音楽における「サブカル」とは? 円
堂都司昭が戦後カルチャー史から紐解

(参考:「渋谷系」とは日本版アシッドジャズだった!? 若杉実の労作が提示する“DJ文化”という視点)

――そもそも“サブカルチャー”あるいは“サブカル”とは、どのような背景で出てきた言葉なのでしょうか。

「1960年代には先進諸国で学生運動が盛んになり、ベトナム戦争に対する反戦運動もあって、この時期にフォークやロックが若年層に広く聴かれるようになりました。この時代の反体制的で反抗的な、社会に対して異議申し立てをするような若者文化を指す言葉に“カウンターカルチャー(対抗文化)”がありました。学生運動は70年代になると退潮しましたが、若者が消費者として目立つ時代にはなりました。それは“カウンターカルチャー”の“カウンター”の部分、反抗や抵抗の部分が抜け落ちた状態であり、でも主流とはいえない。そのような文化を日本では“サブカルチャー”と呼ぶようになったという印象を、個人的には持っています」

――“サブカルチャー”と“サブカル”という2つの言葉が、それぞれ別の意味合いを持って使われているように見えます。

「“カウンターカルチャー”には左翼的な反体制のニュアンスがありますし、それとほぼ同じ意味で“サブカルチャー”を使う人もいます。一方、そのような政治性を欠いた、もっとカジュアル化したものを“サブカル”の略称で呼ぶ人もいる。“サブカル”はオタク側からの蔑称だという意見もある。言葉の使われかたが、人によってズレています」

――発信する側に“カウンターカルチャーになろう”“サブカルチャーになろう”という自覚はあったのでしょうか。

「反戦姿勢を打ち出した音楽家などには、“社会に対し異議申し立てをする”という自意識があったでしょう。そういう人たちが“カウンターカルチャー”と呼ばれた。それだけではなく、本人は異議申し立ての意識はないけれど、第三者から批評的に“これはカウンターだ”といわれる状態もありました。例えば、70年前後の東映ヤクザ映画や、演歌の藤圭子などは“はぐれ者”つまり“社会からあぶれた私”をテーマにしていたため、学生運動をやっていた層から共感を得た。演者自身は特にそう思っていなくても、他から“カウンターだ”と認定されたのです。海外では、例えばローリング・ストーンズなどが黒人のブルースに憧れていた。社会に抑圧される立場の黒人のブルースをベースにして、社会に反抗する若いバンドがロックンロールを演奏したという図式です。第三者からの批評的な視線ではそうみえる。とはいえ、必ずしもブルースマンが自分を“カウンターカルチャー”の人間だと考えていたわけではないでしょう」

――先日、音楽美学者の増田聡氏はTwitterで「subcultureと日本語のサブカルは違う概念だけど混同する人が現代日本では多い」と指摘しています。“subculture”と“サブカル”の違いは何でしょうか。

「先ほどから語ってきたのは、日本的な解釈としての“サブカルチャー”ですが、海外では“下位文化”という意味合いを持っています。人種や民族、地域、所得レベル、性意識、行動スタイルなどの異なる集団が、“主流文化”とは別にそれぞれの文化や趣味を形成する。これが“subculture”ですが、日本の場合、差別などは実際にあったけれど、高度経済成長を達成した70年代はじめから、格差社会が問題になるゼロ年代に入るまで長いこと、わりと均質な社会だと思われてきた。だから、海外とは違って、民族や階層の差であるよりは、消費における趣味の差として“サブカル”がとらえられてきたところがあります」

――70年代以降はどう変わりましたか。

「60年代には新興勢力だったロックなども、70年代以降にジャンルが確立されると、ある種の権威を帯びてきました。自作自演のロックは本当の音楽だけれど、歌謡曲やアイドルはただの商業だと見下すような考えかたですね。そうなると、逆にロック的な意識を批判して、アイドル歌手を肯定する批評も現われ始めた。それまでの価値観からは馬鹿にされがちなアイドルを持ちあげて、価値観を逆転することに楽しみを見出す。こうした批評性を“サブカルチャー”ととらえる人もいました。アイドル自体は一般的な芸能だけれど、アイドル批評は“サブカルチャー”。ジャンルとしてのサブカルチャーと、批評的な態度としての“サブカルチャー”の両方があるわけです」

――“オタクカルチャー”と“サブカルチャー”の関係は?

「60年代以前には、マンガは子供が読むものという一般常識がありました。でも、60年代後半には手塚治虫などを標準とした丸みを帯びたマンガだけでなく、劇画タッチの作品が少年マンガ誌に載る状況があったし、子どもではない青年がマンガ雑誌を読むことも珍しくなくなりました。マンガは、フォークやロックと並ぶ“カウンターカルチャー”、“サブカルチャー”だったんです。

 70年代には橋本治が少女マンガ論を発表したほか、男が少女マンガを文学のように読む現象があった。アイドル批評にも似た“サブカル”的態度ですね。75年に始まったコミックマーケットでは、商業マンガのパロディを載せた同人誌が売られましたが、価値観をズラすという意味では“サブカル”的だったし、初期には今でいう“オタク”的感覚と“サブカル”は混ざりあっていたと思います。

 でも、80年代になると、青年だからリアリスティックな劇画を読むというのではなく、アニメ的な美少女の絵柄などがマンガ好きの間で一般的なものになる。マンガやアニメに対し、後に“萌え”と呼ばれるような非批評的な楽しみかたが広まった。この時代が、“オタクカルチャー”形成の分水嶺だったのでしょう」

――その分水嶺以降、つまり80年代以降はコミュニティが細分化されていった印象を受けます。

「80年代の消費の爛熟をめぐって“差異化ゲーム”という言葉がありました。生活必需品はもう普及しているから、商品の機能性ではなく、ちょっとしたイメージの違いで売る。簡単にいうと“私とあなたは違う”という価値観で消費を行うのです。例えば、当時は、ロックよりアイドルのほうが偉いとする価値観は、“価値観をひっくり返す”、“既存の価値観を相対化して価値づけを変える”ものでした。そうした考えが広がれば、“みんなが認める”高い価値を持つものは無くなります。90年代以降は“島宇宙化”という表現も使われました。それぞれの趣味に応じた小さなコミュニティ=“島宇宙”が作られ、自分の価値観に閉じこもる状況が生まれた。今もそうした状況は続いているし、ネット上でその価値観のコミュニティに帰属しやすい一方、隣のコミュニティが見えやすくなり、摩擦が起きやすくなりました」

――音楽に話を絞ると、90年代には“渋谷系”ムーブメントも訪れますが、あれは“サブカルチャー”とみなすべきでしょうか。

「90年代はじめに“オタク”は流行語になり、その後、普通の言葉になっていきましたが、最初は、どんなジャンルのコレクター、マニアも“オタク”と呼んでいました。だから、過去の多くの音楽を参照し、コレクター気質のある渋谷系も“オタク”と形容されたことがありましたが、今ではあまりいわないでしょう。マンガ、アニメ、ゲームなど“オタク”は二次元中心というイメージが広まりましたから。

 一方、音楽ジャンルを相対的に見て、様々な要素を批評的にピックアップし、組みあわせ、従来とは違う価値を与えるのは“サブカル”的ですよね。その意味で、渋谷系は“サブカル”的だった。でも、様々な要素をDJ的に組みあわせる手法が“サブカル”だとしたら、ヒップホップはなに? という話になります。音はそんな風に作られていても、そこでラップしている人は、マッチョ的だったりヤンキー的だったり、例外はあるにしても“サブカル”的でないほうが多い。“サブカル”かどうかは、クリエイターやアーティストの自意識、ジャンル、手法、批評など、いろいろなアングルで定義づけできるから、どこにポイントをおくかで互いの話がすれ違ってしまう」

――“サブカル”の手法についてですが、サンプリング的なもの以外にもあれば教えてください。

「すぐに思い浮かぶのは、パロディ、冗談ですかね。わかりやすいのは、実在のコメディアンをネタにした筋肉少女帯の『高木ブー伝説』とか。このバンドや、電気グルーヴの前身バンドにあたる人生が在籍した80年代のナゴムレコードというレーベルには、“サブカル”的な笑いがありました。最近だとアーバンギャルドなどは、その影響を受け継いだバンドです」

――音楽カルチャー内での“サブカル”の定義は難しいですね。ハッキリとした線引きのようなものは存在するのでしょうか。

「線引きはできないですけれど、いっておきたいのは流通の問題です。60~70年代の“アングラ・フォーク”というジャンルには、会員制でレコードを通信販売する文化がありました。つまり、既存のカルチャーではないカルチャーを打ち出そうとした場合、既存の流通とはべつのルートを作ろうという発想が出てくる。そうした発想も含めて“サブカル”と定義できるのではないでしょうか。マンガに関しては、書店販売とはべつにコミケという場が作られた。先に触れたナゴムは、80年代のインディーズ・ロック・ブームにおける代表的なレーベルでした。70年代にニューヨークやロンドンで起こったパンク・ムーヴメントは、日本に“Do It Yourself”の考えかたを伝えた。アメリカでは90年代前半にオルタナティブ・ロックの隆盛がありましたが、オルタナティヴには“もう一つの選択”という意味があったし、インディーズ主義の傾向があった。日本の音楽の自主制作、自主流通にも、海外のパンクやオルタナの影響はありました」

――ゼロ年代以降、インターネットの登場でどう変わったのでしょう。

「CD売り上げのピークは1997年~1998年。それ以降はインターネットが普及し、DTMも容易になって一般化していきました。また、YoutubeやSpotifyなど、音楽を支えるインフラが整ってきた。日本では、ニコニコ動画という音楽の発表場所ができたことが大きかった。ネットは、先に話した“べつの流通”、“もう一つの選択”として力を強め、趣味の分散はさらに進んでいます。

 もともと日本には、西洋における芸術みたいな、カッチリとした文化的体系がありません。とはいえ、90年代までは紅白歌合戦、レコード大賞、オリコンチャートなどが、これがメジャーであると、権威づけを行う指標になっていました。60年代には公共放送であるNHKの紅白歌合戦には、長髪の不良っぽいグループサウンズは出さないという方針がみられました。そういった権威づけが無くなり、指標が弱体化したわけですから、“サブカルチャー”と“メインカルチャー”の区別は消失したようなものだし、だからこそ“サブカルチャー”の境界線も見えにくくなった。しかし、人はそれぞれの価値観を持っていて、他の価値観に違和感を覚えたり、ツッコミを入れたがるような気質はなくならない。だから、手法や批評としての“サブカルチャー”は常に語り続けられる……という状況ではないでしょうか」

 ゼロ年代を経由したことにより、意味内容が大きく変動している『サブカルチャー』あるいは『サブカル』という単語。議論の出発点として、その歴史的変遷を知るのは一定の意味があるのではないだろうか。(松下博夫)

リアルサウンド

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