ピアニスト務川慧悟が語る『ラヴェル
全集』とパリでの暮らし、古楽が教え
てくれた音楽のこと

2022年11月、ピアニスト務川慧悟が『ラヴェル:ピアノ作品全集』(2枚組)をリリースした。12月15日(木)・16日(金)・20日(火)・21日(水)には、東京・浜離宮朝日ホールにて収録曲を中心としたリサイタルを実施する。
何年も前から構想していた、ラヴェルの作品全集
――11月30日に、「ラヴェル:ピアノ作品全集」が2枚組でリリースされました。ライナーノートにはご自身でラヴェルに関するエッセイと楽曲解説も執筆されています。説得力に溢れた、読み応えのある内容ですね。務川さんは日頃からよく文章を書いておられるのでしょうか。
そうですね、文章を書くのは好きで、最近では「note」に音楽周辺のことを書いたりしています。突然「書きたい」という衝動が湧くことがあるんです。このラヴェルのライナーノートは、かなりがんばりました。
――ラヴェルで全集を作ろうと思われたきっかけはあったのですか?
全曲録音したいという思いは、もう何年も前からありました。ラヴェルの場合は全作品入れてもCD2枚に収まりますしね。
パリに留学する前は、どちらかというと僕はラヴェルよりドビュッシーの音楽の方が自分に合う気がしていたのですが、パリに留学した最初の年に、ラヴェルにピンとくるものを覚えて、それ以来興味を持って弾き続けてきました。
――務川さんにとって、ラヴェルの作品像や音楽家像とは、どのようなものですか?
ラヴェルの音楽は一聴すると、氷で作られた彫刻のように硬くて冷たいっていう印象を受けるかもしれません。僕も今だにそういう印象も持っていますが、追求していくと、その内部では熱いものが燃えているような感じ。その二面性が魅力的ですね。表面上では全部見せてはおらず、しかし探っていくと、さまざまなことを伝えてくれる。ラヴェル自身の人間性もそうだったのかもしれない。人としても魅力的ですね。
バスク地方やパリの空気が教えてくれたこと
――務川さんがライナーノートでお書きになっておられる通り、ラヴェルの音楽は色彩豊かな管弦楽法で知られ、一方でピアノの近代的な書法を開拓しました。また、スペインのフォークロアや懐古主義的要素、晩年にはジャズの要素も取り入れるなど、極めて複雑な様相を呈しています。それらを表現するには、多様な側面からアプローチが必要になると思います。たとえばスペイン的な要素については、どのように深めましたか?
スペイン音楽について僕はまだ勉強中ではありますが、このレコーディングの直前に、スペインのバスク地方(ラヴェルの生地)を旅行したのはよい経験になりました。よく道端でプロのギター奏者が弾き歌いをしていたんですが、もう、明らかにスペインを肌で感じられるんです。また、ラヴェルの生家のある場所の隣町で毎年夏に「ラヴェル・アカデミー」が開かれていて、かつて2週間ほど滞在し、マスタークラスを受けたり、周辺コンサートに出演したりもしました。
――務川さんはパリに留学されて丸8年とのことですが、やはりパリという街が教えてくたものも多いのでしょうか。
やはりパリで暮らすことで得られた感覚は大きいです。たとえば、パリの冬は結構暗いんですね。週に1日晴れるか晴れないかという天候が続き、うつ病が増えて社会問題にもなっています。パリの建物はベージュ色が多くて、曇り空の下では色彩感が失われます。フランス文化といえば、絵画などでもすごく色彩豊かなイメージがあると思いますが、実際にはもっと単色な世界が広がっていて、冬は特にそう。僕も1年目の冬は落ち込みました。でも、街を散歩しながら、ずっとラヴェルやフォーレの音楽を聴いていたら、なんとなく、そうした単色のパリの風景が、音楽に反映されていると感じたんです。抽象的な話ではありますが。
現代のパリでもっとも魅力的に感じるのは、いろんな人たちがいるところ。人種も多様です。電車に乗るだけでも、ピザを食べてる人もいれば、使い古したスーパーの袋を持った人もいるし、マスクをしてる人もしていない人もいる。人種が豊かということは、食事にしてもいろんな料理が味わえます。最近、僕の家の近くに高級アフリカ料理店ができました。治安が悪くて携帯を外に出してはいけない地区もあれば、とても平和な地域もある。とにかく、多様性の塊みたいな街なんです。
>(NEXT)時代楽器に触れて、音楽の自由さを知る
時代楽器に触れて、音楽の自由さを知る
――現在はパリ音楽院のフォルテピアノ科に所属されていますね。ラヴェルはエラールというメーカーのピアノを愛奏したそうですが、当時のピアノでも演奏されることはありますか?
そうですね、エラールはほぼ現代ピアノに入るので、古典派時代を中心に扱うフォルテピアノ科では基本的にはやらないのですが、当時のピアノに触れる機会はあります。ちょうど先月、100年前のプレイエルで先生との連弾コンサートをやりました。ラヴェル自身が所有し、演奏していたピアノも触れたことがあります。パリ郊外、車で1時間くらいのところにある、ラヴェルが最後に建てた家にあります。
僕自身は、現代ピアノの可能性を確信しているので、コンサート活動も現代のピアノで行っていくつもりです。しかし、昔の楽器を学んでから、現代ピアノを弾くと、音楽の作り方に幅を持たせられるようになりました。現代ピアノはムラなく均一な響きが出せるように調整されていますが、手作りの楽器が用いられていた時代は、計算どおりではなく、結構自由に音楽が奏でられていたということがわかったのです。
5、6年前までの僕は、ピアノを「決めたように弾く」というスタンスが強かった。計算して、コントロールして弾くことに安心感を感じていました。でも、古楽をやって、音楽はもっと自由なんだと知った。当時の演奏習慣や規則を学んだことで、それに縛られるというよりは、より自由になった気がしています。
それがラヴェルの演奏でも生かされます。そうそう、現代のピアノ最低音は「ラ」ですが、ラヴェルが持っていたエラールは、さらに一音低い「ソ」まであったので、《夜のガスパール》の〈スカルボ〉では、その最低音が使われているんですよ。通常のピアノでは「ラ」で代用しているのですが。
――今回、「全集」という形にまとめたことで、改めてラヴェル作品について感じられたことなどはありますか?
個々の作品はそれぞれ何年も弾いてきたものですが、およそ2ヶ月間ですべて見直して、レコーディングは6日間続けてやりました。録音が終わったときの感覚っていうのは、どこがどう変わったとはなかなか言い難いですが、やはり集中してやったことで、ラヴェルの作品に共通する語法を、昔よりも手に取るように感じられるようになった気がします。例えば、彼特有の和声の構成があって、その中で重要な音とそうではない音とが、何か立体的に見えてくるようになりました。
浜離宮朝日ホールの親密な空間で届けたいもの
――12月には、いよいよ浜離宮朝日ホールで、ラヴェル作品を中心とした2つのプログラムによる4日間のリサイタルがあります(15・16日、20・21日がそれぞれ同一プログラム)。
弾きたい作品が多くて、2つのプログラムに分けて4日間やります。会場を変えず、4日とも浜離宮朝日ホールで行うのは、このホールは親密な音楽表現が伝わりやすいことが理由です。お客さまとの距離が近く、まるでサロン・コンサートで演奏するかのように、音楽の細部まで伝えられる感覚があります。プログラムはラヴェル中心というのは決めていましたが、それ以外の作品のチョイスは、この親密な空間ありきで決めました。
15・16日の前半で演奏するJ.S.バッハの《フランス組曲》第5番は家庭的な雰囲気のする曲ですし、西村朗さんの《星の鏡》は限られた音数の大変美しい作品です。ラヴェルの世界と遠くないと感じます。モーツァルトのピアノソナタ第8番イ短調は、フォルテピアノで学んだことで価値観が変わった作品の一つ。諸説あるものの、やはりモーツァルトが母を失った悲しみが反映されていると僕には思えます。当時としては衝撃的な音楽だったことでしょう。
20・21日の前半は、まず多くの方からリクエストのあったラモーの《ガヴォットと6つのドゥーブル》で開始し、シューマンの《クライスレリアーナ》を取り上げます。後者は日本では始めてコンサートで演奏します。同年のショパンとは甲乙つけ難いほどシューマンも好きですが、好きと得意は別問題で…。でも、コロナ禍でコンサートがなかったときに、自分のためだけにピアノを弾いた時間があり、そのときにしっかり向き合った作品です。いわゆるドイツ音楽もレパートリーに増やしていますので、ここで披露したいと思いました。
――最後にあらためて、今回のラヴェルのアルバムやコンサートを楽しみにされている読者の皆さんにメッセージをお願いします。
ラヴェルは一見とっつきにくいと感じる人も多いかもしれません。非常に完璧主義な人だったし、音楽自体は計算されてかっちりとしたものに聞こえます。でも実は追求していけばいくほど、もっと懐の深いものが感じられると思います。僕のCDやコンサートを、ラヴェルに親しみ、彼の音楽について深く考えるきっかけにしていただけたら、とても嬉しいです。
取材・文=飯田有抄 撮影=荒川潤

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