hide、旅立ちから16年……先進的エン
ターテイナーとしての功績を振り返る

 一体、hideとは何者だったのか?

 完璧すぎるカリスマ・YOSHIKIと堅実なギタリスト・PATAに挟まれた、常軌を逸したギタリスト。その鬼才ぶりは奇抜なビジュアルをはじめ、X JAPANライブのソロコーナー『HIDEの部屋』における狂気に満ちたパフォーマンスなどにも見られた。そして1993年のソロ活動開始以降、それはさらに加速していく。ギタリスト/ミュージシャンの枠に収まりきらないほどの独創性を多方面で発揮していくことになる。

 hideが旅立ってから16年目となる本日5月2日、改めて彼の類い稀なるアーティスト性に思いを馳せるとともに、先見性やエンターティナーとしての功績に目を向けてみたい。

・元不良品を集めた「おもちゃ箱・LEMONed」

 hideを知る上で重要な存在であるのが、スラングである「LEMON(不良品)」に「ed(過去形)」を付け、「元不良品」という意味を持つ「LEMONed(レモネード)」である。最初聴いたときに海外のバンドだと思ったというZEPPET STOREとの出会いをきっかけに1996年に立ち上げたレーベルだ。ただ、本人はレーベルという言葉は用いていない。音楽のみならず、アート、グラフィック、ファッション……「良い」と思ったモノや人を集めた“おもちゃ箱”と言っている。「コワいい(コワくてかわいい)」をコンセプトにブランドショップとして1996年、表参道にLEMONed SHOPをオープン。1Fは洋服や雑貨の販売、2Fはヘアーカットショップになっており、ロックから発生するファッション全般を発信するという、美容師免許を持っていたhideらしい発想の店だ。「“hideプロデュース”とつくとカッコ悪いから」と自分が上に立つのではなく、あくまで「LEMONedの中にhideがいる」というスタンスを貫いていた。

・時代を見越しすぎた先見性

 1996年9月8日<LEMONed presents hide Indian Summer Special>を千葉マリンスタジアム(現・QVCマリンフィールド)で開催する。LEMONed所属アーティストのライブを中心にファッションショーやXスポーツなどを盛り込んだ、斬新な異種混合イベントである。海辺の野外球場という立地条件を活かし、浜辺での演奏などを交えた。フジロックが始まる前年、音楽フェスがまだ日本に浸透していなかった時代であり、サマーソニックがこの場所で開催される5年前のことだ。そして翌97年には都内4ヵ所でのオールナイト・クラブ・イベント<MIX LEMONed JELLY>に発展、各会場をインターネットで繋ぐという当時としてはあまりに早すぎる試みも行なっている。アーティストとしてはいち早く自らホームページを作り、ブログやBBSを運営していた。主にLAで制作活動をしていたhideは東京とのスタッフのやり取りにFAXや電話ではなく、メールでのやり取りを積極的に用いていたという。

 洋邦メジャー/インディーズ問わず幅広いアンテナを張り巡らせているhideは、ファンにとってロックの教科書的存在でもあった。日本ではまだ馴染みの薄かったナイン・インチ・ネイルズやジェーンズ・アディクションなどの洋楽をはじめ、無名だったCocco、THE MAD CAPSLE MARKETS、COALTAR OF THE DEEEPERS……熱心に自分の好きな音楽を語るhideを通して様々なアーティストに出会った人も多いことだろう。まだ知られていない海外アーティストを紹介する『WooFer!!』というコンピレーションアルバムも制作している。

 そして「オバQみたいなメイクしてるヤツ」という紹介に親しい間柄を感じるマリリン・マンソンとは、「“バカ・マンソン”なんですけど、あの日本で9月に一緒にライブやることになっちゃったんで(1998年談)」と、ともにライブを行う計画もあった。実現することは出来なかったが、1999年にサマーソニックの前身でもあるフェス『BEAUTIFUL MONSTERS TOUR』ではhideの盟友とも言えるBUCK-TICKが出演。両者の意志を汲み、その共演を楽しみにしていたファンに向け、hideのカバー『DOUBT '99』を捧げている。

・ポップセンス溢れるエンターティナー

 自らの音楽を「サイボーグロック」と称し、いち早く機械と人間の作る音楽を融合させた。そんなhideの音楽の根底にあるものは「ロックをやろうとしたって歌謡曲で育った日本人」という歌謡ポップ性である。最先端のサウンドを取り入れながら独自のポップセンスで昇華させていく。自己顕示欲や音楽性探求からマニアックなところへ行くのではなく、それをヒットチャート上でやらなければ意味がない、みんなが解るものをやるという確固たるこだわりを持っていた。どんなにヘヴィな楽曲であっても必ずどこかキャッチーさがある、それは洋楽と邦楽の壁を取り払おうとした多国籍バンド、zilchにおいても同じだ。

 墨汁の雨に打たれながら熱唱する歌番組の出演、どこから登場するのか解らないライブオープニング、あげればキリがないほどの型破りな演出は、完全なるエンターティナーのそれであった。サポートミュージシャン、特に右腕でもあるINAの存在、“マニピュレーター”という裏方であったポジションを音楽シーンの表舞台に上げた功績も大きい。

 「作れば作るほど赤字になる」というH・R・ギーガーの立体ジャケット、開けるのに壊すしかない密閉された顔型の発泡スチロール製パッケージ、缶切りで開封する他ないスチール缶に入ったスライム漬けのビデオ……。誰も思いつかないような突拍子もないアイデアとセンスは、音楽以外の面でも発揮されていた。人を楽しませよう、驚かせようとすることにかけての天才であったのだ。

 ジャンル関係なく「カッコいいもの」を教えてくれた。新しいサウンドやアプローチを解りやすく表現していた。そして何をすればファンが喜んでくれるのか、楽しんでもらえるのかを常に考えていた。そんなアーティストだ。

あれから16年。その存在は色褪せることなく、hideはずっと我々の中にいる。今でも黙ったまま、色んなことを教えてくれるのである。(冬将軍)

リアルサウンド

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