『マイ・フェア・レディ』特集 ファ
インディング・イライザ~「ザ・ブロ
ードウェイ・ストーリー」番外編

ザ・ブロードウェイ・ストーリー The Broadway Story

番外編 『マイ・フェア・レディ』特集 ファインディング・イライザ
文=中島薫(音楽評論家) text by Kaoru Nakajima
映画版『マイ・フェア・レディ』(1964年)、日本初公開時のプログラム表紙。画家ボブ・ピークのイラストレーションが美しい。
 2021年11月14日に、帝国劇場で初日を迎える『マイ・フェア・レディ』。わが国では1963年以来、リバイバル上演を重ねてきた名作だ(前回は3年前に再演)。ブロードウェイでの初演は1956年。1964年に公開され、世界的に大ヒットした映画版を楽しんだ方も多いだろう。今回はこの映画に関わった歌手や、ブロードウェイ再演で主演した女優の話を交えヒロイン像に迫りたい。

撮影合間にくつろぐオードリー・ヘップバーン。左は、撮影監督のハリー・ストラドリング。

■真のレディだったオードリー
 原作は、バーナード・ショウの戯曲『ピグマリオン』(1914年ロンドン初演)。下層階級の花売娘イライザが、音声学教授ヒギンズの特訓で下町訛りを克服し、舞踏会で社交界デビューを果たす物語は説明の要もないだろう。ブロードウェイ初演の後、映画版でイライザに扮した、オードリー・ヘップバーンの歌を吹き替えたのがマーニ・ニクスン。惜しくも5年前に逝去したが、私は生前取材する機会に恵まれた。「ゴースト・シンガーの女王」の名を欲しいままにした彼女が、最も苦労した作品が「マイ・フェア」だったと語る。
「オードリーは低い声、私はソプラノなので、声質を合わせるのが本当に大変だった。彼女がボーカル・レッスンをするのを見ながら、発声や発音の特徴、歌う時の表情を捉えて吹き替えに臨みました。実はオードリーは、高音の部分のみが私の声で、殆どは自分の歌声が使われると聞かされていたのよ。だからそれは懸命に練習していた。同じ歌を繰り返し歌ってね」
マーニ・ニクスン。映画「王様と私」(1956年)と「ウエスト・サイド物語」(1961年)でも、ヒロインの歌声を担当した。 Photo Courtesy of Marni Nixon

 ところが当時の映画会社の首脳部は、映画館の大スピーカーから立体音響で流れる歌声には、水準以上のクオリティーを求めた(本連載VOL.16の映画版『南太平洋』参照)。「マイ・フェア」の場合も、当初からヘップバーンの歌は吹き替えで処理する事が決まっていたが、スタッフは真剣にレッスンする彼女を見て、切り出し難くなったのだろう。ニクスンは続ける。
「結局、監督のジョージ・キューカーがオードリーに伝えたのよ。さすがに言葉を失って撮影所を飛び出したけれど、翌日戻って来て、スタッフ一人一人に『昨日は、取り乱してしまってごめんなさい』と謝罪していた。誠実で聡明な本物のレディでした」
ブルーレイはパラマウントよりリリース。Amazonの prime videoなどでも視聴可だ。
■イライザ役に開眼するまで
 舞台出演も多いニクスンは、その後1964年に、NYのシティ・センターでの『マイ・フェア』限定公演で主演。ヘップバーンの吹き替えで、ある程度イライザ役を把握していたつもりだったが、リハーサル初日に早くも壁にぶつかった。
「表層的な部分でしか、イライザを理解していなかったのよ。さらに私の周りのキャストは、『マイ・フェア』のブロードウェイ初演や、ツアー公演に長年出演していたベテランが多くてね。『この程度か』という冷たい視線を感じて辛かった。幸い演出家が、初演を手掛けたモス・ハートのアシスタントを務めた人で、途方に暮れる私に、セリフや歌詞の裏に潜む心理状態を丁寧に説明してくれました。それからは自分で役柄を掘り下げ、毎日新たな発見があった。でもイライザが精神面で自立し、人間的に成長する過程を演じるのは難しかったわ」
NYのシティ・センターでイライザを演じたニクスン(1964年) Photo Courtesy of Marni Nixon

 ちなみに演出家モス・ハートは、役を掴めずに葛藤していた、初演イライザのジュリー・アンドリュースに猛特訓を施し、女優開眼させた事で知られた。ニクスンは、「あの役を演じる誰もが行き詰るのよ」と振り返る。そして彼女は、楽曲の中で好きなナンバーに〈ショウ・ミー〉を挙げた。舞踏会で成功を収めたものの、ヒギンズ教授の実験材料に過ぎなかった事に怒り、彼の家を出たイライザが、彼女に憧れる青年貴族フレディに憤懣を爆発させる曲だ。
「レディになった後のナンバーだから、洗練された英語で歌ってはいるけれど、畳み掛けるような曲調で書かれているのよ。つまりイライザの内面では、花売娘の頃の気性の激しさ、粗野な性格が燃え盛っている事を、歌詞と旋律で巧みに表現している。素晴らしい楽曲よね」
同じくシティ・センターの舞台で〈ショウ・ミー〉を歌う。 Photo Courtesy of Marni Nixon

■偉大なるモス・ハートの教え
 ブロードウェイとロンドン初演(1958年)、映画版でヒギンズ教授を演じたのが、英国を代表する名優レックス・ハリスン。彼は1981年に、初演以来25年振りにブロードウェイの再演版で主演を果たした。この公演で、イライザを演じたのがナンシー・リンガムだ。実は彼女、イライザを演じるはずだった女優が降板を余儀なくされたため、アンサンブルの中から急遽抜擢。スター誕生物語を地で行く展開は、当時新聞などでも大きく報道された。

「シェリル・ケネディというイギリスの女優さんが、イライザを演じる予定でした。上手な人で、レックスも大いに気に入っていたのよ。ところが、ブロードウェイ入りする前のツアー公演中に声帯を痛め、出演が難しくなってきた。そこでアンサンブルの一員だった私に白羽の矢が立ち、シェリルの代役を務める事になりました。さすがに物凄いプレッシャーだったわ」
1981年再演版イライザのナンシー・リンガム。『マイ・フェア』以降は、スティング主演の『三文オペラ』再演(1989年)や、『ウィル・ロジャーズ・フォリーズ』(1991年)などに出演した。 Photo Courtesy of Nancy Ringham
 しかしアンドリュースやニクスンに続き、ここでもモス・ハートなのだった。尊大な人柄で知られ、「代役とのリハーサルには一切付き合わない」と公言していたハリスンの代わりに、リンガムにイライザの役作りを伝授したのが、ハリスンの代役を務めた俳優のマイケル・アリンスン。初演にも出演した彼は、ハートの演出を全て記憶していた。再びリンガムの懐述。
「イライザが、向上心に満ちた女性である事を学びました。彼女は将来フラワー・ショップで働くため、正しい英語とマナーを学ぶべく、花を売りながら貯金をしている。それがヒギンズ教授と出会った事で、実現の可能性があると直感するのね。それで教授が、同じく言語学を学ぶピッカリング大佐に伝える自宅の住所を暗記して、タクシーに乗ってやって来る。とても実行力のある賢い女性なのよ。初演のジュリーも、そう演じていたのでしょう」

■ヒギンズ教授の行方
ハリスンを大きくあしらった、1981年再演のプログラム表紙
 リンガムによると、アリンスンから教わった最も重要な点は、イライザとヒギンズは対等の立場で、最後には彼女がヒギンズを凌駕するという事。しかし、ヒギンズ教授を生涯の当たり役としたハリスン主演の再演版で、これは難しかった。
「あくまでもレックスありきの公演ですものね。確かに舞台上では圧倒的な存在感で、闊達な芝居には感嘆しました。ただイライザ役に関しては、小柄なイギリス人女優が演じるべきだという先入観があった。長身でミネソタ州出身の私には、相当不満だったでしょうね(笑)。彼は、ジュリーも快く思っていなかったらしい。美しく純真で、歌も抜群に上手い彼女が、自分の予想を超えて賞賛を集めたのが面白くなかったのでしょう」

 ハリスン氏、偏狭で自己中心的なヒギンズに、極めて近いパーソナリティーだったとも言えそうです。しかし改めて映画版を観ると、イライザがヒギンズの許に戻るラストは疑問符が渦巻く。2018年のブロードウェイ再演では、ヒギンズの有名なセリフ「僕のスリッパはどこだい?」の後、イライザは「おまえも大人になるんだよ」とでも言いたげな、慈母のような表情で彼の頬を撫でたかと思うと、くるりと踵を返しヒギンズ邸を再び立ち去るのだ。そのまま客席通路を走って退場し、観客はやんやの喝采という幕切れで、これは痛快だった。
2018年再演版CDは、イライザ役ローレン・アンブローズ(TV「シックス・フィート・アンダー」)の伸びやかなボーカルが見事(輸入盤)

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