《後編》なぜ突然消えたのか!? 失踪
した有名人4人の現在

仕事の方向性で揉めたグラドル

 いわゆる色恋沙汰から所属事務所に反発し、失踪という実力行使で抵抗するという珍しい例もある。
 例えば、2005年12月に西川貴教との交際が写真週刊誌で報道された瀬戸早妃。事務所社長の反対を押し切り、その後も隠れて交際を続けていたという。ところが翌年、グッドウィル・グループの折口雅博氏との交友関係が浮上し、突然姿をくらませた。事務所も本人に連絡が取れない失踪状態が続いたが、事務所の社長はあくまで休業であることを強調した。
 しばらくすると、芸名を「日向咲」に改名し、密かに仕事を開始。このとき、背後にスポンサーがいると一部で噂された。その後、本人の口から、元事務所側と仕事の方向性や、女優方面へシフトしたいという本人の意向の食い違いにより、休業するに至ったことを説明。また失踪中はニューヨークで語学・ダンス・歌のレッスンを積んでいたと語った。現在、さらに新しい大手事務所へと移籍し、名前を元の「瀬戸早妃」に戻して活動を続けている。

不倫から海外への逃避行

 1994年5月末、当時無敵を誇った女流棋士・林葉直子は、日本将棋連盟の会長に「インドのサイババのところへ行く」と休養願いを提出、失踪を図った。
 実際はイギリスに飛び、身を潜めていた彼女は、失踪からおよそ50日後に帰国。緊急会見でマスコミの追及を受ける。失踪中は父親との不仲、金銭問題、英国人青年との恋愛、医師との逃避行など、あらゆる憶測が飛び交ったが、彼女はこれらの噂を全て否定。なぜ失踪したのかという核心部分は「海外で将棋を広めたいと思っていた」とはぐらかし続けた。
 真実が明らかになったのは、それから4年後のこと。じつは林葉は以前から中原誠永世十段と不倫関係にあり、中絶を余儀なくされる等の心労が積み重なっての発作的な失踪だったという。帰国後、彼女は不倫関係の解消を決意するも、なし崩し的に関係は続いたらしい。別れ話が進むと、中原は嫌がらせの電話を林葉の自宅にかけ、ストーカー行為をエスカレート。ついに林葉もブチ切れ、いきさつを週刊誌に暴露した。これでようやく失踪騒動の全貌が明らかにはなったが、後に残ったのは林葉、中原の汚れたイメージだけであった。

 こうして数々の失踪騒動を振り返ると、もはや行方をくらますことさえ芸なのではと思えてくる。それでもどのような形であれ、失踪がその後の芸能活動にいい影響を及ぼすとは考えにくい。自らの暴走だろうが、外的な力によるものだろうが、これも運命ととらえるしかなさそうだ。

(文・編集部)

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