松田正隆の初期作を契機に結成された
〈ひなた旅行舎〉が東京&三重で『蝶
のやうな私の郷愁』を上演~演出の永
山智行(劇団こふく劇場)に聞く

〈KAKUTA〉の女優・多田香織の呼びかけにより、〈FUKAIPRODUCE羽衣〉の俳優・日髙啓介と、〈劇団こふく劇場〉を主宰する劇作家・演出家の永山智行で結成された演劇ユニット〈ひなた旅行舎〉。三者の苗字の頭文字に、“戯曲をガイドブックとして作品の世界を旅する者たちの居る場所”という意味をこめた「旅行舎」を加え、命名したという。
その結成のきっかけとなったのが、劇作家・演出家の松田正隆による戯曲『蝶のやうな私の郷愁』である。1989年に、松田が当時在籍していた立命館大学の学生会館で初演、1999年に大幅改訂されたこの二人芝居は、現在に至るまでさまざまな組み合わせによって幾度も上演されてきた作品だ。大型台風が接近する中、とあるアパートの一室で、どこか滑稽にずれながら交わされていく夫婦の他愛もない日常会話。やがて、停電によって訪れた暗闇の非日常の中で浮かび上がってくる、“妻の姉の死”にまつわる出来事と、すれ違う両者の想い──。この作品に多田香織も強く魅了され、上演を目的として〈ひなた旅行舎〉を結成したのだ。
その念願が叶って昨年、2020年4月に宮崎の「三股町立文化会館」で第1回公演を上演。続いて同月に東京、6月には三重公演を行う予定だったが、新型コロナウイルス感染拡大のためやむなく延期となり、約1年の時を経て、2021年5月26日(水)~30日(日)に東京「こまばアゴラ劇場」、6月4日(金)・5日(土)に「三重県文化会館」で振替公演を行うこととなった。未だ感染状況が一進一退し不安定な状態が続いているが、生の舞台を安心して楽しんでもらうべく、万全の対策を講じて実施するという。
演出を担当する永山智行は、2015年に鹿児島の高校生を中心とした出演者で上演した松田戯曲『紙屋悦子の青春』の構成・演出を手掛けた経験があるほか、松田正隆がかつて京都で率いていた〈時空劇場〉(1990年結成、97年解散)時代から作品に注目し、親しんできたという。そこで、今作の演出や松田作品について、また〈ひなた旅行舎〉誕生の経緯や、演出家から見た演者2人の魅力についてなど、永山智行に話を伺った。
〈ひなた旅行舎〉で演出を担当する、永山智行
── まず最初に、〈ひなた旅行舎〉が誕生した経緯から教えていただけますか。
多田香織さんが、東京である演劇ワークショップに参加されたことがあって、その時テキストとして使われていたのが『蝶のやうな私の郷愁』で、「どうしてもこれを上演したい!」と強く思ったらしいんです。それで2018年に、うちの劇団が『ただいま』という作品の東京公演を「こまばアゴラ劇場」で上演したんですが、それを多田さんが観に来てくれて。日髙さんが受付の手伝いをしてくれていたんですが、その時に「あ、こいつらと一緒にやろう」と思ったらしいです(笑)。
多田さんはもともと福岡の劇団にいらっしゃって、私がやっていた【演劇・時空の旅シリーズ】(永山は2006年から10年間「宮崎県立芸術劇場」の演劇ディレクターを務め、九州の劇団に所属する俳優を主に集めて古典作品を上演するプロデュース公演を行っていた)でチェーホフの『三人姉妹』を上演した時に、三女のイリーナ役を演じてもらったんですよ。その時初めて一緒に作品を創りました。
日髙さんは宮崎出身なんですけど、〈みやざき◎まあるい劇場〉(劇団こふく劇場がプロデュースする、障害者も参加する演劇プロジェクト)の公演を東京でやった時に観に来てくれて、非常に衝撃を受けたらしく、そこから宮崎へ帰省した時にうちの稽古場に遊びに来てくれたり。【演劇・時空の旅シリーズ】でベケットの『ゴドーを待ちながら』をやった時に出演もしてくれました。
多田さんももちろん日髙さんのことを知っていたので、『ただいま』を観に来た時に「演出は永山、共演は日髙で」って閃いたんじゃないですか?(笑)。その場だったかそれから数日後だったか、「こういうことしたいんですけど」と相談を受けて、「じゃあやりましょう!」って。私も日髙さんも、あまり何も考えずに「はい」っていうタチなので(笑)。名称の「旅行舎」には、【時空の旅シリーズ】でやってきたことを引き継いでいく意味合いもこめているんです。
── 永山さんは、これまでにも松田さんの戯曲を演出されたことはあるんでしょうか?
2015年に鹿児島で「国民文化祭」が開催された時、伊佐市の主催公演で高校生が演じる『紙屋悦子の青春』を演出しました。演出させてもらうのは今回で2本目になりますけど、京都で活動されていた時代から松田さんのホンは好きで読んでいました。
── 今回の作品は、演出されてみてどうでしたか?
面白いですね。面白い、というのはちょっとざっくりした言い方ですけど、松田さんの戯曲って、そこは私も共通するところかもしれないけど、必ず死者の影がどこかにある。もちろん目の前で人が亡くなっていったりすることもあるし、背景としてその影がずっとあったりもします。このホンもいろんな死者の影みたいなことが見えてくる作品で、尚且つ「醤油とソースの瓶を一緒にするな」とか、夫婦の他愛もない会話が延々と交わされていったり(笑)。
傍から見るとすごくユーモラスというか、そのユーモラスさと死者の影みたいなことのバランスがすごく絶妙で、いろんな読み方とかいろんな切り口みたいなことがすごく開いているというのかな。こうとしか読めないとか、こうとしか出来ないっていうことではなくて、開かれている戯曲だなと。松田さんの初期作品は、ある種のリアリズムみたいなところが書かれているように見えるけれども、所々に不条理の罠が仕掛けられていたり、そういうところが非常に面白いなぁと思っています。
── 永山さんとしては、どういった方向性で演出されていったのでしょうか。
具体的に言うと、セットをまるっきり作ってないんですよ。ほとんど素舞台みたいな感じです。恐らく、かつてここに住んでいたのかな、っていうような荒地に二人がやって来る。稽古を始める時に、岸田國士さんの『紙風船』とか、いろんな夫婦が出てくる戯曲を参照して、イメージ的に一番参考にしたのは太田省吾さんの『更地』です。かつて住んでいた場所に老夫婦が戻って来るっていう、ちょっとそのイメージと重ねながらやってまして、恐らくかつて住んでいた場所に戻ってきた夫婦が、「昔こういう会話をしてたね」とか、昔こんなことをこの場所でやってた、みたいなことを確かめるような構造。ほとんど何もないところで、夫婦の営みが再現されるような感じで描いています。
── 多田さんと日髙さんは、永山さんからご覧になって、それぞれどんな魅力や特色を持っていらっしゃる役者さんですか?
たぶんその二人だけではなくて、魅力的な俳優さん全般に言えることなのかもしれませんけど、いろいろな顔があるというか。多田さんは普段喋っていると、本当に少女みたいな側面があって可愛らしい。でも舞台に立って、ある種の重いセリフっていうかな、例えば、浮気をしているかもしれない夫に対してのさりげないひと言の恐ろしさ、みたいなことも持ち合わせているというか(笑)。だんだん怖くなっていくとか、だんだん笑顔になっていくとかではなくて、不意にフッと怖いものが見えてきたり、と思ったら急に可愛いらしくなったり。なんかね、あれにやっぱり惹きつけられますよ。それが矛盾なくひとつの身体の中に存在している。その身体の存在感で、こちらも納得させられるというのか。
日髙さんもやっぱりそういうところがあって、宮崎生まれだからっていうことではないんですけど、普段はすごく明るくて一緒にいて心地良い人なんですけど、一方で深さとか強さ、或いは人間の狂気みたいなものも持ち合わせている。役の上で見せる恐ろしさとか、寂しさだとかも本当に、一人の身体の中で矛盾がなく存在しているんです。私は自分が俳優をしないから、やっぱり俳優さんって本当にすごいな、カッコイイなぁと思いながら見てるだけなんですけど(笑)。二人とも本当にそういう意味では、すごくチャーミングな俳優さんかなと思います。
── 一緒に作品創りをしていく中で、お互いに刺激し合ったりする部分も多かったのでしょうか。
そうですね。予測不能なことが起きたりすることが結構大きいです。登場人物が二人で70分くらいのお芝居だから、予定調和の中でだけ芝居が進んでいくと行き詰まってしまうというか。でも、稽古していても、例えば私がちょっと物の置き場所を変えるだけでも、全く違うことがそこで自然に起きていくんです。自分が感じる自然さ、みたいなことを二人とも臆せずどんどんやる人なので、「ここでこんなことやったら叱られるかな」とか「ここでこんなことやったらダメかな」みたいなことに捉われず、自分の身体が感じているものに正直に。ちょっと変えるだけでもこちらの予期しないことが起きたりするので、そういうことの一つひとつが稽古場ではすごく刺激的ですね。
── お二人とも現状に甘んじず、その都度いろいろな見せ方を追求していく?
そうですね。でも追求しよう、とかは思ってないと思いますよ。自分の身体が感じるものに、すごく正直なんだと思うんです。昨日と今日、今日と明日で変わっていくことを二人の身体が正直に感じ取っている、っていうことかなと思います。
── 1月には福岡公演(2021年1月29日・30日に「ゆめアール大橋」で上演)を終えられていますが、初演の宮崎公演から演出を変えた部分などはあるのですか?
演出的には大幅な変更はしていません。場所も変わりましたし、久しぶりの上演だったので若干いろいろ手直しはしましたけど、そんなに大きくは変えていないです。基本的には東京も三重も、福岡で上演した形を踏襲していくと思いますけど、あとは本当にものすごく小さな変化が日々あると思うので、それを毎回、丁寧に重ねていくっていうことだけかな、と思います。
── 音楽などは、どういった感じになるのでしょうか。
ラジカセがひとつ舞台端にあるんですが、どこかから流れ着いたのか、流木の間に挟まっているような感じで置いてあって、そこから音がちょっとだけ流れるという仕掛けです。いわゆる劇場音響みたいなことは、この作品では全く使わずに上演しています。
ひなた旅行舎『蝶のやうな私の郷愁』 宮崎公演より
── 〈ひなた旅行舎〉は、この先も継続的に活動されていくご予定ですか?
はい、続けたいです。やりたいねっていうことで、「次の作品はどうしようか」っていう話も具体的にしたりしています。ただ、3人とも劇団に所属しているので、劇団の活動の合間をみてタイミングが合うところで、という感じだと思います。まぁ、ゆったりのんびり続けられたら、とは思ってます。
── 今後も多田さんが希望される作品を上演していく、という感じですか?
いや、もう今回やっちゃったので(笑)。次回以降はみんなで作品を考えようか、という感じです。
── 既存の作品の中から探していくという。
そうですね。できれば、私が書くっていうことではなくて、なかなか上演されない戯曲を取り上げたり。日本はどうしても新作主義なので新しい作品になりがちだけど、【時空の旅シリーズ】をやっていた時もそうだったんですが、戯曲を後世に残していくということも、演劇をやっている者の責任としてあると思うので。『蝶のやうな私の郷愁』は長くいろんな人達によって上演されていますけど、それを次の世代に渡していくという責任もあると思っているんです。次は古典になるのか最近の作家の戯曲になるかはわかりませんけど、書き下ろしではなくて、っていうことはなんとなく考えていることではあります。
── 2020年はコロナの影響で公演の延期というご経験もされましたが、この一年の間に思われたことや、変化したことなどはありましたでしょうか?
今は「新しい○○」とか言われるじゃないですか。私は新しいっていうことよりも、深さに行くタイミングというか、きっかけの時なんじゃないかな、と。本当に必要な物は何だったのか?っていうことを考える。これは必要だったけどこの部分は要らなかった、というようなことを、ちょっと立ち止まって考え直すきっかけの時でもあったんじゃないかな、と思います。
劇場に行って座席に身を沈めるとか、映画館かもしれないし、美術館かもしれないし、コンサートかもしれないけれども、日常の流れの中からちょっと外れて一回時間を止めて、「今、自分は何を思っているのか?」っていうようなことを見つめ直す時間というのが、たぶん芸術文化の本来的な役割だと思うんですよね。そういう意味で言うと、立ち止まるっていうことは特別なことではなくて、一回立ち止まって深さを確かめる、みたいなことは必要な時期だったんじゃないかなと、改めて考えました。
取材・文=望月勝美

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