『女の一生』主演の山本郁子が語る~
「私はこの作品を観て文学座を目指し
た。この作品を面白いと思う後輩にバ
トンを渡したい」

あるとき文学座から電話があった。「若い編集者さんとお茶でも飲みながらお話がしたい」。劇団代表だった女優・杉村春子からの伝言だった。「名」も「大」も、時に「怪」も付く女優はほかにいるだろうか? 厳しさと優しさが同居する凛とした佇まいは気軽に取材など依頼できる存在ではなかった。ドキドキしながらその日を待ったが、お茶会は実現することなく杉村は数カ月後に逝った。『華岡青洲の妻』『ふるあめりかに袖はぬらさじ』『怪談牡丹灯籠』。杉村の代名詞とも言える和物の作品は後輩女優に形見分けされた。文学座最大の財産演目『女の一生』の布引けい役も平淑恵に引き継がれ、2016年から山本郁子が演じている。演劇鑑賞会でのツアーを経て、いよいよ東京で一般のお客さんにお披露目される。
明治38年、日本が近代的な資本主義国家になり始めたころ、天涯孤独の身の上だった16歳の布引けいは、不思議な縁から拾われて堤家の人となる。清国との貿易で一家を成した堤家は、その当主もすでになく、息子たちはまだ若く、しずが弟・章介とともに困難な時代を生きていた。やがて、けいは、その闊達な気性を見込まれ長男・伸太郎の妻となる。次男・栄二に寄せた思慕は断ち切り、正真正銘の堤家の人として家業を切り盛りしていくが……。
杉村春子さんに学びたいと思った
——山本さんは『女の一生』を観て、文学座入団を決意したんですよね。
山本 大学時代は小劇場ブームで、いろいろな劇団に出たり、疾風DO党という劇団の旗揚げにも参加して、そのままやっていこうかとも思っていたんです。けれど『女の一生』を観て、初めて涙したし、しばらく立ち上がれなくなるくらい感銘を受けたんです。私には足りないところがたくさんある、学ぶならこの杉村さんしかいないと思って文学座を受けました。そのときは落ちたんですけど(笑)。
杉村春子による『女の一生』1945年版  写真提供:文学座
——小劇場にいると文学座など結構ハードルは高くなかったですか?
山本 友達にもなんて古臭い芝居に行くのと言われましたよ。その1年は勉強のために何でも見ようとしていて、文学座のチケットは都合でいけなくなった友達にいただいたものでしたけどね(笑)。実は私、戦争で亡くなった方の生まれ変わりのような気がしていて、戦争物にすごく感情移入するところがあるんです。そのとき出演されていた杉村さんと北村和夫さんは第二次世界大戦も日中戦争も経験されていた。その方たちがリアリティをもって舞台に立ち、未来を語る姿にすごいメッセージをいただいた気がしたんです。
——布引けい役をいただいた理由はなんだと思います?
山本 いくつも取材をしていただいてお話するうちに気づいたんですけど、おこがましい話ですが、もしかしたら見えないレールが敷かれてきたのかなと。私は初舞台で、43歳の太地喜和子さんとご一緒しているんです。その後も声をかけていただいたり、余所の現場でも衣裳さんや床山さんに「うちの若い子をよろしく」と伝えてくださったり、可愛がっていただきました。喜和子さんは40歳のときに「もう着物芝居しかしない」とおっしゃったそうで、亡くなるまで8年間は本当にそうだった。私も40歳になって、文学座の創立者の久保田万太郎の作品を自主企画でやるようになったんです。それを積み重ねてきたことと、40歳を過ぎてから着物の芝居が増えてきたこと、鵜山さん演出の作品で着物の役を長いこと地方でやってきたこと、そういうことをいろんな人が見てくださって、鵜山さんが『女の一生』に声をかけてくださったのかなと思うんです。そういう意味で、なんとなく着物、和物の芝居に引っ張られてきた気がします。
——ご自分の中ではいつかは『女の一生』にという思いはあったんですか?
山本 私はこの作品を観て入ってきたので、やれることになったときはすごくうれしかったです。今は価値観も多様化していますし、和物は手間もかかって現代劇より上演するのは大変です。でもこういう着物の芝居は文学座だからできるものでもありますし、後輩たちにも続けていってほしいですね。
 実は文学座では研究生で全員、一度は『女の一生』をやるんです。5幕を分けて担当する。私は研修科1年目のときに、本公演につけたんです。杉村先生のお付きをしながら、清(きよ)という女中の役をやらせていただきました。杉村さんが最後に演じたのは1990年ですけど、私が出演させていただいた1989年は、杉村さんは本当に脂がのりきっていて、とても素敵でなにもかも超越されていました。杉村さんは83歳くらいでしたけど、若い時代のけいがかわいらしくてかわいらしくて。
杉村春子による『女の一生』(1989年)  写真提供:文学座
——杉村さんの『女の一生』がヴィヴィッドに残っているわけですね。
山本 シーンごとに覚えていますよ。また1961年と1990年の映像が劇団に残っていて、それが全然違って面白いんですよ。着物の着方一つでも最初は生活感にあふれていたのが、最後のほうは見せる感じになっている。演技も後半は少し歌舞くような感じになっています。
——戌井さんと杉村さんが確立していった、商業演劇風の正面を向く演技スタイルですね。その芝居と、演出の鵜山仁さんと山本さんがつくられているものはどう同じで、どう違うんですか?
山本 鵜山さんの演出で面白いのは、2016年と2018年でも価値観が違うんですね。役者の2年間の変化さえも楽しんで、良さをピックアップされていらっしゃる。いろんな掛け合わせを楽しんでいる感じです。戌井さんの場合は型とか見え方にこだわられたと思うんですが、鵜山さんは着物やかつらのことは戌井先生のものを踏襲しつつ、人間関係はどんどん密にされているという印象です。
平淑恵による『女の一生』(1999年)  写真提供:文学座
荘田由紀による『女の一生』(2010年)  写真提供:文学座
文学座の紆余曲折を見てきた作品ですから、すごく重みを感じます
——なにかの劇評で、こんなにも戦争の細かい描写があったのか、杉村さんという巨星の存在で見えていなかったと書かれていました。
山本 本当に。杉村さんがおやりになられていたときはお客様も杉村さんばかりをご覧になっているから、杉村さんが素敵だった、面白かったという感想だったかもしれません。それが平淑恵さんになって物語の面白さが見え、私になったときに登場人物それぞれの人生が見えてきて芝居として面白くなったとは言ってもらえることがあります。
——良い芝居はやはり普遍性があるからこそ受け継がれると思います。その部分が具体的に見えてきたわけですね。
山本 時代劇ですが、今読んでも本当に面白いんです。現代に通じる部分がいっぱいあって、かつ反戦のメッセージも強い。この作品が書かれたときは情報局の委託作品でした。劇作家の森本薫さんはもともと戦争や兵隊に反対の方だから、もちろん反戦のメッセージがいろいろ込められているんですけど、よく検閲に通ったなと思います。
『女の一生』は空襲がひどくなって、文学座でもこれが最後の公演になるかもしれないということで杉村さんが執筆を依頼したのだそうです。装置も一場面しかつくれないし、座員も兵隊に取られていたので、同じ空間の中で人間が年を重ねていくという設定で書かれたそうです。またいつ誰が空襲に遭ってもいいように台本を書き写して手分けして持ってたらしいですよ。そういう大変なときにできた作品が劇団の節目節目を助けてくれたり、財政を潤わせてくれたり、かと思えば分裂の引き金にもなった。文学座の紆余曲折を見てきた作品ですから、すごく重みを感じています。
山本郁子による『女の一生』  写真提供:文学座
山本郁子による『女の一生』  写真提供:文学座
——布引けいに対する思いはいかがですか?
山本 私、布引けいさんは好きなんです。「誰が選んでくれたわけではない、自分が選んだ道ですから」とは言っていますが、自分が戦争孤児だということと戦争のために、選んだと言えば選らんだと言えるのかもしれないけれど、まっしぐらに突き進むことしかできなかった。それで旦那さんが離れ、娘さんが離れいろんなものを失ったけれども、一途に生きたんだと思います。嫌な面もありますけど、必死に生きた女としては共感もできますし、うらやましいとも思います。
——16歳から56歳まで演じるんですよね?
山本 私はそのとき、そのときのけいを、一貫性がなくてもいいと思って演じています。そのくらい年代によって変わっていく。鵜山さんとも幕ごとにイメージを話し合って、1幕は「迷いこんだ行き場のない犬のよう」、2幕は「生きるエネルギーで楽しくて楽しくて仕方がない」、3幕は「私がやる、私がこの家を切り盛りする」で女がピークになって鼻高々になっているところ。4幕は「戦争も家業も大変になってきて誰もいなくなったけれど私がやるしかない」、5、6幕は「寛容な心、過去を振り返り違う考え方を受け容れる」と、そんな感じで変遷していくんです。
——目標というのはへんかもしれないですが、いつまで演じたいですか?
山本 鵜山さんは22世紀を見据えているらしいですよ。私としても100年、200年と続くように、まずは若いお客様に見ていただきたいですね。そして継承するのが私の役割だと思うので、この作品を面白いと思ってくれる後輩にバトンを渡したいですね。私自身はできれば全国を巡演できればうれしいです。
《山本郁子》1987年に文学座研究所入所。1988年、『好色一代女』で初舞台を踏む。1992年より座員となり、名実ともに文学座の中核を担う女優の一人として数多くの本公演に出演。1996年の『華岡青洲の妻』で第15回岡山市民劇場賞・新鋭賞を、2017年の『越前竹人形』『舵』で第24回読売演劇大賞・優秀女優賞を受賞。ドラマやナレーション、声優の仕事なども行っている。
取材・文=いまいこういち

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