白鸚初役の高麗屋三代共演、新年を寿
ぐ演目から赤穂義士外伝、ブラックな
喜劇まで~歌舞伎座『壽 初春大歌舞
伎』観劇レポート

2024年1月2日(火)に歌舞伎座で『壽 初春大歌舞伎』が開幕した。昼夜7演目をレポートする。
■昼の部 11時開演
一、當辰歳歌舞伎賑(あたるたつどしかぶきのにぎわい)
序幕は、中村福之助、中村虎之介、中村鷹之資、中村玉太郎、中村歌之助の若手俳優による『五人三番叟(ごにんさんばそう)』から。
昼の部『五人三番叟』(左より)三番叟=中村歌之助、三番叟=中村鷹之資、三番叟=中村福之助、三番叟=中村虎之介、三番叟=中村玉太郎 /(c)松竹
歌舞伎では、天下泰平を祈念する『三番叟(さんばそう)』はご祝儀ものの演目として上演される。今月の舞台では、金色に輝く富士山を後景に、松の上を鶴が舞う。登場した5名は精悍に、優美に、爽やかに、異なる個性で舞台を彩る。厳かにはじまった三番叟は、鳥が羽ばたくように袖を振り、大地を踏むように床を踏みならし、五穀豊穣の祈りを込めた神楽鈴が響き渡る。5人は、それぞれに歌舞伎への熱意を体現するような、真摯でエネルギッシュな舞台をみせた。初芝居にぴったりの、明るい喝采が送られた。
舞台は江戸・吉原のメインストリートへ。
昼の部『英獅子』(左より)鳶頭=中村鴈治郎、芸者=中村雀右衛門、鳶頭=中村又五郎 /(c)松竹
『英獅子(はなぶさじし)』では、芸者に中村雀右衛門。鳶頭に中村鴈治郎、中村又五郎。芸者は裾に波の柄がデザインされた黒い着物。衣裳はシックでありながら、舞台のセンターがぴたりとはまる華があった。鳶頭は、大きく紋を染めた首抜きの衣裳で、品良く、渋くそれぞれに大人の色気をみせる。3人が決まると、すっきりとした貫禄に江戸の粋を感じた。長唄とともに華やかに序幕を飾った。
二、赤穂義士外伝の内​ 荒川十太夫(あらかわじゅうだゆう)
スポットライトが、水裃姿の堀部安兵衛(市川中車)を照らし出す。赤穂義士のひとりとして、主君の仇を討ち取った安兵衛は、今まさに切腹しようとしている。背後には介錯人の影。安兵衛が最期を迎える瞬間、介錯人が渾身の力をこめて刀を振りおろす。大きく踏み込んだ勢いで、介錯人が安兵衛を照らしていたスポットライトの中へ。後に明らかとなる介錯人の名前は、荒川十太夫(尾上松緑)。十太夫の物語がはじまった。
本作は、講談師で人間国宝の神田松鯉の口演による『赤穂義士外伝』をもとにした新作歌舞伎だ。松緑が2022年に初演し評判を呼んだことから、早くも再演となった。
物語の舞台は、赤穂義士たちの七回忌の祥月命日。義士たちのお墓がある泉岳寺に、下級武士の荒川十太夫が、身分不相応な身なりでお参りに現れる。当時、身分を偽ることは重罪だった。これが松平家目付役の杉田五左衛門(中村吉之丞)の目に留まり、松平隠岐守(坂東亀蔵)によって直々に詮議が行われることに……。
昼の部『荒川十太夫』(左より)荒川十太夫=尾上松緑、杉田五左衛門=中村吉之丞、堀部安兵衛=市川中車、松平隠岐守定直=坂東亀蔵 /(c)松竹
十太夫は、杉田に見つかった時、「しまった」という反応をほとんどみせなかった。反省の色がないのではない。まっすぐな申し訳なさの後、穏やかにも悲しそうにも見える表情に。物語が進むにつれて、十太夫がより重い「しまった」を抱えてきたことが明らかになる。
中車の安兵衛は、十太夫に声をかける直前の一呼吸に、ぐっとひきつけられた。まもなく生涯を終える安兵衛の「生」を感じた。大石主税を見送る目には、とっくに決めていたであろう覚悟と、“その時”がきて滲んだ感情が込められていた。
主税は、最年少で討入りに加わった赤穂義士だ。尾上左近の主税の爽やかさと哀れさが涙を誘う。亀蔵の隠岐守は、言葉も心もまっすぐで温かかった。十太夫が鎧を脱ぎ捨てていくように、真実を語りはじめる。その言葉を、その場の誰もがしっかりと受け止め、客席もまた言葉以上の思いを受け止めた。取り調べを終えた隠岐守の朗らかな人間味に、優しい気持ちになった。
昼の部『荒川十太夫』(左より)荒川十太夫=尾上松緑、泉岳寺和尚長恩=市川猿弥 /(c)松竹
泉岳寺の茶屋の前で、生き生きと過ごす人々と季節を巡り、市川猿弥の泉岳寺の和尚が物語をまとめ上げる。舞台も客席も、温かい光と拍手で溢れ、春が待ち遠しくなる幕切れだった。
三、狐狸狐狸ばなし(こりこりばなし)
「狐狸狐狸(こりこり)」というポップな響きからは想像できない、ポップなふりをしてブラックな笑いに満ちた喜劇だ。
主人公・伊之助(松本幸四郎)は、かつて上方で女方役者として活躍していたが、今は江戸で手拭い屋を営んでいる。女房おきわ(尾上右近)は昼間からお酒を飲み、不倫相手の法印重善(中村錦之助)のことで頭がいっぱい。伊之助が邪魔で仕方がない。ある日、重善に、物持ちの娘おそめ(市川青虎)との縁談が持ち上がると、おきわは……。
伊之助は、おきわにぞっこんだ。おきわの腰巻をせっせと洗濯し、食事の支度もし、彼女の浮気に気づいても離縁は望まず、夜をともに過ごせるならいいらしい。そんな伊之助の反撃は、舞台で見る限りは無邪気でごきげんな悪戯だ。幸四郎の愛嬌に包まれ大いに笑った。しかし時折、伊之助のなよやかな狂気が透けて見え、客席から悲鳴まじりの笑いを引き出していた。
昼の部『狐狸狐狸ばなし』(左より)手拭い屋伊之助=松本幸四郎、女房おきわ=尾上右近、雇人又市=市川染五郎 /(c)松竹
右近のおきわは、しどけなくて艶やか。湯上りで花道を行く姿には、ため息が漏れた。勝気な性格で、伊之助への態度は現代の感覚ではモラハラと紙一重。もっと酷いことにも手を染める。しかし物語が進むうち、伊之助も伊之助。おきわもおきわ。どちらをも応援したい気持ちになっていく。
市川染五郎が演じる又市は、頭の回転がおっとり気味の雇人。はじめこそ美男子の無駄遣い! と思われたが、振り切ったとぼけぶり、掛け合いの間の無駄のなさなど、コメディセンスは疑いようがなかった。可笑しみを連れて歩くような身のこなしは登場するだけで笑いをおこし、最後まで楽しませた。あるシーンでは、伊之助と又市が、台詞もタネも仕掛けもなく、ブレのない体幹と独特なリズムの移動だけで、ナンセンスな笑いを作っていた。あれは一体何だったのだろう。と思い返してまた笑った。
昼の部『狐狸狐狸ばなし』(左より)法印重善=中村錦之助、女房おきわ=尾上右近、手拭い屋伊之助=松本幸四郎 /(c)松竹
錦之助は、甘いマスクが取り柄の生臭坊主に愛嬌をもたせ、青虎のおそめは別次元の色気と個性をほとばしらせ、作品を明るく盛り上げた。中村亀鶴の寺男甚平、大谷廣太郎の博奕打ち福造が、市井の人々の匂いを漂わせる。観劇した日は、おきわが唄う『金比羅船々』に自然と手拍子が起きた。10人に聞いたら100人から「けしからん」の声が聞こえてきそうな喜劇だが、「けしからん」も人間がもつ側面のひとつ。皮肉たっぷりのハッピーエンドも一周して清々しかった。観劇した日、おきわが唄う『金毘羅船々』に自然と手拍子が起きていた。終始、けしからん! と言いながら、俳優たちの魅力と芝居に拍手をおくった。
■夜の部 16時開演
一、鶴亀(つるかめ)
宮廷で新春を寿ぐ節会がひらかれ、女帝(中村福助)、鶴に扮する廷臣(松本幸四郎)、亀に扮する廷臣(尾上松緑)が舞を披露する。女帝は、今まさに太陽がのぼってきたような眩しさ。華やぐ演奏とひとつになり、輝いていた。従者ふたりは清々しく朗らかに踊り、鶴と亀は格調高く風雅な空気を作った。
夜の部『鶴亀』従者=尾上左近、亀=尾上松緑、女帝=中村福助、鶴=松本幸四郎、従者=市川染五郎 /(c)松竹
『鶴亀』は、おめでたい演目として上演される長唄の舞踊だ。従者として、幸四郎の息子の染五郎と、松緑の息子の左近も出演する。
歌詞によれば、この儀式には官僚や公卿、民衆も集まり、その数は一億百余人になるという。何億人いようと包み込んでしまうであろう、祝祭感に満たされた。平穏な世の中への祈りを込めて拍手をおくった。
二、寿曽我対面(ことぶきそがのたいめん)
曽我兄弟の仇討ちを題材にした『寿曽我対面』が、充実の配役で上演される。
舞台は、工藤祐経の館。源頼朝が富士の裾野で巻狩りを行うこととなり、祐経(中村梅玉)は、その総奉行職を仰せつかった。これを祝う宴の席に、小林朝比奈(坂東彌十郎)たち大名たちが集まる。そこへ朝比奈が、曽我十郎(中村扇雀)と曽我五郎(中村芝翫)の兄弟を招き入れる。ふたりは親の仇である祐経を探していたのだ。
夜の部『寿曽我対面』(左より)曽我五郎時致=中村芝翫、曽我十郎祐成=中村扇雀、大磯の虎=中村魁春、八幡三郎=中村虎之介、梶原平次景高=大谷桂三、梶原平三景時=松本錦吾、工藤左衛門祐経=中村梅玉、近江小藤太=中村松江 /(c)松竹
お正月興行でおなじみの演目であり、様式美を楽しむ一幕。という目でみはじめていたが、梅玉の祐経にリアルがあり、この“対面”は事件であり、兄弟たちのドラマの佳境なのだ、と改めて気づかされた。彌十郎は朝比奈を、立派に、自在に、生き生きと立ち上げる。芝翫の五郎は、華とエネルギーの塊。歌舞伎らしい美しさで、五郎のテンションを太く高く持ち上げる。これを留める扇雀の十郎は、決して貧弱などではなく、しなやかで芯があった。
傾城の大磯の虎(中村魁春)は絢爛な美術品のような存在感で、化粧坂少将(市川高麗蔵)とともに空間を彩る。近江小藤太(中村松江)と八幡三郎(中村虎之介)の明瞭で鮮やかな芝居運びは心地がよく、中村東蔵の溌剌とした鬼王新左衛門には晴れやかな気持ちになった。全員の見得で結ばれると、新年を寿ぐ明るい拍手に満たされた。
三、息子(むすこ)
松本白鸚、松本幸四郎、市川染五郎による、高麗屋親子三代の共演だ。この3人しか登場しない。演出は、高麗屋親子の作品を多く手掛けている齋藤雅文。
雪のかぶった火の番小屋があり、火の番の老爺(白鸚)がわび住まいをしている。捕吏(染五郎)が訪ねてくる。その後、頬かむりの男・金次郎(幸四郎)が小屋に入ってくる。老爺は男に暖をとらせ、食べ物をやり、身の上話をするが……。
背景の美術はない。無駄を排した舞台は、夜の深さ、雪の冷たさを想像させ、老爺のひとりを浮き彫りにし、焚火のあたたかさを際立てる。
夜の部『息子』(左より)金次郎=松本幸四郎、火の番の老爺=松本白鸚 /(c)松竹

白鸚は、声を朗々と響き渡らせるのではなく、台詞一つひとつを手渡しするように観客に届ける。受けとった言葉にはたしかな温もりがあった。広い歌舞伎座の客席にいながら、ともに焚火を囲むような距離感を覚えた。幸四郎の金次郎は、老爺に背中を向けたまま警戒し、強がり、食い下がり、心の動きで場面を動かしていく。染五郎の捕吏は、お尋ね者を目の前にしても動じない肝の太さが落とし込まれ、白鸚が広げる世界、幸四郎が描く物語の中、祖父とも父とも異なる質の存在感を放っていた。

全員初役。上演時間は30分程度。焚火の炎が大きくも小さくもなり、揺れながら時に弾けるように、老爺と金次郎の心が動いていた。静かな音楽が流れ続けていたかのような、情感に溢れていた。
四、京鹿子娘道成寺(きょうかのこむすめどうじょうじ)
中村壱太郎(1月2日から14日まで)と尾上右近(1月15日から27日まで)がWキャストで勤める『京鹿子娘道成寺』。壱太郎の白拍子花子を観劇した。
桜が満開をむかえた紀州道成寺で、白拍子花子が鐘供養の踊りを舞う。
金の烏帽子で厳かにはじまり、衣裳や道具、曲調も表情もかえて踊りを繋いでいく。柔らかな表情の乙女から、溌溂とした姿、たおやかに成熟した姿まで、引っ込むたびに次はどんな彼女をみられるのか、と期待は高まる。所化の踊りと三味線の演奏がおおいに盛り上げた後でさえ、舞台に戻ってきた花子の光を湛えたような美しさに、ワッと大きな拍手がおきた。甘い情感に、ほろ酔いに気分になった。
夜の部『京鹿子娘道成寺』白拍子花子=中村壱太郎 /(c)松竹
本作は「安珍・清姫伝説」の後日談だ。
かつて大蛇となり、安珍を道成寺の鐘ごと焼き殺し、その後、自らも命を落とした清姫が、白拍子花子の姿となって道成寺を訪れている。ともすれば、怨念がこもった大蛇のパニックホラーにもなりうる設定だが、舞台で描かれるのは、恋をする女性のさまざまな表情なのだ。花子に鐘に向けた情念がチラついたとき、清姫が安珍に出会いさえしなければ……と悔しい気持ちになった。
夜の部『京鹿子娘道成寺』(右より)白拍子花子=中村壱太郎、所化=大谷廣太郎、中村玉太郎 /(c)松竹
15日以降の日程では、壱太郎と同世代の尾上右近の花子を見ることができる。今月ばかりか、今年の歌舞伎、これからの歌舞伎がいっそう楽しみになる公演だった。歌舞伎座にて1月27日まで。
取材・文=塚田史香

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