「うた」へと向かう若手ロックバンド
たち――音楽シーンのJ-POP回帰を考

(参考:フェスシーンの一大潮流「四つ打ちダンスロック」はどこから来て、どこに行くのか?)


 10月のとある週末、多くの「邦ロックファン」がテレビの前にくぎ付けになった。

 10月11日(土)の夜、NHK「SONGS」に登場したのはSEKAI NO OWARI。スタジオライブが3曲も披露されただけでなく、彼らの結成までのいきさつやメンバー間の関係などを丁寧に説明する非常に見応えのある番組だった。翌日の10月12日(日)には、「LIVE MONSTER」にゲスの極み乙女。が出演。新曲のパフォーマンスと合わせて普段の活動に密着したVTRが流れ、司会である中村正人とのトークパートも合わせてバンドのキャラクターがよく伝わる内容だった。

 2010年の音源リリースからあっという間にロックフェスのヘッドライナーまで上り詰めたSEKAI NO OWARIと、直近では音楽雑誌の表紙も飾っているゲスの極み乙女。。この2バンドは最近ともに『SMAP×SMAP』にも出演していたが、こういった「ロック畑」を出自とするバンドが積極的に地上波のテレビ番組に登場するというのは10年代のバンドシーンの一つの特徴なのかもしれない。今年の7月には2000年のメジャーデビュー以来一度も地上波に出演したことのなかったBUMP OF CHICKENが初めて『ミュージックステーション』に出演して大きな話題を呼んだのも記憶に新しい。

 ほんの数年前まで、「若者に圧倒的な人気を誇るロックバンド」はあまりテレビに出演しなかった。前述のバンプだけでなく、アジカン、エルレ、ラッド、ホルモン…ゼロ年代に大きな支持を集めた(そして今でも絶大な影響力を変わらず維持している)人気バンドたちのスタジオライブや日常の姿が地上波のテレビ番組で放送されるケースはかなり稀だったように思う。ライブに行かないと、雑誌を買わないと、そして音源を聴かないとその魅力を楽しむことのできないバンドたちの姿にはそれゆえの神秘性があり、「そういう存在に触れている」こと自体が聴き手自身のプライドをくすぐるという効用もある。

 こういった構造は「ロイヤリティの高いファンを作り出す」というポジティブな側面がある一方で、一歩間違えると「排他性を生む」「間口が広まりづらい」というネガティブな結果も生み出す。そういった状況に対して楔を打つべく活動していたのがここ数年のサカナクションで、「メディア戦略もバンド活動の一つ」という明確なスタンスは2013年末に紅白歌合戦に出場するという大きな成果をあげた。

 言い古された話だが、もはや「誰もが知ってるヒット曲」はほとんど存在しなくなり、メディア環境の変化によってテレビの相対的な影響力も下がりつつある。つまり、今やテレビというメディアは「カウンターをかます相手」ですらない。それならば、テレビを「唾棄すべき商業主義的な媒体」ではなく「広くリーチできる手段」として捉え直すことで見えてくる世界が広がるのでは? 最近のバンドの中にはこんな考え方が自然と搭載されているのかもしれない。一部バンドの熱心なファンの間では「○○がテレビに出るなんて!」という反響が見られることもあるが、まだインターネットが浸透していない時代にテレビの歌番組を通じて様々な音楽に接してきた自分のような人間にとって最近の風潮は非常に楽しい。

・「J-POP誕生秘話」から見る2010年代のバンドシーン

 自分が音楽を聴き始めた90年代の初頭から中ごろは「J-POP」という呼称が一気に世の中に広まった時期とちょうど重なるが、当時は安室奈美恵ZARDスピッツもジュディマリもひっくるめて「今までの歌謡曲とは一味違う日本のヒットソング」にはすべて「J-POP」というラベルがつけられていた。この言葉が生まれた場所はラジオ局のJ-WAVE。「洋楽主体の放送プログラムの中で流しても違和感のない邦楽」を選別するための記号として作られた名称であり、開局から1年後の89年に「Jポップ・クラシックス」というコーナーが始まっている。

「J-POP」の誕生当初、どんな音楽がそれに該当するのかについては「演歌やアイドルはダメで、サザンオールスターズ松任谷由実山下達郎、大瀧詠一、杉真理はOK」というように感覚的に決められていったという。烏賀陽弘道「J-POPとは何か -巨大化する音楽産業-」には、この言葉に込められた発信者たちの思惑が記録されている。

「『それまでの日本とはちがう日本』『世界に対峙しうる日本』の時代がやって来た。『ジャパン・アズ・ナンバーワン』。そんな雰囲気があふれていました。音楽も、それまで邦楽は西洋のポップスに負けていたけれど、これからは追いつかなくちゃいけない。そんな意味があったと思います」
当時ビクターミュージックエンタテインメントの宣伝課長として「Jポップ」という言葉の誕生に立ち会った斎藤英介はそう振り返る。J-WAVEの斎藤日出夫も、次のように言う。

「和製エルビスとか和製ポップスでは、いつまでたってもオリジン(本家、元祖)に勝てないですよね。『Jポップ』には『オリジンになりうる音楽』という願いが込められている」

 こういった思いのもとに作られた「J-POP」という音楽ジャンルは、テレビドラマやカラオケボックスといった当時の社会風俗と結びつくことで一大産業へと成長。「従来の歌謡曲と比べてなんとなく洗練された音楽」程度の意味合いしか持たなかったこの記号は、鳴らされるシチュエーションに適応するかのように「一発で覚えられるメロディ」という特徴を備えていく。カラオケで歌いやすいか否か、ドラマで流れるワンコーラスもしくはCMで流れるたったの15秒だけで印象に残るか。お茶の間に流れる音楽はそんな観点で評価されることになった。

 こんな経緯を改めて確認したうえで昨今の「邦ロック」界隈について眺めてみると、ここまで挙げてきた「J-POPの精神」が過剰に達成された状態になっていると言えるのではないだろうか。たとえば、たびたび盛り上がる「洋楽をルーツとしないバンドの台頭」という話題はまさにJ-POPが生まれた際の心意気が完全に具現化された状況である。幸か不幸か、若者に支持される音楽を生み出すために海の向こうに源流を求める必要はなくなった。また、ライブハウスやロックフェスにおいてオーディエンスが求める「一体感」という要素も、突き詰めていけば「同じテレビドラマを見て主題歌に涙する」「カラオケボックスでみんなで歌う」のと根本的には変わらない。90年代にもてはやされた「一発で覚えられるメロディ」という音楽的な特徴は、「一発で乗れる、踊れる、声を出せるサウンド」という形で先鋭化していった。

 音楽プロデューサーの亀田誠治は、自身が司会を務める「亀田音楽専門学校」の中で「最近のトレンドである四つ打ちロックは、90年代の小室サウンドを日常的に嗜んでいたミュージシャンから生み出されている」と指摘している。「いわゆる流行りものとは違う音楽を聴いている」というリスナーの矜持によって支えられている側面もあるバンドシーンだが、実はその空間のルールは「もっとも音楽が売れていた時期のもっとも流行っていた音楽」によって規定されている。

・「キャッチーで覚えやすい」が意味することの変遷と回帰

 J-POPの誕生以来、日本のポップミュージックは「覚えやすい」「印象に残る」という要素を最重要課題として発展してきた。それを達成するための手段はいくつもあるが、ここ数年は特に「メロディ」ではなく「ギミック」にフォーカスした手法が大きく進化してきたという肌感覚が個人的にはある。「何曲分の情報量が詰め込まれているのかわからない」といった表現でおなじみの奇抜な展開を繰り返すアイドルソングや極限までBPMを上げたロックサウンドなど、「そこまでやるのか!」という驚きが中毒性に転化する形で評判を獲得するケースが明らかに増えた。「情報が溢れる世の中で認知されるには強い刺激が必要」ということなのかもしれないが、「刺激競争」の先に待っているのは「感覚の麻痺と崩壊」のような気がしてならない。

 ただ、やはり一つの潮流が極端に進んでいくと必ず反作用が起こる。たとえば赤い公園の津野米咲は、ポップに振り切ったアルバム『猛烈リトミック』における重要曲“NOW ON AIR”について「レジーのブログ」におけるインタビューでこんなことを言っている。

「素晴らしいJ-POPは、編曲を問わないと考えています。いつ、どこで、誰が、どんな編成で演奏しても良い曲でなくてはなりません。強力なメロディーと歌詞無くしては成り立たないものだと思います」

 こういう感覚で音楽を作っている若いバンドが存在することに僕はとても勇気づけられた。日々の生活に寄り添うポップミュージックにとって最も重要なのは、時代がどんなに移ろっても「うた」そのもの、つまり「メロディとそこに乗る言葉、それを歌う声の組み合わせ」ではないか?そして、「J-POPをルーツとする日本のポップス」というものが生まれるのであれば、それは単にインパクトがあるという意味で印象が強い音楽ではなく、「うた」にこだわった音楽というDNAの伝承であるべきだと強く感じる。これは決して「鎖国」「ガラパゴス化」といった後ろ向きな話ではなく、メロディを起点に発展してきた日本のポップミュージックの正当進化と呼べるものである。

 ここで話は冒頭に戻る。2010年代の日本のロックの主戦場はライブやロックフェスだと言われながらも、実はこれまで以上にテレビとの結びつきが強くなっている。不特定多数の視線にさらされる場での勝負を挑むために、ロックバンドは改めて「うた」を武器として手に取るのではないだろうか。この見立てには僕の願望も多く含んでいるが、実際にそういった動きが少しずつではあるが見えてきているように思える。

・再び「うた」を聴かせるロックバンド

「J-POP的なよさ=キャッチーで覚えやすいうたとロックバンドの再接近」というフレームで考えたときに真っ先に思い浮かぶのが、ここ最近一気に知名度を増した感のあるShiggy Jr.である。作品ごとにギターロックやダンスミュージックなど様々なテイストを選び取りながら、その根底にあるのはあくまでもメロディ。楽曲制作を一手に引き受ける原田茂幸も「歌が一番大事、他は楽曲を支えるものにならないとダメ」と公言している。「ポップで楽しい」ことを第一義とするバンドのスタンスやボーカルの池田智子のキャラクターも含めて、マスメディアとの相性も間違いなく良いだろう。先日J:COM テレビで放送された「MUSIC GOLD RUSH」においても、サバンナの高橋茂雄や9nineの西脇彩華と息のあったやり取りを見せていた。

 今年7月にメジャーデビューを果たしたボールズも、「うた」を主体にしたロックバンドとしてこれからの飛躍が期待される。「大阪のスピッツ」というキャッチコピーがつけられていたこともあるが、個人的にはボーカルの山本剛義の歌声から想起されるのは繊細さや儚さよりも力強さ。エレカシの宮本浩次、もっと言えばオアシスのリアム・ギャラガーにも通ずるような堂々としたボーカルスタイルは最近の日本のロックバンドにおいてありそうでなかった存在感を放っている。海外のインディーシーンの空気をまといながらも耳なじみの良いメロディゆえに敷居の高さ、小難しさを一切感じさせない彼らの楽曲は、様々な音楽好きの結節点となる可能性を秘めている。

 ボールズとも共演経験のあるAwesome City Clubもこの流れに加えたい。ソウルミュージックを下敷きにしたアーバンなサウンドを鳴らしながらもメロディはどこまでも人懐っこく、「間口の広さ」と「洗練さ」を絶妙なバランスで両立している。現状ではフィジカルリリースをせずにフリーで音源を公開しているが、今後どういった活動方式をとるのかも含めてとても興味深いバンドである。

 ここで名前を挙げたバンドの音楽から自分が感じるのは、「刺激競争」に明け暮れるミュージシャンの上空を軽々と飛び越えてもっと開かれたフィールドへ届いていくのではないかというスケールの大きさである。スタイルは違えど「普遍的なメロディ・うた」に強みを持つ彼らの音楽がリーチできる範囲は、バンドシーンという限定された空間よりもはるかに広いのではないだろうか。

「世代を超えて愛される音楽は生まれづらい」ということが言われて久しい。嗜好の細分化、タコツボ化はさらに進行していくだろう。しかし、そんな諦念から一歩進んで、幅広い層へ浸透する光景が想像できる音楽を鳴らしている若いバンドが続々と登場している。日本のロックバンド、まだまだ変わらず面白い。(レジー)

リアルサウンド

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