そして、アントニオ猪木のいない世界
が始まった:ロマン優光連載223

ロマン優光のさよなら、くまさん
連載第223回 そして、アントニオ猪木のいない世界が始まった 私の父は猪木信者だった。強く印象に残っている、子供の時の記憶がある。
 夜中に父に叩き起こされた小学低学年の私は今まで見たことのない全日本プロレスのテレビ中継を見せられることになる(うちの田舎は民放が二局しかなくプロレスは新日も全日も夜中に一週以上遅れて放送されていた)。
 画面の中にいたのは新日本プロレスから移籍したばかりのスタン・ハンセン。ハンセンの移籍後第一戦だった。ハンセンは早々にウエスタン・ラリアットを放ち、日本人レスラーをなぎ倒す。マットの上でヒクヒクしている阿修羅・原。
 父は「全日のレスラーはやっぱり弱いのう……」と嬉しそうにいい放ち、私もそれを聞きながら「新日だったら、あのキムラケンゴだってこんなにあっさりやられたりしない。やっぱり新日は強い!」と思っていた。ハンセンの強さを引き出した阿修羅の受け身の凄みを感じるべき試合に対して呑気でセンスのない親子である。あと木村健悟にも失礼だ。
 新日のトップ外人が全日で圧倒的な力を見せつけ新日の強さを実証する瞬間を確認するためにだけに普段は歯牙にもかけない全日を見るような狂信的な猪木信者である父(新日にブッチャーが移籍した時には「こんなゲテモノに苦しめられる馬場は弱い」)。まあ、その後は父子そろって普通に全日の試合を見るようになる。外人レスラーに華があって面白かったので。
 父がいかに猪木の狂信者だったのかというと、我が家ではたびたびスペアリブが父の前に並び、一人でタバスコをかけて食べていた。私の地元にアントン・リブはなかった。だから、そのように振る舞うことでアントン・リブに行ったつもりになっていたのだろう。いい大人のすることではない。
 こういう父に育てられたわけだから、私は物心ついた時には既に猪木ファンだったし、小学校低学年の時には父の指導のもと深夜に放送される『ワールドプロレスリング』のために20時には布団に入り、夜中に起きてテレビを見てからまた寝るような生活を送っていた。そんな我が家には当然のごとく村松友視のプロレス三部作があり、小学校高学年ぐらいには村松先生の受け売りでプロレスを語るような嫌な子供に育っていたものだ。
 父と並んで私を猪木ファンにしたのは梶原一騎先生の『プロレススーパースター列伝』だ。色んなレスラーのこと、しかも他団体のレスラーのことさえ色々と詳しく、そして的確にコメントをする猪木。猪木は凄く偉いレスラーだから、そんなことができるのだと思って尊敬していた。ただ、ジャイアント馬場が風呂場で転ぶシーンは大好きだった。
 しかし、 不死身仮面アズテカもガマ・オテナも本当はいないなんて……。手の指の第一間接だけ曲げる練習に励んだ(そして出来なかった)時間はなんだったのか。ひどいよ! センセイ・カジワラのバカッ(涙)!
 しかし、そんな自分でも猪木に対して疑問を抱く瞬間もあった。ある日のラッシャー木村との試合をテレビで見ていた時のこと。猪木の相手のプライドを踏みにじるかのような一方的で残虐な試合運びとそれに耐え続けるラッシャーの姿に我慢できなくなった私は「お父さん! ラッシャーは本当は強いんだよね!」と父に訴えかけた(この「本当は」というところ、プロレスの何かに気づきはじめた感がある)。
 父は「こいつはおじいやからのう(訳・ラッシャーはロートルで弱いやつ)」と私に返してきたので、「こいつら(父&猪木)なんなんだよ! だいたいラッシャーがロートルだったら猪木だってかわらないよ」と思ったのを思い出す。でも、猪木のことはやっぱり好きだった。だって、本当に凄い試合をするのだから。
 梶原先生による猪木監禁事件も衝撃だった。あの偉大な原作者で猪木と仲良しのはずの梶原先生が猪木を監禁したのもそうだし、あの強い猪木が監禁されたのもビックリだった。
 その頃の私にとってのもう一人の英雄である初代タイガーマスクの引退。ザ・コブラのデビュー戦という大事故。子供ながらになんとなく知るアントン・ハイセルをめぐるゴタゴタ。維新軍の新日離脱。色んなことが起こり続けた。ジャパンプロレスの全日参戦で全日本プロレスの重要性があがり、相対的に猪木=新日の求心力が私の中で下がっていった。でも、猪木のことは好きだった。だって、時々本当に凄い試合をするのだから。
 週刊プロレスや週刊ファイトに載る第一次UWFの記事と夢枕獏先生の『餓狼伝』。それが中学生になったばかりの私にとってのプロレスにおけるバイブルだった。『ケーフェイ』も読んだ。第一次UWFの幻想は私の胸を強く突き動かした。幻想と言ったが、そもそもリアルタイムで第一次Uの試合の動画を視たことがない。テレビでやってなかったし。ただ、紙の上で語られている言葉に身を熱く焦がしていた。もっと言うなら、試合の記事なんかより私の気持ちを突き動かしていたのは夢枕獏先生の語るUWF観、そしてそれを作品と化した『餓狼伝』だ。私の中のUWFは夢枕獏のUWFによって生まれたものだから。今になってみれば、あれは幻想にすぎなかったという部分が色々あるわけだけど、「ひどいよ! 獏ちゃんのバカッ(涙)!」なんて思わない。あの頃の夢枕獏先生がUWFに抱いた気持ちは本物なのだから。
 その後のU勢ジャパン勢の出戻りの中での猪木は最高と最低の間をジェットコースターのように目まぐるしく上下し続けた。かっての英雄が前田日明の挑戦から逃げ続ける姿に悲しさをおぼえた。
 不倫が報道されて坊主頭。 あのスティーブ・ウィリアムス戦。海賊男乱入事件。TPG事件。偉大なプロレスラー・アントニオ猪木から、面白いアントニオ猪木に変わったのもこれぐらいの時期だったか。モノマネされている猪木はこの頃以降の猪木が多い。かってのカリスマがどこか滑稽な存在に変わってしまった。村松友視案件から吉田豪案件に比重が移ってしまったというか……。でも、猪木のことは好きだった。だって、たまに本当に凄い試合をするのだから。
 政治の世界に進出するとき、「あんなデタラメな人を政治家にするのはどうなんだ……」とは感じた。案の定、色々起こったわけだが。
 プロレスに帰ってきた頃の試合は 痛々しく、みっともなく、悪い意味で諦めが悪さを感じさせながら、それが凄みに変わり時があり、美しいとしかいえない瞬間がある猪木だけにしかできない世界だったけれど、父が公衆の面前で殴られているのを見たかのようないたたまれない気持ちも私の中にあった。
 猪木の引退試合。既に元ファンに過ぎないのに、自分の中の何かに決着がつくような気がしていた。ドラゴンのことを考えると「なんで、その相手なの?」と納得いかない気分もあったが、終わってしまえば、これまでの人生で抱えてきた猪木に対する全ての複雑な気持ちを恩讐の彼方に流してしまうような良いセレモニーだった。
 これで終われば大団円なのだが、そうはいかないものだ。結局、私のかっての英雄は人間・猪木寛至にもどることなくアントニオ猪木であり続けた。モハメド・アリ戦の再評価などの偉大な猪木像の復権もありつつ、デタラメなこと、迷惑でしかないこと、感動的なこと、愉快なこと、セコいこと、汚いこと、面白すぎること、反応にこまること、なんだかわからないけど最高としか呼びようのないこと、それら全てを繰り返し続けた。その中にはちゃんと批判しなければならないことも当然あった。山のように。推しが問題のあることをしたならば、ファンはそれを咎めるべきなのだ。それはそれとして、もちろん、猪木のことは好きだった。猪木は猪木なのだから。
 アントニオ猪木のいない世界に生きるということの意味が未だに実感できないままでいる。そういえば、父も数年前に亡くなった。借金の肩代わりをしたせいで我が家は借金だらけなのに、妻子に使う金はなくとも自分の趣味(釣り、草野球チームの監督、パチンコ、麻雀、酒など)にはふんだんに金を費やしてきた父。区画整理にともなう補償金で借金もなくなり、まとまった財産もできた実家だが、猪木信者だった父は晩年に「この店にいる人の飲み代、全部俺に」という天龍イズムを発揮しだし、大半が煙のように消えたという。父は自分が学生時代に不良であったかのように子供たちに吹聴していたが、早川の銀背やサンリオSF文庫がずらりと並ぶ本棚、80年代前半に大人なのにヤマトやガンダムをビデオで録画(三倍速)してまで一人で見ていた、隠されていたポエムをしたためたノート、フィリピン産のアクション映画ばかり見ていることから、私たちからは「不良に憧れているだけの虚言」と見なされていた。ところが葬儀の時に父の同級生たちから「学校に乗り込んできた他校の番長を、父が仲間を守って対マンで撃退した」という証言が出てきて、私の父はバランスの悪い変な人だったなと改めて思った。
 それはともかく、私はフィクションの中に出てくる「猪木」を見るのが大好きだ。猪木本人として登場するキャラではなくて、様々な作家が提示する「俺の考えた最高の猪木」を見るのが大好きだ。他人の猪木を知ることは、自分の中の猪木を豊かにしてくれる。
 小説『餓狼伝』のグレート巽。漫画『餓狼伝』のグレート巽。『グラップラー刃牙』の猪狩完至。『ゆうえんち』の猪狩完至。『高校鉄拳伝タフ』のアイアン木場。『喧嘩商売』の生野勘助。『アグネス仮面』マーベラス虎嶋。『浦安鉄筋家族』の国会議員。どれも素晴らしい「猪木」だ。
 オブスキュアな「猪木」としては、谷村ひとし・ 塙鉄人『闘龍伝』サムソン乾、谷村ひとし『超人伝』のシーザー猪狩がいい。特に、フリーメーソン会員でリングでの殺人経験のある元プロレスラーの悪徳政治家・シーザー猪狩はお薦めだ。谷村ひとし先生の「猪木」はもっと広く世間にしられるべきだ。
 異色の「猪木」としては、実話怪談でしられる黒木あるじ先生の小説『 葬儀屋(アンダーテイカー): プロレス刺客伝』に登場するカイザー牙井があげられる。独特の善なる「猪木」に衝撃を受けた。
 そういえば、父の中の猪木はどんな猪木だったのだろう。あの人が好きなものはわかりやすかったが、なぜ好きなのか、どこが好きなのかについては全く語らない人だった。
 人間・猪木寛至はもういないのかもしれないが、彼のつくりあげたアントニオ猪木という概念は彼を知る人間が存在する限り永遠だ。彼をモデルにしたキャラクターが産み出され、そのキャラクターに影響を受けたキャラクターが産まれるという循環により、フィクションの世界という豊穣の海の中でアントニオ猪木は永遠の存在になったのだ。
 まあ、そんなことを言ったところで寂しい気持ちは変わりはしないのだけど。
 なんとなく一人で「アントン」と口に出して呼び掛けてみる。切ないような、暖かいような、寂しいような不思議な気分になる。迷わず行けるわけもなく、行ったところで何もわからないことだって山のようにあるのだけど、一歩も踏み出さずに生きていけるはずはないのだから、とりあえずはアントニオ猪木のいない世界に一歩踏み出すしてみるしかないのだろう。
 こんな気持ちにさせられるなんて、ひどい話だ。だいたい私は単なる元ファンであって狂信的な猪木信者ではないのだから、こんな気持ちになっていいはずがないのである。おかしな話だ。
(隔週金曜連載)

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ろまんゆうこう…ロマンポルシェ。のディレイ担当。「プンクボイ」名義で、ハードコア活動も行っており、『蠅の王、ソドムの市、その他全て』(Less Than TV)が絶賛発売中。代表的な著書として、『日本人の99.9%はバカ』『間違ったサブカルで「マウンティング」してくるすべてのクズどもに』(コアマガジン刊)『音楽家残酷物語』(ひよこ書房刊)などがある。現在は、里咲りさに夢中とのこと。twitter:@punkuboizz
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