ピアニスト髙木竜馬 鋭い洞察と深い
造詣、真の芸術家としての力量を示す
【レポート】

第16回エドヴァルド・グリーグ国際ピアノコンクール優勝で世界的に脚光を浴びた実力派ピアニスト、髙木竜馬。気軽にクラシック音楽に親しめるカジュアルなコンサートから、耳の肥えたクラシック通をも唸らせる示唆に富んだプログラムまで、振り幅の広い演奏活動に加え、後進の指導、アウトリーチと多彩な活動を展開し、日本のクラシック音楽界の中核的存在へとなりつつある髙木の、今一番弾きたい曲を集めた直球勝負のソロ・リサイタル東京公演が、2024年2月11日(日)、浜離宮朝日ホールで開催された。
舞台に登場し、このリサイタルの数日前に訃報が報じられた小澤征爾さんへの追悼と感謝、そして遺志を引き継ぎ音楽界の発展のために力を尽くしていく決意を語った後、プログラムについての解説を交えたトーク。この公演のコンセプトは「変奏曲、移り変わってゆくもの、そして変わらぬもの」。シンプルなテーマをいかに発展させていくかは、作曲家の腕の見せ所であり、ゆえに変奏曲には傑作が多いという。日々同じことを繰り返しているようで一日たりとも同じ日はない、人の営みのようで、人生そのものが変奏曲だと語った。
まずはモーツァルトの「ピアノソナタK.331トルコ行進曲付き」から。最初の一音の得も言われぬ美しさが、聴衆を一気に惹きつける。ウィーンで長く研鑽を積み、正統派の系譜を受け継ぐ髙木のモーツァルトは、時代の様式を大切にしながらも、当時の楽器とは違った奥行きのあるモダンピアノの音色が見事にマッチしている。高性能ゆえに、一歩間違えばシンプルな美しさをぶち壊す危険も孕むモダンピアノから、大切な要素のみを丁寧に取り出し、極上の音楽に仕上げていく。気品と親しみやすさを兼ね備え、あくまでもふんわりと、まろやかに響かせながら、要所要所のネジが閉まり、輪郭がぼやけない。バリエーションごとに絶妙に緩急をつけながら、気を衒ったことは一切しないところに、芯の強さと自信を感じた。トルコ行進曲は落ち着いたテンポと音量ながら、マーチの太鼓が素朴な中にもカラフルな賑やかさを演出しているようで、心が浮き立つ。
続いて、ラフマニノフの「前奏曲op.32」より10番、11番。トークの中で「10番の冒頭と、先のモーツァルトのソナタの冒頭が、音型もリズムもそっくりだと気づいた」と語っていたが、なるほど! 荒涼とした音が描く世界に、同じ楽器でこうも違うものかと感嘆する。と同時に、だからこそ気づきにくいのだろう、とも。こんな「宝探し」も、クラシック音楽の奥深い楽しみの一つだ。
凍てつく広大なロシアの大地を思わせる低音は、モーツァルトの時とはピアノの鳴っている場所が違う。クライマックスに向けて楽器全体が唸り、大自然を前にした人間の小ささ、革命に翻弄される怒りと悲しみを痛いほど感じさせる。
11番は、「片目で微笑みながら、片目からは涙を流しているような」と本人が話していたように、8分の3拍子の弾むようなリズムの主題に時折訪れる高音の和声が、ひんやりとした風を運んでくるよう。
同じくラフマニノフの「パガニーニの主題による狂詩曲op.43」より「第18変奏曲」は、江口玲によるピアノ・ソロ編曲版。戻れぬ祖国へ想いを馳せるような、切ないほどに美しい音楽を、コンチェルトの様に壮大に歌い上げるのではなく、独奏版ならではの親密な距離感で、語りかけるように歌った。
前半最後はチャイコフスキーの「6つの小品」より「主題と変奏op.19-6」。懐かしいあたたかさを感じる内省的なテーマが次第に発展していくのを聴きながら、人は十人十色、しかしその一人一人にも無数の色があることを思い、冒頭の髙木の言葉の意味を噛み締める。フィナーレに向けて華やかさを増すも、ノーブルな美しさを損なわないのは、髙木の生まれ持った品性ゆえか。頷くような拍手に包まれ、前半が終了。
後半も、「静と動」がテーマのプログラムについての解説を交えたトークでスタート。特に、21曲の小品から成るシューマンの「謝肉祭op.9」は、髙木自身も昔聴きに行った演奏会で「途中どの曲を聴いているのかわからなくなった」と話し、「一度立ち位置を確認してもらえるように」と第8曲「スフィンクス」を演奏してくれるという、至れり尽くせりぶり。「『ピアノの森』ピアノコンサート」で楽しいトークコンサートを行なっている髙木らしく、聴衆に少しでも新たな視点をもって楽しんでもらいたいとの思いが伝わってくる。
ドビュッシーの「前奏曲集第1巻」より「雪の上の足跡」は、すべての音が吸収されていく雪の夜のような静けさを思わせ、ピアノの音がむしろ静寂を意識させる、不思議な感覚に陥った。音楽は進んでいながら、一つひとつの音が止まっているよう。そして、ピアノほど減衰の美しい楽器はないと思わずにいられない。発音後に音量を増幅させたり、美しいレガートを自然に奏でることが出来る声楽や他の楽器に憧れることもあるが、「ああ、やっぱりピアノって素晴らしい」と思う瞬間だ。会場全体が息を呑んで音の行方を追いかけ、張り詰めた緊張感に満ちている。リラックスさせるだけが、音楽の醍醐味では決してない。
続いて、同じくドビュッシーの「前奏曲集第2巻」より「カノープ」。ほとんどがp、pp、あるいはそれ以下で表現される神秘的な世界。滲んで溶け合うようなミステリアスな和声に、くっきりと浮かび上がる妖艶な旋律。空間に放たれた音が跳ね返ってくるのを迎えに行くように、次の音を丁寧に放つ。その作業が繰り返される空間に、ライブならではの不思議な一体感が生まれる。
プログラムのトリはシューマン「謝肉祭op.9」。重厚かつ華やかな前口上に始まり、本音を言いそうになる瞬間にはぐらかすようなピエロ、お手のもののワルツ、コケティッシュな戯れ、少し大仰なシャンソン風、迸る激情、光あふれる春のような明るさ……、など、目まぐるしく移り変わる、まさに「動」の音楽。最後は華々しい勝利の喜びで、詩的かつ作品への愛と、生気と、思索に満ちた演奏を締めくくった。シューマン作品にしばしば見られる、狭い音域にいくつも重なり合う声部に、それぞれの色をもたせる緻密な構成力と指先の絶妙なコントロール、そしてそれがいささかの誇張もなく、真摯な音楽表現のためだけに使われていることに感服する。客席からも、惜しみない拍手が送られた。
アンコールの1曲目はシューマン「子供の情景Op.15」より第7曲「トロイメライ」。ホールの空間の上の方で音が溶け合うよう。決してオープンではない、極めて個人的な感情をった音楽を聴きながら、逆にこちらの話を、ゆっくりと聴いてもらったような気持ちになった。
そして最後はムソルグスキー「展覧会の絵」より「キエフの大門」。ドビュッシーのppも美しかったが、力みがなく伸びのある芳醇なffもまた秀逸で、全身を振動で包まれながらも、まったく耳が疲れない。音数は多くともそれぞれの音に陰影をつけた立体的な響きが、ホールを一つの大きな楽器にし、大団円を迎えた。
作曲家が込めた想いへの鋭い洞察、時代ごとのスタイルへの深い造詣、そしてそれらを表現へと置き換える高い技術。真の芸術家としての髙木の力量を存分に示したリサイタルだった。そして自身の音楽への追求はどこまでもストイックでありながら、決して排他的にならず、聴衆へのリスペクトに溢れる髙木の人柄にも胸を打たれる。以前、「日本を世界最大のクラシック大国にしたい」と話してくれた髙木。立役者となり、その光景を見せてくれることを期待したい。
終演後のサイン会の模様
取材・文=正鬼奈保 撮影=池上夢貢

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