「渋谷系」とは日本版アシッドジャズ
だった!? 若杉実の労作が提示する“
DJ文化”という視点

(参考:沖野修也が明かす“1万円でアナログ販売”提案の真意「録音物にはライブとは違う価値がある」)

 むろん個人的な印象に過ぎないが、ある世代以上には日本ポピュラー音楽史上看過できない変革として刻印されているのに、ある世代以下になると、大きく誤解していたり、そもそも知らない人すらいたりするという具合に、今日となっては受け止め方に極端な温度差が感じられる歴史上の出来事でもある。

 本書『渋谷系』は、そんなヌエのような渋谷系の総体を描き出そうとした、初めての単行本である。そう、初めての、なのだ。

 90年代を彩った大きなムーヴメントだったことは間違いないのに、雑誌やムックの特集みたいなものはあっても、歴史として正面から取り組んだ書籍がこれまで登場しなかったのは、渋谷系というブームのそうした扱いづらさと、イメージの多様さゆえのことだろう。一家言あるうるさ型が多そうだから敬遠されていた節もあると思われるが(笑)。

・渋谷系=DJ文化

 本書の描く渋谷系もまた、一般的なイメージからすると特異に映るかもしれない。何しろこの本には、いわゆる渋谷系の代表選手とされる人たち、フリッパーズ・ギター小沢健二小山田圭吾)、ピチカート・ファイヴオリジナル・ラヴサニーデイ・サービスといった名前は、もちろん登場しはするのだが、それほど多く出てこないのだ。

 ページを割かれているのは、むしろ、レコード店やDJバー、クラブなどについてであり、そこで行き交っていた人々についてである。

 渋谷という街が、なぜ、どのようにして特別で独特な場所として成り立ったか、レコード店やDJバー、クラブという場を介して人々がいかに交錯したか、そのプロセスでどのような音楽や文化が生まれていったか。そうした動きの全体を、当事者の証言を集めて捉えることに力は注がれている。

 言い換えれば著者は、渋谷系という現象を、渋谷という場所を舞台に蠢いていた音楽や文化の流転の、ひとつの現れと見なしているのだ。それは、あとがきに「当初あった“バック・トゥ・ザ・90'S”的企画がいつのまにやら“渋谷系”に差し替えられ」たとあることからもうかがうことができる。

 レコード店、DJバー、クラブに焦点が当てられているのは、渋谷系、ひいてはその現象を生み出すにいたった渋谷の音楽文化の本質は「中古レコード文化」だった、もっと端的にはDJ文化だったと捉えられているからだ。

 この見立てには、著者が長年レアグルーヴを軸に活動してきた音楽ジャーナリスト、DJであるという背景が一役買っていようが、渋谷系を過去の音楽的資産の再解釈・再構築だとする既存の見方ともよく合致する。

 ちょっと脱線するが、ウルトラ・ヴァイヴから「渋谷ジャズ維新」というコンピレーション・シリーズが出ている。まあ、レア音源を発掘するシリーズで、何枚か買ったのだけれど、「ジャズ」といいつつジャズには聞こえないものが多いし、そもそもなぜ「渋谷」なんだろうとずっと不思議に思っていた(ライナーを読まないせいだ)。このコンピ・シリーズを手掛けているのは、本書の著者・若杉実なのだ。今回そのことに気づき、ようやく「渋谷」という冠と、「ジャズ」の解釈の幅の広さに合点がいったのだった。

・渋谷系のすべて

 さて、そんな視点で書かれた本書は、まず70年代の渋谷から始まる。当時の渋谷を音楽的に彩ったのは、はっぴいえんどの風都市の拠点となった百軒店のBYGやブラック・ホークといったロック喫茶、道玄坂のヤマハなどだ。80年代に入る頃から輸入中古レコード店が登場しだし、その草分けのマンハッタンレコードが移転したことで、90年代、渋谷は宇田川町界隈を中心に「世界一レコード店が多い」街となりギネスブックに載るまでになる。HMVの開店は90年のことだ。

 西武と東急の開発競争により、渋谷が若者の街として急激に発展したことが背景にはあったわけだが、湾岸戦争を境に、バブルで円安傾向だったのが円高傾向に転じたことがレコード輸入販売業者にとって追い風になり、渋谷を世界一のレコード街にしたのだと著者は分析している。

 ともあれそのような土壌で、DJバーやクラブを舞台に、ラウンジやレアグルーヴといったDJカルチャーが花開くことになる。なかでも、91年8月にDJバー・インクスティックで開催されたイベント「サバービア」が極めて重大な事件として特記されている。

「この日ぼくは、最初にして最後、最大だったかもしれない渋谷系というものを全身で吸収することになる」
「『渋谷系とはなにか?』という問いかけに対する答えはそれほど自信があるわけでもない。しかし、記憶を映像化できるならこの1日の体験とともに『これがすべて』と胸を張って言える自信がある」

 主催者はフリーペーパー『サバービア・スイーツ』を発行していた橋本徹、バーのプロデューサーはいまや大御所のDJ小林径で、著者はその日、初対面の小林に誘われてこのイベントを訪れたのだった。

 エレベーターを降り、すし詰めの人をかき分けて店内に進んだ著者は、小沢健二と渡辺満里奈にいきなり遭遇する。著者の顔を見た満里奈は小沢に「あれ、田島(貴男)くんの弟?」と漏らしたそうだ。ゲストには、小沢に加えて、小山田圭吾、小西康陽、高波敬太郎、サエキけんぞう、高橋健太郎という、渋谷系のキーパーソンを含む面々が並んでいた。サエキもこの日のことを『ほぼ日刊イトイ新聞』の連載「総武線猿紀行」に記している。

 客の大半が床に座り込み、オーケストラやストリングス、効果音のようなものに耳を傾けている--「それまでヒップホップやレアグルーヴ、ディスコ系のクラブイベントしか知らなかったぼくにとって、こうしたスタイルが異質に感じられたのも無理はなかった」。

「サバービア」のこのイベントは、「渋谷系」という言葉で示されることになる価値の転換を、これ以上ないほどに体現した出来事だったということだろう。

 だが、91年のこの時点で、「渋谷系」という言葉はまだ存在していない。

・「渋谷系」の登場

 「渋谷系」が初めてメディアに登場したのは、セゾングループが発行していたタウン誌『apo』93年11月9日号。

「センター街あたりじゃあたりまえ “渋谷系”ミュージックって、なに?」

 見出しのこんな文章で使われたのが初出だとされている。執筆者は、当時はミニコミだった『バァフアウト!』を発行していた山崎二郎だ。

 こんな逸話も紹介されている。

 93年の春、フリッパーズを解散した小山田圭吾が、馴染みのレコード店、渋谷ゼストに来て、こういったのだという。

「これからは“渋谷系”というのがくるらしい」

 ゼストはカジヒデキもバイトしていた、ネオアコの聖地と呼ばれたレコ屋だ。小山田がそう話した店員は、渋谷系を代表するレーベル、エスカレーター・レコーズを興した仲真史。渋谷系の筆頭となる小山田が、渋谷系の要人となる仲に、渋谷系の聖地となる場所で、「渋谷系というのがくるらしいよ」などと他人事のように話していたわけで、じわじわ来るエピソードである。

 小山田は、渋谷系という言葉を雑誌編集者から聞いたそうだ。山崎も打ち合わせの時『apo』編集者から教えられたのだという。その頃「渋谷系」は業界内ではすでに流布していて、たまたま最初に書き留めたのが山崎だったわけだ。

 著者は「口コミ」から生まれた言葉だと片付けて、それ以上の追究はあっさり放棄している。渋谷系の謎を究明するのが目的なのではないという著者のスタンスがよく現れているといえよう。

・渋谷系とは日本版アシッドジャズである!?

 したがって後半は、DJ文化がどのような変遷をたどり、どのような側面が渋谷系と呼ばれる音楽に結実していったかをひもとくことが課題の中心となる。

 ある意味で、著者自身の経験を現在の視座から捉え直すのに似た作業であるためか、詳細ではあるのだが、取り散らかった印象がないではない。評者なりに大づかみにまとめるならこうなるだろうか。

 まず80年代に芽生えたDIY意識が前提とされる。具体的には、貸しレコードで自分なりのライブラリーをつくることや、インディーズ・レーベルやフリーペーパー、カセットマガジンといった手作りのオルタナティブなメディアが登場することなどだ。特に重視されているのは、桑原茂一の主催するフリーペーパー『ディクショナリー』(88年創刊)で、DJ登竜門的な性格も持っていたこの雑誌は、沖野修也やU.F.O.の松浦俊夫など90年代に繋がる人材を輩出した。また、90年代以降は渋谷系の人脈カタログの様相を呈するようになる。

 この時代に培われたDIY意識は、90年代にマッキントッシュが普及することによって増幅、拡散していく。『サバービア・スイーツ』の橋本徹は、渋谷系とは「マック以降、インターネット以前」のものだったとしている。批判的な目に晒されずにアイディアを試すことのできる環境がその時期あったということである。

 その一方で、モッズからアシッドジャズへの流れ、伝説的な下北沢ズー/スリッツ、京都のDJ~クラブシーンなど同時多発的な動きが渋谷に集約されていく様子が描かれる。モッズ〜アシッドジャズという流れはとりわけ重視されていて、著者は「渋谷系とは、とりもなおさず日本版アシッドジャズではないか、というのがぼくなりの持論だ」とまで書いている。

「88年から音楽メディアがCDに代替し、それにともない旧譜、名盤、レア盤の類がいっきに再発された流れは、東京・ロンドンを中心とした都市部の文化水準をいっきに向上させた。アシッドジャズも渋谷系もその時代が重複する」

 初期フリッパーズの音楽性はネオアコとされることが多いが、田島貴男などをパンクと評する者もいた。アシッドジャズとオリジナル・ラヴならダイレクトに繋がっている印象があるが、アシッドジャズとフリッパーズ、パンクとフリッパーズはなかなか繋げて考えにくい。再発により豊穣な音楽資産が水平なアーカイヴとなった地点において、DIY精神とDJ感覚に基づく意識で音楽を作り始めたという共通性の背後にモッズの精神性があり、また、そうした行為がパンクが形骸化した状況に対するカウンターとして本質的にパンクだったと解釈すればいいだろうか。

 正直なところかなり整理しにくい本で、読む分にはそうでもないのだけれど、書評となると、どこをどう抽出してどう繋げればいいのか悩むことしばしだった。結局、渋谷系というのは、どこかの誰かがパッケージするために生み出した言葉に過ぎないわけで、パッケージング以前の現実がその器に合わせて動いていたはずもなく、話があちこちするのは当然ではあるのだろう。

 全体を通して見て、やはりDJ〜クラブカルチャーに偏向している嫌いがないではない。だが、偏った部分があったとしても、ここを叩き台に、後続の渋谷系本が肉付けを補っていけばいい話だ。同時代を現場で体験してきた者による渋谷系総括として得難い一冊といえるのではないかと思う。(栗原裕一郎)

リアルサウンド

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