ゆうめい『姿』池田亮×高野ゆらこ×
児玉磨利インタビュー~母役の二人が
実在の母と会って感じたこと

2021年5月18日より東京芸術劇場 シアターイーストにて、「芸劇eyes」のラインナップ作品として、ゆうめいの『姿』が上演される。本作は、2019年10月に「MITAKA“Next”Selection 20th」として三鷹市芸術文化センター星のホールにて上演。脚本・演出を手がける池田亮が自身の家族を題材に両親の出会いに遡り、妻と夫、親と子の過去から今、そして家族のこれからを描いた物語は多くの観客を魅了した。
約一年半ぶりの再演にあたり、池田は変化した時代や人々へのまなざしから新たな未来のシーンも紡いでみたいと意欲を見せる。「母」の役を続投する高野ゆらこと児玉磨利を交え、新たに立ち上がる『姿』という作品について話を聞いた。
■変化した時代を踏まえて見せる、新たな『姿』
――『姿』は池田さんとご家族のエピソードを基に描いた物語であり、実父の五島ケンノ介さんが演じられた父役や、「母」のキャラクターや存在感がとても印象的な作品でした。再演に際して作・演出にも変化はあったのでしょうか?
池田:そうですね。「変えた」というよりも、時間の経過とともに「変わった」という方がしっくりくる感じがあります。初演後に家族と話して新たに知ったこともあったので、部分部分が変わっている感じですね。一時期は2021年版みたいにがっつり書き換えようかとも思ってたんですけど……。
児玉:初演後には「オリンピック後に再演できたらいいねー」なんて言ってたけど、2020年にオリンピックもなかったし、想像しなかったようなことも起きてしまったし。自分自身も大きく変わったなあと思います。
池田:初演と同じく2019年の物語として進めてはいるんですけど、「2021年にいる人たちに2019年の様子を見せる」みたいな感覚も自ずと含まれていきますね。書き換えを考えていた時は、今の世に起こっていることを細やかに取材して知識を以って盛り込んで行くような劇作も考えていたんです。
高野:そうなんだ!それは知らなかった。

池田亮

池田:でも、それはやっぱり自分がやりたいことではないなって思ったんです。人の心って知識だけで解決するものじゃないし、正論で処理できないものがたくさんある。この2年はそんなことを強く感じた時間でもあったから。コロナ禍で起きた出来事や新習慣、人々の気持ちや感じ方の変化。そういったものは演出上でも否応なく出てきます。舞台の上に寝転ぶシーンがあったんですが、感染対策上それはどうなんだろうか?という話を昨日も話し合ってて……。
児玉:個人の感覚によっても変わってくるところだし、そういった温度差も生じてくるので難しいんですよね。
池田:そうそう。稽古に入る前に「このシーン大丈夫かなあ」って実は思ってたんです。でも、「自分が過敏になり過ぎてるのかも」という気持ちもあって……。そしたら、(高野)ゆらこさんが提案に上げてくれたので、「やっぱり気になる人はいるんだな!」って思えて。
高野:実は、私も言う前に一晩悩んだの。でも、結果的に何を選ぶかはさておき、今の世を生きるお客さんはこの風景をどう見つめるだろうということ。そこに思いを寄せてみるのも悪くないかなって思ったんですよね。
児玉:例えば、アルコールスプレーを振りまきながらならいいのか、いや、それで笑いを起こしてしまったら軽視しているみたいに見えてしまうんじゃないだろうか、とか……。ニューノーマルな考えを踏まえつつ面白いお芝居を作るって難しいことだなと痛感しています。でも、だからこそ、みんなで話し合って考えや想像を集めてやっていきたいなって。
高野:演出を変えるそのことによって、表現が一つ失われるのではなくて、むしろ新しいものが生まれるかもしれない。そういう可能性も含めて、今しかできないことなんじゃないかって思っています。

高野ゆらこ

――新様式の生活の中で、自分の感覚の変化とともに他者との温度差を感じること。そういったことは誰しもが各々感じていることかもしれませんね。
高野:私もこの一年で改めて「観る側の気持ち」を考えさせられるようになりました。至近距離で会話を交わすシーンなんかは、やっぱり少し怖くなっちゃって観客として目の前のお芝居に没入できないこともあって。しょうがないことだとも思うんだけど、勿体無くも感じたり。
児玉:私は、気持ちの整理がつかないこともあり、1年近く演劇を観ていなくて。こんなに長い間演劇を観ないなんて初めてのことで、久しぶりの観劇はどこか落ち着かない気持ちでした。客席でマスクして間隔とって座っている中で、こっちが舞台に立つ人を頑張らせちゃってるような感じがしてやりきれない気持ちになった時もありました。それは自分が俳優で、舞台に立つ時を知ってるからかもしれないんだけど……。『姿』という作品がコロナ後初の観劇になる人もいるかもしれないなあなんて思ったりもします。
高野:具体的な感染対策はもちろん、目には見えない人の気持ちやその差にどこまで寄り添うのか。今回の稽古では、そういうことをより考えるようになったよね。でも、みんなでアイデアを出し合う時間はすごくよかった。そういう時間を大切にできる稽古場はありがたいし、「ゆうめい」がクリエーションで大切にしていることにも通じている気もします。
池田:「これが今の世です」ということよりも、「この人は今何を思ってるんだろう」「中にあるものは何なんだろう?」っていうことを見せたいなって。同時に、自分自身もそういうものが観たいって思ったんですよね。再演に際して母と話したりしている中で、だんだん自分が今回やりたいことが見えてくるような感じもありましたね。

児玉磨利

■母役を演じる二人が、池田・母に会って思うこと
――今回は、そのお母さんのお話もお聞きしたかったんです。再演が決まった後、母役を演じる高野さんと児玉さんが役のモデルとなった池田さんのお母さんとお会いになる機会があったと聞いたのですが、どんな経緯があったのでしょうか?
児玉:実在する人の役をやる機会は少ないですし、ましてやその人が会いに行ける場所に生きているなんてことは今後もそうないんじゃないかってふと思ったんですよね。あと、シンプルに「またやります」って挨拶しておきたかった。最初は「亮ちゃん(池田)が嫌がるかな?」とか「突然のお願いでお母さんに失礼かな」とか探りながらのお願いだったんですけど……。
高野:ありがたいことに、お母さんが一番ノリノリだったんだよね(笑)。その日のために自己紹介の資料まで用意してくれて。パワーポイントを使った完璧な資料で、色々質問も用意してたんだけど、「全部の回答がここに載ってる…」みたいな(笑)。生まれてから現在までに至る、池田・母の大河ドラマのような資料だったよね。
児玉:そう!もちろん内容もすごいんですけど、その行為がすでにお母さんを物語ってて……。これを渡してもらっただけで、もうお腹いっぱい!最高です!ってなりました。
――(実物を見せてもらって)かなり本格的な資料ですね。右上に<「ゆうめい」補足資料>って書いてありますね。
児玉:そうなんです。全てにオチがあるのとかも含めてすごいんですよ。
池田:お二人がそう言ってくださって、こういう場を設けられてよかったなって思いましたね。でも、あれが日々続いたらちょっときついですよ…(笑)。一日だったら「このアトラクションすごい!」ってなるんですけど、毎日だったら「きつい!もう吐く!」みたいな。
高野・児玉:あはははは!
児玉:お母さんと会った後は必ず亮ちゃんの身の上に事件が起こるんだよね?
池田:そうそう。ある時は電車で寝過ごして江ノ島まで行っちゃうし、またある時は帰りにホームで転んで前歯折れるし……。母はお酒を飲むペースが早いんですけど、話していたら身体が勝手に合わせちゃうんですよね。喋ってる時は大丈夫なんですけど、別れた瞬間にいきなり緊張が解けるのか、正常に動けなくなるみたいな。
高野:命がけじゃん!(笑)。でも、場に与える力が半端無い人だということはよくわかったよ。
池田:母がすごく話したがり屋っていうのはわかっていたんですよ。その矛先がずっと自分たち家族だったので。でも、お父さんも僕も池田家としてもキャパオーバーだし、もうどうせなら外に出していろんな人に言った方が面白いのに!って思ってた部分があって……。たどり着いたのがここなんだって感覚でしたね(笑)。
高野:家でもあんな感じなんだよね?
池田:感情のイメージとかもっと強く入れてきますよ。「今日も満員電車の中ずっと突っ立ってて辛かったけど、それでも私は立っている人たちを音符だと例えて、どんな名曲を紡げるかを考え続けてるんだよ!わかる?」とか……。え、なんの話してるの?ってなるし、そういう時ってどんな返しも通用しないんです。で、目覚めたら全部を忘れてる。
児玉:あはははは!カオスだね!
高野:本人に会っちゃったもんだから、『姿』の戯曲の方に対しても、「これ本当にあの人が言ったことなのかな?」っていう気持ちと、「これは確かに有り得そう!」っていう気持ちが交互に見え隠れしたりして……。でも、何よりも私は、お母さんが『姿』という作品をすごく好きでいてくれてることが嬉しかった。
児玉:お母さんが『姿』を一つのエンターテイメントとして、自分と乖離して見つめているというのも含めてすごい関係性だなって思いましたよね。
高野:「作品のここが好き」「あの時、私は彼に負けたと思いました」みたいな感じで、池田くんの作るもの自体もきちんと評価する。対等に俯瞰に芸術そのものを見つめる視点みたいなものも持っている人だったよね。
池田:ある意味、『姿』がなければ、今のような感じではいられなかったと思うんです。戯曲を書くことによって関係も築かれていったというか……。今回は、ゆうめい初の東京芸術劇場。“東京都の芸術の劇場”で公演を打つこと。ただでさえ母の話だけど、こんな時期ということもあり、東京都の公務員である母のことをより考えます。母のような仕事をしている人にどう響かせるか、どう感じてもらえるか。そんなことをつい意識してしまいますね。
――お二人は実際にお母さん本人にお会いして、「母」の役に対する見つめ方にも変化があったりはしたのでしょうか?
児玉:役に直結するかはわからないのですが、お母さんが帰り際に突然「ああ、静かになりたーい!」って言ったんですよ。私それにめちゃくちゃ笑ってしまって、なんかグッときたんですよね。私自身も気持ちが言葉を追い越しがちなので「喋り過ぎてしまった」とか「頭の中がうるさい気がする」とか、ずっと思いながら生きてきたんです。でも、お母さんのその一言を聞いて、「このお母さんでもそう思うんだから大丈夫かも」っていう妙な安心があったし、ある種のシンパシーを感じました。
高野:私は「個人」というより「家族」に対する目線が変わったかな。この役をやる上で「お母さんがどんな人か知りたい」っていうのももちろんあったんだけど、“池田くんと一緒にいるお母さん”を見れたことがすごくよかったなって思ってて……。だからかわからないけど、稽古でも母としての悔しさや疎外感みたいなものを前より感じるようになったんですよ。父と子がつるむ連帯感が今、すごく嫌に思えます(笑)。
池田・児玉:あはははは!
高野:私、初演の自分を見返して、「もっと母になりたい」って思っていたところがあって。自分自身の考えや生き方を「母」という役にリンクさせていくのではなくて、「この母と息子はどうなのか」っていう視点をもっと突き詰めたい。そんな気持ちがあったので、「なるほど、この二人か!」って腑に落ちたというか……。池田くんが書く「怖いお母さん」の部分を読んできたけど、平たく言うと、「なんだ、この二人は互いのことが大好きなんだ!」っていう風にも思えましたね(笑)。
池田:そういう風に見えたんですね!面白い!
高野:あと、これは私が思ってるだけかもしれないんだけど、池田くんが私にこの役を当ててくれた理由が少しわかった気がして。言葉ではうまく言えないんだけど、そういう感覚があったんですよね。初演の感想の中には「母が若い」「お父さんと夫婦に見えない」みたいなものを見かけることもあったんです。演劇って年齢も性別も自由に表現するものだし、私は私でやってるんだと思ってはいたんだけど、どこかでそういうことも引っかかっていたんだろうね。でも、今回お母さんと会えたことで、「誰がどう思っても私はこの役をやる!」ってすごくはっきり思えたんです。
■全てが“活かし”になる、池田亮の演出
――再演という新たなスタートに向けたとてもいいきっかけだったのですね。池田さんは、作品と切り離せない「家族」や、新たに生まれゆく『姿』という作品を今どういう思いで見つめていらっしゃいますか?
池田:昔は母と喧嘩した時にも「この人はなんでこんなことを言うんだろう?」って全く理解ができなかったんです。でも、創作にあたって取材をしたり、本を書いたりしていくと「ああ、そういう気持ちだったんだな」って“わかっていく”感じがあって。そうなってからは、「いったん全部背負ってみます!」みたいな感覚にシフトしてきたんです。おじいちゃんがやりたかったものを母が受け継いで、その母がやりたいものを僕が受け継いで……みたいな。関係ないじゃん!って断ち切った方が楽だけど、僕もバカだから「全部やります!」みたいな気持ちになるんですよね(笑)。でも、やっぱり「背負う」とはまた違うかな。そっちの方が面白そうだから、素直にやってみたいなって思ってるんですよね。
児玉:亮ちゃんって自分に負荷をかけるのが上手というか、演出でも軽い方と重い方があったら絶対重い方、難しい方に行く気がする。例えば、ここは3人だけの絵で進めた方がお客さんにも優しいんじゃないかって時。亮ちゃんは次に現れる4人目を使って、全く新しい絵を作ったりするんです。こう行くだろうなあというところを全く違うところに持っていくことによって、道が大きく広くなるみたいな。そういう爽快さがすごく好きなんですよね。
高野:すごくわかる。俳優の答えを一旦きちんと受け止めて、そこからさらに新たなアイデアをくれるというか……。「すみません」と「すばらしいです」を最初につけて、そのあとにとんでもないこと言ったりするよね。「すばらしいです!色々やらせてすみません。それで、あのシーンなんですけど…」みたいな(笑)。
児玉:本当が見えないと言うか、全部が本当というか……怖いです!(笑)。俳優が予め考えてきたことや準備をしてきたものを試すのが稽古場だと思うんですけど、置いていったものがそのまま本番に残っちゃうから、出す前にまず自分としっかり戦わないとなって。全部が活かしになるのが池田亮の演出。「やっぱ今のなしで!」はないから、調理してくださいっていうただの具材ではいられない。でも、それが俳優としての当たり前ですけどね。そういう意味で、怒ったりきつく言ったりする演出家よりずっとちゃんと怖いです。
池田:なるほど。こういうお話を聞くのは貴重ですね(笑)。僕は、一筋のレールで決めたくなくて、自分ならこうやるんだろうなあってところからまず離れたいという気持ちがあるんですよね。一つの作風を成立させるという点では父親も出てるし、実話をベースにしてるし、もう十分かなあみたいな気持ちがあって……。
高野:うんうん。
池田:でも、こうやって自分の書いた物語に参加してくれている俳優のみなさんも誰かにとっては家族だったりするわけじゃないですか。そういった面が役の中に出たらすごくいいなって。考えや人生の全然違う人が集まってできる演劇だからこそ。それを描くことに僕は意味があると思っているんですよね。
高野:池田くんって演技の演出ってほとんどしないもんね。「その時誰がどこにいるのが一番面白いか」みたいなことを見てる人なんだなって感じる。池田くんの作り方は独特だけど、ゴールがしっかり見えていて、俳優同士が台詞を交わすだけでは出てこないような広い目線と想像力で作品や俳優を見つめてくれる。
児玉:演技のことを一切言われてなくても、その眼差しが結局自分の演技の助けになってくるんですよね。だからこそ、亮ちゃんが5個考えてるなら8個考えなきゃと思うんです。そうしないと、駒のように見えてしまう可能性が常にあるから。彼がそれを何よりも望んでいないことは演出を受けていたらわかるので。
高野:そうだね。ここで生まれているものをよりよくするために誰よりも考えているのが池田くん。だから、池田くんが驚くような面白いものをもっと見せたいなって思います。
池田:ありがたい限りです……。当たり前のことですが、座組が変わることによって全体の雰囲気も全然違ってきて、新たな面白さが生まれそうな予感を日々感じています。創作を突き詰めていくと結局辿り着くのは「とにかく面白いことがやりたい!やろう!」ってこと。初演よりも観る人を想像した作品になっていると思いますし、より面白い作品にしていけたらと思っています。
【ゆうめいprofile】

写真:川喜田茉莉
舞台作品・美術・映像を制作する団体として2015年 に設立。 自身の体験や周囲の人々からの「自分のことを話したい」という声を出発点として、生々しくも多種多様に変化していく環境と可能性を描き、その後、表現によってどのように現実が変化したかを「発表する」までを行う。表現と発表をし続けることによって生まれる他者との共鳴と反発を繰り返し、現実に新たな視線や変化 を見つけることを目指している。 ゆうめいの由来は「夕と明」「幽明」人生の暗くなることから明るくなるまでのこと、「幽冥」死後どうなってしまうのかということから。 「有名になりたいから“ゆうめい”なの?」と普段思 われがちの名前から、 由来のように「物事には別の本意が存在するかもしれない」という発見を探究する。

写真/吉松伸太郎
取材・文/丘田ミイ子

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