[ロームシアター京都]で『文化センタ
ーの危機』『シーサイドタウン』を2
本立てで上演する、松田正隆に聞く。
「演劇によって、存在さえ無視される
声に焦点を当てられたら」

京都市の公立劇場[ロームシアター京都]が、様々な劇作家・演出家とタッグを組んで、劇場のレパートリー作品を製作するシリーズ「レパートリーの創造」。2021年には「マレビトの会」の松田正隆を招へいし、彼の故郷の海辺の町をモデルにした『シーサイドタウン(以下シーサイド)』を上演した。今回は『シーサイド』再演と同時に、本作と同じ町を舞台にした新作『文化センターの危機(以下文化センター)』を併せて発表する。今の日本の地方都市にはびこる、ある現実を浮き上がらせるであろう、注目の2本立て。1月末に松田正隆の記者会見が行われるとともに、稽古の模様も公開された。

「第40回岸田國士戯曲賞」受賞作品『海と日傘』を彷彿とさせる、正統派の会話劇の戯曲を用いながらも、俳優たちは何もない舞台上で、ほぼ棒立ち+棒読みのように演じる。そんなシンプル極まりない舞台なのに、そこから各人物の関係性の変化や、内面に秘めた感情のマグマのようなものが、不思議と透けて見えてくる……という、実験的な見せ方に成功した『シーサイド』。その演出スタイルのみならず、ミサイル攻撃に備えた訓練に、必要以上に熱心な「凡庸なるファシズム」がはびこる町の姿が、静かに伝わってくる内容も注目された。
松田正隆作・演出『シーサイドタウン』初演より(2021年)。 Photo: Toshiaki Nakatani
新作『文化センター』はタイトル通り、この町の文化センターの運営が、民間の企業に移されたことをきっかけに、職員たちの大幅なリストラが行われる……という状況を背景に、この町の別の側面を描き出す群像会話劇だ。『シーサイド』と同じく、オーソドックスな会話劇のテキストを、俳優の演技も、音響や照明などの舞台効果も極限まで抑制した、オリジナリティの高い演出で上演する。
『シーサイド』は、松田の故郷・長崎県平戸市の現状にまつわる様々な話が、発想の源になっていた。今回もとば口となったのは、平戸の公共文化施設の運営元が変わったのにともない、人員削減が行われたという報道だったそう。
『文化センターの危機』稽古風景。
「『シーサイド』は、都会で職を失った人が、保守化して異様なコミュニティとなった故郷に戻ってくる話で、割と閉鎖的な空間というか、主人公の家の周辺しか出てこない作品でした。それに対して『文化センター』は、文化センターだけでなく、港やコンビニエンスストアだったり、あるいは山の方にキャンプに行ったりと、どんどん場所が変わっていきます。
『シーサイド』は、昔の友人……と言えるかどうかよくわからない関係の人との濃密な室内劇で、『文化センター』はもっと映画的にどんどん場所が変容して、いくつものシーンで展開される群像劇。その2つの物語を、俳優はほとんど同じ人で、同じ衣装で、舞台も全然変えないまま連作で見せるというのが、今回一番やりたいことです」。
『文化センターの危機』稽古風景。
タイトルだけを見ると、この文化センターの問題を軸に、現在の日本の地方劇場の現状を批判する話なのか? ととらえられそうだが「内容は完全にフィクションだし、特にそのことに言及した話にはなっていない」と、松田は言い切る。
「前回は『凡庸なるファシズム』をすごく意識しましたが、今回はもうちょっとサラッと書こうかなと。でも地方に行くと感じる、男性と女性のあり方というか、明らかにはびこっているミソジニーのようなものを、顕在化させたいという思いはありました。演劇界ではハラスメント問題が、今は割と顕在化してますが、地方では原始的な合意形成はずっと根深く残っている。ただそれは、中央の政治の運び方とは乖離してるかと言われたら、そうでもない気がします。
女性職員が男性職員に気を使わなきゃいけないとか、そういうことがいろいろ垣間見えるかもしれないけど『明らかにその構造が見える』という風には、この作品では書いていないと思います。高校生と教師の話とか、流星群とか、職員たちが約束だから仕方なくキャンプに行くとか、そういう小さなモチーフを寄せ集めて戯曲にして、そこから俳優と現場で話し合って作っていた……という感じです」。
会見での松田正隆。
そのモチーフの中でも、特に描きたかったというのが「キャンプに行って戻ってくるだけの人たち」だったそうだが、そのヒントとなったものの一つは、意外にも芸人・ヒロシのTV番組だという。
「ケリー・ライカート監督の『オールド・ジョイ』という、疎遠になった友人とキャンプに行かなきゃならなくなったという映画と、『ヒロシのぼっちキャンプ』という番組を意識しました。スーパーで何かを買って、焚火をして、1人で食べるということを毎回反復しているのに、見ていて飽きないし、癒やされるんです。(行動が)いつも同じだからこそ、キャンプの環境によって様相が変わって、違いが強調されていくのは、すごく演劇的だと思います。僕はキャンプが大嫌いなので、自分ではやらないんですけどね(笑)」。
『文化センターの危機』稽古風景。
この日は『文化センター』の方の稽古が行われた。リストラをめぐって関係がギクシャクしているセンターの職員たちが、キャンプでさらに気まずい一夜を過ごす様子と、コンビニでバイトする女子高生が、妹に星の話をしたり、奇妙な万引き犯と謎めいた会話を交わす様子が錯綜する。松田が指示するのはもっぱら、他のシーンが展開されている間は静止している俳優たちが、再び演技を始めるタイミングや、自分の出番が終わって退出する時の歩く速さなど、一見表層的なものにとどまっている。
しかし登場人物同士の物理的な距離や、動きの速度の違いによって、その人が相手に好意を持っているか警戒心を抱いているか、その行動に期待がこもっているのか気が進まないのか、あるいはルーティンか初めての経験かが何となく伝わってくるし、それが読み取れた時には他にはない快感がある。さらに『シーサイド』と『文化センター』を見比べた時には、先に松田が述べた通り、同じような俳優と演出スタイルで演じるからこそ、この2つの物語の違いが、より強調されて見えてくることだろう。
『文化センターの危機』稽古風景。
「マレビトの会」のように、長崎や福島などの劇的な出来事があった都市ではなく、ごくありふれた地方都市を舞台にすることの意義について、最後に松田はこのように述べた。
「今は地方がどんどん荒廃していくというか、グローバリゼーションとか資本主義社会の必然として、どうしようもなく平準化していくってことが起こっているわけで。そんな資本の流れの中で、特産品などで光が当たる所もあれば、当たらない所もあるというのが、今の日本の縮図のように思えるんです。地方再生などのお題目で、マイノリティや弱者をどう包摂していくか? という時に、どうしても見落とされる問題は常に出てくるという。
それを救済する……というわけじゃないけど、届けられない、存在さえ無視される声に焦点を当てる装置として、演劇というものはあるのかもしれないと思っています。でもそういう弱者と、権力に従属する強者との二項対立という、既存のステレオタイプの『地方』と『都市』の構図とはまた違う関係が、この2作品からは見えてくるんじゃないかと。そういう予感のもとで、稽古を進めている所です」。
『文化センターの危機』稽古風景。
住人たちが自覚していようが気づいてなかろうが、静かに確実に衰退しつつある地方の町から、将来の日本を予見させるような物語も、そして観客の想像力や理解力を鍛え上げることこの上ないミニマムな演出も、大きな刺激になることは間違いない2本立て。26日(土)には『シーサイドタウン』初演の稽古場の記録映像(ディレクション:村川拓也、撮影:米倉伸)が上映されるが、こちらもまた興味深い芝居作りの過程をとらえているものなので、併せて観ておきたい。
取材・文=吉永美和子

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