L→R 中原信雄(Ba&Key&Programming)、野宮真貴(Vo)、鈴木智文(Gu&Key&Programming)

L→R 中原信雄(Ba&Key&Programming)、野宮真貴(Vo)、鈴木智文(Gu&Key&Programming)

【PORTABLE ROCK インタビュー】
今回のレコーディングも
とても楽しく、面白かった

やっぱり真貴ちゃんは
アイドルが似合う

このままアルバム収録曲の順番に訊いていきたいと思います。「TuTu」「CINEMIC LOVE」「アイドル」「夏の日々」の1985年発表の楽曲は、歌メロがまさしくアイドルっぽいポップ感を持ったものばかりという印象を受けたのですが、この辺はどう振り返りますか?

鈴木
やっぱり真貴ちゃんはアイドルが似合うということじゃないかな?(笑)
中原
まぁ、試行錯誤していた感じだね? やっぱり“売れたい”みたいな想いもあったし。
野宮
“売れる曲を書かないといけない”的なプレッシャーはあった?
中原
あったかもしれないね(苦笑)。
鈴木
あったんじゃないですか、それは(苦笑)。
野宮
あははは。
中原
ただ、そういうのやっても売れないからね(笑)。
野宮
そうなんだよね(笑)。だったら、もっと好きなことを!って。
鈴木
事務所から“売れなきゃライヴもできないよ”という圧…プレッシャーではないけれど、そういうことも言われて、“どうしたらいいんだろう?”と考えたり。

その話の流れからいきますと、続く7曲目「春して、恋して、見つめて、キスして」は実際にCMソングとして起用されたもので、ここがPORTABLE ROCKの飛躍ポイントではあったと思うんですね。

野宮
飛躍ポイント!(笑) でも、これはPORTABLE ROCKが曲を書いてないもんね? 
中原
うん。これは慶一さんから話が来たんじゃなかったかな?
野宮
当時は化粧品のCMのタイアップはヒットするというのがあったんですよ。だけど、私のソロデビュー曲の「女ともだち」(1981年発表のシングル)も資生堂のシャワーコロンのタイアップがあったけど売れなかったし、これも別に売れなかった。

その辺はやはり何かしら精神的な影響を与えたのでしょうか?

中原
“売れない時は売れないんだな”って。
鈴木
“やったけどダメだったね”みたいな、何かちょっとがっかり感はあったんじゃないかな。
中原
でもさ、CMソングが売れたのってあの頃よりももうちょっと前だよね。個人的にはあの時に売れなくて良かったと思うよ。売れたって俺たちは仕様がない。
鈴木
売れればバンドの知名度も上がってライヴもできたよ(笑)。
野宮
でもね、売れないっていうのも結構いい面もあると思うの。だからこそ、こうやって次のチャレンジをしてきて、メインじゃないけどオルタナティブなポップスでずっとやってきて、それを40年間やっていると、いろんな出会いもあって。世間ではいろんな音楽の流行廃りがあるけれど、そこからちょっと距離を置いて、好きなものだったり、ちょっとエッジのあることを貫いて40年やっていると、聴いてくれる人はそれなりにちゃんと聴いてくれていたし、今後も聴いてくれるだろうし。バーッと売れちゃうとそれにとらわれて、“次はもっといいものを! もっといいものを!”ってなるんだけど(笑)、それがないから自由に楽しんで音楽をやってこれたと思いますね。

今、野宮さんがおっしゃったことを今回のアルバムにつなげると、「春して、恋して、見つめて、キスして」に続く、「憂ウツのHOLD ME」「ダンス・ボランティア」「裸のベイビー・フェイス」の2ndアルバム『ダンス・ボランティア』(1987年発表)収録曲は、初期ニューウェイブとは若干趣が異なると言いますか、ストレートにロックっぽい印象を受けました。仮に「春して、恋して、見つめて、キスして」がヒットしていたなら、これらの楽曲はこうならなかったのかもしれないという。そんな『ダンス・ボランティア』をどんなふうに振り返りますか?

中原
前作の『Q.T』(1985年発表のアルバム)がちょっとやわな感じがしたんで、イメージ的にはもうちょっと固いという。

確かにこの辺の楽曲はリズムの音色が固いですよね。ニューロマンティックに近い印象はありました。

鈴木
あの頃は何を聴いてた? やっぱりYMOとかの影響かな?
中原
あぁ、そうだよねぇ。New Musikやトニー・マンスフィールドが好きだったんだよね。
鈴木
それは影響を相当受けているね。

その『ダンス・ボランティア』のあと、野宮さんがPIZZICATO FIVEに加入するわけですが、おふた方はどんな心境だったのでしょうか?

鈴木
間にCMタイアップを挟んでアルバム2枚目までPORTABLE ROCKをやって、事務所的なことやメーカー的なことで、“次やるとしたら移籍を考えなきゃね?”みたいなことだったので、“いいタイミングなのかもしれないなぁ”とは思いましたね。
中原
PORTABLE ROCKには手詰まり感があったんで、真貴ちゃんは真貴ちゃんでいろいろやるのはいいことだとは思いましたね。“あぁ、そうか…”みたいなものもちょっとだけあったけどね。
野宮
だけど、実は1989年に新曲を2曲作ってレコーディングをしたんですよね。PORTABLE ROCKでもう一回出そうという話になって。それが「イーディ」と「スウィート・ルネッサンス」なんだけど、その歌詞をPIZZICATO FIVEの小西さんに頼んでるですよ。それと同じ頃にPIZZICATO FIVEのメインヴォーカルをやることになったから、その2曲は世に出なかったんです。

鈴木さんも中原さんもそれぞれの活動もあり、もちろん野宮さんはPIZZICATO FIVEが忙しくなっていたでしょうし、PORTABLE ROCKも明確に活動休止すると決めたわけではなく、なんとなくそれぞれの活動に注力していったという感じだったのでしょうかね。そうであれば、冒頭で話した“そう言えば、私たちまだ解散してなかったよね”という野宮さんのひと言で活動を再開したというのもよく分かるところで。

鈴木
そうですね(笑)。
中原
今、家が近いというところもあったよね(笑)。
鈴木
僕や中ちゃんはそうだし、真貴ちゃんもそうかもしれないけど、自分の個人仕事を頼む時、真貴ちゃんや中ちゃんに頼むこともあったし、そういうことはずっと続いていたわけじゃん? 友達としても仕事仲間としてもずっとそういうレベルでつき合いがあったから、全然その辺は違和感なく、“10年に一回くらいライヴをやろうかな”みたいな感じだったし。

OKMusic編集部

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