UKロックが生み出したファッション
トレンドを徹底分析

いつの時代も音楽とファッションはお互いに共鳴し合い、時代のトレンドを創造してきました。70年代のパンクロック、グラムロックブーム、それに続くニューロマンチックなど、常にイギリスは音楽、ファッション、サブカルチャーの発信地として時代の中心にいました。こうしたブームやスタイルは、一部の突出した感性の持ち主達から生まれ、ミュージシャンやアーティスト達から大衆へと伝わっていったのです。
2016~17年コレクションでは、煌びやかなグラムロックコレクションが再び注目を浴びました。ファッショントレンドは時代を反映しながら繰り返し再生されていくのです。
ここでは、イギリス産のUKロックと時代のファッショントレンドを紹介していきます。

ロンドンのストリートから生まれたモッ
ズファッション

1960年代はロックシーンの創世記とも言えます。1960年初頭からのビートルズに続き、イギリスからはローリングストーンズ、ザ・フーなどロック・ミュージックの歴史に残るバンドが次々と生まれました。戦後生まれの若い世代のベビーブーマーが街にあふれていた時代。英国・ロンドンでは労働者階級の若者達を中心にスィングロンドンと呼ばれる、ファッション、音楽などを中心にしたカルチャー革命が起きていました。
そんな時代、音楽とファッションが共鳴し合いながら若者に根付いていったスタイルがありました。それがモッズ族(Mods)だったのです。
そのスタイルは、男性なら細身の三つ揃えスーツ、ミリタリー使用のモッズコート、そして欠かせないのがスクーターでした。彼らは足となるスクーターで、当時朝まで営業していたカフェバーに集まり、ジュークボックスから流れる音楽を聴きながらお喋りをし、踊り、朝を迎えました。
モッズ(Mods)の語源は、モダン(Modern)なジャズファンだったと言われていますが、彼らが好んで聴いていたのが、マーヴィン・ゲイ、スモーキー・ロビンソンといったR&Bやソウルミュージック、そしてプリンス・バスターを始めとするブルー・ビート系のジャマイカン・スカなどでした。その後、ブームの広がりと共に、国産のバンド、The Rolling StonesThe WhoSmall FacesThe Kinksなどが聴かれるようになりました。
UKロックを代表する人気二大バンドもモッズスタイルで登場!
当初ロッカーズスタイルであったビートルズもモッズブームに乗っかり、モッズスタイルでデビューをしています。デビュー当時のビートルズの衣装は、モッズの間で当時流行っていたエドワーディアン調の襟無しスーツを、ソーホーに店があったダギー・ミリンズに特注したものでした。
まるでシャネルスーツのような襟無しのスーツは、後にビートルズスーツと呼ばれられるようになりました。彼らが履いているブーツは、チェルシーブーツ(サイドゴアブーツ)の先を更に尖がらせ、踵を足したもので、ビートルズブーツと呼ばれています。
ヘアースタイルは、クリーンカットでまだ短め。1960年代、日本にも上陸したマシュルームカットという丸みのあるボブスタイルを流行らせたのはビートルズです。
1962年デビューのローリングストーンズもR&B、ソウルミュージックをベースにしたサウンドで、当時のモッズ族に人気を博していました。
ストーンズのデビュー時の衣装もこれまたモッズの定番となったスーツ。ストーンズはこの後のサイケデリック、ヒッピー、グラムロックとブームの火付け役となり、ロックスターのスタイルのイメージを創り上げていきます。
モッズ・メンズスタイルをチェック!
モッズの男の子の三種の神器は、細身の三つ揃えスーツ、ミリタリー風のモッズコート、スクーター。スーツの下にはボタンダウンに細いネクタイ。スーツの上にモッズコートを羽織り、ベスパのスクーターに跨る。そして、フレッドペリーのポロシャツも定番の一つでした。
スクーターはライトやミラーなどでカスタムナイズし、走るときはグループでフェイスと呼ばれる者がV字のトップに位置しグループをリードして走ります。
当時のモッズコートは、M-51という1950年代に米軍が使用していた「PARKA SHELL M-1951」というパーカーの払い下げで、スクーターを乗るのに欠かせないアイテムでした。
モッズコートは今もカジュアルコートとして人気があり、1990年代を中心に活躍した英国の国民的人気バンド、オアシスのリアム・ギャラガーもモッズコートを着用しています。
モッズ・ガールズのスタイルをチェック!
モッズの初期、女の子は黒のセーターやパンツルックなど男性的なスタイルが主流でしたが、後期にはカラフルで鮮やかでフェミニンなものに変わっていきました。後期は、ミニスカートの登場を機に一変します。ミニスカート自体は以前から存在しましたが、この頃、マリー・クアントのミニスカートが世界中の女性から人気を博し、1967年には『ミニスカートの女王』と称されたモデルのツイギーも来日し日本でもツイギー旋風を引き起こしました。
また、身体にフィット感のあるミニワンピースにブーツ、またはパンタロンと呼ばれたパンツルックが人気でした。
世界中の女の子の憧れのもとであったモデルのツイギー。彼女の影響でボーイッシュなショートヘアーも流行しました。アイメークはアイライナーや付けまつげで目元をはっきりと強調。
その他モッズ最盛期のバンド紹介
The Who
ロジャーダウトリー率いるThe Whoは1964年にデビューしたモッズカルチャーを代表するバンドの一つです。1969年にはロックロールとオペラを融合させたアルバム『ロック・オペラ/トミー』をリリース。ロックオペラというジャンルを確立しました。
Small Faces
モッズを代表するバンドの一つで、1965年にデビュー。世界的には評価が低いバンドでしたが、本国では、モッズの歴史には欠かせないバンドの一つ。シングル曲「シャ・ラ・ラ・ラ・リー」「オール・オア・ナッシング」など全英でヒットを飛ばしており、ファーストアルバムの「スモール・フェイセス』では全英3位を記録しています。
The kinks
1964年、ディヴィス兄弟によって結成されたこのバンドは、多くのジャンルの音楽、多くのミュージシャンに影響を与えたバンドです。彼らの最大のヒット曲となった「ユー・リアリー・ガット・ミー」は、モット・ザ・フープル、ヴァン・ヘイレン、メタリカなど、長年に渡り多くのバンドにカバーされています。
モッズ映画もチェック!
お薦めのモッズ映画はこれ!
1960年代初頭のロンドンを舞台に若者たちの葛藤を描いた作品。1979年公開の『さらば青春の光』は、The Whoの『四重人格』(1973年)をベースに製作されました。ダンスパーティー、薬物使用、スクーター、ロッカーズたちとの対立など、当時のモッズのライフスタイルが見事に描かれています。元ポリスのスティングもフェイス役で出演しています。

ロックの黄金期に生まれたサイケデリッ
ク・ヒッピーファッション

1960年代後半~1970年代にかけてのブリティッシュロックシーンは最盛期を迎えていきます。1960年代にはジャズやブルースなど、異なるジャンルと融合しブルースロックやフォークロックが生まれ、1960年代末期にはサイケデリックロックというジャンルが生まれました。
サイケデリック・ロックは、当時アメリカ西海岸の若者に蔓延していたLSDなどによるドラッグの幻覚を体現したものとされます。それがヒッピー・ムーブメントと共に世界中に飛び火しました。
ヒッピーの「ラブ&ピース、自然に帰ろう」というコンセプトは、自然回帰の動きが広まりました。
そんな時代に生まれたのがサイケデリックロック。1960年末の全盛期には、その後ハード・ロック界をリードすることになるLed ZeppelinDeep Purpleが、プログレッシブロックの代名詞的存在となるPink Floydが、サイケデリックロックでデビューしています。また既に人気バンドの地位を確立していたビートルズやローリングストーンズもこの頃サイケデリックな曲を発表しています。
サイケデリック、ヒッピーファッションチェック!
サイケケデリック・ヒッピーファッションの特徴は、ヒッピーの自然回帰の精神がベースにあります。例えば、ペイズリー柄は生命の根源や霊魂などのイメージしたもので、サイケデリックの象徴的な柄でした。一部のストイックなヒッピーは、ファッションとは無縁な人達で、ナチュラル志向が強く、髪はナチュラルに伸ばし、時には裸で生活をしている人もいたくらいでした。それが、ミュージシャンやアーティストらによって、一つのファッションスタイルとして広がっていきました。
花柄や原色を使った派手な色彩のもの、光沢のある生地を使ったもの、東洋や近東などから影響を受けたエスニックものなどが、当時のトレンドでした。
1969年に3日間開催された伝説のロックフェス「ウッドストック・フェス」の観客のスタイルを紹介しましょう。
基本はジーンズ&プリント柄のTシャツというシンプルなスタイルが中心でしたが、ヘアバンドやエスニックな小物を加えてオシャレを自由に楽しんでいます。
フリンジをふんだんに使ったドレス。このほか、インド綿なども人気でした。
サイケデリックファッションの仕掛け人たち
グラフィックデザイナーのナイジェル・ウェイワースがガールフレンドのシーラ・コーエンとオープンしたブティック「Granny takes a trip」は、アーリービクトリア調のヴィンテージものの女性のドレスを使いフリフリのシャツに改造するなどし、斬新なスタイルで人気を集め、Led ZeppelinやRolling Stones、Pink Floydなど多くのミュージシャンのご用達の店になりました。
ジョージ・ハリソンとパトリシア・ボイドも常連の一人。
1969年、ロンドンのハイドパークでのコンサートにビクトリア調のフリフリのシャツで登場したミックジャガー。古いものを斬新にリメイクして、ダンディズムを追求するところは実にイギリス人的です。
1960年代には、スーツに身を包んでいたビートルズもサイケデリックな衣装を身にまとっています。彼らの「サージェント・ペパーズ・ロンリーハート・クラブ」「イエロー・サブマリン」などは、当時のサイケデリックブームを反映しています。
シド・バレット在籍時のピンクフロイド初期はサイケデリック・ロックとして活動していましたが、中心人物であったシドがLSD漬けになり脱退。その後、前衛的なサウンドでプログレッシブ・ロックのジャンルで成功を収めました。
大御所、Led Zeppelinも初期はサイケデリック。東洋趣味が伺えるドラゴンの刺繍が施されジミーペイジのスーツ。ロバートプラントはジェンダーレスのプリント柄のトップ。

デヴィッド・ボウイの美学が注がれたグ
ラムロック 

ハードロックやプログレッシブ・ロック最盛期の1970年代初期に生まれたのが、グラムロックというジャンル。グラムロックはその派手なルックススタイルで分類されることが多く、音楽的にはグラムロックの明確な定義がありませんが、ハードロックやプログレッシブロックが複雑なのに対し、グラムロックはシンプルなリフを繰り返す曲調が多かったようです。英国のバンドでは、イギー・ポップ、モット・ザ・フープル、ロキシー・ミュージックなどが有名です。
このグラムロック・ブーム先陣を切ったのが、1971年のマーク・ボラン率いるTレックスです。彼らのデビューアルバム『電気の武者』は全英チャート1位の大ヒットとなりました。メイクアップを施し、スパンコール、グリッター、ファーなどを使った煌びやかな衣装を身にまとい、派手なショーマンシップで観客を魅了しました。
この時期、デヴィッド・ボウイは「スペース・オデッセイ」に続くアルバム「地球を売った男」を発表。より独創的な美学を深めていきます。1972年には、1年半に渡るワールドツアーを決行。奇抜なメイクと衣装で架空のロックスター「ジギー・スターダスト」を演じ、高い評価を得ました。
ボウイスタイルに影響を与えた日本人デザイナー、山本寛斎
1970年代は東洋の文化がロックシーンとクロスオーバーした時代でした。デヴィッド・ボウイの独特な世界観を表現したライブに貢献したのが一人の日本人ファッションデザイナー、山本寛斎さん。当時、いち早くロンドンにオープンしていたショップにボウイが訪れそのうちの一着を購入。それをボウイがたいそう気に入り、1972~73年の「ジギースターダストツアー」衣装に寛斎を起用したのです。歌舞伎の要素を取り入れたものや、当時としてはまだ珍しいアンドロジナスな衣装が話題となりました。
日本の神話に登場する因幡の素兎を図案に採用。1971年 (昭和46) 、山本寛斎が日本人として初めてロンドンで開催したファッションショー、 “KANSAI IN LONDON” で発表された作品。その後、1973年デヴィッド・ボウイ初めてのワールドツアー「ジギー・スターダスト」、「アラディン・セイン」両ツアーでステージ衣装として使用された。 1970年代初め、古い時代の着物の柄に注目し、それに関する資料や書籍を熱心に研究していた山本寛斎。髑髏 (どくろ) や蛇の目傘、とんぼの姿まで着物の図柄に取り入れてしまう日本人のポップな感性に感銘を受けた作品。
彼が逝去した年の2016~17年は、グラムロック・ファッションが再びモードにのり、煌びやかなスパンコール、グリッター、光沢のあるシルキー素材など、タッキーな異色の色の組み合わせが登場しました。こうして、ボウイの美学は今日のファッションモードにも引き継がれています。
山本寛斎デザインによるのステージ衣装。袴をイメージした「トーキョーポップ」と呼ばれたジャンプスーツ(左)と両性具的なニットのワンショルダーのニット(右)は脚光を浴びました。
ボウイ亡きあと今もなお、グラムロックのファッションは、今なお、引き継がれています。
2017年春夏コレクションではマークジェイコブスやグッチなどがグラムコレクションを発表しています。

めまぐるしく動く1970年代 パンクロッ
ク~ニューロマンチックへ

当時、台頭していたハードロックやプログレッシブロックに反発するように出てきたのがパンクロックです。複雑なサウンド構成と大規模な機材を使うハードロック勢に対し、パンクロックはスリーコード中心の単純なロックンロールを基にしていました。アップテンポで攻撃的なサウンドが特徴です。
パンクが産声を挙げたのは、実はニューヨークのアンダーグランドが先でしたが、しかし、1975年、今やパンクの代名詞的存在となったセックス・ピストルズがデビューをすると、舞台はロンドンに移り、パンクロックの一大ブームが起きます。
セックス・ピストルズの素行の悪さは天下一品。女王をおちょくったり、メディアで暴言を吐いたり、観客に唾をかけたりと、そのパンクぶりは伝説的でした。しかし、実はこれ、敏腕マネの仕掛けたイメージ作り。パンクなイメージ作りは見事に成功し、逆に彼らの人気は上昇していきました。
セックス・ピストルズの他にはザ・クラッシュとザ・ジャムなどが有名です。
クラッシュの「ロンドンコーリング」は大ヒットを飛ばしました。革ジャンもパンクには必修アイテムでした。
パンクファッションの産みの親・ヴィヴィアン・ウエストウッド!
パンクファッションの産みの親と言えば、セックス・ピストルズをデビューさせたマルコム・マクラーレンと彼のパートナーでありファッションデザイナーのヴィヴィアン・ウエストウッド。この二人は、キングスロードに出していた「SEX」とブティックに出入りしていた若者を集め、自分達がデザインした服を着させ、「セックス・ピストルズ」と言う名でデビューさせたのでした。こうしてヴィヴィアン・ウエストウッドは、パンクファッションを世に広め、パンクの女王として知られるようになります。その後、「British Designer of the Year」を3度も受賞するなど、イギリスを代表とするデザイナーとして今も活躍しています。
パンクファッションは、自前のシャツやジーンズを引き裂いたり、鋲、缶バッチ、安全ピンなどの小物を加えたりして、安価で気軽にコピー出来ることもあって、瞬く間に若者の間に広がっていきました。そして今では音楽とは切り離されて、独自にパンクファッションとして独り立ちしています。
パンクには欠かせない毛先をスパイキーに固めたモヒカン狩りは1980年代以降にも大流行。リバイバルのハードコア・パンクでは、髪を赤や緑に染め、女の子も鋲打ちのジャケットやベストを着用しています。SⅯチックなコルセットやボンデージものも女の子のパンクファッションの特徴です。

1980年代、ニューウエーブ~ニューロマ
ンチック時代へ

1970年代後半、パンクロック・ブームの終焉を迎え、ベテラン勢も解散や活動休止状態のバンドも多く、ロックシーンは閉塞感が漂っていました。そんな中、ニューウエーブというまさに新しい波がロックシーンに現れました。1970年代パンクの流れをくむU2やエコー・ザ・バニーメンなどに代表されるポストパンク系、電気機材を巧みに使うヒューマン・リーグやデッド・オア・アライブらに代表されるテクノポップ・ダンス系、ポリスやマッドネスらに代表されるレゲエ・スカ・ダブ系、デュラン・デュラン、スパンダー・バレエらに代表されるニューロマンチック系など大きなニューウエーブという枠の中で多様化していました。
そんな新しい波の中、独特のスタイルでファッショントレンドをリードしていたUKバンドが、カルチャー・クラブ、デュラン・デュラン、スパンダー・バレエ、アダム・ジ・アンツなどです。
ボーイ・ジョージ率いるカルチャー・クラブのスタイルチェック!
1982年にデビューしたボーイ・ジョージ率いるカルチャー・クラブは、ソウルミュージックなどに影響を受けたバンドで、その音楽性もさることながら、奇抜なファッションとストーリー性のあるプロモーションビデオが当時大変話題になりました。1981年のMTV開局以来、PVは大変重要なセールスツールとなっていた時代。カルチャークラブはその流れにに乗って成功した最初のバンドとも言えます。
ドレッドヘアーとユダヤ教の律法学者が着用する黒のハットは、ボーイ・ジョージのトレードマークでした。着丈の長いシャツには、ヘブライ語で「カルチャー・クラブ」と書かれています。宗教色の強い子のスタイルは、英国の新鋭デザイナーのスー・クローズによるものでした。彼女はファッションに宗教色を取り入れたデザイナーのパイオニアで、当時のロンドンのファッションシーンには欠かせないデザイナーです。2012年に彼女の娘と共にブランドを再スタートしています。
ボーイ・ジョージとデザイナーのスー・クローズ。愛らしいプリント柄が新鮮です。
女性3人のポップグループも愛用。
デュラン・デュランのファッションをチェック!
ニューロマンチックを代表するバンドのデュラン・デュランは、1978年にバーミングハムで結成されました。彼らのロマンチックで洗練された美しいスタイルは当時の女性を熱狂させました。人気バンド彼らは着るものにこだわり、デビューシングルの「Planet Earth」のPV用衣装を自らの足で探しをしてところ、彼らの地元でもあるバーミングハムに店を構えていたKahn & Bellに出会い、衣装製作を依頼しました。そのデザインは斬新の中にも貴公子を連想させるダンディズムを極めていました。彼らが身に着けたフリルのついたブラウスやサルエルパンツ、サッシュベルトなどは、以後、ニューロマンチックを象徴するものになっていきました。
また、パンクファッションのパイオニア、ヴィヴィアン・ウエストウッドもこのニューロマンティックの流れにシフトして、アダム・ジ・アンツに代表されるパイレーツ・ルックを発表しました。
当時、ロンドンのコベントガーデンにあったBlitzというクラブがニューロマンチックの発信基地でした。ボーイ・ジョージを始め、スパンダー・バレエ、ヴィサージのメンバーなどミュージシャンやアーティスト、デザイナーたちが集まっていました。
90年以降はインディーズ系が多数出現し、音楽も流行に左右されることもなく、自分で選べる多様化の時代を迎えます。そのせいか、アメリカで起こった1990年代のグランジを除けば、1960~80年までのような大きなブームも起こらず、その後、ロックシーンは静かです。ファッションの方は1990年以前に生まれたトレンドに手が加えられ繰り返し再生されています。

まとめ

今回はUKロックとファッションの関係性について紹介しましたが、いかがでしたでしょうか。
当時の熱狂から、現代以上に音楽とファッションが深く結びついている事が分かるかと思います。
単純に当時の音楽を聴く、当時のファッションを知ることでも楽しめるかと思いますが、ぜひ当時流行っていたものと相関して流行を追ってみてください。きっと今以上に興味深い事実を知ることができるでしょう。

indiesmate

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