【山下久美子 ライヴレポート】
『レコ発記念生配信ライブ
山下久美子40th Anniversary
「愛☆溢れて!」
~Full Of Lovable People~』
2020年10月21日 at 配信ライヴ
山下久美子が10月21日、この日リリースされた40周年記念作品『愛☆溢れて! ~Full Of Lovable People~』のレコ発記念生配信ライヴを開催した。CD×2+DVD×1=3枚組で構成された本作中のDISC1、ベスト盤の『40th Anniversary Best「愛☆溢れて!」』収録曲を全て演奏しようという試みである。アルバム再現ライヴをやっているバンド、アーティストも少なくないし、それ自体は決して珍しいものではないけれども、ベスト盤の再現は比較的珍しいように思う。しかも、DISC1は全15曲収録と、これだけでも結構なボリュームだ。1980年代に“総立ちの久美子”との異名とった頃のような激しいものではないだろうし、そもそも会場がレストラン併設型のライヴハウスで、無観客であったのでステージ上を走り回る必要もないことは理解していても、それにしても…とは少し思う。MCで本人もおっしゃっていた通り、彼女は御年“スウィート・シックスティ+1”。お祝いに赤い頭巾やちゃんちゃんこを贈られる年齢である。観ている側として不安がなかったかと言えば嘘になる。
しかしながら、すみませんでした…と先に謝っておくけれども、不安に感じたことを恥じるほどに、彼女は2時間近いライヴをしっかりとやり切った。自分は1980年代の山下久美子のコンサートにも参加しているのだが、流石にその時と寸分違わずとは言わないものの、声質、声の張りなども当時とそれほど印象が変わらない。柔らかく、フワッとした、キュートな歌声。そんな少女っぽい雰囲気があるかと思えば、ある音域では押しが強く、意思の強さを感じさせるヴォーカリゼーションを見せる。ロックシンガーとしての表現力の確かさは以前と変わっていない。いや、キャリアを重ねたことで、確実に艶を増し、ふくよかになっているのは間違いなかろう。以前、ご本人とお話させてもらった時、身体のケアについては“特別なことはしてないです。ただ、普段からちゃんと身体を整えておこうとは思ってます”と語っていたけれども、表には出さない弛まぬ努力の末、この日のようなパフォーマンスがあるのだろう。プロとしてのプライドを見る想いだ。
そうした往年と違わぬ歌声が聴けるのは、楽曲のメロディーによるところもあるのではないかと思う。これは『40th Anniversary Best「愛☆溢れて!」』を聴いた時から感じていたことだが、今回の収録曲はバラエティーに富んでいるものの、その歌の旋律はいずれも、単に明るくポップなだけではないし、もちろんマイナー調に終始するわけでもない。それがいい具合にミックスされたものばかりである。「ベジタリアン」が好例だろうか。イントロはシンプルだがドラマチック。語るようなAメロから始まって、Bメロも淡々と進むが、メロディーはしっかり昇っていく。サビはマイナー調でありつつもメロディアス。単純なリフレインではなく、これもまた音階は上昇していくので、あたかもメロディーが前向きさを湛えているかのようだ。
寄る辺ないように見えて、実はちゃんと芯があり、そうは言っても簡単に白黒はっきりさせるわけではない──山下久美子の歌声はその性質上、そんなキャラクターに似合う。基本的にはポジティブだが、決して無邪気に、手放しでそれを露呈しない。『40th Anniversary Best「愛☆溢れて!」』収録曲に限らず、彼女に曲を提供してきたコンポーザーたちはそんな山下久美子のアクトレス的な特徴を把握した上で曲を作り、彼女もそれに応えて、時に自ら歌詞を書いて歌ってきたのであろう。ベストアルバム収録曲は当然ながら制作された時期に幅があるからして、作った時期や作曲家が違っても、そうした山下久美子らしさが貫かれていることが余計に分かる。
また、これはソロシンガーのベスト盤ならではのことと言えるだろうが、作られた時期によってサウンドの傾向も異なる。エッジーなギターサウンドもあれば、ホーンセクションが入ったもの、ストリングスが配されたものある。だが、この日は、ギター、ベース、ドラムが各1名、キーボードが2名でその内のひとりがトロンボーンも兼ねるという、シンプルと言えばシンプルなバンド構成。サウンドがそぎ落とされた分、歌が際立って、件の彼女のヴォーカリストとしての特徴が強調されたとも捉えることもできよう。コロナ禍で会場にファンを迎えられず、往年の“総立ちの久美子”から考えればやや寂しいレコ発記念公演ではあったかもしれないが、ロックシンガーの貫禄、本質を見せつけられたという意味では、十分すぎる2時間のライヴであった。
しかしながら、すみませんでした…と先に謝っておくけれども、不安に感じたことを恥じるほどに、彼女は2時間近いライヴをしっかりとやり切った。自分は1980年代の山下久美子のコンサートにも参加しているのだが、流石にその時と寸分違わずとは言わないものの、声質、声の張りなども当時とそれほど印象が変わらない。柔らかく、フワッとした、キュートな歌声。そんな少女っぽい雰囲気があるかと思えば、ある音域では押しが強く、意思の強さを感じさせるヴォーカリゼーションを見せる。ロックシンガーとしての表現力の確かさは以前と変わっていない。いや、キャリアを重ねたことで、確実に艶を増し、ふくよかになっているのは間違いなかろう。以前、ご本人とお話させてもらった時、身体のケアについては“特別なことはしてないです。ただ、普段からちゃんと身体を整えておこうとは思ってます”と語っていたけれども、表には出さない弛まぬ努力の末、この日のようなパフォーマンスがあるのだろう。プロとしてのプライドを見る想いだ。
そうした往年と違わぬ歌声が聴けるのは、楽曲のメロディーによるところもあるのではないかと思う。これは『40th Anniversary Best「愛☆溢れて!」』を聴いた時から感じていたことだが、今回の収録曲はバラエティーに富んでいるものの、その歌の旋律はいずれも、単に明るくポップなだけではないし、もちろんマイナー調に終始するわけでもない。それがいい具合にミックスされたものばかりである。「ベジタリアン」が好例だろうか。イントロはシンプルだがドラマチック。語るようなAメロから始まって、Bメロも淡々と進むが、メロディーはしっかり昇っていく。サビはマイナー調でありつつもメロディアス。単純なリフレインではなく、これもまた音階は上昇していくので、あたかもメロディーが前向きさを湛えているかのようだ。
寄る辺ないように見えて、実はちゃんと芯があり、そうは言っても簡単に白黒はっきりさせるわけではない──山下久美子の歌声はその性質上、そんなキャラクターに似合う。基本的にはポジティブだが、決して無邪気に、手放しでそれを露呈しない。『40th Anniversary Best「愛☆溢れて!」』収録曲に限らず、彼女に曲を提供してきたコンポーザーたちはそんな山下久美子のアクトレス的な特徴を把握した上で曲を作り、彼女もそれに応えて、時に自ら歌詞を書いて歌ってきたのであろう。ベストアルバム収録曲は当然ながら制作された時期に幅があるからして、作った時期や作曲家が違っても、そうした山下久美子らしさが貫かれていることが余計に分かる。
また、これはソロシンガーのベスト盤ならではのことと言えるだろうが、作られた時期によってサウンドの傾向も異なる。エッジーなギターサウンドもあれば、ホーンセクションが入ったもの、ストリングスが配されたものある。だが、この日は、ギター、ベース、ドラムが各1名、キーボードが2名でその内のひとりがトロンボーンも兼ねるという、シンプルと言えばシンプルなバンド構成。サウンドがそぎ落とされた分、歌が際立って、件の彼女のヴォーカリストとしての特徴が強調されたとも捉えることもできよう。コロナ禍で会場にファンを迎えられず、往年の“総立ちの久美子”から考えればやや寂しいレコ発記念公演ではあったかもしれないが、ロックシンガーの貫禄、本質を見せつけられたという意味では、十分すぎる2時間のライヴであった。
撮影:伊藤由美/取材:帆苅智之