フー・ファイターズのT・ホーキンズ
、ガンズから誘われるもロジャー・テ
イラーの忠告に従う
フー・ファイターズのドラマー、テイラー・ホーキンズは、彼らのサード・アルバム『There Is Nothing Left To Lose』(1999年)をプロモートしツアーしていた頃、ガンズ・アンド・ローゼズのマネージメントからバンド加入に関し連絡があったが、クイーンのロジャー・テイラーのアドバイスに従い、断ったそうだ。
ホーキンズは『Classic Rock』のインタビューでこう明かした。「アクセルはガンズ・アンド・ローゼズを再編しようとしていて、何人かの人たちに当たっていたんだと思うよ。彼ら(マネージメント)は、俺が試しにやってみたいか知りたがってた。現実とは思えなかったね」
迷ったホーキンズは同じような経験をしているクイーンのロジャー・テイラーに相談したそうだ。ロジャーは70年代初め、クイーンがまだブレイクする前、モット・ザ・フープルのイアン・ハンターとミック・ロンソンが新バンドを結成しようとしていたときに誘われたが、クイーンに残ることを選んでいたという。
ホーキンズはこう続けた。「彼は、ステージに上がったときフレディ・マーキュリーやブライアン・メイの姿が見えないなんてこと想像できなかった。彼はこう言ってた。“僕は君とデイヴ(・グロール)がステージにいるのを見ているが、あれは金じゃ買えないものだよ。君らの間にあるものは、アクセル・ローズとの間にはないかもしれない”って。彼は正しかった」
「幾多の試練の後、デイヴはブラザーのような存在だ。ステージに上がるとき、俺ら、お互いを見てうなずく。俺ら、一緒にリングに上がるんだ」
フー・ファイターズは、『There Is Nothing Left To Lose』の後に発表した『One By One』(2002年)で初の全英1位を獲得。アメリカでも、それまでで最高の3位をマークした。
Ako Suzuki
迷ったホーキンズは同じような経験をしているクイーンのロジャー・テイラーに相談したそうだ。ロジャーは70年代初め、クイーンがまだブレイクする前、モット・ザ・フープルのイアン・ハンターとミック・ロンソンが新バンドを結成しようとしていたときに誘われたが、クイーンに残ることを選んでいたという。
ホーキンズはこう続けた。「彼は、ステージに上がったときフレディ・マーキュリーやブライアン・メイの姿が見えないなんてこと想像できなかった。彼はこう言ってた。“僕は君とデイヴ(・グロール)がステージにいるのを見ているが、あれは金じゃ買えないものだよ。君らの間にあるものは、アクセル・ローズとの間にはないかもしれない”って。彼は正しかった」
「幾多の試練の後、デイヴはブラザーのような存在だ。ステージに上がるとき、俺ら、お互いを見てうなずく。俺ら、一緒にリングに上がるんだ」
フー・ファイターズは、『There Is Nothing Left To Lose』の後に発表した『One By One』(2002年)で初の全英1位を獲得。アメリカでも、それまでで最高の3位をマークした。
Ako Suzuki
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