恩師の志を継ぎ次代を育成、「牧阿佐
美バレエ塾」塾生が主演デビュー!~
牧阿佐美バレヱ団『くるみ割り人形』

2021年12月25日・26日、メルパルクホール(東京都)にて牧阿佐美バレヱ団『くるみ割り人形』が上演される。去る10月20日に逝去したバレヱ団代表、舞踊家・牧阿佐美亡き後の、バレヱ団としては最初の公演だ。自身のバレヱ団運営とともに橘バレエ学校、A.M.ステューデンツ、牧阿佐美バレヱ塾などで、カンパニーの枠を超えた人材育成にも尽力した牧。きたる公演『くるみ割り人形』では主演デビューを飾る若手の登竜門として、今年も今村のぞみ、石山陸(ともに25日15:30)、そして牧阿佐美バレヱ塾の第一期生である上中穂香(26日)が主演デビューを飾る。
今回はその上中を育て、また自身も橘バレエ学校、A.M.ステューデンツを通して牧に師事し、現在は牧阿佐美バレヱ塾の講師を務める志賀三佐枝、そして主任教師を務める森田健太郎に、牧との思い出を伺いながら公演のみどころについて話を聞いた。(文章中敬称略)
牧阿佐美バレヱ塾の講師を務める志賀三佐枝と森田健太郎。プライベートでもパートナーである二人のキューピッドは、実は恩師・牧阿佐美なのだとか。

牧阿佐美バレヱ塾
2012年に開校した全日制バレエ学校(会長:盛田正明、塾長:故・牧阿佐美)。バレエ団の枠を超え、優秀な人材をバレエ界に送り出すことを目的のひとつとしている。牧阿佐美バレヱ団の指導メソッドを軸に指導を行うほか、バレエの技術のみならず、人間性を養うための教養も身に着けるため、日本史や舞踊史、習字などの座学も設けている。15歳以上の全日制コースのほか、ジュニアクラスも設けている。
■褒められたくてくらいついて行った現役時代。指導者としての信頼に
――お二人は現役時代、牧先生のもとで牧阿佐美バレヱ団や新国立劇場バレエ団で活躍されたのち、牧阿佐美バレヱ団のミストレス・バレエマスターなどを務めながら2012年に開校したバレヱ塾の講師となり、二人三脚でご活躍されています。最初にバレヱ塾講師のお話を受けたときは。
森田 牧先生に「こういうことをやりたいのだけれど」と言われ、自分たちで大丈夫なのかという不安もありましたが、あとはやるだけでした。
志賀 責任がすごく大きいと思いました。私は(2005年に)現役を退いた後、牧阿佐美バレヱ団でミストレスなどもやらせていただきましたが、バレヱ塾はカンパニーの枠を超えてバレエ界に送り出す人材を育成する場です。そこで教えるからには阿佐美先生が目指しているスタイルなどを、きちんと伝える役割を果たさなきゃいけない。その責任を思うと、自分で大丈夫なのかという不安の方が大きかったです。でも阿佐美先生が「大丈夫だから」と仰ってくださり、覚悟を決めました。
実は私、ダンサーとして踊っていた時代は、阿佐美先生にほめられたことは一度もなかったんです。とにかく自分ではどんなに完璧に踊ったと思っても、「あそこはもっとこうすればよかった」「ここがダメだったわね」とダメ出しされて。現役を引退する舞台が終わった時に初めて「よく頑張ったわね」ってほめていただいたんです。
――その先生が「大丈夫だから」と仰ってくださったということは、厳しく接しながらも志賀さんのことを信頼されていたんですね。
志賀 むしろバレエをやめて指導者になってからの方がすごく褒めていただき、声をかけてくださいました(笑) 私は橘バレエ学校に通い始めたのは小学校4年生くらいからでした。A.M.ステューデンツは阿佐美先生から直接指導を受けられるクラスで、私はその第3期生になるのですが、20歳くらいまで在籍して教わっていました。またその後も若い子達のクラス先生の代わりに教えたりしたという経験もあったので、それもあって塾の講師を任せてくれたのだと思います。
――塾で教えるうえで特に重要視してほしいといったことなどはあったのでしょうか。
森田 二人に任せてくださるという感じだったので、特に何もなかったですね。三佐枝さんは子供の頃から阿佐美先生の指導をずっと受けているので、現在は彼女が中心となって塾生を指導しつつ、僕はそれをサポートし、また互いに情報を共有しつつ進めていければと考えています。

■憧れの「牧阿佐美」を追い続けたバレエ。立ち居姿一つひとつがお手本だった
――先ほどの志賀さんの牧先生に「褒めてもらったことがない」というお話ですが、それでもバレエを続けてきたモチベーションはどこにあったのですか。
志賀 私が憧れる、きれいな先生が認めてくれるダンサーになりたかったんだと思います。
A.M.ステューデンツで阿佐美先生に教えてもらった頃、先生はとてつもなくヒールの高いサンダルでピルエットやルルべ、バランスなどをしながら踊っていらして、それがすごく美しかった。私はその姿に魅了されて刺激を受けていたのだと思います。また晩年になっても高いヒールの靴でシャンと歩いていらっしゃったのは、常にお手本をきちんと見せながら生活されていたんだなと思います。そういう意味では牧先生の教えは視界から入ってくる部分がすごく多く、また器用な方なので表現なども、よくご自分でやって見せてくださった。本当にその姿一つひとつに惹かれました。私もいろいろなバレエ団で様々な先生とふれ合う機会をいただきましたし、みんなそれぞれに素晴らしい先生なのですが、でもやはり私は阿佐美先生のバレエがいいなと思いますし、唯一無二の方だなと思うのです。
実は私、小学校4年生から橘バレエ学校に通っていましたが、父親が転勤族だったので、中学1年の時に広島の方に転勤になってしまったんです。私も家族と一緒に広島に行ったのですが、どうしても橘で学びたいという思いがあって、毎週日曜だけ、A.M.ステューデンツのクラスを受けに新幹線で東京に帰ってお稽古に参加していました。でもみんなから遅れをとりそうなのが心配になり、橘に通うために中学2年生の時に1人で東京に戻ってきちゃったんです。それくらい魅せられてしまったんですよね、阿佐美先生に。ですから阿佐美先生が新国立劇場バレエ団の監督をされるときも、ついていきたくて新国立にいれていただきました。先生には猛反対されましたが(笑)
――本当に牧先生に心底魅了されていたのが伝わってきます。男性から見た牧先生の魅力というのはどういうところだったのでしょうか。
森田 三佐枝さんが先ほど言ったように、唯一無二の、華やかな方でした。また三佐枝さんには特に厳しい方でしたが、男性に対しては結構やさしかったですね。そんなに怒られたことや、厳しく指導していただいたとかそういう記憶はないんです。
僕が阿佐美先生の教えで特に印象に残っているのはテクニックや技術というよりは、ダンサーとしての心構えです。全幕の舞台の場合の――たとえば『三銃士』のダルタニャンの場合、最初はやんちゃな田舎者だけれど三銃士とふれあって成長していくといった過程がちゃんと見えるようにということを話していただいた。主役として舞台を引っ張るという心構えや、登場した瞬間空気を変えなければいけないといったところですね。

■一言の重み。伸びるダンサーはヒントから自分で考え何かを掴む
――現在は指導者としてバレヱ塾を引き継いでいますが、教える側としてのアドバイスで心に残っていることは。
志賀 私はどちらかと言うと真面目すぎて頭が固いところがあるんです。あるとき知っていること全てをあれこれ教え込もうとしたために、ちょっと躓いてしまったことがありました。その時に阿佐美先生が相談に乗ってくださって、言葉の使いかたやアプローチの仕方などをこうすればいいんじゃないと仰ってくださった。「私だったらこういうふうに言うわよ」って。
――「こうしなさい」ではなく「私だったらこうするけど、あなたはどう思う?」という教え方なんですね。
志賀 はい。私が現役の時代もそうだったのですが、あの頃の先生方は手取り足取り教えるのではなく、本当に一言しか伝えないんです。「足を使うのよね」と。
森田 ダンサーに考えさせるんですよ。そうしないとダンサーの個性が埋没して、誰もが同じになってしまう。だからダンサーの個性を引き出しながらより良いところに伸ばしていくために、そうしたヒントを出すやり方をしていたんだと思います。
志賀 ただ、昨今の生徒さんたちはヒントから考えるのも、私の動きを見て物真似をしつつ、そこから奪って自分の中に取り込むのがあまり上手じゃなく、人がいろいろとインプットしてくれるのを待っている感じなんですね。私たちの時代は先ほどの「足を使うのよね」の一言じゃないですが、あまり細かく教えてくださらない。だから他の人に先生が注意しているのを見ながらそれを自分に顧みつつ、糧にして行ったのですが。
森田 僕たちの時代の先生はヒントをくれても、答えは絶対に教えてくれないんですよ。でも今の子はヒントをあげてもわからないし、それがヒントだということも分からないから、答えにも持っていくことができない。でもすぐに答えを教えてしまうと成長しないんです。ヒントをあげて、そこからどう自分で考えて行くのかを僕たちは見たいし、そこに成長があるのですが、ヒントばかり出していると今度は「何も教えてくれない」とこちらが言われてしまう。だからその辺りの匙加減じゃないですが、妥協しながら進めていく感じです。
志賀 でも塾生ではありませんが、私が橘で見ていたあるダンサーは、昔はすごく不器用だったのですが、あるときちょっと教えただけでスイッチが入ってガラッと変わり、今はプロとして主演を踊っています。やはり上に立つ子はヒントから自分で考えて学んでいくし、与えれば与えるほどどんどん吸収していくんです。

■一人でも多くの「金平糖」を育てて恩返しを
――そうした中で、今年の牧阿佐美バレヱ団『くるみ割り人形』では志賀さんと森田さんの生徒さんである、牧阿佐美バレヱ塾の一期生、上中穂香さんが主役デビューを果たしますね。
「白鳥の湖」上中穂香(パ・ド・カトル) 2018年 撮影:鹿摩隆司
森田 そうなんです。バレヱ塾の卒業生からバレヱ団の主役を踊れるダンサーが出て、塾の設立からご支援いただいている盛田正明会長も、たいへん喜んでくださっています。上中さんはとっても真面目で、きっちりと踊るタイプのダンサーです。今まで入ってきた塾生の中では一番三佐枝さんに近いタイプなんじゃないかな。清楚できっちりとした踊りが見どころですね。
初日の阿部裕恵ちゃんはもうベテランといっていいくらいの存在感があります。今村のぞみちゃん、石山陸君のペアも初役で、陸君は身長もあり大きく踊りもダイナミック。二人ともまだ若いのですが、これからいろいろ学んでいくダンサー達ですので期待して見ていただきたいですね。
阿部裕恵、今村のぞみ、上中穂香
清瀧千晴、石山 陸、水井駿介
――牧阿佐美バレヱ団の『くるみ割り人形』はクララを子役が演じますが、それこそ志賀さんや、今、バレヱ団で主演を踊っている青山季可さん、阿部裕恵さん、さらに東京バレエ団の上野水香さんや、新国立劇場バレエ団の木村優里さん、赤井綾乃さんなど、バレエ団の枠を超えたダンサーが歴代クララに名を連ねており、牧先生が日本のバレエ界にどれだけ貢献してきたかを改めて感じます。クララ役ばかりでなく、今回上中さんとペアを組む水井駿介さんや、阿部さんと踊る清瀧千晴さんらはフリッツの子役も経験していると伺いました。

志賀 『くるみ割り人形』の子役はクララ役、フリッツ役や棒キャンディー、そして大人になり雪の女王、金平糖と王子と、段階を踏んでステップアップしていく演目でもあります。若手のダンサーのお披露目の機会でもあり、プロへの登竜門としての位置付けもあります。クララ役の子役はオーディションで選ばれるんですが、子ども達はみんなそれを目標に頑張っていますし、バレヱ塾からもクララやフリッツはこれまでも何人か出ているんです。今回バレヱ塾から金平糖の精が初めて誕生しましたが、今後も阿佐美先生のスタイルをしっかりと受け継ぎ、教えながら、引き続き一人でも多く主演を踊れるようなダンサーを育てていきたいですね。
森田 先生の教え方は本当に深い。塾生に指摘する一言が、僕らが考えることのさらに先をゆく深さがあり本当に勉強になりました。もう困った時に相談はできませんが、今回の上中さんに続く第二、第三の「金平糖」を育てていきたい。それが先生への恩返しになると思います。
――ありがとうございました。
取材・文=西原朋未

撮影:鹿摩隆司

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