最近電子版が発売となった、「SNSは権力に忠実なバカだらけ」(ロマン優光・著 コア新書)発売元コアマガジン

最近電子版が発売となった、「SNSは権力に忠実なバカだらけ」(ロマン優光・著 コア新書)発売元コアマガジン

バカしかいないSNSという地獄空間(
ロマン優光)

インターネット上、特にtwitterなどSNSでは変な人たち、もう少しハッキリ表現するとバカな人たちばかりが目立っていないだろうか。なぜそんな現状なのか、誰よりも正しいミュージシャン・ロマン優光が解説する。
 Twitterをやっていて「文字は読めるけど文章は読めない人」の多さに驚きませんか。そこに書かれている文字は読むことができているのに、そこに書かれている内容が全く理解できていない人たちです。
 内容が理解できないまま、独自の解釈をして怒っている人たち。なんど説明しても理解せず、説明したところで「そんなことは書いてなかった。嘘つくな!」ということになってしまいます。よく読まずに脊髄反射的に反応してしまう、勘違いしやすい人というのとも、また違うのです。勘違いなら落ち着いて後から読み返せば、相手の主張しているような内容が書かれているという可能性に気がつくと思うのですが、いつまでたっても理解することがないのです。
 これはどういう現象なのでしょう。文字も読み書きできて、文章も書いてTwitterに投稿しているような人が、他者が書いた文章の意味を全く理解できてないのです。単純に読解力がないだけの話とも、また違うと思うのです。
 そういった人たちの中には、文筆業や編集者といった読解力がなければ本来成立しないような職業についている人たちもいるのです。全てに対して内容を把握できない人なら読解力がないという判断でいいと思いますが、それはある特定のテーマや特定の相手の場合に発揮され、別の話題や相手の場合は問題なく意思の疎通ができているのです。
 わざと曲解して相手を貶めようとしているのであれば、逆に「この人は性格の悪い悪質な人間だ」と思って理解はできるのですが、そうではなさそうな場合が多いのです。本気で信じているようなのです。では、なぜそんなことになってしまうのでしょう?
 なんとなくわかったのが、その人たちの頭の中に「答え」が最初から存在していて、それを基準に反応しているのではないかということです。例えば相手の人に対して何らかのレッテルを貼ってしまっていて、それにしたがって何でも解釈していくので、齟齬をきたすのです。わかりやすい例で言えば、人種差別反対主義者=サヨク、安倍首相=ネトウヨみたいなやつですね。人種差別に反対していても総論としては保守思想や民族主義的考えをもっている人もいますし、安倍政権を支持していても経済政策をメインに評価しているだけでネトウヨ的な願望を安倍首相に対して求めていない人も当然います。
 こういう風に実情と違うレッテルを貼って相手の言葉を解釈していくと、当然歪んだ解釈をしがちですし、「あいつはこういう奴だからこう考えているに違いない」という思い込みで文章を読んでいくと関係ないものまでそういうふうに読めてしまうものです。
 わかりやすい例として政治的な話を出しましたが、これは別に話題が政治に限った話ではないのです。「『けものフレンズ』のファンはこういうやつに違いない」「サブカルとはこういうものなので、同じ意見ではないこいつは過去について全く勉強していないに違いない」「アイドル好きでパンクが好きな奴はそれを誇っているに違いない」というような思い込みを元におかしな解釈を他人の文章に加えていく。全く違った文脈の発言も、そこに書かれていないようなことまで妄想して勝手に解釈していく。
 自分の目にとまった単語を自分の頭の中の答えに沿ってつぎはぎをして全く違った内容を作ってしまうのです。本人はわざとやっているわけではなく、本気でそう思い込んでいるのでタチが悪い。しかも、こういう人に限って自分の過ちを指摘されても謝らないのです。
 現実を冷静に観察して判断することよりも、頭の中の答えを優先して間違った解釈を連発してしまう人は自分が絶対に正しいという自信がある人だと思うのですよ。いや、自信があるというよりも思い込んでいるという方が正しいのかもしれません。自分が絶対に正しいと思い込んでいるから、他人にミスを指摘されても受け入れられない。絶対に自分が間違うわけがないと、どこかで思っているからなのです。自分が正しいに決まっているから、その指摘は相手の言いがかり、もしくは誤解でしかないのです。
 こういう自信というか、思い込みを持っている人は、常に自分が間違っているのではないかと考えてしまう、自分のような人間にとってはうらやましいかぎりです。
 事実関係を積み重ねられてさすがに誤りを認めざるを得ないような状況に追い込まれたとしても、こういう人たちは素直に謝るわけではありません。しぶしぶ誤りを認めながらイヤミを言ったり、なんだかんだ相手を悪く言ったり。こういうのはまだ可愛い方でブロックして無視を決め込む人もいます。こういった人が全然謝れない人かというと特定のテーマの話題以外のことでは謝れたり、相手の立場によっては謝ったりしているので、完全な異常者というわけではないのですよね。
 こういったタイプの人は、結局のところ選民意識が強い人なのだと思います。そういう人が権力を持った人や権威のある人とお近づきになることができたり、意見の合致をみようものなら、盛大に噴き上がります。自分に自信があるのなら、そんなに権力とか権威に担保してもらわないでも一人で偉そうにしておけばいいじゃないかと思いますが、こういう人たちって自分が正当に評価されてないという不遇感をどこかで抱えているのか、そういうことを喜ぶ傾向があるのです。力のある人と知り合いになれたことで自分が認められた気になったり、意見の合致を見ることで自分の意見が正しかったという実感を得たりするのでしょうね。
 その対象は個人ではなくて思想だったりすることもあります。権力や権威と書くと勘違いされるかもしれませんが、体制側とか反体制側、主流派とか反主流派とかいったことではなく、その人の思想や嗜好の方向性に当てはまった領域の中での権力、権威のことなので、反体制的だったり、少数派だったりすることとは関係ないんですよね。
 元から独善的で選民意識が高い人間が権力や権威の側に立った時の横暴さや傍若無人さといったら話にならないひどさなわけですよ。こういった人たちが普通に権力や権威に弱いだけの人たちを引き連れるかのようにして大暴れしている光景があちこちで見られるようになっているのが今のTwitterなのではないかと思います。
 この本(編集部注:「SNSは権力に忠実なバカだらけ」)では、そういう人たちや、そういう人たちが寄り添う権力がある人や考えが多く登場することになります。
第一章 SNSは気持ち悪い地獄のTwitter空間 Twitterをやっていて、ここ4年ぐらいの間に気になったことが、いくつかあります。まず一つは、「他者を批判することは良くないことである」という考えが広い範囲に浸透しているということです。
「プロの物書きなんだから批判するべきではない」という内容のことがつぶやかれているのを何度か見るようになりました。こういう内容の文章を初めて見たときに本当にびっくりしました。批評というものは、対象をじっくりと分析し、良いところは評価し、良くないところは批判するものです。それは、評者にとって良いと思えることだけだったら良いところだけ書けばいいので書く方も楽しいとは思いますが、良いと思えないものを良いと書くわけにはいきません。それが多少の傷だったら、その他の部分のことだけを書けばいいのですが、それで対処できないくらいひどいと感じたなら批判するのは仕方がないことです。
 これが素人であれば、黙っていればいいだけだと思うのですが、プロのライターや評論家が仕事としてやっている場合、何事に対しても全く批判を交えずに原稿を書くことなんて無理な話です。もし、そういう人がいたとするなら、自分の好きなものに関してだけ書いていてもいいぐらい仕事を選べる立場の人か、仕事に対して不誠実な人間かどちらかでしょう。
 傷があまりないようなものに対してまで、無理矢理にあら探しをしてまで悪く言っているような原稿もあります。そういった原稿は確かに良くないし、評価するに値しないでしょう。そもそも、批評というのは自分の好き嫌いは、いったん横に置いて分析をし、どんなに嫌いなものであっても認めるべきところがあるものは認めなければならないものだと思うのです。無理矢理に悪いところを探すのはおかしな話です。
 プロによる批判を否定している人たちが自分の好きなものが批評されて、それが受け入れ難かった場合どうするのか。批判を否定しているのだから、批判をするべきでないと言って終わらせるのかと思いきや、評者に対する人格批判や罵倒を始めてしまう人もいるのです。批評というのも一つの作品ですし、批評自体が批評されるのは当たり前のことです。しかし、ただ単に感情的に評者を攻撃してしまうのは話が違うのではないでしょうか。批判は良くないけど、罵倒は許されるというのは理屈として全く理解できないです。
 個人的な話になりますが、ツイートでは基本的に作品や演者の批判はしないようにしています。Twitterというのは見たくなくても目に入ってしまうようなところがあるものですし、自分の好まないものであっても、それが好きな人はどこかにいるのだからわざわざ嫌な思いをさせることはしたくないし、それによってトラブルが起きて自分が嫌な思いをするのは望まないからです。自分も自分の好きなものが批判されているツイートが不意に目に飛び込んできてしまったら嫌なものです。自分も人間ですので、何かを悪く言いたくなることはあるのですが、そんなのはクローズドなところでやってればいいもので、わざわざ広げる必要はないと思っています。
 しかし、それは個人的なTwitter上のマナーみたいなもので、別にTwitter上で誰が何を言ってもいいし、言った以上はそれを批判されても受け止めればいいだけだとは思います。それが互いに正当な批評的行為から生まれた批判である限り。感情的な罵り合いは泥仕合になるだけで、どっちが正しいとかそういう話ではないので決着なんかつかずに遺恨を残していくだけなのです。批判に対して罵倒で返そうが、罵倒に対して罵倒で返そうが、リアクションを起こす側が罵倒で返していては、事態は悪化していくだけです。
 批判には批判を、罵倒にも批判をロジカルに返すしかないんですよ。今のTwitterでは。個人的にはロジックを放棄して一刀両断に切り捨てるような悪口とか全然ありだと思うし、好きなんですけど、それを今のTwitter上でやると泥仕合になるか、モラルを盾にした相手に上手いことやられるだけになるんですよね。
 社会的に害があるであろう行為やそれをする人や、自分に害をなそうとする人に対する批判は自分もTwitter上でやります。政治的な話もその範疇に入っています。ただ、政治の話はめったにしませんね。自分の能力ですとTwitterの形式で伝えられることなんて限られているし、今のTwitterの状況では結局似たような主張の人たち同士で見て確認し合うようなことになりがちですから。
 全ての人間が同じ人間でない以上、自分と対立的な考えを持った人間が存在するのは当たり前のことです。むやみに他人を不快にさせないようにSNS上の言動に気を付けるのは良いことでもありますが、それがSNSの世界以外にも適用されると考えるのも愚かな考えです。思考というものは、反対の立場の批判的な意見に触れることで、それに対して論理的に反論するような過程を経て深化する部分があるものです。真っ当な批判は必要なものだと思います。
 自分自身や自分の作品、自分の信じているもの、好きなものに対する否定的な言葉は不快なものです。しかし、それが単なる言いがかりに根差した罵倒にすぎないのか、分析に基づいた論理的な批判を含むものなのかの区別をつけて、それが参考に値するものであれば参考にすべきなのです。別にSNS上で直接やりとりする必要はないし、互いに共感し合えるようになる必要もないのです。
 ただ、自分の考えを深めるためには反対側に立つ論理的な思考が必要なのです。たとえ、その方向性が嫌いでも。
以上は、コア新書『SNSは権力に忠実なバカだらけ』のまえがきから第一章の一節目までです。 現在、各電子書籍配信サイトで販売中です。配信先は文末をごらんください。
~目次~
第一章 SNSは気持ち悪い
地獄のTwitter空間/ネトウヨにバカ負け/左やリベラルの変な人/ネトウヨは普通の人/水原希子叩きのバカバカしさ/ゲイ・キャラクターを巡るあれこれ
第二章 ゆかいな愛国者たち
百田尚樹先生のバカがとまらない/百田尚樹先生の不毛な戦い/それは『殉愛』から始まる/ケント・ギルバートの本がバカすぎる/右曲がりのお坊ちゃん・高須院長/西原理恵子はリアリスト
第三章 新興宗教との付き合い方
僕とオウム真理教/笑えるワールドメイトと幸福の科学/清水富美加は悪くない!/景山民夫の悲しい最期/創価学会の人間
第四章 松本人志という権威
つまらなくなったと評判の松本人志/あの筋肉のせいなのか/『ワイドナショー』での微妙なしゃべり/ウーマンラッシュアワー・村本大輔はなんなのか
第五章 オザケン人気が謎すぎる
僕とフリッパーズ・ギター/フリッパーズ・ギターってそこまですごいか?/渋谷系ってなんだ!?/君は「燃え殻」さんを知ってるか/オザケンは超ポジティブ
第六章 ミスiDと暴力
ミスiDという治外法権/日野皓正のビンタ
◎主要配信先は以下でご確認ください(リンクしないサイトでごらんの方はブラウザにURLをコピペしてください)。
http://www.coremagazine.co.jp/book/coreshinsho_025.html
なお著者・ロマン優光氏の新刊 コア新書「90年代サブカルの呪い」は書籍で2019年3月4日より全国書店・ネット書店で発売中です。
http://www.coremagazine.co.jp/book/coreshinsho_027.html

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