獅童が脱ぎ勘九郎が酔い、幸四郎が幕
末を生き巳之助が団子を売る、そして
隼人が天翔ける、歌舞伎座『八月納涼
歌舞伎』観劇レポート

歌舞伎座で『八月納涼歌舞伎』が開幕した。8月の歌舞伎座で、毎年歌舞伎公演が行われるようになったのは、1990年からのこと。亡き中村勘三郎、坂東三津五郎が中心となり、昼夜二部制がスタンダードだった歌舞伎座に、1日三部制を導入。歌舞伎の間口を広げた。そのパイオニア精神を共にした世代、受け継ぐ次の世代が、今年も奮闘している。充実の全三部の模様をレポートする。
第一部 午前11時~
一、次郎長外伝 裸道中(はだかどうちゅう)
博徒の勝五郎に中村獅童、女房みきに中村七之助、侠客の大親分・清水次郎長に坂東彌十郎という配役で上演する次郎長の外伝物。みきに言わせるなら、勝五郎は「甲斐性なしのロクデナシ」だ。夫婦が暮らす家は、くもの巣がかかるボロ屋で、ほとんど物がない。勝五郎が、博打のために家中のものを売ってしまったのだ。そこへ思いがけない来客がある。勝五郎がかつてお世話になった、清水の次郎長一家だった。
第一部『裸道中』(前列左より)法印大五郎=中村虎之介、桶屋の鬼吉=澤村國矢、博徒緒川の勝五郎=中村獅童、清水の次郎長=坂東彌十郎、次郎長女房お蝶=市川高麗蔵、豚松=市村光、小政=中村橋之助、(後方)大政=市川男女蔵 /(c)松竹
次郎長は、役人に追われる身となっていた。勝五郎は皆をもてなそうと、みきに(すでに売ってしまった)座布団を出せ、(お金がないのに)お酒を買ってこい、と無理を言い、次郎長たちに「座布団はよそに貸してしまった」と見栄をはる。すると次郎長や子分たちは……。
勝五郎は、お世辞にも賢いとは言えない判断で暴走する。博打にも負けてばかりの困った人間だ。しかし獅童が演じると、勝五郎の猪突猛進、がむしゃらさが、純粋で愛おしいものに思えてくる。女房への惚気を聞かせる表情は愛嬌に溢れていた。七之助のみきは、序盤は丁々発止の言い合いで勝五郎との仲を見せながら、後半には夫婦の情愛を心の深くから丁寧に掬い上げてみせる。また、とある場面ではふたりは無言で立っているだけで、この日最大の瞬間風速の爆笑を起こしていた。
第一部『裸道中』(左より)博徒緒川の勝五郎=中村獅童、勝五郎女房みき=中村七之助 /(c)松竹
彌十郎の次郎長は、大らかな微笑みの向こうに、カタギの庶民には想像もできない道を歩んできたに違いない、大親分の風格を感じさせる。次郎長の女房お蝶(市川高麗蔵)の憂いのある美しさは、物語をしっとりと深めていた。桶屋の鬼吉(澤村國矢)が先鋒となり、小政(中村橋之助)が若々しく威勢の良さを見せれば、法印大五郎(中村虎之介)が愛嬌抜群のマイペースぶりで笑い、豚松(市村光)が予測不能の可笑しみで浮上する。個性豊かな子分たちの手綱を、大政(市川男女蔵)がとり、その様子を次郎長がゆったり見守る。全員のコンビネーションが、ともすれば湿っぽくなりがちな「義理人情」をカラッと明るく楽しませた。タイトルに偽りなしの「裸」の「道中」は、笑いと拍手の中にも、こみ上げてくるものがあった。余韻を残す幕切れだった。
二、大江山酒呑童子(おおえやましゅてんどうじ)
大江山に棲む鬼退治を題材にした、長唄の舞踊劇だ。鬼の名前は酒吞童子。中村勘九郎が勤める。退治に乗り出すのは源頼光(中村扇雀)、平井保昌(松本幸四郎)、頼光に従う四天王の渡辺綱(坂東巳之助)、酒田公時(中村橋之助)、碓井貞光(中村虎之介)、卜部季武(市川染五郎)。お酒に目がない童子を酔わせて退治する作戦を仕掛ける。
第一部『大江山酒呑童子』(前方)酒呑童子=中村勘九郎、(後方左より)卜部季武=市川染五郎、碓井貞光=中村虎之介、酒田公時=中村橋之助 /(c)松竹
頼光が高貴に、保昌が格調高く、松羽目の舞台を引き締める。渡辺綱の第一声で鬼退治への気合がぐっと高まり、四天王たちの緊張感とエネルギーが漲っていく。三味線のテンポが上がり、いよいよスッポンに酒吞童子が現れる。ふと見上げた顔は恍惚としたような、潤んだ瞳が光を放ち、得も言われぬ美しさだった。微笑みを湛えているようで、底知れない怖さもある。
第一部『大江山酒呑童子』(左より)平井保昌=松本幸四郎、酒呑童子=中村勘九郎、源頼光=中村扇雀 /(c)松竹
しかし、お酒と聞いた酒吞童子は、愛らしさ全開。客席も鬼退治のことはいったん忘れ、童子のごきげんな踊りにたっぷり酔う。四天王が加わりお酒が進むと、酒吞童子の踊りのギアが上がる。床を踏み、跳ね、回り、お酒をもう一杯あおり揚幕に消えた。白昼夢のようだった。勘九郎は「鬼神」という言葉を体現してみせた。濯ぎ女の若狭(中村七之助)、なでしこ(坂東新悟)、わらび(中村児太郎)の踊りで後半へ。本性を表した酒吞童子は、頼光、保昌、四天王と美しくぶつかり、万雷の拍手のうちに幕となった。
第二部 午後2時15分~
一、新門辰五郎(しんもんたつごろう)
松本幸四郎の新門辰五郎、中村勘九郎の会津の小鉄で上演する真山青果の『新門辰五郎』。辰五郎は、江戸時代の終わりから明治にかけて実在した人物だ。町火消「を組」の棟梁となって組を率い、その後一橋慶喜(徳川慶喜)に重用されて上洛した。小鉄もまた、同じ時代に名を轟かせた京都の侠客だ。会津藩に引き立てられ、中間部屋の部屋頭をしている。
第二部『新門辰五郎』(左より)新門辰五郎=松本幸四郎、会津の小鉄=中村勘九郎 /(c)松竹
舞台は、尊王攘夷派、開国派、佐幕派が入り乱れる幕末の京都。辰五郎と小鉄は、時代の流れに巻き込まれ、政治的に対立した立場で出会うこととになる。
本作では、いくつもの印象的な「1対1」があった。寄席の前で、辰五郎の子分たちと、小鉄の子分たちが一触即発となる場面は、スリリングで目を離せない。花道から事態を見据える辰五郎と、本舞台に飛び出し喧嘩をおさめる小鉄、それぞれ質感の異なるエネルギーと美学がぶつかりあっていた。京の芸妓・八重菊(中村七之助)と、江戸からきた辰五郎の妾・秋葉屋のお六(坂東新悟)がサシで会話をする場面も印象に残る。時代に巻き込まれたのが男ばかりではないことを窺わせ、作品に奥行きをもたらした。そして、辰五郎と絵馬屋の勇五郎(中村歌六)が城のほとりで出会うシーン。勇五郎の言葉が辰五郎の琴線に触れる。真山青果の書いた台詞に、幸四郎と歌六が息を吹き込み、辰五郎の心のゆらぎ、火消しとしての矜持を鮮やかに浮かびあがらせる。辰五郎の“意気地”は芯に人間味を感じさせた。観るものの心を揺さぶり、物語を突き動かした。
第二部『新門辰五郎』(左より)新門辰五郎=松本幸四郎、天狗党都築三之助=市川染五郎 /(c)松竹
山谷堀の彦造(中村隼人)がドラマの筋道をクリアに示し、穏やかではない物語の中で、山井実久(獅童)が洒脱な物腰で、上品で柔らかな風を吹かせた。辰五郎伜・丑之助役には中村勘太郎。弾けんばかりの江戸っ子ぶりを発揮する。辰五郎一家の火消したちが纏(まとい)を振り、梯子をかつぎ、ちょうちんを手に花道を駆け抜けていく場面は、観客の高揚感が拍手にのり、大いに盛り上がった。注目の三兄弟・中村橋之助、福之助、歌之助や、中村虎之介、市川染五郎など、勢いのある若手からベテランまでが揃い、激動の時代の侠客たちの心意気を骨太に、そして晴れやかに立ち上げた。
二、団子売(だんごうり)
第二部『団子売』(左より)杵造=坂東巳之助、お福=中村児太郎 /(c)松竹
第二部を結ぶのは、坂東巳之助の杵造と中村児太郎のお福の『団子売』。揚幕から登場した2人を明るい音楽と拍手が迎える。揃いの衣裳で幸福を振りまきながら本舞台へ。そこは天神橋。ふたりは、たすき掛けになりお団子づくりの準備をはじめる。見ているだけで心が躍り、頬がゆるむ。夫婦仲良く餅をつき、丸めて団子を作り、ふたりが目をあわせ……るかと思いきや、目線がふわっとほどけた瞬間の爽やかな色気。天を仰ぎたくなるほど、胸いっぱいの幸せのおすそ分けをいただいた。児太郎がおかめのお面に、巳之助がひょっとこのお面になれば、空気が一瞬で変わる。それぞれの華と巧さにハッとさせられた。お団子を買うならここ! とおすすめしたくなる、安心と信頼の団子売りだった。
第二部『団子売』(左より)杵造=坂東巳之助、お福=中村児太郎 /(c)松竹
第三部 午後6時~
三代猿之助四十八撰の内 新・水滸伝(しん・すいこでん)
歌舞伎座の8月公演のラストを飾るのは、『新・水滸伝』。2008年初演の作品で、歌舞伎座では初上演となる。作・演出は横内謙介。演出に杉原邦生。市川猿翁がスーパーバイザーとなる。
舞台は、中国河北の湖にある、梁山泊と呼ばれる離れ小島。そこにアウトローたちが身を寄せ、たくましく自由に生きていた。荒くれ者たちを束ねるのは、大親分の晁蓋(ちょうがい。市川中車)。「悪人よりも役人の方があくどいことをしている」ような世の中だ。一党は「こんな国はぶっ潰してやる」と怒りを抱いている。梁山泊には元エリートの林冲(りんちゅう。中村隼人)もやって来る。今は酒浸りの日々を送っているが、かつては朝廷軍の兵学校の師範だった。林冲は梁山泊の人々と出会い……。
第三部『新・水滸伝』林冲=中村隼人
風が吹きすさぶ中、朝廷軍の若き兵士・彭玘(ほうき。市川團子)の長台詞で幕があく。紙一重で退屈にもなりうる説明台詞を、團子は熱い心と独特の節回しで聞かせ、観客を一気に世界に引き込んだ。ドラマチックな音楽に、附けが響き、梁山泊の一党が現れ、名乗りをあげる。歌舞伎が初めての人にも分かりやすく、問答無用の格好良さだ。
隼人の林冲は、月灯りの中では憂いを帯び、花道で逆光に照らされる姿には深い影があった。それでも屈強で美しく、眼差しの強さには一縷の望みを感じさせた。赤い衣裳になってからは、覇気が漲り、全身が揺らめく炎のよう。圧倒的な華と存在感だった。
劇中には個性的な人物たちが次々に登場する。晁蓋は、一目で親分と分かる佇まい。林冲への思いを吐露する場面では人間味が溢れていた。親分の留守を預かるのが、たおやかな女伊達、みんなの姐御・姫虎(ひめとら。市川笑三郎)。一貫して梁山泊を守る強い心を感じさせる。力自慢の李逵(りき。中村福之助)はムードメーカーとなり、梁山泊と林冲を繋いだ。山賊あがりの王英(おうえい。市川猿弥)は、いかにも暴れん坊だが、一目ぼれした青華(せいか。市川笑也)には無力。青華は双剣を見事に使いこなす女戦士。強くならざるをえなかった苦悩を笑也が繊細に表現する。王英と青華の片思いの描き方はステレオタイプの“美女と野獣”。しかし核には、古いしきたりへの反駁の心があった。王英のどこまでも優しい言葉、青華の戸惑いながらも見せた真の美しさは、時代を超えて誰かの心を救い、癒すに違いない。これを一番近くで全力応援するのがお夜叉(おやしゃ。中村壱太郎)。チャーミングさと殺めた相手を肉饅頭にしたエピソードのギャップがたまらない。対する朝廷側の権力者・高俅(こうきゅう。浅野和之)、側近の張進(ちょうしん。中村歌之助)。梁山泊と対立する村・独竜岡の祝家のモラハラ気質の跡取り・祝彪(しゅくひょう。市川青虎)。隼人は開幕前のインタビューで、本作を「群像劇だと思っている」と語った。その言葉の通り、どの登場人物にも、ここに至るドラマを感じさせた。芯に隼人がいてこその、群像劇となっていた。
第三部『新・水滸伝』(左より)公孫勝=市川門之助、林冲=中村隼人、魯智深=松本幸四郎、晁蓋=市川中車
戦いは、フラッグ・パフォーマンスやアクロバットで表現。立廻りは、あくまで歌舞伎の立廻りでありながらスピード感で展開した。中でも林冲と張進の対決は、舞台の奥行きも生かした迫力のあるステージングだった。梁山泊に掲げられる旗に書かれる「替天行道」は、天に替わって道を行う、の意味を持つ。現実の社会と重ね、思いを巡らせずにはいられない言葉ではないだろうか。怒れるアウトローたちは旗のもとで立ち上がり、革命の歌、梁山泊版『民衆の歌』(『梁山泊の歌』)をうたい上げ、澤瀉屋の鼓動を響かせた。隼人の宙乗りでは、万雷の拍手と「萬屋」の大向うが場内に降り注ぎ、特大のデザートのように魯智深(ろちしん。松本幸四郎。この日第一部から第三部すべての部に登場!)がやってきて、スケールの大きな華を見せた。客席は何度も拍手にわき、喝采の中で幕となった。
『八月納涼歌舞伎』は、歌舞伎座で8月27日(日)までの上演。
取材・文=塚田史香

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