昭和の夜空を照らした大輪の花 大回
顧展『生誕100年 山下清展−百年目
の大回想』レポート

大正から昭和に至る激動の時代を生きた画家・山下清の大回顧展『生誕100年 山下清展−百年目の大回想』が、新宿のSOMPO美術館にて開催されている。会期は9月10日(日)まで。山下清は“放浪の天才画家”として知られ、印象的な貼絵技法の作品はもちろん、かつて放送されたテレビドラマ「裸の大将」シリーズによってさらに多くの日本人に親しまれることとなった。
本展は画家・山下清のデフォルメなしの姿に迫り、子供時代〜晩年に至るまで、その創作活動の全体を見渡すもの。展示室は3フロアにわたり、展示作品数は約190点。「たっぷり」という言葉がぴったり来る、非常に見応えのある展覧会だ。年代順に並んだ作品たちを眺めていくと、山下清がどのようにして“画家”になっていったのか、そこにどんな挑戦と努力があったのか、そして描き続けた49年の生涯を通じて、彼がどんな場所へ辿り着いたのか……を知ることができるだろう。
※以下、特に記載のない場合、作品はすべて山下清作品管理事務所所蔵
虫が好きな少年
展示風景
「第1章 山下清の誕生−昆虫そして絵との出合い」では、まず少年時代の鉛筆画を見ることができる。本展のメインビジュアルに使われている貼絵《長岡の花火》は画家の代表作としてよく知られているが、展示の冒頭を飾っているのも同じ「花火」をテーマにした小さな鉛筆画だ。花火の描き方や構図は、すでに後の大作と近い状態に仕上がっているのが面白い。
昆虫が好きで、虫の絵をよく描いていたという山下少年。虫の構造・特徴を的確にとらえた鉛筆画や貼絵のほか、後年に描いたペン画の虫たちが可愛いので注目だ。
手前:《蜂1》、奥:《蜂2》、ともに制作年不詳
2匹の足長蜂が向き合っている《蜂1》のデザイン性の高さを見てみてほしい。脚も羽も律儀に描いていながら、絶妙に気持ち悪くはなく、リズミカルで愛嬌がある。そうか、昆虫の身体ってこんなに美しくバランスが取れていたのか! と感動してしまった。ちなみにこの蜂は、Tシャツや手拭いといった展覧会オリジナルグッズに登場するほか、さりげなく展示室のエレベーター扉にもあしらわれている人気者だ。
進化してゆく貼絵
展示風景
「第2章 学園生活と放浪への旅立ち」では、養護施設・八幡学園に入学してから山下の才能が鮮やかに花開いていく様子を見ることができる。授業の一環だった「貼り絵」に興味を持った山下は、学校生活の一コマや風景を多く制作した。後年の細かいチップを使った点描風の貼絵とは違って、まだ色紙をちぎり取るサイズはだいぶ大きい。技術で言えば未成熟なのかもしれないが、写実的でないぶん想像力を掻き立てられたり、ハッとするほど自由な表現があったりと、眺めれば眺めるほど面白いエリアだ。

《風呂場》1937年(部分)
例えば《風呂場》では、浴槽のお湯と、前景の人物の身体からもうもうと立ち昇る白い湯気が細長いチップで表されている。茶柱が立っているようで面白い。

手前:《湖畔》1937年
山下が描き出す“日本の原風景”なる昭和の田舎風景に、懐かしさを覚える人もいるだろう。ただそれは残念ながら、生まれ育った時代が違う自分とは関係ない……と思っていた。でもそんなことないのかもしれない。《湖畔》の前に立ったとき、なぜか切なさに胸が破れそうになって自分でも驚いた。夕陽に染まる湖畔と水遊びする人々を描いた作品だ。
《湖畔》(部分)1937年
夕日を見る人と、伸びる影法師。昭和の湖畔で遊んだことは無いけれど、全てが薄ピンク色に染まっていくひと時の情趣は、わかる。山下作品の魅力として語られるあたたかさ、懐かしさとは、そういうことなのかもしれない。
《上野の東照宮》1939年
展示室の奥に進むにつれて大型の作品が増えてきて、画家の貼絵技術がメキメキと上達しているのが明らかだ。特に1939年の《上野の東照宮》ではぐっと遠近感や立体感が増しており、山下作品が次のステージに進んだことを感じとれるだろう。
《上野の東照宮》(部分)1939年
立体感のポイントとなっているのは、山下清独特の技法である「こより」の活用だ。貼絵にこよりを貼り付けることで、さらに細かいラインの表現や、油彩の筆遣いのような繊細な陰影を味方につけることに成功しているのだ。
「画家」といえば、静物画
展示風景
山下が画家として初めて注目されたのは1937年から数年にわたって東京で開催された八幡学園の子供たちの作品展だったという。ちょうどその頃から、画家は花をテーマにした貼絵を集中的に制作している。当初は「黒のノッペリした背景+花」といった趣だったものが進化を遂げ、やがて背景にまで水玉模様のようなチップを散りばめた、額に入れて飾るのにぴったりな「隙無く美しい静物画」になっていく。

左:《菊》1939年、右:《菊》1940年
本展では、画家の日記の抜粋が多く掲示されている。本人の言葉で制作意図や想いを知ることができるのが嬉しい。
1939年と1940年に制作された2点の《菊》に添えられた言葉を見ると、植木鉢の陰影の出し方を「先生」に教わって何度もやり直しさせられたことや、「ばっくに細長い模様を付けて その上に点々を付けてやれといわれました」といった記述がある。先生というのは、山下の支援者であった精神科医・ゴッホ研究者の式場隆三郎氏のことだろう。画家として注目され始めた山下に対して、先生からの熱い指導があったことが想像される。

《菊》(部分)1939年
1939年の《菊》を近くでよく見ると、こよりで立体感を出した小さな蜂が何匹も飛び回っている。蜂の縞模様まで丁寧に表現した、非常に手の込んだ作品だ。
そして放浪へ……
展示風景
日中戦争勃発〜第二次世界大戦勃発直前にかけて制作された、戦争をテーマにした4枚の貼絵が並ぶゾーンへ。山下は最終的に徴兵検査不合格で戦地には行っていないので、戦闘風景を描いた《鉄条網》《軍艦》などは写真を参考に描いたのだろうか。「みんなが爆弾なんかつくらないで きれいな花火ばかりつくっていたら きっと戦争なんて起きなかったんだな」は画家の言葉としてあまりにも有名だ。
山下清が放浪中に使用したリュックサック
そして1940年、18歳の山下清は徴兵検査を逃れるため、八幡学園を脱走して断続的な放浪の旅に出る。“放浪の天才画家”の背中を押したのは戦争だったのである。
愛用のリュックサックは何箇所も繕った跡があり、まさに旅の相棒といった風格だ。ちなみに中には茶碗2種(ご飯用と汁物用)、箸、着替え、手拭い、石ころ5つ(犬に襲われた時の護身用)が入っていたそう。ドラマとは違って、実際には絵を描く道具は一切持って行かず、たまに学園に戻った時に記憶を基にして制作するスタイルだったという。
上:《学園から出かけるところ》1955年、下:《汽車道を歩いているところ》1954年
山下の放浪にフォーカスしたこのエリアでは、のちに旅を回想して描かれた「絵日記帳」の鉛筆画が多数出展されている。特に画像の《学園から出かけるところ》《汽車道を歩いているところ》の組み合わせには、閉塞から開放へのドラマが溢れていて見応えがある。それにしても絵日記を後年になって記憶ベースで描くなんて意外である(スケッチブックくらい持って行けばよかったのに……と思ってしまう)。山下清にとっての放浪は、絵を描くためではなく、どこまでも自由な時間を満喫するためのものだったということだろう。
これぞ真骨頂《長岡の花火》
《長岡の花火》1950年
さて、本展の目玉のひとつである《長岡の花火》は、4階の展示室中ほどで来場者を待っている。空襲後の復興の願いを込めて再開された長岡花火は、花火が大好きだった画家にとって、心の底から描きたいと思える風景だったことだろう。放浪と学園での制作を繰り返していたこの時期の貼絵作品は、テクニックと風情が拮抗する傑作が多い。その中でも本作がとりわけ輝いて見えるのは、モチーフへの愛情が理由のひとつではないだろうか。
《長岡の花火》(部分)1950年
写真で想像していたよりも実際の作品は色合いが淡いことに少し驚いたが、貼絵は油絵などに比べて褪色・劣化が激しいもので、今回も可能な限り修復を試みた上で展示されているのだと知って、深く納得。残念ながら、中にはすでに完全に色が失われてしまった作品も存在するという。なるほど、こうして今《長岡の花火》を鑑賞する事ができるのはラッキーなのだとしみじみ思う。
油彩、ペン画、そしてやっぱり貼絵
展示は続き「第3章 画家・山下清のはじまり−多彩な芸術への試み」へ。1950年以降、放浪を終えた山下が、いよいよ“画家”として活動の幅を広げるため、油彩やペン画といった新しい分野に挑戦していくパートだ。すでに放浪中から高い評価を受けていた山下だが、この頃からは有名人的な多忙さがあったという。
手前:《ぼけ》1951年、奥:《群鶏》1960年
山下は油彩とはあまり馴染まなかったようで、残された作品は多くない。本展ではその貴重な油彩作品の中から10点ほどを見ることができる。油絵具ならではの濃厚な色彩が炸裂する《群鶏》や、ゴッホの作品を思わせる《ぼけ》は、眺めていると顔が綻んでしまうような朗らかさがある。うーん、いち鑑賞者としては、油彩ももっと描いてほしかった……。
《日本、しっかり》1964年頃、東京都
本展では東京会場のみの特別出品として、1964年の東京オリンピック開会式を描いた《日本、しっかり》が展示されているのが見逃せないポイントだ。山下作品のタイトルはつねに平易な言葉で淡々と命名されているが、「がんばれ、ニッポン」ではない「日本、しっかり」という言葉選びには、戦争を経た時代の重みが載っているように思えてならない。
本作は山下清の新たな得意手法となったペン画の作品で、上から水彩で着色して仕上げられたもの。マジックペンで点描を打つように明暗・濃淡を表現するペン画の世界は、他にも小チャプター「ペン画−点と線の芸術」にてたっぷりと堪能できる。
手前:《グラバー邸》1956年、個人蔵、奥:《ソニコンロケット》1959年頃、株式会社増田屋コーポレーション
そしてもちろん、伝家の宝刀の貼絵作品も一層の進化を遂げていく。1956年の《グラバー邸》になると、もう近寄って見ないと貼絵なのか油彩なのか判断が難しくなってくる。画面全体を覆う繊細な色紙のチップにため息が出るばかりだ。画家としての矜持の表れか、この頃から作品にサインを入れている点にも注目したい。
衝撃のヨーロッパ編、開幕
左:《パリのエッフェル塔》、右:《パリのノートルダム寺院》共に1961年
そしてなんと、まだ展示は終わりではない! 最後の3階展示室に広がる「第4章 ヨーロッパにて–清がみた風景」へ進めば、きっと衝撃を受けるはずだ。前章のラストで「なんて超絶技巧!」とため息をついた貼絵テクニックが、さらにさらに進化して大変なことになっている。
《ロンドンのタワーブリッジ》1965年
これらは1961年にヨーロッパ周遊の旅に出かけた山下が、各国でのスケッチをもとに制作した作品たちだ。ペン画、貼絵ともに表現はかなり写実的になり、情緒を呼び起こすというよりも職人魂と言った方がピンとくる美しい風景が描かれている。
《ロンドンのタワーブリッジ》(部分)1965年
実際に作品を前にすると、みっしりした存在感が写真で見る時の比ではない! 作品一枚一枚に濃厚に漂う“手間暇の気配"が、とても素通りを許してくれない。この第4章のために、鑑賞時間と集中力をたっぷり残しておくのがおすすめだ。
絵かきの見た景色
展示風景
いよいよ最終章「第5章 円熟期の創作活動」へ。ここでは山下による絵付の陶磁器作品と、遺作である「東海道五十三次」が主な展示となる。
《長岡の花火(有田焼)》1957年、株式会社増田蔵
陶磁器の中で必見なのは、大皿に描かれた《長岡の花火(有田焼)》だ。直径50.8cmと大きく、真上から覗き込めば視界いっぱいに花火が広がる。まるで没入感の高い曲面ディスプレイである。褪色の心配も少なく、大皿は山下にとって格好のキャンバスだったのではないだろうか。
上:《東海道五十三次・松並木(大磯)》、下:《東海道五十三次・山のちかい町(蒲原)》、右:《東海道五十三次・横浜中央通り(横浜)》全て制作年不詳
遺作となった「東海道五十三次」のシリーズは、全国を取材して各地の風景を切り取った、山下版の日本名所記である。はじめは色紙にペン画で仕上げられ、それをもとに版画化。本展ではそのうちのペン画1点と、版画11点を見ることができる。第3章で見た画家の点描技法が、ますます冴え、洗練されているのをじっくり味わおう。
《東海道五十三次・ふつうの景色(庄野)》制作年不詳
そして盛りだくさんだった展示が、最後の最後に《ふつうの景色》で締めくくられるのが最高にしびれるポイントだ。横にはこんな画家の言葉が添えられている。「ほんとの絵かきというのは ふつうの景色でもちゃんと絵にできる人のことかな そんならぼくは絵かきではないな やっぱり ふつうの景色はふつうにしか描けないな ここの景色は 絵になるかどうか わからないな」
自分のことをあっさり「絵かきではないな」と言う山下清。ここまで来てハシゴを外された鑑賞者は、「そんなことない!」なのか「そうなのかもしれない……」なのか、リアクションを試されているようだ。“ほんとの”画家なのか画家じゃないのか、何が芸術で何が芸術じゃないのか、それは誰が決めるのだろう。ただ「絵になるかどうか わからないな」と呟く山下清を、とても格好いいと思った。
日本一有名な画家、山下清を知る
ミュージアムショップにて見つけた手拭いが可愛い!
山下清は日本で一番有名な画家と言われるらしい。筆者は「裸の大将」や生前の山下清ブームを知らず、今回の展覧会で初めて作品と向き合ったが、信じられないほど細やかな貼絵の技術に驚き、常に進化し続ける貪欲さに驚き、花火への愛に驚いた。山下清についてよく知らない世代も、(実際とはだいぶ異なるという)裸の大将のイメージを抱いている世代も、本展でならきっと、人間・山下清と出会った確かな手応えを感じられるだろう。
大回顧展『生誕100年 山下清展−百年目の大回想』は、新宿のSOMPO美術館にて2023年9月10日(日)まで開催。

(c) Kiyoshi Yamashita / STEPeast 2023
文・写真=小杉 美香

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