フロントをやるということで、何かパンチが効いたものにしたいという気持ちからです。美容師の友だちと一緒に考えて、いろんな髪型を試すうちに、自分のなかでソウルミュージックが芽生えてきて段々こうなっていったという。その美容師の成長とともに整っていった、思い出の詰まった髪型がこのアフロです!」(真行寺)

    大山聡一(Gt.)のルーツミュージック

    (大山聡一)

    「僕はまず、LUNA SEAの『STYLE』(1996)ですね。ギターを始めるきっかけになったバンドであり、アルバムです。ギターを始めたのは中学生の頃だったんですけど、当時ってLUNA SEAの次世代バンドとしてGLAYやL’Arc-en-Cielがすごく売れ始めた時期なんですよね。そういう影響もあってか、2歳上の姉が文化祭でGLAYのコピーバンドをやっていて、すごくカッコ良く見えました。それで音楽を聴き始めるようになって、いろんなバンドを聴いているなかで一番ハマったのがLUNA SEAでした。

    すぐに通販で小さいアンプと教則本付きの安いギターセットを買って、周りの友だち――そのなかには(酒井)亮輔もいたんですけど――と、コピバンするようになりました。それが最初の音楽との出会いですね。だからLUNA SEAはいまでもずっと好きです。
    初めて弾いた曲は『G』(1996)でした。ライブは、地元が田舎だったこともあってずっと行けなかったんですけど、再結成して武道館7daysをやった時に初めて行きました。僕が行った日は『STYLE』の曲を中心にやってくれた日で、最高でしたね。ちなみに一番好きな曲は……めちゃくちゃ悩むけど、『End of Sorrow』(1996)ですかね」(大山)

    真行寺と同じように、大山のルーツもファンクではなくロック。しかもLUNA SEAという、かつてヴィジュアル系ムーヴメントを牽引したバンドの名前が出てきた。BRADIOの作風からは少しギャップを感じるかもしれないが、こうして徐々にBRADIOを構成する要素が明らかになっていく。

    「これ弾けたら神だろ!」

    「2枚目は、ギターを練習し始めれば当然出会うであろうB’zです。『The 7th Blues』(1994)というアルバムを聴いて松本隆弘さんのブルースギターに出会ったことで、自分のなかで海外のハードロックへの扉が開かれました。これも中学生の頃ですね。
    当時、亮輔の実家が仲間内で溜まり場になってて、B’zを流しながら歌ったりギター弾いたりして遊んでました。B’zもかなりハマってどのアルバムも好きなんですけど、このアルバムは特にギターがめちゃくちゃカッコ良いんですよ。

    松本さんが影響を受けている海外のハードロックも聴き始めて、洋楽というものを知っていきました。ギターも少しずつ弾けるようになっていくと、余計にギタリストのすごさがわかってくるので、ギターに本格的にどハマりしていくきっかけになったアルバムでもあります。
    このアルバムを聴き始めてからは、ほとんど友だちと遊ばなくなりましたね。『カラオケ行かない?』って誘われても、『俺、ギターの練習あるから』みたいな感じで断ったりして。そんな自分もちょっと好きだった時期でもあります(笑)』(大山)。
    聴き手としてLUNA SEAから入り、弾き手としてB’zから入った、という感じだろうか。しかし、LUNA SEAやB’zを聴き込み、遊びを断ってまでギターの練習に打ち込むとは、かなり硬派で気合の入った中学生な気がする。

    「ライブハウスすらないほどの田舎だったせいもあると思います。自分の部屋で鏡の前にアンプ置いてギター抱えて、田舎なので音も最大にして爆音でヒーロー気取って弾くのが楽しかったですね。『これ弾けたら神だろ!』って思いながら、あれもこれも弾きたいっていう気持ちが強くなっていきました」(大山)

    そのギターに夢中だった田舎の少年が、時を経てメジャーデビューすることになった。良い話だ……。

    レジェンドとの出会い

    「3枚目はAl McKay Allstars(アル・マッケイ・オールスターズ)『Al Dente』(2006)です。BRADIOを結成する前はこういうファンキーなギタープレイが入るバンドはやってなかったんです。やっぱり少年の頃にハマったハードロックの流れから、アメリカ西海岸のラウドロックにもハマり始めてハードコアなものが好きになっていって。
    とにかくリフがゴリゴリしたバンドが好きで、東京に出て来てから組んだバンドも、チューニングを低くしてデカいアンプで爆音でやるのが俺のスタイルだ!という気持ちでやってました。でも、そのバンドが解散してしまって。
    BRADIOを組むことになった時はまだその延長線上にいて、「まあ、次はちょっと洒落たことやりたいよね」くらいの軽い気持ちだったんです。
    その頃、ブラックミュージックから影響を受けたギタリストがダンスミュージックの中に入って行くような、アメリカではmaroon5(マルーン5)が台頭し始めている頃でした。「カッティングギターってすごいカッコ良いんだな」ということに気付き始めたのは、この頃ですね。
    それで少しずつ掘り下げていって、どんどんファンクミュージックとかモータウンギターが入ってる音楽に興味を持ち始めて、かつて専門学校で教材として聴いていた音楽を楽しめるようになってきたんです。そうやって掘り始めたレジェンドの中で、初めてナマで見たのがAl McKayでした。とある企画で本人に取材させていただいたことがあるんですけど、本当にめちゃくちゃカッコ良かったんですよ。いまの僕はカッティングがメインアプローチになってますけど、最初にその凄さを見せつけてくれた方なので、すごく大きな支えになってるギタリストです。取材時にサインしてもらったので、今日は自慢も込めて持って来ました(笑)。
    LUNA SEAからAl McKay Allstarsへの流れは意外に思われることも多いんですけど、僕にはSUGIZOさんやINORANさんの血も絶対に入ってるので、そういうところで自分の個性を作っていきたいですね」(大山)

    LUNA SEAの血が流れたAl McKay。こんな風に、一般的にファンクミュージックと呼ばれている音楽とは別のものから始まってファンクにたどり着いたことがBRADIOをオリジナルな存在にしている大きな要因のひとつなのだろう。ちなみに、真行寺も「僕もその時、ちゃっかりサインいただきました」といたずらっぽく笑ってみせた。

    「この曲を聴け!」ファンクモンスターBRADIOのルーツミュージックはミーティア(MEETIA)で公開された投稿です。

    ミーティア

    「Music meets City Culture.」を合言葉に、街(シティ)で起こるあんなことやこんなことを切り取るWEBマガジン。シティカルチャーの住人であるミーティア編集部が「そこに音楽があるならば」な目線でオリジナル記事を毎日発信中。さらに「音楽」をテーマに個性豊かな漫画家による作品も連載中。

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